傍観竜ガレヲンは今日も空を満喫する   作:好きな性癖発表ドラゴン

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第8話 船底。(空へ出るには、まず足元)

 

 

 

 

 風の島は、落ち着きがない。

 

 ガレヲンは、ポート・ブリーズ群島の港に降り立って、まずそう判断した。空を渡る風が絶えず吹き抜け、帆布を鳴らし、荷を運ぶ人の服をはためかせ、停泊している騎空艇の船体を細かく揺らしている。

 

 土はある。島である以上、大地は確かにある。だが、この島の命は、土の上に留まるより先に空を見ていた。

 

「観光。(風の島、興味深い)」

 

 港には、騎空艇が並んでいる。

 

 小型のもの。荷運び用のもの。見栄えを重視した客船らしきもの。船体に傷を残したまま停泊している、歴戦の騎空艇もある。

 

 人の子らは、空へ出るための器を作る。

 

 大地から離れるために、木を組み、金属を打ち、帆を張り、機関を積む。ガレヲンにとって、それは少し不思議な営みだった。

 

 大地を離れたいのに、支えるものを作る。

 

 空を行きたいのに、足元を求める。

 

「疑問。(大地を離れるのに、足元を要する)」

 

 考える。

 

 騎空艇の甲板。船底。竜骨。留め具。積荷を受ける床。乗り込む者たちの立つ場所。

 

 なるほど。

 

「理解。(船底もまた、足元)」

 

 ガレヲンは満足げに頷いた。

 

 ならば、騎空艇とは空を歩くための大地である。少なくとも、そう考えれば分かりやすい。

 

 そう結論づけたところで、近くの屋台から甘い匂いがした。

 

 風車の形をした焼き菓子。

 

 表面には蜜が塗られ、香ばしく焼かれている。風で小さな紙飾りが回り、屋台の看板がからからと鳴っていた。

 

 ガレヲンは歩みを変える。

 

「購入。(風車菓子、全種)」

 

「ぜ、全種ですか?」

 

「肯定。(風の島の叡智を確認する)」

 

「叡智……?」

 

 店主は困惑しながらも、袋いっぱいに焼き菓子を詰めた。

 

 ガレヲンは代金を払う。貨幣の扱いは、すでに学習済みである。地面から鉱石を出さない。過剰に払わない。屋台の前では列に並ぶ。

 

 空の命の秩序は、意外と繊細なのだ。

 

「成長。(買い物、円滑)」

 

 店主には意味が分からなかったらしいが、ガレヲンは満足していた。

 

 風車菓子は、軽い。口に入れると、ほろりと崩れる。蜜の甘さの奥に、焼いた小麦の香りが残った。

 

「美味。(風、甘い)」

 

 風そのものは甘くない。

 

 だが、風の島で食べる甘味は、たしかに風の味がする気がした。

 

 非常に良い。

 

 ガレヲンは風車菓子を手に、発着場へ向かった。

 

 そこには、ひときわ古い船があった。

 

 古い。

 

 だが、死んでいない。

 

 船体には傷があり、補修の跡があり、時間の重さが染みついている。眠っているようにも見える。だが、その奥に、まだ空を覚えている芯があった。

 

 グランサイファー。

 

 名を知っている。

 

 この空の物語において、星を追う子たちの足元となる船。多くの命を乗せ、数えきれない島々へ向かう、大きな器。

 

 ガレヲンは船底の影へ近づいた。

 

 木材。

 

 金属。

 

 竜骨。

 

 繋ぎ目。

 

 支える構造。

 

 見れば見るほど、これは地面に似ている。

 

「観察。(大きな器、眠り深し)」

 

 船体が、風に揺れて軋んだ。

 

 小さな音。

 

 だが、ガレヲンにはよく聞こえる。

 

 ただ古いだけではない。船底に残る痛み。かつて空で何かを失った記憶。竜骨の奥に沈む、飛ぶことへのためらい。

 

「診断。(竜骨、軋み過多)」

 

「おい」

 

 背後から声がした。

 

 ぶっきらぼうな声。警戒はあるが、敵意は薄い。面倒を見慣れた者の声でもあった。

 

 振り向くと、男が立っていた。

 

 赤い髪。くわえた煙草。整備士とも、操舵士ともつかない空気。歩き方には、船の揺れを知っている者特有の重心がある。

 

「あんた、そこは立ち入り禁止だぞ」

 

「謝罪。(観察に集中していた)」

 

「観察って……船に詳しいのか?」

 

「回答。(足元には詳しい)」

 

「船底の話か?」

 

「肯定。(おそらく)」

 

 男は眉を寄せた。

 

 怪しい女だと思っている。

 

 当然である。

 

 発着場の端で、古い船の船底を覗き込み、「足元には詳しい」と言う女。怪しくないはずがない。

 

 それでも男は、すぐに追い払おうとはしなかった。

 

 彼もまた、船を見ていた。

 

 グランサイファーを。

 

 遠ざけたいのに、目を離せない。捨てたと言いながら、気にかけている。乗らないと言いながら、傷には気づく。

 

 ガレヲンは、その足元を見た。

 

 空を忘れた足。

 

 いや、違う。

 

 忘れようとしている足。

 

 口に出しかけて、止める。

 

 それは、彼の物語へ踏み込みすぎる。

 

 歩くのは彼だ。

 

 舵を握るかどうかを決めるのも、彼だ。

 

 ガレヲンは、代わりに船を見た。

 

「助言。(船は、まだ空を覚えている)」

 

 男の目が、わずかに変わった。

 

「……何を知ってる」

 

「否定。(何も)」

 

「何も知らねぇ奴が、そんなこと言うかよ」

 

「観光。(我、風車菓子を食べに来た)」

 

「急に話を戻すな」

 

 男は呆れたように息を吐いた。

 

 その視線は、ガレヲンからグランサイファーへ移る。

 

 ほんの一瞬だけ、表情が柔らかくなった。

 

 船を見ている顔だった。

 

 過去を見ている顔でもあった。

 

 ガレヲンはそれ以上言わなかった。

 

 男は踵を返す。

 

「妙なことするなよ。あの船は……まあ、いろいろあるんだ」

 

「理解。(大切な足元)」

 

「……そういう言い方は初めて聞いたな」

 

 男はそれだけ言って、発着場の方へ戻っていった。

 

 ガレヲンは、グランサイファーの船底へ向き直る。

 

 大切な足元。

 

 たしかに、そうだ。

 

 この船は、誰かの空を支える。

 

 ならば、余計な軋みくらいは整えてもよい。

 

「整備。(竜骨、軋み過多)」

 

 ガレヲンは船底に手を添えた。

 

 大きく直さない。

 

 傷を消さない。

 

 過去をなかったことにはしない。

 

 墜落の恐怖も、操舵士の迷いも、この船が背負ってきた時間も、すべてこの器の一部だ。そこを削れば、別の船になってしまう。

 

 だから、触れるのは軋みだけ。

 

 接合部の硬さを少し和らげる。

 

 竜骨が力を受ける流れを、ほんの少し整える。

 

 船底の奥に残る余計な歪みを、眠る大地を撫でるように均す。

 

「祝福。(空を歩む器が、己の空を思い出しますように)」

 

 船体が、微かに鳴った。

 

 誰にも聞こえないほど小さな音。

 

 だが、発着場を歩いていた男だけが足を止めた。

 

「……今、鳴ったか?」

 

 彼は振り返る。

 

 グランサイファーは、ただ風に揺れているだけに見えた。

 

 ガレヲンは、もう船底から離れていた。

 

 風車菓子を食べている。

 

「確認。(整備、完了)」

 

 もちろん、完璧には直していない。

 

 完璧にする必要はない。

 

 飛ぶかどうかは、船と操舵士が決めることだ。

 

 ガレヲンは、発着場の端へ移動した。

 

 そこから港全体が見える。

 

 青い少女の気配がある。

 

 星を追う子の足音もある。

 

 赤い小さな命は、相変わらず騒がしい。

 

 背く騎士は周囲を警戒している。

 

 そして、あの操舵士の気配が、グランサイファーの周囲を何度も行き来していた。

 

 旅路は、次の足元を得ようとしている。

 

「確認。(旅路、次の足元を得る)」

 

 だが、ここもまた、彼らの物語だ。

 

 操舵士が空へ戻るかどうか。

 

 古い船が再び飛ぶかどうか。

 

 それは、ガレヲンが決めることではない。

 

「静観。(操舵士の選択は、操舵士のもの)」

 

 風が強くなった。

 

 港の旗が大きくはためく。

 

 空の向こうに、黒い雲が膨らんでいる。

 

 風の流れが乱れていた。

 

 ただの天候ではない。

 

 この群島を守り、支えてきた風の星晶獣。その眠りが乱れ、風が荒れている。

 

 土とは違う理。

 

 風はガレヲンの領分ではない。

 

 風のことは、風の命が選ぶ。青い少女たちが向き合う。あの操舵士が、舵を握るかどうかを決める。

 

 ガレヲンは、黒雲を見上げた。

 

「観察。(風の寝相、悪化)」

 

 風がさらに強く吹く。

 

 発着場の足場が小さく軋んだ。

 

 長く風を受け続けた木材。濡れて緩んだ土台。嵐になれば、人の子が走るには少し危ない。

 

 そこは、土の領分である。

 

「補強。(発着場、嵐に脆弱)」

 

 ガレヲンは足元へ意識を落とした。

 

 杭を深くする。

 

 土台を締める。

 

 浮いた石を沈める。

 

 風で煽られた荷車が倒れた時、逃げる足が引っかからないよう、わずかな段差を均す。

 

 大きく変えない。

 

 ただ、足元を整える。

 

 それだけである。

 

 やがて、港の空気が変わった。

 

 人々が騒ぎ始める。

 

 声が重なる。

 

 青い少女たちの気配が、グランサイファーへ向かう。

 

 操舵士の足音が、迷いながらも強くなる。

 

 男が、舵へ向かう。

 

 ガレヲンは発着場の端で見ていた。

 

 風車菓子を、もうひとつ口に入れる。

 

 甘い。

 

 だが、風が強すぎて少し食べにくい。

 

「難点。(菓子、飛散の危険)」

 

 包みを押さえながら、ガレヲンはグランサイファーを見る。

 

 古い船が、震える。

 

 眠っていた器が、空を思い出す。

 

 船体が軋む。

 

 だが、壊れない。

 

 竜骨が力を受ける。

 

 だが、受け流す。

 

 船底は、先ほどよりほんの少し柔らかく、しなやかに鳴っていた。

 

 操舵士が舵を握る。

 

 風に向かって、船が動く。

 

 港の空気を切り裂き、グランサイファーが再び空へ出る。

 

 ラカムは、舵を握りながら眉を寄せた。

 

「……お前、こんなに素直だったか?」

 

 船は答えない。

 

 ただ、空へ進む。

 

 黒雲の向こうに、風の星晶獣の気配がある。

 

 それは、これから彼らが向き合うべきものだ。

 

 ガレヲンは追わない。

 

 風の荒れを鎮めるのは、彼女の役目ではない。

 

 船が飛ぶと決めた。

 

 操舵士が舵を握った。

 

 星を追う子たちが、その船に乗った。

 

 ならば、それでよい。

 

「安堵。(大きな器、空を思い出した)」

 

 グランサイファーは、黒雲へ向かっていった。

 

 港にはまだ強い風が残っている。

 

 だが、発着場の足元は崩れない。

 

 人々は慌ただしく動きながらも、転ばずに済んでいる。

 

 菓子屋の屋台も、杭が抜けずに持ちこたえていた。

 

 ガレヲンは屋台に戻り、風車菓子を追加で買った。

 

「追加。(風車菓子、十)」 

 

「この風の中でまだ食べるんですか!?」

 

「肯定。(風味、増加)」

 

「そういうものですかね……」

 

「不明。(だが美味)」

 

 店主は困った顔をしながらも、袋に菓子を詰めた。

 

 遠くの空では、黒雲がうねっている。

 

 その中で、風がぶつかり、船が進み、命が選んでいる。

 

 ガレヲンはそれを土の揺れと港の足元から感じていた。

 

 風が少しずつ、変わり始める。

 

「確認。(風、安定へ向かう)」

 

 詳しい戦いは見ない。

 

 見守りすぎれば、手を出したくなるかもしれない。

 

 だから、見ない。

 

 ガレヲンは菓子を食べる。

 

 甘い。

 

 風の島の甘味は、やはり良い。

 

 ふと、考える。

 

 今日、自分は何かをしただろうか。

 

 船底を整えた。

 

 竜骨の軋みを均した。

 

 発着場を補強した。

 

 屋台の杭も少し締めた。

 

 それだけだ。

 

「疑問。(我、何かしたか)」

 

 少し沈黙する。

 

 グランサイファーは飛んだ。

 

 操舵士は舵を握った。

 

 青い少女たちは黒雲へ向かった。

 

 それは、彼らの選択。

 

 ガレヲンのものではない。

 

 ならば。

 

「否定。(船底を整えただけ)」

 

 風車菓子を、もうひとつ口に運ぶ。

 

「まあ、いいか。(風車菓子、美味)」

 

 風の島の空で、ひとつの船が再び己の空を思い出していた。

 

 六竜の金は、それを追わない。

 

 ただ、港の発着場に、少しだけ崩れにくい足元を残している。

 

 飛ぶ者にも、足元は必要だ。

 

 そう思っただけだった。

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