ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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鏡像認知 : 生後18〜24ヶ月頃に確立

 

 

 人間とは少しだけ異なる存在───『ウマ娘』。

 時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る運命を背負った少女たち。

 そしてここはそんな彼女らが他の誰よりも速くレースを駆け抜けるべく通う、"己の脚を鍛えるために日本各地に存在する学園"・・・・・・その中でも最大規模、およそ2000人超の生徒を擁する『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』、通称『トレセン学園』。

 『走り、競うこと』を至上とする数多くのウマ娘が憧れ、才能を見込まれたウマ娘だけがその門戸を潜り、同じだけの数のウマ娘が夢破れて涙と共に去り───そして一握りのウマ娘が栄光と威光を掴み取る戦場。

 そしてそんな彼女達を相手に一線を守り抜く為に鍛え抜かれたトレーナー達が集う修羅の巷だ。

 

 「そうか、そんな事があったんだ。大変だったね」

 

 「そうなんだよ。最近増えてきちゃって・・・・・・」

 

 ウマ娘たちが掛け声を揃えて走るグラウンドを眺めているトレーナーが2人。長い黒髪を後ろで縛った男の労いに、白衣を着た男が肩を落としていた。

 白衣を着ている方は冒頭で暴走したウマ娘から辛くも逃れたトレーナーであり、隣にいる黒髪のホーステールのトレーナーとは同期の友人同士である。

 

 「だけど助けてくれた人にはちゃんとお礼は言わないと。ザイルを使っての制圧は詳細な報告書を書かなくちゃいけないんだから。タキオンさんから自衛用の薬は貰ってるんだろう?」

 

 「そうなんだけど、あまり頼りたくないんだ。あの薬はウマ娘に対するダメージが大きいから。本当は皆みたいに体術で抑えられたらいいんだけど、僕の身体の弱さだとね・・・・・・」

 

 「それは私も同じだよ。確かに私たちは生身で彼女らを制圧するのは不可能だけど、それに代わるものを評価されて中央に入れたんだから。言葉で収まればそれが1番だけど、見込まれた技術で職務を果たすのもトレーナーとしての責務じゃないか」

 

 「・・・・・・返す言葉も無いな」

 

 優しいながらも厳しい友人の指摘に白衣のトレーナーは苦い顔をした。

 実際その通りなのだ。余りにも生徒に不覚を取るトレーナーは定期的に行われる強化合宿に叩き込まれる。

 白衣のトレーナーもそうならない程度には襲いかかってきた生徒を対処しているが、間違いなく要観察リストには入っているだろう。

 その自覚はあるらしいことを確認したホーステールのトレーナーは、気遣わしげな顔をして話を変えた。

 

 「それはそれとして大丈夫かい? 君に怪我がなかったのは良い事だけど、それよりもタキオンさんが問題じゃないかな。未遂に終わったとはいえ、また君が襲われたとなると・・・・・・」

 

 「ああ、大丈夫だよ。うちのタキオンにそういうのは無いから─────」

 

 

 「やあトレーナー君。ここに居たのかい」

 

 

 そんな声が横から聞こえた。

 白衣のトレーナーの隣に現れたのは、右の耳にインダンの構造式を模した飾りを付けた栗毛のウマ娘。

 『アグネスタキオン』。

 どろりとハイライトの消えた目をしたトレセン学園で5本の指に入る問題児にして、白衣のトレーナーの担当ウマ娘である。

 

 「タキオン。どうしたんだ」

 

 「お弁当箱を返そうと思ったのに存外見つからなくてねぇ。ここまで歩いてやっと見つけた訳さ」

 

 「流し台に置いといてくれればよかったのに」

 

 「もし要件が大切な実験だったらどうするんだい? 肝心な時にいないと何かと面倒なのだから、あまり私の認識外をうろつかないでくれたまえ」

 

 「はいはい」

 

 (本当に依存し切ってるな・・・・・・)

 

 他愛のないやり取りに見えるその光景をホーステールのトレーナーは神妙な面持ちで眺めていた。

 確か始まりは食材をそのままミキサーに突っ込んだカスのスムージーで済ませている彼女を見かねた彼が弁当を作って渡した事だったはずだ。

 それ以来彼女は毎日昼食に弁当を要求するようになり、それはやがて毎食に、そして今は部屋を掃除させ肩まで揉ませているという。

 『1人だった時より生活が下手くそになっている』。

 ホーステールのトレーナーは、自分が担当しているウマ娘からそんな話を聞いていた。

 聞いているのかい? とおざなりな返事に不満を表明していたタキオンだがその時、ふと何かに気付いたように耳を震わせた。

 

 「ところで君。少し臭うよ」

 

 「えっ、嘘。何が? ちゃんと洗濯したのを着てるし、匂いの強い場所に行ってもないんだけどな」

 

 

 「違う。君自身の匂いだ」

 

 

 声の温度が1つ下がった。

 目を細めて軽く鼻を鳴らすタキオンの耳がゆっくりと後ろに絞られていく。

 

 「微かな脂質とタンパク質、アポクリン腺由来の臭い。精神性発汗、要するに脂汗というものだ。君、どこかで強い緊張状態に陥っただろう。ああ理由は言わなくていい。どうせ決まっている」

 

 「あ、いや、その」

 

 「──────君、()()()()()()?」

 

 ぎり、と軋む音が鳴る。

 アグネスタキオンに握り込まれたトレーナーの腕の筋肉の繊維が上げる悲鳴だ。

 

 「何の為に渡した薬だと思っているんだろうね。君と担当契約を結んでから相応の時間は経過しているが、私はいつまで君の度し難さに呆れればいい?」

 

 「・・・・・・タキオン、落ち着いて・・・・・・っ」

 

 「錠剤を口に運ぶ事もままならないような腕ならばいっそここで切除してしまった方がいいかもしれないねぇ。何なら義手に薬品でも詰め込んでみるかい? 例えば 催涙ガスあたりなんかを」

 

 「・・・・・・っ!!」

 

 「タキオンさん。私は貴女の担当ではないけど、それ以上はトレーナーとして見過ごせない。直ちに手を離さなければ捕縛行動に移る」

 

 「心配しないでくれたまえ、そこまで苛烈な事をするつもりはない。ただ物覚えの悪いモルモットの教育に手間取っているだけさ」

 

 懐に手を忍ばせたホーステールのトレーナーに軽い調子で返して、ぐいっと腕を引っ張ってトレーナーを引き寄せるタキオン。強制的に屈まされた彼の耳元で彼女は静かに、しかし有無を言わさない強さで囁いた。

 

 「君は誰の何だ?」

 

 「っタキオンの、トレーナーっ・・・・・・」

 

 「私以外の女を触れさせる必要性は?」

 

 「無い・・・・・・っ」

 

 「ならやるべき事は?」

 

 「薬を、飲っ、ぐぅ・・・・・・!!」

 

 「よろしい」

 

 パッと手を離すタキオン。

 ギリギリの所で解放されたトレーナーが荒い息を吐いて腕を押さえる様を見ながら、彼女は顎に手を当てて呆れたように息を吐く。

 

 「優しさというのも良し悪しだねぇ。一般的な成人男性なら耐えられる程度の力で、君は顔が歪む苦痛を感じた訳だ。平均以下の自覚があるなら相応の行動をしたまえ」

 

 「っっ・・・・・・ああ。分かってる」

 

 「疑わしい返事だねぇ。そうだ、薬と言えばだ。君、もう私が渡した水筒の中身は飲んだかい?」

 

 「ん? ああ、これ」

 

 そう言ってトレーナーは鞄の中に入っていた水筒を取り出して軽く振ってみせる。

 液体の揺れる音のしない軽い動きから、既にその中身が空になっている事が察せられた。

 

 「砂糖が多すぎる、これじゃ紅茶じゃなくてカブトムシの罠だ。僕をモルモットにしたいのか糖尿病にしたいのかどっちなんだい。例によって臨床試験の(たぐ)いだろうからもう飲み干したけど、今度は何の薬が混ざってたの?」

 

 「!! そ、そうかそうか飲み干したのかい! その薬は私が独自に調合した強力な特製の媚薬ゲフンゲフン向精神薬でねぇ。精神的変化の自覚はあるかい? 身体的な異常は?」

 

 (いま明らかに媚薬って言ったような)

 

 「うーん、これといった変化は感じないな。けど向精神薬で身体の異常っていうのはどういう事なんだ?」

 

 (鼓膜が腐っているのか???)

 

 それで彼を探し回っていたのか─────

 バケモノを見る目をしているホーステールのトレーナーの前で簡単な問診をする2人。

 複数の質問を経て本当に紅茶に混ざった薬が効いていないことを理解したタキオンは、やれやれと残念そうに首を振った。

 

 「では今日の実験は30分後から始めよう。くれぐれも遅れないでくれよ。どんな状況であろうとだ」

 

 「肝に銘じるよ。けど前回みたいな乳首が渦巻きになるような副作用はやめて欲しいな」

 

 「自分自身に祈ってくれたまえよ。豪腹だが君のそれは未だ研究中なんだ」

 

 それだけ言ってタキオンは去っていく。

 前回の10倍の濃度にしたんだがねぇ・・・・・・、という呟きはもう聞こえない事にした。

 ひとまず力を振るうような事態にはならず安堵したホーステールのトレーナーは、少しだけ脳内で考えを巡らせて白衣のトレーナーに向き直った。

 

 「乳首が渦を?」

 

 「いやその話は長くなっちゃうからさ。それより心配させて悪かったね。少し話が戻るけど、見ての通り僕とタキオンに恋愛絡みの心配はないから」

 

 「媚薬って聞こえたけれど」

 

 「向精神薬の言い間違いだろ」

 

 「正気???」

 

 「いや正気かどうかを言うのならだよ。それこそ君のそれはどうなんだ」

 

 白衣のトレーナーはホーステールのトレーナーを、より正確には彼の首元を指差した。

 そこにあるのは第三者に着けられた『痕』。

 しかしそれはキスマークなんて生温いものではない。

 

 ───()()()()()

 真っ黒なタールのような質感の手のひらの痕が2つ、彼の首を締めるような形でこびりついている。

 怒りが怨恨かどちらによるものか、そんなものを着けるような人物は彼の担当ウマ娘以外にないが、およそポジティブな感情ではあるまい。

 ああ、とそこでようやく気付いたような風に彼は喉元に手を当てた。

 

 「さっき走り方で悩んでた子にアドバイスした時かな。どうしてだかカフェ以外の子と話すと『お友達』にやられるんだよ。どうも何かの警告らしいんだけど、何の警告かはよく分からない」

 

 「分からない? 嘘だろ?? その2つの因果関係が繋がらないの??」

 

 「うちのカフェにそういうのはないよ。ただ『友人たち』を僕に張り付けて四六時中行動を覗き見する悪戯は少しやめて欲しいけれど」

 

 「それが悪戯で済むならうちのタキオンのやらかしなんて子供のハロウィンじゃないか」

 

 「ハロウィンは乳首がねじれたりしないんだよ」

 

 しばし言い合っていた2人だが、やがてどちらともなく口を閉じた。

 言葉にしても通じないと理解したからだ。

 彼らの目にあるのは、憐憫。

 信頼という瞼で瞳を覆い、担当ウマ娘に執着されているという危機的状況を認識できていない者に対する純粋な憐れみだった。

 

 「「(彼はもう駄目だな・・・・・・)」」

 

 「あん? ハルとミカド、お前ら今日のトレーニングは休みか」

 

 ずしん、と重たい足音。

 その問いかけに、『ハル』と呼ばれた白衣のトレーナーと『ミカド』と呼ばれたホーステールのトレーナーはそちらを振り向いた。

 

 「ああ、『カズ』君。タキオンは脚の調子が少し悪くてね。その代わりみっちり実験する予定だから暇ではないけど」

 

 「カフェも爪を悪くしてしまったから理由は似たようなものかな。ゆっくり休んでもらうよ」

 

 「そうかァ、怪我しちまったら元も子もないもんなァ。2人とも難儀なもんだ。お大事にな」

 

 気遣いの言葉を残して去っていく彼の背中を見送る『ハル』と『ミカド』は、お互いに向けていた憐れみを一時忘れた。

 ───中央のトレーナーになる為のハードルは高い。

 要求されるのは国内最難関の大学レベルの学力でも合格が難しいという知識量と、何より体力。

 筆記・口述試験をパスした受験生は軍隊もかくやという体力増強と肉体改造、そしてウマ娘に対抗するための技術を刻み込む養成施設に送られて第2の(ふるい)にかけられるのだ。

 

 しかし、ここには《特能枠(とくのうわく)》と呼ばれる別の枠組みが存在する。

 

 そのトレーナー候補生が習得している技能とそのレベルが「ウマ娘に対抗するための技術の代替たり得る」と認められ、養成施設での訓練を一部免除された者達の事なのだが・・・・・・

 

 「ねえ、ハル君。私達も一応、『特能枠』で中央のライセンスを貰った人間ではあるけれど」

 

 「うん」

 

 「・・・・・・どうも彼を見るたびに、私の技能は訓練を免除される程のものでは無かったんじゃないかと思わされるんだ」

 

 「・・・・・・気持ちは分かる」

 

 「ブライアーン。タイヤ持ってきたぞー」

 

 自分の担当ウマ娘に呼びかける、『カズ』と呼ばれたトレーナー。

 彼が軽々と肩に乗せているのは、重さ4トンを超える訓練用の巨大なタイヤ。

 力自慢のウマ娘が歯を食いしばって引き摺る代物。

 ウマ娘と併走すらしてのける『ヒト息子』とすら揶揄された剛力無双の《特能枠》のトレーナーに、2人は何とも言い難い眼差しを向けていた。

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