ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
隠れていた。逃げていた。
言葉で止まらないからそうするしかなかった。
そうなるまで追い込まれた者はここまでで大量に発生しているが、いま物陰から物陰を渡るようにして逃走している者はいくつか事情が違った。
『彼女』はトレーナーではなく、そして彼女はこの学園の生徒だった。
「チッ、ああクソ・・・・・・!」
シリウスシンボリは逃げていた。
天に最も輝く星になると公言して憚らず、未踏の場所に先陣を切る。そんな唯我独尊の開拓者が新たに逃走の道を探しているというのは中々洒落が利いているように感じるが、そんな皮肉を笑う余裕などない。逃げ切れなかった先の末路は先達が身を以て示している。
では彼女は何から逃げているのか。
決まっている。
この騒乱で追う側にいるのは当然─────
「追い付きました。シリウス先輩」
「ッ!!」
周囲を囲むように鳴った足音。ギョッとして足を止めた時にはもう取り囲まれていた。
シリウスシンボリも学園における上澄みも上澄みの実力者だが、数で追い立てられればどこかで捕まる。
彼女を追い詰めているのは彼女の後輩達、
そしてもっと言うならば、彼女達はシリウスが面倒を見ていた者達でもある。
「追いかけっこなら負けません。私達ずっとシリウス先輩のこと追いかけてましたから」
「ハッ、私を追いかけてた? 私が誰かの尻尾を追いかけてるように見えたか」
「いーや、それをしないから私達は先輩を好きになったんすよ。手に入れたいものは絶対に手に入れる、自分はそれが出来ると確信してるから」
「ならお前らは何でこんな事してやがる!!」
激昂したシリウスが叫ぶ。
そんな怒声すら愛の言葉としてうっとりと目を細める後輩のウマ娘達の情念を振り払おうとするように彼女は吼えた。
「言った筈だろうが、私はお前らの憧れなんざ知らねえと!! 寄りかかるな、依存するな!! 自分の熱を! 輝きを! 他人に任せてんじゃねえ!!」
「分かってます。だからがんばったんです。欲しい物を手に入れる為に、自分を信じて行動したんです」
『そちらの気』があるウマ娘による女性トレーナーの被害は存在する。そしてウマ娘も肩書きではなく自分を支えてくれるひとを好きになる。
その2つが合わさればこうなる。
相手の気持ちはひとまず置いて一方通行で良しとする、開き直りに近い感情の矢印。
愛と言うよりはエゴと呼ぶべき塊を乗せた手のひらを差し出し、彼女らは煮詰めた砂糖のように笑った。
「ほら。あんなに遠かった天狼星が、もうこんな近くにある」
ぞわっ、と背筋に寒気が走る。差し出された手に絡め取られるように動かそうとする脚が凍った。
───これが
こいつらはどうしてこうなった? 可愛がってやるだけでこうなるなら自分はどこから間違えた?
少なくとも自分の力で立とうとしていた者たちがこうまで依存する性質に変貌してしまうなら、懐を許すべきではなかったのか───
「はいはい、そこまで。そこまでな」
そんな
見たところ三十代半ば、まだ中年とはいかないが少女から見れば充分に『おじさん』といったところか。
切迫した状況には到底相応しくない呑気な足取りでシリウスと彼女達の間に立った顎髭を生やした男は、へらりと笑って両手の平で掛かったウマ娘達を制止するジェスチャーをした。
「そんな追っかけ方しても相手は捕まらんぞ? ここは一旦退いてな、別のやり方を考えた方がいい。押して駄目なら何とやらだ」
「は? 何それ? アンタみたいに?」
ウマ娘達の声が一気に冷え込む。
「こっちは言われて退く程度の覚悟でやってないの。全部終わってもいいって思ってんの」
「断られたって諦められるか。アンタみたいに惨めったらしく眺めるだけなんて御免なんだよ」
「ん〜、やっぱ散々言われちまうなあ」
「『トレーナー』という割には随分と都合の良い事を言いますね。普段何も言わず、拒絶されたら関わろうともしなかった癖に。分かりやすい構図になった時だけ良い格好をしようだなんて」
「私達には、見向きもしなかった癖に」
張り詰めた空気にヒビが入る。
トレセン学園にあってここまでウマ娘から不興と不信を買うトレーナーもいない。そしてここまでの嫌われ者が掛かりまくったウマ娘達の前に立ち塞がっては続く未来など分かり切っている。
いくら目にも映していない男とはいえ、ここで盾になられても悲劇が一つ増えるだけだ。余計な世話をと舌打ちをしてシリウスは目の前に立つ男を
「いいからお前は何処かに消えろ、力もねえ癖にしゃしゃり出て来るんじゃねえ!! こいつは私の問題────」
「
低く、重く響く声。今の音が目の前の男の喉から出てきたものと一瞬理解できなかったシリウスが肩を掴もうとしていた手を思わず硬直させる。
持っていたステッキで肩を叩きつつ、口元を皮肉げに歪めて急激な豹変に戸惑う彼女達を
「ったく、目的も相手も手段も何もかもを間違えやがって。しょうがないから教えてやる。お前らはただ逃げてるだけだ」
「逃げてる!? 私達は全部を賭けて───」
「逃げてんだよ」
色をなした叫びを彼は一言で切り捨てた。
「思うように結果が出せません。自分達を支えようとする人はなかなか現れませんでした。なので手近にいる頼り甲斐のある先輩に寄りかかる事にしました。先輩の信条に反してはいないし、意思も関係ありません。何故なら私達は全てを捨てているからです。
─────都合が良いのはどっちだ。なあ」
「「黙れぇッッッ!!!」」
耐えられなくなった何人かが衝動的に襲いかかってきた。状況が一線を越えたのを理解したシリウスが慌てて彼女を抑え込もうとする。
即座に行動に移れたのは彼女に西洋武術《サバット》の心得があった為だが、眼前にいる彼に事態を収拾する力は無く自分が動かねばならないと考えていた事が大きいだろう。
最初から下に見ていては気付かない。
目の前にいる『トレーナー』が何を以て中央のライセンスを持ち、何を根拠にこの鉄火場のど真ん中に現れたのかに。
彼はまず掴み掛かってきた一人の腕を構えたステッキで横に流し、そのままステッキを滑らせるように下へ。フック状になっている持ち手を彼女の足首に引っ掛け、そのまま空いた手で肩を押して転ばせた。
間髪入れずに襲ってきた二人目の突進を身体を翻すように横に躱し、彼女に背中を見せたままステッキを縦に振るう。反射的に頭部を守った彼女だが、肩と肘・手首のスナップをフルに利かせた弧を描く一閃はガードを乗り越えて後頭部を叩いた。
三人目には自分から仕掛けた。
二人がやられたのを見て怒りも顕に突っ込んできた彼女に対して大きく前へ進み、ステッキの持ち手で手首を絡め取る。そのままステッキをくるりと捻りつつ後ろに回ると彼女の腕は背中側で容易く
彼はそのまま膝関節を後ろから踏むように蹴って地面に跪かせる。
抵抗は出来ない。腕を絡め取ったステッキが逆側の腕の腋に差し込まれ、
そして為す術無く膝をついた彼女の首筋に、トレーナーが腰から抜き放った
「お前らは勘違いしてる」
髪をオールバックに撫で付ける動きで、隆々と鍛えられた肉体がシャツとベストを膨らませる。
意識を失った彼女をシリウスに渡し、トレーナーは手の中でステッキをくるくると回した。
その背中をシリウスは呆然と眺めていた。
こいつはつまらないヘタレだったはずだ。
挑発してもあしらっても脅してもヘラヘラ笑うだけで、靡かないと分かっても未練がましく遠くから見ているだけの意識するだけ無駄な人間だったはずだ。
なのに何だ。
この男から放たれる、肉食獣のような猛々しさは。
「全部トレーナーだろうが。お前らが惚れさせるべきなのも、お前らが訴えるべきなのも、
楽な方向に逃げるんじゃない。俺達にはその覚悟があるし、その為に俺達はここに立ってんだ」
転ばされたウマ娘と後頭部を打たれたウマ娘が殺意を漲らせて立ち上がる。明確な敵対行動を前にした他のウマ娘達も瞳に憎悪を宿して歯を剥き出した。
もう数秒後には本気で身体能力で訴えてくるだろう彼女らに対して、トレーナーはスタンスを広く取ってステッキを頭上に高く構えた。
────西欧武術《バリツ》。
シリウスの中の朧げな知識がそう判断する。
トレーナーではなく先輩に惚れたウマ娘。
トレーナーと本気で敵対するウマ娘。
そして担当でもない人間と後輩でしかないウマ娘が一人のウマ娘を巡って争うというイレギュラーのみで成り立つ状況が真っ当な終わり方をするはずがない。
命の保証すら消えた修羅場でそれでも彼は言い放つ。
己の心臓で燃える炎、それだけは曲がらない真実であると叫ぶように。
「殺す気で来い小娘共。死ぬ気で相手してやろう」