団子とは、奥深い。
ガレヲンは、串を一本つまみながら、静かにそう結論づけた。
柔らかな白。
焦げ目の香ばしさ。
蜜の甘さ。
噛むたびにわずかに沈み、それでいて崩れすぎない弾力。
空の命は、実に器用である。
大地より生まれた穀を砕き、水を混ぜ、丸め、火を通し、甘いものをまとわせる。
ただ空腹を満たすためだけなら、ここまでの手間は不要だ。
にもかかわらず、人の子らは味を求める。
香りを求める。
見た目を整える。
誰かと食べる時間を喜ぶ。
生きるためだけではない。
楽しむために、食べる。
「理解。(甘味、空の命の叡智)」
「いやぁ、そこまで真面目に褒められると照れるねぇ」
屋台の店主が、少し困ったように笑った。
先ほどまでは目を丸くしていたが、団子を次々に平らげるこの不思議な女に、だんだん慣れてきたらしい。
慣れとは、興味深い。
最初は警戒。
次に困惑。
そして、受容。
空の命は忙しないが、変化に強い。
ガレヲンは、また一本、団子を口に運んだ。
「美味。(追加を所望)」
「まだ食うのかい?」
「肯定。(余地あり)」
「どこに入ってるんだか……」
店主は呆れながらも、串を焼く手を止めなかった。
よい人の子である。
働きすぎていなければ、なおよい。
ガレヲンは、店主の手元をじっと見た。
炭火。
串。
焦げ目。
返す角度。
塗る蜜の量。
どれも、ほんの少しずつ違う。
人の子の技術は、土の理とは違う方向に細かい。
「観察。(汝、熟練)」
「ん? ああ、まあ長いことやってるからねぇ」
「称賛。(よく焼けている)」
「ははっ、ありがとよ」
店主は笑った。
その笑顔を見て、ガレヲンは少し目を細めた。
笑う。
それだけで、顔の形が変わる。
心の内側が、外へ漏れる。
人の子の身体は脆く短いが、表情というものはよく動く。
不思議で、興味深く、そして愛おしい。
店主が、ふと思い出したように尋ねた。
「そういやお嬢さん、どこから来たんだい?」
ガレヲンは考える。
どこから。
それは、場所を問う言葉である。
ならば、正確に答えるべきだ。
「回答。(大地より)」
「……そりゃ、みんなそうだろうけどさ」
「補足。(正確には、山の上)」
「ああ、そういう意味ね。旅の人かい?」
「肯定。(観光中)」
「観光ねぇ。ひとりで?」
「肯定。(我、単独行動を好む)」
「そうかい。まあ、この町は小さいけど、港の方まで行けばいろいろ店もあるよ」
「感謝。(情報、助かる)」
ガレヲンは手元を見た。
串が空になっている。
空になった。
つまり、追加が必要。
「購入。(さらに全種)」
「全種をさらに!?」
「肯定。(よき品は再確認に値する)」
「再確認って……」
店主は笑いながら、次の団子を焼き始めた。
その時、ガレヲンは懐に手を入れた。
貨幣。
さきほど、店主から「町ではこれで払う」と教えられた。
人の子は、物と物を直接交換するだけではなく、価値を小さな金属や紙に預けるらしい。
興味深い仕組みである。
初めは、足元の土から鉱石を生成して渡そうとした。
店主はたいそう慌てた。
『いやいやいや、急に地面からそんなもん出されたら困るからね!?』
困る。
なぜか。
価値が大きすぎる。
出所が不明。
町の秩序が乱れる。
なるほど。
人の子の取引には、取引以外の事情が絡むらしい。
「理解。(貨幣、便利)」
ガレヲンは学んだ。
学習は大切である。
空の命の営みを知るには、まずその形に合わせる必要がある。
店主に代金を渡すと、周囲で見ていた客たちが小さく息をついた。
なぜ安心したのかは不明。
おそらく、急に地面から鉱石が生えないことに安堵したのだろう。
「安堵。(町の秩序、保たれた)」
「お嬢さんが言うと妙に大げさだねぇ」
「否定。(秩序は重要)」
「そうかい」
店主はまた笑った。
ガレヲンは、その笑みを見届けてから、屋台を離れた。
団子を片手に、港町を歩く。
町は、騒がしかった。
荷車の車輪が石畳を鳴らす。
小型騎空艇の整備士が、工具を片手に船体の下へ潜っていく。
商人が大声で値を叫び、客がさらに大声で値切る。
路地では子どもたちが走り回り、酒場の前では船員らしき男たちが肩を組んで歌っている。
布を売る女。
魚を干す老人。
木箱を運ぶ若者。
昼寝をしようとして店番に叩き起こされる少年。
全員が動いている。
全員が何かをしている。
六竜の時間感覚からすれば、瞬きほどの営み。
けれど、その瞬きの中で、空の命は目まぐるしく生きている。
「観察。(空の命、常に動く)」
なぜ、それほど急ぐのか。
なぜ、それほど声を張るのか。
なぜ、それほど小さなことで笑い、怒り、また笑うのか。
答えはおそらく、単純だ。
短いからだ。
短い時間の中で、できるだけ多くを抱えようとする。
できるだけ多くを見ようとする。
できるだけ多くの誰かに、何かを残そうとする。
「推察。(短命ゆえ)」
ガレヲンは、道端で転びかけた老人の足元を見た。
石畳が少しだけ浮いている。
指先を動かす。
石が沈む。
老人は転ばず、杖をついてそのまま歩いた。
気づいていない。
それでよい。
「整地。(凹凸、不要)」
また歩く。
港の近くでは、若い職人が眠そうな目で船体を磨いていた。
隣の男が怒鳴る。
「おい、手ぇ止まってるぞ!」
「す、すみません!」
怒鳴られた若者は、びくりと肩を震わせ、慌てて手を動かす。
焦燥。
急かす声。
疲れた目。
ガレヲンは、少しだけ足を止めた。
好ましくない。
しかし、今はまだ崩れてはいない。
若者の足元は、かろうじて大地を踏んでいる。
ならば、今は見守る。
ただ、手元の布が滑って落ちそうになったので、風に混じって土埃をわずかに動かし、布の端を押し返した。
若者は「あれ?」と首を傾げる。
ガレヲンは歩き出す。
「静観。(過干渉、非推奨)」
ただし、足元が崩れるならば支える。
それが、今の彼女の在り方だった。
屋台通りの端に、菓子を売る店があった。
丸い焼き菓子。
薄い焼き菓子。
果物を煮詰めたもの。
蜜を絡めた木の実。
空の叡智が並んでいる。
ガレヲンは自然と歩を進めた。
すると、前にいた小さな影が振り向いた。
「お姉さん」
子どもだった。
年は、まだ幼い。
手には小さな菓子袋。
目は好奇心で丸い。
「並ばなきゃダメだよ」
ガレヲンは止まった。
「疑問。(並ぶとは)」
「順番!」
「順番」
「そう。先に来た人から買うの」
ガレヲンは、列を見た。
人の子が、一本の流れを作っている。
前にいる者から順に進み、品を受け取り、対価を渡す。
なるほど。
これは小さな秩序である。
割り込めば、後ろの者の時間を奪う。
時間。
短き命にとって、それは重いものだ。
「理解。(人の子の秩序)」
ガレヲンは、子どもの後ろへ移動した。
「謝罪。(学習した)」
「うん!」
子どもは満足げに頷いた。
小さい。
だが、堂々としている。
ガレヲンは、その様子を興味深く見下ろした。
「称賛。(汝、秩序を守る者)」
「ちつじょ?」
「説明。(みんなが困らないための決まり)」
「ふーん……」
子どもは首を傾げ、それから笑った。
「お姉さん、変な話し方だね」
「肯定。(省力)」
「しょうりょく?」
「説明。(短く言うと、楽)」
言ってから、ガレヲンはわずかに止まった。
今の言葉は、括弧の中ではなく、普通に近かった。
子どもは目を輝かせる。
「あ、普通にしゃべれるんじゃん!」
「失態。(発話形式、崩壊)」
「はっわ……?」
「問題なし。(気にするな)」
「気になるよ!」
子どもは笑った。
弾けるような笑い声だった。
ガレヲンは、それを静かに聞いた。
笑顔。
先ほどの店主とも違う、柔らかく明るい表情。
空の命は、やはり面白い。
小さな身体に、これほど大きく感情を灯す。
「観察。(笑顔、良好)」
「なにそれ」
「祝福。(その表情、長く保たれよ)」
子どもは意味が分からなかったらしく、また笑った。
順番が進む。
子どもは菓子を買い、ガレヲンは店の品を全種類買った。
店主が困惑する。
先ほども似たようなことがあった。
人の子は、全種類の購入に驚く傾向がある。
学習した。
しかし、改善の必要はない。
全種類を食べたいという欲求は、自由に属する。
「自由。(購入数に制限なし)」
そう呟いたところで、子どもがまた笑った。
しばらくして、ガレヲンは港の端へ向かった。
潮の匂い。
木材の匂い。
油の匂い。
熱した金属の匂い。
港は、屋台通りとはまた違う命の気配に満ちていた。
だが、その中にひとつ、小さな揺らぎがあった。
先ほどの子どもだ。
母親らしき者と歩いていたはずだが、今はひとり。
人波の中で、きょろきょろと周囲を見回している。
迷子。
そういう状態であるらしい。
子どもはしばらく耐えていた。
泣きそうな顔で、けれど泣くのを我慢していた。
小さな手で菓子袋を握りしめ、背伸びをして周囲を見る。
見えない。
ならば高いところへ。
そう考えたのだろう。
子どもは、港町の外れにある見晴らし道へ走り出した。
そこは、崖沿いだった。
古い道。
石は剥がれ、土は緩み、端の方は少し崩れかけている。
大人なら気づく。
だが、焦燥は視界を狭める。
子どもは母親を探すことに必死で、足元を見ていない。
ガレヲンは立ち止まった。
走らない。
叫ばない。
ただ、足元の土に意識を落とす。
土は知っている。
どこが緩み、どこが砕け、どこに小さな足が乗ろうとしているのか。
子どもの足が、崖際の崩れた石にかかる。
石が沈む。
体が傾く。
その瞬間、土が動いた。
大きくではない。
誰の目にも分からぬほど、ほんのわずか。
緩んでいた地面が締まる。
崖際の土が固まる。
子どもの足元に、小さな盛り上がりが生まれる。
転ぶ。
だが、前ではなく後ろへ。
子どもは尻もちをついた。
菓子袋が落ちる。
けれど、崖には落ちない。
「整地。(凹凸が気になった)」
ガレヲンは、静かにそう呟いた。
一拍遅れて、子どもが泣き出した。
その声に、周囲の大人たちが振り向く。
母親が駆けてくる。
「ミナ!」
子どもが顔を上げた。
「おかあさん……!」
母親は子どもを抱きしめた。
強く。
痛いほど強く。
子どもは泣きながら、母親の服を掴む。
母親も泣いていた。
ガレヲンは、それを見ていた。
命が命を抱きしめる。
短い腕で。
震える手で。
失われかけたものを、確かめるように。
「観察。(抱擁、安堵の形)」
しばらくして、母親がこちらを見た。
涙で濡れた顔。
感謝と驚きと、わずかな畏れ。
「あなたが……助けてくださったんですか?」
ガレヲンは考えた。
助けた。
その認識は正しいのか。
自分は、子どもを抱き上げてはいない。
声もかけていない。
ただ、道の凹凸を均しただけである。
「否定。(我、何もしていない)」
母親が息を呑む。
「でも、今、地面が……」
「整地。(道の凹凸を均しただけ)」
「それを、助けたって言うんです……!」
人の子の定義は難しい。
ガレヲンは少し沈黙した。
子どもが、涙を拭きながらこちらを見る。
先ほど、列の順番を教えてくれた子ども。
秩序を守る小さな命。
笑顔が良好だった命。
「お姉さん……ありがとう」
その言葉は、小さかった。
けれど、まっすぐだった。
ガレヲンは受け止める。
感謝。
対価ではない。
貨幣でもない。
だが、確かに渡されたもの。
「受領。(感謝、受け取った)」
子どもは、まだしゃくり上げている。
母親の手を握っている。
それを見て、ガレヲンは少しだけ身を屈めた。
「助言。(次は、手を繋げ)」
子どもは、こくこくと頷いた。
母親も、子どもの手をさらに強く握る。
ガレヲンは、その二つの手を見た。
小さな手。
それを包む手。
帰る場所へ繋ぐ形。
「祝福。(汝の足が、これからも帰る場所へ届きますように)」
風が吹いた。
崖沿いの緩んでいた土が、静かに締まる。
見晴らし道は、しばらく崩れないだろう。
母親は、何かを言おうとした。
だが、ガレヲンはすでに歩き出していた。
感謝は受け取った。
道は整えた。
子どもは無事。
ならば、問題はない。
夕方が近づく頃、港町には小さな噂が広がり始めていた。
不思議な女がいたらしい。
変な話し方をするらしい。
団子を山ほど食べたらしい。
地面を動かしたらしい。
崖から落ちかけた子どもを救ったらしい。
いや、星晶獣ではないか。
いや、騎空士だろう。
いや、ただの大食いの美人だろう。
いやいや、ただ者ではない。
団子屋の店主は、腕を組んで笑った。
「悪い人じゃなさそうだけどねぇ。団子はよく食うが」
その頃、ガレヲンは町外れの丘にいた。
手には、包んでもらった団子と焼き菓子。
港を見下ろせる場所。
足元の土は柔らかく、座るにはちょうどよい。
人型の身体を小さく折り、ガレヲンはゆっくりと団子を食べた。
甘い。
やはり、空の叡智である。
町の中から、子どもの声が聞こえた。
先ほどの子どもだ。
母親と手を繋ぎながら、何かを話している。
もう泣いていない。
よい。
「確認。(人の子、無事)」
胸の奥に、わずかな温かさが灯る。
「安堵。(よい)」
だが、同時に疑問もある。
なぜ、あれほど感謝されたのか。
自分は何もしていない。
道が歩きにくければ、歩きやすくする。
土が緩んでいれば、締める。
凹凸があれば、均す。
それは、土の理として当然のこと。
誰かを救ったというほど、大仰なことではない。
「疑問。(なぜ感謝された)」
考える。
団子を食べる。
また考える。
分からない。
「結論。(人の子の営み、難解)」
串に残った蜜を眺める。
夕陽が港を染めていた。
小型騎空艇の帆が赤く光る。
人々はまだ忙しなく動いている。
笑い声。
怒鳴り声。
泣き声。
歌声。
すべてが混ざって、町というひとつの命のように揺れている。
騒がしい。
短い。
焦燥もある。
危うさもある。
けれど。
「理解。(されど、愛おしい)」
ガレヲンは最後の団子を口に入れた。
甘い。
十分に甘い。
考えても分からないことはある。
ならば、今はそれでよい。
「まあ、いいか。(団子、美味)」
その日の夕方。
港町リト・ハーバーでは、崖道から子どもを救った不思議な女の噂が、少しだけ広がり始めていた。
当の本人は、町外れの丘で満足げに目を細めている。
自分が何かをしたつもりはない。
ただ、少し土を整えただけ。
ただ、空の命が今日も大地を踏めるように。
ほんの少し、祝福を置いただけだった。