傍観竜ガレヲンは今日も空を満喫する 作:好きな性癖発表ドラゴン
風の島は、落ち着きがない。
ガレヲンは、ポート・ブリーズ群島の港に降り立って、まずそう判断した。空を渡る風が絶えず吹き抜け、帆布を鳴らし、荷を運ぶ人の服をはためかせ、停泊している騎空艇の船体を細かく揺らしている。
土はある。島である以上、大地は確かにある。だが、この島の命は、土の上に留まるより先に空を見ていた。
「観光。(風の島、興味深い)」
港には、騎空艇が並んでいる。
小型のもの。荷運び用のもの。見栄えを重視した客船らしきもの。船体に傷を残したまま停泊している、歴戦の騎空艇もある。
人の子らは、空へ出るための器を作る。
大地から離れるために、木を組み、金属を打ち、帆を張り、機関を積む。ガレヲンにとって、それは少し不思議な営みだった。
大地を離れたいのに、支えるものを作る。
空を行きたいのに、足元を求める。
「疑問。(大地を離れるのに、足元を要する)」
考える。
騎空艇の甲板。船底。竜骨。留め具。積荷を受ける床。乗り込む者たちの立つ場所。
なるほど。
「理解。(船底もまた、足元)」
ガレヲンは満足げに頷いた。
ならば、騎空艇とは空を歩くための大地である。少なくとも、そう考えれば分かりやすい。
そう結論づけたところで、近くの屋台から甘い匂いがした。
風車の形をした焼き菓子。
表面には蜜が塗られ、香ばしく焼かれている。風で小さな紙飾りが回り、屋台の看板がからからと鳴っていた。
ガレヲンは歩みを変える。
「購入。(風車菓子、全種)」
「ぜ、全種ですか?」
「肯定。(風の島の叡智を確認する)」
「叡智……?」
店主は困惑しながらも、袋いっぱいに焼き菓子を詰めた。
ガレヲンは代金を払う。貨幣の扱いは、すでに学習済みである。地面から鉱石を出さない。過剰に払わない。屋台の前では列に並ぶ。
空の命の秩序は、意外と繊細なのだ。
「成長。(買い物、円滑)」
店主には意味が分からなかったらしいが、ガレヲンは満足していた。
風車菓子は、軽い。口に入れると、ほろりと崩れる。蜜の甘さの奥に、焼いた小麦の香りが残った。
「美味。(風、甘い)」
風そのものは甘くない。
だが、風の島で食べる甘味は、たしかに風の味がする気がした。
非常に良い。
ガレヲンは風車菓子を手に、発着場へ向かった。
そこには、ひときわ古い船があった。
古い。
だが、死んでいない。
船体には傷があり、補修の跡があり、時間の重さが染みついている。眠っているようにも見える。だが、その奥に、まだ空を覚えている芯があった。
グランサイファー。
名を知っている。
この空の物語において、星を追う子たちの足元となる船。多くの命を乗せ、数えきれない島々へ向かう、大きな器。
ガレヲンは船底の影へ近づいた。
木材。
金属。
竜骨。
繋ぎ目。
支える構造。
見れば見るほど、これは地面に似ている。
「観察。(大きな器、眠り深し)」
船体が、風に揺れて軋んだ。
小さな音。
だが、ガレヲンにはよく聞こえる。
ただ古いだけではない。船底に残る痛み。かつて空で何かを失った記憶。竜骨の奥に沈む、飛ぶことへのためらい。
「診断。(竜骨、軋み過多)」
「おい」
背後から声がした。
ぶっきらぼうな声。警戒はあるが、敵意は薄い。面倒を見慣れた者の声でもあった。
振り向くと、男が立っていた。
赤い髪。くわえた煙草。整備士とも、操舵士ともつかない空気。歩き方には、船の揺れを知っている者特有の重心がある。
「あんた、そこは立ち入り禁止だぞ」
「謝罪。(観察に集中していた)」
「観察って……船に詳しいのか?」
「回答。(足元には詳しい)」
「船底の話か?」
「肯定。(おそらく)」
男は眉を寄せた。
怪しい女だと思っている。
当然である。
発着場の端で、古い船の船底を覗き込み、「足元には詳しい」と言う女。怪しくないはずがない。
それでも男は、すぐに追い払おうとはしなかった。
彼もまた、船を見ていた。
グランサイファーを。
遠ざけたいのに、目を離せない。捨てたと言いながら、気にかけている。乗らないと言いながら、傷には気づく。
ガレヲンは、その足元を見た。
空を忘れた足。
いや、違う。
忘れようとしている足。
口に出しかけて、止める。
それは、彼の物語へ踏み込みすぎる。
歩くのは彼だ。
舵を握るかどうかを決めるのも、彼だ。
ガレヲンは、代わりに船を見た。
「助言。(船は、まだ空を覚えている)」
男の目が、わずかに変わった。
「……何を知ってる」
「否定。(何も)」
「何も知らねぇ奴が、そんなこと言うかよ」
「観光。(我、風車菓子を食べに来た)」
「急に話を戻すな」
男は呆れたように息を吐いた。
その視線は、ガレヲンからグランサイファーへ移る。
ほんの一瞬だけ、表情が柔らかくなった。
船を見ている顔だった。
過去を見ている顔でもあった。
ガレヲンはそれ以上言わなかった。
男は踵を返す。
「妙なことするなよ。あの船は……まあ、いろいろあるんだ」
「理解。(大切な足元)」
「……そういう言い方は初めて聞いたな」
男はそれだけ言って、発着場の方へ戻っていった。
ガレヲンは、グランサイファーの船底へ向き直る。
大切な足元。
たしかに、そうだ。
この船は、誰かの空を支える。
ならば、余計な軋みくらいは整えてもよい。
「整備。(竜骨、軋み過多)」
ガレヲンは船底に手を添えた。
大きく直さない。
傷を消さない。
過去をなかったことにはしない。
墜落の恐怖も、操舵士の迷いも、この船が背負ってきた時間も、すべてこの器の一部だ。そこを削れば、別の船になってしまう。
だから、触れるのは軋みだけ。
接合部の硬さを少し和らげる。
竜骨が力を受ける流れを、ほんの少し整える。
船底の奥に残る余計な歪みを、眠る大地を撫でるように均す。
「祝福。(空を歩む器が、己の空を思い出しますように)」
船体が、微かに鳴った。
誰にも聞こえないほど小さな音。
だが、発着場を歩いていた男だけが足を止めた。
「……今、鳴ったか?」
彼は振り返る。
グランサイファーは、ただ風に揺れているだけに見えた。
ガレヲンは、もう船底から離れていた。
風車菓子を食べている。
「確認。(整備、完了)」
もちろん、完璧には直していない。
完璧にする必要はない。
飛ぶかどうかは、船と操舵士が決めることだ。
ガレヲンは、発着場の端へ移動した。
そこから港全体が見える。
青い少女の気配がある。
星を追う子の足音もある。
赤い小さな命は、相変わらず騒がしい。
背く騎士は周囲を警戒している。
そして、あの操舵士の気配が、グランサイファーの周囲を何度も行き来していた。
旅路は、次の足元を得ようとしている。
「確認。(旅路、次の足元を得る)」
だが、ここもまた、彼らの物語だ。
操舵士が空へ戻るかどうか。
古い船が再び飛ぶかどうか。
それは、ガレヲンが決めることではない。
「静観。(操舵士の選択は、操舵士のもの)」
風が強くなった。
港の旗が大きくはためく。
空の向こうに、黒い雲が膨らんでいる。
風の流れが乱れていた。
ただの天候ではない。
この群島を守り、支えてきた風の星晶獣。その眠りが乱れ、風が荒れている。
土とは違う理。
風はガレヲンの領分ではない。
風のことは、風の命が選ぶ。青い少女たちが向き合う。あの操舵士が、舵を握るかどうかを決める。
ガレヲンは、黒雲を見上げた。
「観察。(風の寝相、悪化)」
風がさらに強く吹く。
発着場の足場が小さく軋んだ。
長く風を受け続けた木材。濡れて緩んだ土台。嵐になれば、人の子が走るには少し危ない。
そこは、土の領分である。
「補強。(発着場、嵐に脆弱)」
ガレヲンは足元へ意識を落とした。
杭を深くする。
土台を締める。
浮いた石を沈める。
風で煽られた荷車が倒れた時、逃げる足が引っかからないよう、わずかな段差を均す。
大きく変えない。
ただ、足元を整える。
それだけである。
やがて、港の空気が変わった。
人々が騒ぎ始める。
声が重なる。
青い少女たちの気配が、グランサイファーへ向かう。
操舵士の足音が、迷いながらも強くなる。
男が、舵へ向かう。
ガレヲンは発着場の端で見ていた。
風車菓子を、もうひとつ口に入れる。
甘い。
だが、風が強すぎて少し食べにくい。
「難点。(菓子、飛散の危険)」
包みを押さえながら、ガレヲンはグランサイファーを見る。
古い船が、震える。
眠っていた器が、空を思い出す。
船体が軋む。
だが、壊れない。
竜骨が力を受ける。
だが、受け流す。
船底は、先ほどよりほんの少し柔らかく、しなやかに鳴っていた。
操舵士が舵を握る。
風に向かって、船が動く。
港の空気を切り裂き、グランサイファーが再び空へ出る。
ラカムは、舵を握りながら眉を寄せた。
「……お前、こんなに素直だったか?」
船は答えない。
ただ、空へ進む。
黒雲の向こうに、風の星晶獣の気配がある。
それは、これから彼らが向き合うべきものだ。
ガレヲンは追わない。
風の荒れを鎮めるのは、彼女の役目ではない。
船が飛ぶと決めた。
操舵士が舵を握った。
星を追う子たちが、その船に乗った。
ならば、それでよい。
「安堵。(大きな器、空を思い出した)」
グランサイファーは、黒雲へ向かっていった。
港にはまだ強い風が残っている。
だが、発着場の足元は崩れない。
人々は慌ただしく動きながらも、転ばずに済んでいる。
菓子屋の屋台も、杭が抜けずに持ちこたえていた。
ガレヲンは屋台に戻り、風車菓子を追加で買った。
「追加。(風車菓子、十)」
「この風の中でまだ食べるんですか!?」
「肯定。(風味、増加)」
「そういうものですかね……」
「不明。(だが美味)」
店主は困った顔をしながらも、袋に菓子を詰めた。
遠くの空では、黒雲がうねっている。
その中で、風がぶつかり、船が進み、命が選んでいる。
ガレヲンはそれを土の揺れと港の足元から感じていた。
風が少しずつ、変わり始める。
「確認。(風、安定へ向かう)」
詳しい戦いは見ない。
見守りすぎれば、手を出したくなるかもしれない。
だから、見ない。
ガレヲンは菓子を食べる。
甘い。
風の島の甘味は、やはり良い。
ふと、考える。
今日、自分は何かをしただろうか。
船底を整えた。
竜骨の軋みを均した。
発着場を補強した。
屋台の杭も少し締めた。
それだけだ。
「疑問。(我、何かしたか)」
少し沈黙する。
グランサイファーは飛んだ。
操舵士は舵を握った。
青い少女たちは黒雲へ向かった。
それは、彼らの選択。
ガレヲンのものではない。
ならば。
「否定。(船底を整えただけ)」
風車菓子を、もうひとつ口に運ぶ。
「まあ、いいか。(風車菓子、美味)」
風の島の空で、ひとつの船が再び己の空を思い出していた。
六竜の金は、それを追わない。
ただ、港の発着場に、少しだけ崩れにくい足元を残している。
飛ぶ者にも、足元は必要だ。
そう思っただけだった。