傍観竜ガレヲンは今日も空を満喫する   作:好きな性癖発表ドラゴン

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第7話 蒼空。(少女は落ち、竜は見ている)

 

 

 茶に、まだ土の香りがする。

 

 ガレヲンは丘の上で湯呑みを傾け、静かにそう判断した。

 

 液体である。

 

 湯呑みは岩になっていない。

 

 茶葉も鉱石化していない。

 

 湯気も穏やか。

 

 以前の自動給茶土人形と比べれば、飛躍的な進歩だった。

 

 だが、香りが強い。

 

 茶の香りではない。

 

 大地の香りである。

 

 土の理としては悪くない。

 

 けれど、人の子の飲み物としては、おそらく違う。

 

 カリオストロならば、きっと眉を寄せて言うだろう。

 

 土を飲ませるな、と。

 

「改善。(茶、液体を維持)」

 

 土人形が、ぺこりと頭を下げた。

 

 ガレヲンはもう一口飲む。

 

「問題。(土の香り、過多)」

 

 土人形が、少しうなだれたように見えた。

 

 自律性が増している。

 

 良いことかもしれない。

 

 あるいは、後で怒られることかもしれない。

 

 検証役がいないため、判断は保留である。

 

「不便。(検証役、不在)」

 

 風が吹く。

 

 丘の下には雲海が広がり、遠くにはいくつもの島影が浮かんでいた。

 

 ガレヲンは懐から古いメモを取り出す。

 

 乱暴な文字。

 

 強い筆圧。

 

 何度も読み返したため、端が擦れている。

 

 ――出力を落とせ。

 ――安全機構を入れろ。

 ――人間用の基準を覚えろ。

 ――勝手に工房を直すな。

 ――焦げ跡を消すな。

 ――次までに直してこい。

 

 次。

 

 その文字を見るたび、胸の奥に小さな空洞ができる。

 

 友は戻ると言った。

 

 だから、戻る。

 

 ならば待てばよい。

 

 六竜にとって、時は長い。

 

 千年も、数え切れぬ年月も、ただ流れるものだ。

 

 それでも、怒鳴る声がないのは少し不便だった。

 

 ガレヲンは湯呑みを置いた。

 

 土人形が菓子を差し出す。

 

 焼き菓子。

 

 表面に蜜。

 

 形状良好。

 

 ただし、端がわずかに結晶化しつつある。

 

「制止。(菓子の鉱物化、非推奨)」

 

 土人形が、はっとしたように菓子を引いた。

 

 危うい。

 

 だが、学習している。

 

 おそらく。

 

 ガレヲンがそう考えた時だった。

 

 遠くの空が、わずかに軋んだ。

 

 金属の重い気配。

 

 火薬。

 

 軍靴。

 

 命令で動く集団。

 

 閉ざされた島の静けさに、硬い影が差し込む。

 

 ザンクティンゼル。

 

 神秘を奉る島。

 

 長く静かだった地脈に、急激な緊張が走る。

 

 青い気配が揺れた。

 

 外を知らぬ少女。

 

 星晶獣を従える力を持つ、謎多き命。

 

 その近くで、赤い小さな気配が騒がしく跳ねる。

 

 よく動き、よく怒り、よく吠える命。

 

 そして、島の土を踏む若い足。

 

 星の島を目指す子。

 

 まだ旅を知らない足。

 

 けれど、空へ向かう心を持つ命。

 

 さらに、ひとつの剣の気配。

 

 守るために、帝国へ背を向ける騎士。

 

 ガレヲンは遠くを見た。

 

 目で見ているわけではない。

 

 地と空の揺れが、そう伝えてくる。

 

「開始。(青き命、落ちる)」

 

 土人形が首を傾げた。

 

 ガレヲンは立ち上がらない。

 

 走りもしない。

 

 ザンクティンゼルへ向かうこともしない。

 

 物語が動いた。

 

 だが、それは彼女の物語ではない。

 

 歩くのは、彼らだ。

 

 選ぶのは、彼らだ。

 

 だから、ただ見ている。

 

 ただし、足元が崩れるなら。

 

 ほんの少しだけ、土を整える。

 

 青い少女が落ちる。

 

 森の中へ。

 

 閉ざされた島の空を、逃走の気配が切り裂く。

 

 帝国の追手。

 

 重い鉄の音。

 

 空を覆う軍艦の影。

 

 森の地面は硬い。

 

 根が絡み、石が露出し、落下地点には角の鋭い岩がある。

 

 それは致命ではないかもしれない。

 

 だが、少女の身体には重い。

 

 ガレヲンは、遠く離れた地脈へ意識を伸ばした。

 

 落下地点の土を、ほんの少しだけ柔らかくする。

 

 岩の角を、土の中へ沈める。

 

 根をわずかにずらし、受け止める形へ変える。

 

「緩衝。(落下地点、硬度過多)」

 

 青い気配が地に触れた。

 

 衝撃はある。

 

 痛みもある。

 

 恐怖もある。

 

 だが、砕けない。

 

 少女は息を呑み、震えながらも立ち上がる。

 

 土が少しだけ柔らかかったことには、おそらく気づかない。

 

 それでよい。

 

 彼女は走る。

 

 外を知らぬ足で。

 

 追われる命として。

 

 それでも、消えない青い光を抱えて。

 

 ガレヲンは静かに見ていた。

 

「観察。(青き命、未だ大地を踏む)」

 

 それでよい。

 

 次に動いたのは、星を追う子だった。

 

 ザンクティンゼルの森を駆ける足音。

 

 鍛えられている。

 

 毎日、空を目指して身体を動かしていた足。

 

 だが、まだ島の外を知らない。

 

 未知を追うための足であり、戦場を知る足ではない。

 

 赤い小さな命が、その近くで騒がしく跳ねる。

 

 何かを叫んでいる。

 

 何かを急かしている。

 

 小さな羽の気配が、あちらこちらへ忙しなく動く。

 

 ガレヲンは、その足元を感じ取った。

 

 森の道は歩きにくい。

 

 根が浮き、湿った土が滑り、急ぐ命の足を掬う。

 

 星を追う子は、落ちた光へ向かっている。

 

 急いでいる。

 

 だから、足元を見落とす。

 

 大きく変えてはいけない。

 

 道を作り替えてはいけない。

 

 出会いの場所へ導くことも、逆に遠ざけることもしてはいけない。

 

 ただ、目の前の根をひとつ沈めるだけなら。

 

「整地。(森の根、歩行に不向き)」

 

 土がわずかに沈む。

 

 太い根が、ほんの少しだけ低くなる。

 

 星を追う子の足は、そこに引っかからなかった。

 

 転ばない。

 

 速度は落ちない。

 

 そのまま、森の奥へ進む。

 

 赤い小さな命が、ふと振り返った。

 

 地面を見ている。

 

 何かに気づきかけたらしい。

 

 けれど、すぐに前を見る。

 

 青い少女の気配が近い。

 

 今は、それどころではない。

 

「安堵。(よい)」

 

 ガレヲンはそれ以上触れない。

 

 青い少女と、星を追う子が出会う。

 

 それは、土の上で起きた。

 

 森の空気が震える。

 

 不安。

 

 驚き。

 

 警戒。

 

 そして、手を伸ばす気配。

 

 赤い小さな命が騒がしい。

 

 青い少女の呼吸が乱れている。

 

 星を追う子の足が止まる。

 

 運命という言葉を、ガレヲンはあまり好まない。

 

 それは時に、命の選択を小さく見せる。

 

 だが、この出会いには確かに重さがあった。

 

 地層の奥に刻まれるような重さ。

 

 ここから、多くのものが始まる。

 

 傷も。

 

 別れも。

 

 笑顔も。

 

 選択も。

 

 旅も。

 

 ガレヲンは、手を出さない。

 

 言葉も置かない。

 

 土も動かさない。

 

「静観。(出会いは、彼らのもの)」

 

 出会いに祝福を押しつける必要はない。

 

 この瞬間は、彼らが作るものだ。

 

 青い少女が、何かを言う。

 

 星を追う子が、何かを返す。

 

 赤い小さな命が、きっと騒いでいる。

 

 遠すぎて声までは聞こえない。

 

 だが、地面に伝わる震えだけで十分だった。

 

 彼らは出会った。

 

 それで、物語は前へ進む。

 

 背く騎士が、森を駆ける。

 

 剣の重さ。

 

 鎧の軋み。

 

 息は乱れている。

 

 だが、歩みは迷わない。

 

 ルリアを守る。

 

 それだけが、足の向きを決めている。

 

 帝国の追手が近づく。

 

 森の中に、硬い足音が増える。

 

 命令で動く足。

 

 追う足。

 

 守る足。

 

 逃げる足。

 

 焦燥が濃くなる。

 

 カタリナの足が、濡れた斜面へ踏み込んだ。

 

 一瞬、滑る。

 

 剣を抜くには不利な姿勢。

 

 守るべき少女へ向かう道が、わずかにずれる。

 

 ガレヲンは、そこだけ土を締めた。

 

「支持。(守る足、滑落不可)」

 

 踏み込みが戻る。

 

 騎士の身体が崩れない。

 

 剣の軌道が保たれる。

 

 彼女は一瞬だけ、足元を見る。

 

 違和感。

 

 だが、追手がいる。

 

 青い少女がいる。

 

 今は理由を探る時ではない。

 

 剣が振るわれる。

 

 守るために。

 

 帝国に背いた者として。

 

 ガレヲンは、その足を見ていた。

 

「祝福。(背く騎士の剣が、守るために折れませんように)」

 

 それは、誰にも届かない声だった。

 

 ただ、土だけが聞いていた。

 

 追撃の余波で、森の岩が砕けた。

 

 砲声。

 

 爆風。

 

 木々の揺れ。

 

 石片が飛ぶ。

 

 大きなものではない。

 

 だが、命に届けば傷になる。

 

 頬を裂く。

 

 目を奪う。

 

 足を止める。

 

 小さな石片が、青い少女と星を追う子の方へ向かう。

 

 ガレヲンは、指先を動かした。

 

 遠く離れた土の粒が、空気中でほんの少しだけ軌道を変える。

 

 石片は逸れた。

 

 ひとつは木の幹へ。

 

 ひとつは地面へ。

 

 ひとつは、頬のすぐ横をかすめて飛ぶ。

 

 恐怖は残る。

 

 危機も残る。

 

 だが、致命にはならない。

 

「保護。(砕けた石、命へ届かぬように)」

 

 大きく救わない。

 

 戦いを消さない。

 

 追手を止めない。

 

 ただ、足元と石だけを少し整える。

 

 それ以上は、彼らのものだ。

 

 彼らの走る道。

 

 彼らの選ぶ先。

 

 彼らが掴む空。

 

 ガレヲンは、それを奪わない。

 

 逃走の気配が、森を抜けていく。

 

 青い少女。

 

 星を追う子。

 

 赤い小さな命。

 

 背く騎士。

 

 四つの気配が、閉ざされた島の外へ向かって動いていく。

 

 ガレヲンは、遠くの地脈へ最後にもう一度だけ触れた。

 

 ザンクティンゼルの土。

 

 古き信仰を抱く島。

 

 そこから空へ出る道。

 

 足元に、ほんの小さな祝福を置く。

 

「祝福。(星を追う子の歩みが、己のものとして続きますように)」

 

 父の手紙を抱き、星の島を目指す命へ。

 

「祝福。(青き少女の足が、帰る場所を得ますように)」

 

 外を知らぬまま、空へ放り出される少女へ。

 

「祝福。(赤き小さき命が、今日もよく吠えますように)」

 

 騒がしく、頼もしく、小さな相棒へ。

 

「祝福。(背く騎士の剣が、守るために折れませんように)」

 

 守るために、帰る場所を捨てる騎士へ。

 

 祝福は光らない。

 

 音も立てない。

 

 誰の目にも見えない。

 

 ただ、彼らが足を踏み出した時、少しだけ土が柔らかい。

 

 いつか、船底が軋む時、一度だけ保つ。

 

 いつか、転びそうになる時、一歩だけ踏みとどまる。

 

 その程度のもの。

 

 それで十分だった。

 

 やがて、ザンクティンゼルの揺れは遠ざかっていった。

 

 島から空へ。

 

 閉ざされた場所から、果てなき旅へ。

 

 ガレヲンは丘の上に戻る。

 

 土人形が、また茶を淹れていた。

 

 湯呑みは岩になっていない。

 

 液体である。

 

 温度も良い。

 

 香りは、やはり土が強い。

 

 ガレヲンは湯呑みを受け取り、一口飲んだ。

 

「確認。(出会い、成立)」

 

 青い少女は、星を追う子と出会った。

 

 赤い小さな命は、今日も騒がしく跳ねている。

 

 背く騎士は、守るために剣を握った。

 

 ならば、それでよい。

 

 ガレヲンは湯呑みを見下ろす。

 

 少し考える。

 

「疑問。(我、介入したか)」

 

 落下地点を柔らかくした。

 

 森の根を沈めた。

 

 騎士の足元を支えた。

 

 石片を逸らした。

 

 旅立つ道に、小さな祝福を置いた。

 

 だが、出会いは彼らのもの。

 

 選択も彼らのもの。

 

 逃げる足も、守る剣も、手を伸ばす心も、彼らのもの。

 

 ならば。

 

「否定。(整地しただけ)」

 

 土人形が、ぺこりと頭を下げた。

 

 同意らしい。

 

 おそらく。

 

 ガレヲンは茶を飲む。

 

 やはり、土の味がする。

 

「まあ、いいか。(茶、土味)」

 

 遠く、閉ざされた島から、ひとつの旅が空へ踏み出した。

 

 六竜の金は、それを追わない。

 

 ただ、空のどこかで、柔らかな土を残している。

 

 その祝福が、いつか誰かの一歩を支えるとしても。

 

 本人は、今日も本気でこう思っていた。

 

 何もしていない。

 

 ただ、整地しただけだと。

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