ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
スズカの旋回は速度を増し続ける。
重心を完全に前に放り出した超前傾姿勢。
停止という選択肢を放棄して得たウマ娘の域すら超えた超スピードは、サイレンススズカの命運を加速度的に崖の向こうへと追いやっていく。
対する沖野は不動。
両腕を広げて腰を落とした姿勢で待ち構える姿は、彼もまた回避や防御といった自分を守る行動の全てを切り捨てたのを意味していた。
命を捨てた者は命を捨てた者でなければ止められない。彼は今コンセントレーションの真奥に立っている。1つの目的以外の全てを意識から排除したその目には、己とスズカ以外の景色や存在を認識すらしていなかった。
そしてスズカが仕掛けた。
レーシングカーのタイヤが路面を切り裂くような甲高い音を立てて周回の直径を収縮、螺旋を描く軌道で沖野に接近していく。
半径が狭まれば必然的に周回速度は跳ね上がり、蹴り立てられる砂煙と相まって最早人間の肉眼で捉える事は不可能と言っていい。
スズカは舵を切るように頭を沖野の方に向ける。
向けるだけで何もしない。走り続ける。
もう何回か頭を向ける。沖野は動かない。
───引っかからない。
沖野がこちらの動きが見え過ぎているのを利用して突撃するフェイントを入れてみたが彼は微動だにしない。
見えていない訳ではないだろう。そうでなければあの落ち着きようはおかしい。
自分が勝負をかけてくるのはここではないと理解しているのだ。
───じゃあ、行かなくちゃ。
デートの待ち合わせ場所に向かうように弾む心でスズカは考える。
どこから行こう。横顔が見れるのはいいけれど、右や左、横からは少しつまらない。
じゃあやっぱり正面からが1番だろうか?
いや、違う。
自分にはもっと、最期に見たい景色がある。
そしてスズカは吶喊した。
上体ごと頭を振って重心を移動させ強引に方向を転換、速度を殺さないまま全力で地面を蹴り抜いて彼女は真に颶風と化す。
速く、速く、何より速く。
何より焦がれたスピードの向こう側。
自分の持ち得る全てを懸けて、────愛する男の背中へと。
いつだったか覚えがある。
ふと目が覚めた夜明け前、白んでいく空が綺麗で衝動的に外に走りに出た日の事。
誰もいない外周をひんやりとした空気を切り裂いて走っていた時に彼の姿を見付けたのだ。
仕事に熱が入って徹夜してしまったのか、それか私と同じように目が覚めてしまったのか。彼が外にいた理由はよく覚えていないが、望外の遭遇に喜んだ私は思わずその背中に駆け寄った。
足音に振り向いた彼は少しだけ驚いた顔をして、いつものように快活に笑って私の名を呼ぶ。
そのとき私は、この世界がまるで私と彼の2人きりになったように感じたのだ。
『スズカ』
そして彼はこちらを向いた。
スズカが背後から襲ってくると最初から知っていたかのような反応速度で、沖野は抱き締めるように両手を広げて彼女を正面から迎え撃つ。
自分の命を逃げも避けもせず受け止めるという行動による意思表示は、彼女にとってはプロポーズの言葉にも等しかった。
不思議とスローで流れる時間の中で沖野とスズカの視線が交わる。
彼の目に映る彼女の顔には、最期が刹那の後に待っているとはとても思えない程に幸せな笑みを浮かべていた。
ずっと誰もいない景色が見たかった。
スピードの向こう側、静かで、どこまでも綺麗な、それが私が見たかったもの。
そんな私1人の世界にいつしかあなたが現れるようになって、そしてそれが私の夢になって。
どこまでも走っていったその先にあなたがいてくれたなら、それはどれだけ幸せだろう。
ああ、私は最期まで自分勝手だ。
トレーナーも皆も裏切って、全ての終わりに加担したのに私は今、溢れるくらいに満たされている。
今までありがとう。大好きなひと。
あなたに出会えて幸せでした。
涙すら浮かぶ喜びの中、サイレンススズカの意識は暖かな暗闇へと落ちていった。
静かな決着だった。
ミサイルのように突っ込んだスズカは沖野の胸に抱き留められ幸せそうな顔で気を失っている。
絶命どころか傷一つ付いていない。人間の関節可動域では不可能な形で両腕を首に回された彼女は、まるで抱き締めるように正面から頸動脈を絞め落とされていた。
そしてスズカを真正面から受け止めた沖野はその場から1歩たりとも動いていない。
ただ彼の両足の真下、激突の力を全て押し付けられた地面には大きな亀裂が走っていた。
沖野が《特能枠》たる所以はその特異体質と技術にある。
ゴムのように柔軟・自在かつ強靭な関節組織と、あらゆる武術から要素を抽出して極めた、ウマ娘を傷付けず制圧する事だけに特化したオリジナルの技術。
それらによる彼の対衝撃性能は至近距離からウマ娘の蹴りを顔面に無抵抗で受けても鼻血程度で済むという圧倒的な防御力を誇り、剛力無双で鳴らすナリタブライアンのトレーナーすら「あの人を物理でKOすんのは無理」と白旗を上げるレベルであった。
「く、ぁ・・・・・・っ」
気を失ったスズカの脚を拘束して安全な場所に寝かせた沖野を強烈な眩暈が襲い、攻撃を喰らってもいない鼻からポタポタと血が流れる。
《神便鬼毒》の効能は、脳のリミッター解除によるインパルスの超加速。
そんな無茶を通して反動がない訳がないのだ。
「・・・・・・私達はもう戻れない、か」
フラつく脳を叩き直して鼻血を拭い立ち上がる。
彼女らは自分達が思っているより遥かに重い覚悟を決めていた。スズカだけではない。自分にはもう今しかないと思い詰め、命すら擲とうとしているウマ娘達はきっとまだどこかに存在する。
ならば自分は行かねばならない。
トレーナーとしてのみではない、子供達を教え導くあるべき立場の者として。
「好きなだけ泣いて叫べばいいさ。そう言う子供の手を引っ張ってやるのが大人ってもんだ」
彼女らの道は終わらせない。
どんなに腐って諦めても、戻る場所ならここにあると自分達は示さなければならない。
己の責務を果たす為に沖野はまた歩き出す。
方法も行動も結論も、何もかもを間違えたサイレンススズカではあったが─────彼を愛した事だけは正解に違いなかった。
◆
「うぐぁっ!?」
抵抗の手段を失えば当然ウマ娘に拉致される。
薬の効果が切れ元の虚弱な身体に戻った『ハル』が少々荒っぽく床に降ろされた。
虚弱故に余計に全身を苛む痛みに歯を食い縛りながらも彼は周囲を確認する。
・・・・・・どうやら拉致したトレーナーを一時収容しておく場所らしい。
ずらりと並んだ鉄格子の扉の向こうには自分のザイルで縛られたトレーナー達が何人も転がっているが、出払っている為かウマ娘の姿はほぼ見られない。
監獄のような見た目の場所だった。
トレーナーはこの場所を知っている。
(ここは─────)
「やあやあトレーナー君。無事のようだねぇ」
何より聞き覚えのある声がした方向を弾かれるように見れば、そこには担当ウマ娘のアグネスタキオンが転がっていた。
薬品の類を
標的たるトレーナー程ではないにせよ危機的状況に違いないはずだが、彼女は普段と変わらない調子でくつくつと笑う。
「上から聞こえてくる音が一気に騒々しくなった。どうやら私達は賭けに勝ったらしい。クククッ、臨床試験の結果はどうだったかな?」
「黙って!!」
苛立ちも顕に叫んだのはトレーナーやタキオンを運び込んできたウマ娘達だ。
顔を赤くして耳を絞る様は彼女らの怒りがピークに達している事を意味している。激昂もするだろう、順調に進んでいた作戦がこの2人のせいで頓挫の危機に瀕しているのだから。
「あんた達のせいで失敗しそうじゃん!! もう少しで成功しそうだったのに何でこんな事すんの!?」
「何故、とはおかしな事を聞くじゃないか。理想的な環境が破壊されるのを防ぐのは何も不自然な事ではあるまい」
「あんたはそうかもね! 結果出せてるんだから!! けどあたし達はそうじゃない、それで必死になってんの!! 同じウマ娘なら気持ち分かんない訳!?」
「残念だが理解の外だねぇ。物理的な実力行使が逆効果しか生まないのはこれまでの歴史で既に検証済みいるのに、なぜ君達は通用しないと知れている手法を採っているんだい? こんな壮大な自滅行為を計画している暇があるなら、それこそ走りに打ち込んでいた方がまだアプローチとして有効だったろうに」
すぅ、とウマ娘達の瞳から温度が消える。
激情の沸点を超えたのだ。
怒りを通り越して冷たくなった彼女らが無機質な目でトレーナーを見る。
───もうやっちゃおっか。
───うん。
小さな声で囁き合って彼女らはトレーナーの縄を解く。唐突な解放に困惑するトレーナーだが、戒めを解かれた理由はすぐに示された。
剥き出しになった痩せぎすの上半身を少女特有の柔らかな指でなぞられる。
「ふーん、細いね。少し力入れたら折れちゃいそう」
「なっ、何をするんだ!?」
「抵抗やめてね。無駄だから」
「駄目だ! こんな事をして、────ッッ!!!」
抑える力をやや強めただけで歯を食い縛るのが面白いのか彼女達はクスクスと笑う。だが彼女達は彼の虚弱さの度合いを知らない。いつ本当に彼の身体が破壊されてもおかしくはなかった。
呻く剥身のトレーナーを縛られたままのタキオンに見せ付けるように晒して嗜虐的な表情で彼のベルトに手をかける。
彼の肩に立てた爪に嬲るようにゆっくりと力を加えながら、彼女達は勝ち誇るようにタキオンを嗤った。
「ねえどうする? あんたのトレーナー痛がってるよ? でも何も出来ないよね、薬ぜんぶ取られたもんね。ねえ見せてよ、あんたの悔しそうな顔や泣き顔ぜんぶ─────」
「ふゥン」
かろん、と。
タキオンの口の中でキャンディを転がすような軽い音が鳴る。彼女がべろりと出した舌に乗っていたのはその通りキャンディのような赤い球体だった。
だが当然それが飴玉であるはずもない。
最初から口の中に含んでいたカプセルだ。
目の前の生命体に毛ほどの尊厳も見出していない
「今ここにいる全員の皮膚を梅毒みたいに気色の悪い腫瘍まみれにして、2度と太陽の下を歩けない
────なあ君。
脅しではなく本気。彼女は躊躇わずそれをやる。
踏んではならない尾を踏んで凍りついたウマ娘達。果たして彼は頷いたのだろうか、あるいは最初から許可など求める気はなかったのか。舌を引っ込めたタキオンが上と下の犬歯でカプセルを挟んだ。
後は彼女がカプセルを噛み潰せば
ウマ娘達は悲鳴を上げて逃げ出し、制止の声を上げようとしたトレーナーは最悪のタイミングで咳き込んでしまった。
小さく硬質な音を立てて外殻が噛み砕かれ、空気と反応して混ざり合った中の液体が破滅的な反応を起こす、その寸前。
「【ダメですよ】」
ぴたりと動きが止まった。
タキオンだけではない、逃げ出そうとしていたウマ娘達もだ。まるで一時停止のボタンを押したように動きを止めた彼女らに、行動の意思決定権を乗っ取る声は響き続ける。
「【せめてウマ娘同士で争ってはいけません】。【辛い気持ちを晴らすよりも】、【今は上の子たちを手伝ってあげて下さいね】」
「「・・・・・・はい、『お母さん』」」
どこか覚束ない足取りで彼女らは出口と思われる方向へ去っていく。後半の命令の対象には含まれていなかったらしいタキオンは口からカプセルを落とした状態で固まっていた。
口に入れていたという事は中身は胃酸で分解される性質である可能性が高い。危険すぎるカプセルを口で拾い飲み込んで処理したトレーナーは、ウマ娘を操った『声』の主に語りかける。
「・・・・・・危険な力だねクリークさん。ミカド君から聞いた事がある。
「ハい、正がイで・・・・・・、ごめんナさい、少し喉が枯レテきてしまッて・・・・・・」
「う・・・・・・クリー、ク・・・・・・」
「あラあら。・・・・・・【ねんねんころりよ】【おころりよ】─────」
手に持った
いや、その方が幸せなのかもしれない。
赤ちゃん用の頭巾、涎掛けとおしゃぶりを着けられて玩具と子守唄であやされる己の姿など、まともな大人ならば耐え難い代物だろう。
成人としての尊厳を凌辱され尽くした自分のトレーナーの頭を撫でつつクリークは微笑む。
「少し気を抜イタら、スぐに目を覚まそウとずルんです。《
「ちょうど良かった。聞きたい事があったんだ。・・・・・・クリークさん。この騒動は、本当に『トレーナー』を連れ去るのが目的なの?」
ぴたり、とクリークの動きが止まる。
「トレセン学園で思うように活躍できていない子の割合はおよそ7割。その中にはまだトレーナーが付いていない子も相当数いる。
学園に在籍しているトレーナーの数から考えれば『チーム』という単位を考慮しても、騒ぎに加わる動機のあるウマ娘・・・・・・つまりトレーナーと信頼関係を結んだウマ娘だけじゃ、どう考えてもここまでの規模にはならないんだ。真の目的が別にあるというのなら────」
「本気で言っているんですか?」
ピリッ、と空気が引き攣れる。
抑え切れない感情を滲ませたクリークは、子守唄を紡いでいた口で静かに自分達の怒りを語る。
「トレーナーさんのいない子も、夢の舞台に立つために精一杯頑張っているんです。だけど1人じゃ限界があるから、目についたトレーナーさんにアドバイスを求めて、少しだけトレーニングを見てもらって。
きっかけなんてそれだけでいいんです」
「きっかけ・・・・・・?」
「私達の疑問や悩みに、トレーナーさんはいつだって本気で向き合ってくれます。担当している子じゃなくても、私達ウマ娘が夢を叶えられるように。そうしたら相談した後の改善はやっぱり同じ人に評価して貰いたくて。間違ってたらまた相談に乗ってくれるし、正しかったら褒めてもらえる。それで想うようになるんです。
───『この人に担当してもらいたいな』、って」
クリークは懐かしむように膝に乗せた自分のトレーナーの頭を撫でた。
あるいは彼女もその例の1人なのだろうか。
押し黙るしかなくなったタキオンのトレーナーに突きつけられているのは、競走ウマ娘の核心に限りなく近い胸の内だった。
「私達ウマ娘が惚れっぽいなんて言われてる事は知ってます。だけど私達は『トレーナー』という肩書を好きになるんじゃなくて、全力で自分を支えてくれる人を好きになるんです。・・・・・・人間の女性と何も変わりません。ただそれがどうにもならない位に強い。
それこそ感情の整理がつかないままどうにかしようとし続けて、結局どうにもならずに爆発してしまう子がいる程に」
見回してみればここにちらほらと残っているウマ娘は皆自分のトレーナーを捕まえたとは思えない様子だった。
縛ったトレーナーの傍に座り込み項垂れるウマ娘や、何を安心させたいのか分からないまま大丈夫です大丈夫ですと釈明するように訴え続けているウマ娘。さらに鉄格子の部屋の隅にいるウマ娘を見たタキオンのトレーナーは思わず目を疑った。
・・・・・・エアシャカールだ。
捕縛した自分のトレーナーに背を向けて、何も見たくない何も聞きたくないとばかりに頭ごと耳を押さえて
「キッと、レッドアネモネさんも同じだッタ」
一気に喋って喉に負担がかかったのか、何度か咳き込んだスーパークリークは掠れた声で言葉を結ぶ。
「だかラ、私達ハトレーナーさんが欲じイんです。あなた達が隣にイナい未来ナンて考エられないんデす。いづもミたいに応えでクダさい。イツもみタいに頷いテください。
・・・・・・いつもみたいに隣で笑って、ずっと側にいてください」
これだけの覚悟を、これだけの重みをぶつけられて、どれだけの人間が正面から受け止められるだろう。どれだけの人間が同じだけの力のある答えを用意できるだろう。
生身でぶつかり命を懸けて、ようやく
数十年越しの『彼女』の怨念は、今もなお人間に愛の答えを求め続けていた。