崑崙山で生まれたけど、外の世界では氣のことを念と呼ぶらしい   作:awazat

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第6話 本物の値段

 ゼパイルは、子どものころ、偽物の銀貨を買わされたことがある。十歳になる前の頃だったと思う。

 

 店の親父は、百年前のものだと言った。黒ずみもある。重みもある。刻まれた文字も、それらしく見えた。

 

 ゼパイルは三日ほど、それを眺めていた。ニヤニヤとして、嬉しかった。

 

 四日目、知り合いの古物屋に見せた。

 

「最近作ったもんだな」

 

 古物屋は笑った。

 

 かなり腹が立った。それから、ゼパイルは偽物を見るようになった。

 

 偽物には、作った人間の欲が出る。どこを古く見せたいのか。誰を騙したいのか。いくらで売りたいのか。どこで手を抜き、どこに妙な気合いを入れたのか。

 

 紙の端。

 墨のにじみ。

 傷の入り方。

 紐の結び方。

 

 そういうところに、作った人間の癖が出る。偽物は、どこか人間くさい。だから市場は面白い。

 

 そして今日、ゼパイルは偽物の山の前で、もっと変なものを見つけた。

 

 荷車を片手で止める。三人を、ほとんど触るだけで転がす。それでいて、自分がどれだけ目立ったのか、よく分かっていない少年。

 

 あれは本物だ。それもとびきりの。しかも、本人にその自覚がないときた。

 

 面白い。そして、かなり危ない。

 

「兄ちゃん、腹減ってるんじゃなかったのか」

 

「減ってる」

 

「じゃあ、なんで商会についていく流れになってるんだ」

 

「本物だけが消えるって言われたから」

 

「そこに食いついたのか」

 

 ゼパイルはため息をついた。

 

 俺たちは、白灯商会の女会頭について、市場の奥へと歩いていた。表通りから外れると、空気が変わった。呼び込みの声が減って、荷を運ぶ男や、帳簿を抱えた店員が増える。

 

 白灯商会の建物は、派手ではなかった。でも、金はかかっていそうだった。柱は太い。扉は厚い。看板には、白い灯籠の印が彫られていた。

 

 女会頭は、中に入る前にこちらを振り返った。

 

「先ほどの件、うちの者が失礼をしました」

 

「いえ」

 

「あの三人には、あとでよく言っておきます」

 

 静かな声だった。

 

 たぶん、本当に言うのだと感じた。

 

 通された部屋では、茶と菓子が出た。港街の茶は、崑崙の茶より香りが強い。菓子も甘くて美味しそうだった。食べていいのか迷っていると、ゼパイルが先に一つ取った。

 

「食っていいやつだ」

 

「分かるの?」

 

「出した菓子を食わせない商人はいない」

 

 それもそうか。

 

 俺も一つ食べた。

 

 うまい。これはかなりうまい。

 

 女会頭は、それを見て少しだけ笑った。

 

「白灯商会では、海から上がった古物や、山の方から流れてくる品を扱っています。大半はただの古物です。ですが、ごくまれに、本物が混じる」

 

「本物って、何の本物ですか」

 

 俺が聞くと、女会頭は少し考えた。

 

「霊験のある品、と言う者もいます。古い氣が残った品、と言う者もいますが、私どもは、値がつく品、と呼んでいます」

 

 正直だった。

 

 ゼパイルが少し笑う。

 

「いい言い方ですね」

 

「商人ですので」

 

 女会頭は悪びれなかった。

 

「以前から、そうした品はありました。けれど最近、少し様子が違います」

 

「違う?」

 

「海から上がる品に、妙なものが増えました。最近、海におかしなところが多いのです。霧が出る。潮が読めない。船が戻される。港の者は色々と言います。海が道を間違えている、などと」

 

 海が道を間違える。

 

 変な言い方だった。

 

「その妙な本物だけが、消えるのです。偽物や安物は残る。箱も鍵も壊れていない。見張りもいる。けれど、値がつく品だけがない」

 

「盗まれたんじゃないの?」

 

「盗まれたのでしょう。ただ、盗み方が分からないのです」

 

 女会頭は茶を置いた。

 

「ですが、その前に確認したいことがあります」

 

「確認?」

 

「お二人が、何を本物と見るのか」

 

 ゼパイルが少し目を細めた。

 

「こっちを試すわけですね」

 

「話が早くて助かります」

 

 この人は、頭がいい。

 

 嘘をつかないのではないわけではない。嘘をつく場所を選んでいるように見える。

 

 俺たちは倉庫へ案内された。広い倉庫だった。棚には木箱が積まれている。札、護符、壺、金具、巻物、石、薬瓶、獣の骨。見た目だけなら、それっぽいものはいくらでもある。

 

 ただ、ほとんどは何もない。

 

 紙は紙。

 石は石。

 骨は骨。

 

 そこに、それらしい名前をつけているだけだった。それだけで値段が違うというのだ。外の人は名前をありがたがるのだろうか。

 

 番頭らしき男が、台の上に三つの品を並べた。

 

 一つ目は、金の装飾がついた小さな香炉。

 二つ目は、黒く変色した古い銅鏡。

 三つ目は、欠けた青磁の盃だった。

 

 青磁の盃は、一番みすぼらしく見えた。

 

 縁が欠けている。表面も白く曇っている。海水にさらされたせいか、ところどころ細かい傷もあった。けれど、色はきれいだった。青とも緑とも言い切れない。薄い水の奥に、少しだけ月の光が残っているような色だった。

 

 女会頭は言った。

 

「この中に、本物があります」

 

 ゼパイルは香炉を見た。

 

「これは客を騙すにはいいですね。金の使い方が派手だ。けど、古くはない。香の跡も作ってる」

 

「うん、違う」

 

 俺も言った。

 

 次に銅鏡。

 

 ゼパイルは少し迷った。

 

「古いのは本当だな。海に沈んでいた跡もある。ただ、骨董としての古さだ」

 

 俺は鏡を見た。

 

「うん、これも違う」

 

 女会頭は何も言わない。

 

 最後に、青磁の盃を見た。

 

 俺は、そこで少し黙った。

 

 強いわけではない。派手でもない。でも、空っぽではなかった。盃の底に、何かを受けた跡が残っている。水か酒かは分からない。いや、たぶんそういうものではない。もっと薄くて、もっと長く残るもの。

 

 人の手。場所の気配。何度も使われた時間。それが、欠けた器の底にまだ沈んでいた。

 

「これは本物」

 

 倉庫が静かになった。

 

 ゼパイルが盃を見た。

 

「これが?」

 

「うん」

 

「器としては欠けてるぞ」

 

「でも、これだけ違う」

 

 女会頭が静かに聞いた。

 

「何が違いますか」

 

「空っぽじゃない」

 

「盃ですから、何かを入れるものですね」

 

「そうじゃなくて」

 

 俺は盃の底を見た。

 

「欠けてるのに、まだ何かを受けてる。なんていうか、役目を果たしているんだ。終わってない。」

 

 自分でも説明が下手だと思った。

 

 でも、それが一番近かった。

 

 女会頭は、初めてほんの少しだけ表情を変えた。嬉しそうではない。計算が合った人の顔だった。

 

「十分です」

 

 その一言で分かった。この人は、俺に助けてほしいだけではない。試していた。しかも、たぶん答えを知っていた。

 

 ゼパイルが盃をもう一度見た。

 

「これ、かなり高いんじゃないですか」

 

「港では難しい品です」

 

 女会頭は答えた。

 

「欠けていますし、見た目も地味ですから」

 

「港では、ね」

 

「ええ。欲しがる場所へ持っていけば、話は変わります」

 

 女会頭は盃を箱に戻した。

 

「本物とは、品だけでは決まりません。誰の前に出すかで、値段は変わります」

 

 嫌な言葉だった。でも、外ではそれが普通なのだと思う。

 

 女会頭は俺を見た。

 

「今夜、内覧があります」

 

「内覧?」

 

「表には出さない品を、限られた客にだけ見せる場です。そこで、もう一度お力をお借りしたい」

 

 ゼパイルがすぐに言った。

 

「品を見るためですか。それとも、兄ちゃんを見せるためですか」

 

 女会頭は否定しなかった。

 

「両方です」

 

 言い切った。

 

「ミナトさんがそこに立つだけで、品に箔がつきます。ですが、同時に、本物が消えるなら、その場で見られる可能性もある」

 

 女会頭は俺を見た。

 

「こちらは信用を取り戻したい。あなたは、消える本物を見たい。違いますか」

 

 違わなかった。使われるのは嫌だ。でも、見たい。青磁の盃も気になる。本物だけが消えるという話も気になる。黒い糸とは違う。けれど、どこかで似ている。外には、崑崙と違う変なものがある。

 

 それを見ずに帰る気にはなれなかった。知らない商会についていく理由としては、たぶん弱い。でも、気になった。見てはいけないものかもしれない。だからこそ、見ておきたい。そういうところが、たぶん俺の悪いところなのだと思う。

 

「行く」

 

 俺は言った。

 

「使われるのは嫌だけど、見たいものがある」

 

 女会頭は満足そうにうなずいた。

 

「では、今夜はこちらでお食事もご用意いたします」

 

「それは助かります」

 

 ゼパイルが俺を見た。

 

「そこは即答かよ」

 

「腹減ってるし」

 

「本当に分かりやすいな、兄ちゃん」

 

 内覧は夕刻からだと言われた。それまで、俺たちは商会の奥の小さな部屋で待たされることになった。

 

 待たされる、と言っても、別に悪い扱いではない。茶は出るし、飯も出る。部屋もきれいだった。窓からは港の端が少し見えた。屋根の向こうに、帆柱が何本も立っている。俺は椅子に座って、少し息を吐いた。

 

 山を降りて、十日歩いて、港街に着いて、ゼパイルと会って、荷車を止めて、男を三人転がして、白灯商会に連れてこられて、青磁の盃を見た。並べると、けっこう色々あった。朝は、ただ飯を食べようとしていただけだった気がする。

 

「兄ちゃん、眠いのか」

 

 ゼパイルが聞いた。

 

「少し」

 

「緊張感ないな」

 

「あるよ」

 

「どこに」

 

「このへん」

 

 俺は胸のあたりを指した。

 

 ゼパイルはあまり信じていない顔をした。実際、緊張しているのか、疲れているのか、楽しいのか、自分でも少し分からなかった。

 

 外は面倒くさい。値段も分からない。人は嘘をつくし、助けても礼より先に弁償の話が出る。女会頭は丁寧だけど、たぶん俺を道具として見ている。ゼパイルは面白いけど、すぐ俺を危なっかしいものみたいに見る。

 

 それでも、退屈ではなかった。山にいたころ、外はもっと単純な場所だと思っていた。強い敵がいる。知らない町がある。珍しい食べ物がある。たぶん、そんな感じだと思っていた。でも実際は、もっとごちゃごちゃしている。

 

 偽物の護符に値段がつく。欠けた盃にも値段がつく。俺が本物だと言うだけで、誰かの目の色が変わる。分からないことばかりだった。だから、楽しいのかもしれない。そう思ってから、少しだけまずいなと思った。

 

 父が聞いたら、眉をひそめそうだ。

 

 母が聞いたら、笑いながらも心配しそうだ。

 

 亀の老人なら、たぶんこう言う。

 

 足元を見ろ。

 

 俺は足元を見た。白灯商会の床は、よく磨かれていた。足元を見ても、よく分からなかった。

 

「何してんだ?」

 

 ゼパイルが聞いた。

 

「足元を見てた。こういうときは、ちゃんと足元を見ろって」

 

「比喩だぞ、それ」

 

「分かってる」

 

「本当か?」

 

 たぶん。

 

 部屋の外で、人の足音がした。内覧の準備が始まっているらしい。俺は残っていた菓子を一つ食べた。やっぱり、うまかった。こういう時に出るうまいものは、ただの親切ではない。それは分かってきた。でも、うまいものはうまい。そこは、たぶん別でいい。

 

 夕刻になると、白灯商会の奥の部屋に灯りが入った。内覧の部屋は、倉庫とはまるで違った。

 

 床には厚い敷物。壁には白い灯籠。品物は一つずつ台に置かれている。値札はない。値札がない方が高い、ということは何となく分かった。

 

 客は十人ほどだった。

 

 港の商人。

 船主らしい男。

 宝石の指輪をした老人。

 顔を薄布で隠した女。

 奥の席には、黒い手袋をした男が一人いた。

 

 その男だけ、少し違う。商人ではない。船乗りでもない。ただの客の顔をしているのに、客の気配ではなかった。

 

 女会頭が客たちに向かって言った。

 

「本日は、白灯商会の内覧にお越しいただき、ありがとうございます」

 

 声は落ち着いている。大声で売らない。急がない。客を煽らない。ただ、部屋の空気を少しずつ自分の方へ寄せていく。上手いと思った。

 

「本日は、見る目をひとつ増やしております」

 

 紹介、というほどの紹介ではなかった。名前も出さない。ただ、そこに置かれた。

 

 俺は少し居心地が悪かった。品物の横に、何か見世物や添え物のように立たされている気がした。

 

 最初に、護符が運ばれてきた。紙は立派だった。箱も良い。説明書きには、古山の守り、とある。

 

 俺は見た。

 

「違うと思う」

 

 小さくざわめきが起きた。

 

 女会頭は笑わなかった。怒りもしなかった。

 

「では、次を」

 

 それで、客の目が少し変わった。たぶん、俺を信じたわけではないだろう。ただ、商会が売りたい品を俺が切っても、女会頭は止めない。そこに、何かあると思ったのだ。

 

 次に香炉。

 

「古いけど、本物じゃない」

 

 三つ目に、昼間の青磁の盃が出た。

 

 客たちの反応は薄かった。見た目は地味だ。欠けてもいる。さっきの護符より小さいし、香炉より分かりやすくもない。でも、俺は少し黙った。

 

「これは本物」

 

 俺がそう言った瞬間、部屋の空気が少し変わった。盃そのものは変わっていない。欠けたままだ。曇ったままだ。台の上に置かれた、みすぼらしい器のままだ。それなのに、客たちの目だけが変わった。

 

 宝石の指輪をした老人が、少し身を乗り出した。

 顔を隠した女の指が、膝の上で動いた。

 誰かが息を飲んだ。

 

 俺は、少し嫌な気分になった。俺はただ、見えたことを言っただけだ。でも、その一言で、盃は別のものになった。

 

 いや、違う。盃が変わったんじゃない。周りの人間が、勝手に値段を変えたのだ。

 

 ゼパイルが小さく言った。

 

「分かったか、兄ちゃん」

 

「何が」

 

「今、値段が変わった。お前が言っただけでな」

 

 なるほど。分かりたくなかったが、分かった。

 

 俺はただ、見えたことを言っただけだった。これは本物だと思う。それだけだ。でも、その一言で、盃を見る目が変わった。

 

 欠けた器が、ただの欠けた器ではなくなった。曇った青磁が、急に何かありがたいものになった。老人の目が近づく。薄布の女の指が動く。誰かが息を飲む。

 

 俺には、まだ外の値段がよく分からない。米がいくらで、茶がいくらで、宿がいくらかも、いちいち高いのか安いのか迷う。

 

 山では、強いものは強い。古いものは古い。危ないものは危ない。父はそういうものを、値段では見なかった。母もそうだ。亀の老人なら、たぶん茶を飲みながら「売るな」と言う。

 

 でも外では違う。本物だと言えば、欲しがる人が出る。欲しがる人が出ると、値段がつく。値段がつくと、誰かが持っていこうとする。

 

 俺は、盃を見ていたつもりだった。でも、違うのかもしれない。俺は今、盃に値段をつける手伝いをしている。

 

 そう思うと、少し口の中が苦くなった。さっき食べた菓子はうまかったのに。

 

「では、最後に」

 

 小さな箱が運ばれてきた。

 

 黒い布の上に、錆びた方位針が置かれている。見た目は悪い。欠けている。錆びている。市場に転がっていたら、たぶん誰も拾わない。でも、部屋に出された瞬間、空気が少し変わった。

 

 これは、青磁の盃とも違う。器ではない。受けるものではない。向こうとするものだ。俺は、しばらく方位針を見た。

 

「これは本物」

 

 今度は、部屋が大きくざわついた。客たちは方位針を見ている。俺も、最初は方位針を見ていた。でも、気づくと部屋の方を見ていた。

 

 老人は驚いた顔をしていた。顔を隠した女は、驚いたというより、少し悔しそうだった。何が悔しいのかは分からない。たぶん、誰かに先を越されたような顔だった。

 

 女会頭は、静かに部屋を見ていた。品ではなく、客の顔を見ている。そういうところが、商人なのだと思う。

 

 ただ、奥の黒い手袋の男だけは違った。驚いていない。欲しがってもいない。

 

 その時、方位針がかすかに震えた。風はない。台も揺れていない。針は、北ではない方へ向こうとしていた。ほんの少しだけ。

 

 たぶん、他の客は気づいていない。俺には見えた。針の向きが、部屋の奥へ少しだけ流れた。

 

 俺は思わず、その先を見た。黒い手袋の男が、こちらを見ていた。男は方位針を見ていなかった。

 

 俺を見ていた。

 

 その目を見た瞬間、腹の奥が少し冷えた。怖い、とは少し違う。

 

 山で獣に見られたことはある。父に見られたこともある。母に悪さを見抜かれたこともある。でも、これは違った。

 

 あの男は、俺が何をできるかを見ているのではない。俺がどこから来たのかを見ている。そう思った。

 

 理屈ではない。目がそう言っていた。

 

 ここは品に値段をつける場なのだと思っていた。

 

 盃や、方位針や、そういうものを客が見る場なのだと。

 

 でも、たぶん違う。

 

 俺も、見られていた。

 

 値段がつくかどうかを。

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