ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
スーパーボールのように殴り飛ばされて地面に倒れたナリタブライアンに、獲物を仕留める獅子のようにトレーナーが突進する。
慌てて転がって回避した直後にその場所を巨躯の拳が着弾した。
石畳が捲れて下の固まった砂や土が爆散した。
「いいね。ノックアウトとはいかねえか」
「────ッ」
呼吸を使って強引にダメージから復帰したブライアンが立ち上がるが、その時にはもうトレーナーの鉄拳が視界を覆っていた。
ブライアンはそれを左の外受けで防御。
前腕を外から内に叩き付けてトレーナーのパンチを逸らし、そこで生じた身体の捻りを使って右の正拳突きを鳩尾に叩き込もうとした。
だがそれよりも速くトレーナーの連撃が迫る。
慌てて返し技を諦めたブライアンが右腕を身体の横に固めてガード。彼と比較して70センチ以上も小さい身体が吹き飛んだ。
(何が起きた!? さっきまでとモノが違う! スピードと破壊力と、何より・・・・・・
地面に踏み止まらず敢えて大きく飛ばされて距離を取ったブライアンが目に見えて動揺する。
防御に使った腕に残る痛みの大きさ、それを貫いて腹部を抉った衝撃がトレーナーの変貌をこれでもかと伝えてきた。
今さっきの最終想定だか限定解除だか言うものの発令で何かが切り替わったのだ。彼がこの戦いで初めて拳を握ったのもそのアラートが発生した直後なのだから────
そこでブライアンがある事に気付いた。
どこかに隠し持ってたいたのか、拳と腕に黒い帯のようなものが巻きつけられているのだ。
包帯か?
いや違う、包帯にしては分厚過ぎる。それにあれの材質はどう見ても布ではない。
ならばアレは一体・・・・・・?
しかし悠長にしている時間はない。
開いた距離を一息で潰す突進の勢いをそのまま乗せたトレーナーの拳が迫るが、ブライアンはこれを一歩後ろに退いて外す。
そして続く連撃は退かずに防いだ。
緩やかに肘を曲げた両腕を身体の前に揃えて置く、絶対防御の『前羽の構え』。円を描く動きでトレーナーの拳を内に外に受け流しつつ彼女は思考する。
(身体能力の劇的な向上。しかしこれだけの衝撃に耐えるなら機械的な造りじゃないな。となるとこの包帯は瞬発的に伸縮する外付けの筋肉のようなもの・・・・・・いや、違うな)
アスリートとして機能解剖学を学んでいるからこそ分かる。
あれが筋力を増強する補助器具だったとしても、筋肉の着き方と伸縮方向から考えて、あんな雑な巻き方でまともに機能するはずがない。
しかし確実に何らかの恩恵があるはずだ。
でなければ────この破壊力は一体何だ!!
「うっ、ぐぅぅ・・・・・・!!」
力任せのラッシュを捌く両腕が軋みを上げる。
防ぐのは容易いはずの素人のパンチだが、彼の体格と身体能力でゴリ押されるとウマ娘の身体強度ですら素手で削岩機に触れているようなものだ。
拳が唸る度に風が巻き上がり、衝突した腕と腕からは宙を舞うバギーのタイヤが大地を切り裂くような音が炸裂する。
このスピードとパワーを相手に受けに回るのは土石流を前に踏み止まる事に等しい!!
「うおお凄え、あいつのラッシュ防いでるの沖野さん以外に初めて見た・・・・・・」
「お、おいカズ! やりすぎんなってうわ!?」
ドギャッッッ!!!と。
他のトレーナー達が不安の声を上げ始めた瞬間、恐ろしい衝突音がした。
パンチを捌いたブライアンが逆の手でトレーナーの土手っ腹に正拳突きを捩じ込んだのだ。
攻撃を潜って懐に飛び込むのは体格で大きく劣るブライアンには必須の過程、しかしそれさえ達成できた彼女の間合い。フルコンタクト空手の爆発力が十全に活きる─────はずだった。
腹に一撃を喰らいつつ肩からぶつかってきたトレーナーに体重で押し負けたブライアンが大きく
────どういう事だ?
さっきと同じ流れではある。筋肉の鎧にものを言わせてラッシュに割り込まれ攻撃が中断される展開だ。
しかし───
十数発は叩き込めるだけの隙を生み出したはずの正拳突きに今度は怯みもしなかった。
それに今殴った腹の感触は・・・・・・!
「知りてえか?」
「!!」
「いいぜ、明かして困るようなモンじゃねえ。ほら、来てみな」
そう言ってニヤリと笑ったトレーナーがブライアンに向けて黒い包帯(?)の巻かれた拳を突き出した。攻撃や迎撃の構えや予備動作ではなく、その場に立った状態でただ手だけを前に出している。
・・・・・・殴ってみろ、という事だろう。
攻撃の意思や殺意はない。
あちらから明かすというなら探るだけ探るか。
ブライアンは低く構えて引き手を絞り、伝統派の動きに則った理合でトレーナーの前に突き出された拳に正面から突きを撃ち込んだ。
ゴンッ、と軽い音がした。
無論彼女が力を抜いた訳ではない。しかしナリタブライアンの膂力には、その膂力から放たれた全力の突きにはあるまじき腑抜けた音。
そして激突した感触も込められた力に到底足りない。
ここでブライアンは、彼が両手に巻き付けたものがどんなものであるかを理解した。
「俺は強さと丈夫さを評価されて《特能枠》に入れられてな。けどいくら何でも強過ぎてマズイってんで渡された武器がコイツだったんだ。・・・・・・武器じゃねえけどな。どう考えても」
『トレセン
彼は陰でそう渾名されている理由は、彼がいま腕に巻いているものにある。
黒い包帯かゴムバンドのように見えるその帯の正体は、トレセン学園が複数の協力企業に特注して作らせた『緩衝材』だ。
しかしバネやエアキャップなどと同列に考えてはならない。何せこの『緩衝材』、3枚ほど重ねて敷けば学園の屋上から落下した人間を無事に受け止められる程のクッション性を発揮するのだ。
《最終想定》と《限定解除》でナリタブライアンのトレーナーはこれを身体に巻き付け、自分の攻撃力にリミッターを着ける。
────ならばこれは攻撃力を落としただけか?
否。断じて否。
むしろこれにより彼は解放される。
(そうか、
つまりこれは『枷』。
戦うための動きをすればどう加減してもウマ娘を破壊してしまう彼の膂力を、この学園が許容できる領域に留めるための拘束具。
これだけの
「《グレイプニル》だと。大層な名前だろ」
言うが早いか、トレーナーが一気に踏み込んで大きく開いた距離を一息で潰しにきた。
間合いという概念を無視する砲撃のようなストレートを掻い潜ったブライアンがカウンターで正拳を叩き込むがダメージは薄い。
そしてダメージが薄ければゴリ押しが利く。両腕を顎のように閉じたトレーナーが攻撃ごとブライアンを抱き潰そうとした。
捕えられれば脱出不能のベアバッグをブライアンは低く屈んで回避。そこから一気に伸び上がって頭上を覆うトレーナーの上半身を下から拳で突き上げた。
全身を連動させた下からの突きにトレーナーの身体が浮かぶ。
そして強制的に身体を起こされ無防備になった彼の腹に激甚な衝撃。
全体重を乗せたブライアンの渾身の前蹴りがトレーナーの巨軀を派手に吹き飛ばした。
呻きながら地面にハードランディングするトレーナーにブライアンが猛然と襲いかかる。転がりながらも何とか起き上がった彼が猛禽類の狩りが如き追撃を受けるのを見て、困惑したのはむしろウマ娘達の方だった。
「・・・・・・あ、あれ? あのトレーナーさん、強くなったんだよね?」
「なんかずっとやられてるような・・・・・・」
「相性だよ」
側にいたトレーナーがそう答えた。
「確かにアイツは自由に動けるようになった。だけどアイツ、
「でもさっきブライアンさんが押されてませんでした?」
「急な変化で戸惑ってたんだろうな。慣れればすぐに対応してみせた。そのくらい技術の有無の差はデカいんだ。そのせいで体格の有利がまるで働かない」
近代格闘技においては階級分けが必要な程に絶対的な壁である体格差。本来ならばナリタブライアンのトレーナーには自分の担当ウマ娘を苦もなく制圧できるだけのアドバンテージがある。
それを覆すのが極めた
確かにアウトレンジにおいてはトレーナーが有利だが、ブライアンには彼の攻撃を捌いて潜り込むだけの技量がある。
手足の長さが災いして反撃が
事実ブライアンはその攻撃を意にも介さずに攻撃を続けている。
「これは不味いか・・・・・・?」
「ああ。想像よりも彼女が強い」
不安そうなトレーナー達の声にウマ娘達は我に帰った。
そう、思わず見入っていたがこれは格闘技の試合ではない。ナリタブライアンの勝敗に計画の趨勢が懸かっており、そしていま状況は自分達に傾いている。
それに気付いて色めき立ったウマ娘達がブライアンに向けて声援を張り上げた。
「ブライアンさんがんばってーーーー!!!」
「勝てるよーーーー!!!」
「いけーーーーーっ!!」
そんな声は彼女には届いていない。
今の彼女には獲物を食らう悦びのみがある。
汁の溢れる分厚い肉に牙を突き立て咀嚼する味。捕食者しか知り得ない愉しみ。
ブライアンの口角が獰猛に歪んでいく。
「それがアンタの本気の姿だと言うのなら」
ギシリ、と筋肉が隆起する。
込められた力に血管が浮き上がる。
───もっとだ、もっと味わいたい。
食っても癒えぬその渇きが、怪物の膂力を限界を超えて引き摺り出した。
「もう大丈夫だという事だよな!? 私が殺す気で殴っても!!!」
吼えるように叫び、フルコンタクト空手の特性そのままに一気にトレーナーを押し流す。
1発1発が人体を両断する重機関銃のような拳の弾幕に耐えかね、弾き飛ばそうと振るわれた腕をもはや防がず下突き4連。
筋肉の鎧を力技で貫いたボディブローでくの字に折れた彼の側面に回って膝関節に下段の足刀蹴り、トレーナーの身体がガクンと沈む。
お誂え向きの位置に下がってきた側頭部に正拳突きを1発。脳と意識を大きく揺さぶった。
そして、放つ。
ウマ娘の脚力で蹴り抜く、渾身の
─────凄まじい音がした。
バキャッッッ!!!!と砕けるようなへし折れるような、嫌でも破壊を連想する音。
頭部に渾身の二連撃を喰らったトレーナーが蹴られた方向へ倒れ込んでいく。
ブライアンの勝利を確信したウマ娘達が歓声を上げ、対照的にトレーナー達が青褪めた。
「おいヤバいぞ。本当にヤバい。アイツがここまでやられるなんて想像すらしてなかった」
「どうするんだ。俺達だけでやれるか」
「やるしかない、覚悟を決めろ。いざとなったら逃げるか、いや、何としても全員逃すしかない」
カラカラに乾いた喉が鳴る。
全員が恐れていた。
かつて見たその姿、二度と表に出してはならないと全員が誓ったその姿。
ナリタブライアンの何が不幸かと彼等に問えば、『強過ぎた事だ』と答えただろう。
彼女は何も知らないままに、己の力を鍵として封印を解いてしまったのだと。
「─────
「はは」
笑い声。猛烈な悪寒。
勝利を確信して残心を取っていたブライアンが弾けるように飛び退く。
肩を震わせ笑いながら、トレーナーはゆらりゆらりと炎のように巨躯を揺らして立ち上がる。
立ち上がる余力など無かったはずだ。
立ち上がれるダメージでは無かったはずだ。
(・・・・・・何だ。何が起きている)
メキメキと何かが音を立てる。
木が割れているのかと思ったが違う。
大量の脳内麻薬でリミッターを外された筋肉が身体のシルエットを大きく膨らませる。
拍動の力が跳ね上がり、皮膚の下を轟々と巡り出す血液は身体を赤黒く染めていった。
髪の毛は逆立ち、変貌を遂げつつある彼の威容をまざまざと知らしめる。
「ああ、いいな。生きてる。幸せだ。俺は今、最高に生きてるんだ」
熱に浮かれた声だった。
反対に彼女の背に走るのは寒気。
1つだけ分かる。
そしてトレーナーは顔を上げた。
真っ赤に染まった双眸。
蜘蛛の巣のように血管の掴んだ顔。
人間の理性を捨てたとしか思えない形相の彼は、不思議と穏やかな声で彼女に語りかけた。
「なあ。お前も幸せだろう?」
ナリタブライアンは後に語る。
走りと拳を鍛えてきた。
強くなって強者を喰らい、乾きを癒す事が全てで、それで周りが自分をどう呼ぼうが興味など無かった。
だがあの姿を見たあの時だけは────自分が『怪物』と呼ばれている事が恥ずかしくなった、と。
《
匙を投げた医者は彼をそう表現した。
常人を、数百倍は超える骨密度。
常人を数百倍は超える筋密度。
それを常人を逸脱した身長に存分に搭載した彼は、この世界に
諫言はおろかやろうと思えば法による武力さえ力で跳ね除けてしまえる子供を授かった両親の苦労は察するに余りある。
しかしそんな彼に全力で向き合った2人の愛により彼は真っ直ぐに育まれ、人の姿をした破壊神は至極真っ当に社会の中で学んできた。
しかし彼は孤独だった。
勇んで入った柔道部では大怪我をさせた。
怪我をさせなければ問題あるまいと入り直した陸上部では疎まれ、不公平だと大会への出場すら運営から禁止された。
それどころか友達さえも。余りに強い彼を恐れて嫌がらせという形ですら接触はなかった。
生まれ持った力は人を遠ざけた。
みんな逃げる。怖いから逃げる。
当たり前のそれが酷く寂しい。
彼はいつだって虚しかった。
だけど彼は幸せだった。
この世界にはウマ娘がいて、この世界には『トレーナー』という職業があるからだ。
トレセン学園はいい。
強いウマ娘が沢山いるから自分も溶け込めるし、身体能力を活かして誰かの力になれる。
今まで貰えなかった感謝と笑顔が貰える。
それどころか運が良ければ、相手からの挑戦を受けて力比べだってできる。
楽しい。楽しい。
生きる活力に満ちていた。
満ちているのだ。
きっと。
きっと。