ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
ウマ娘達の動きが止まった。
スマホから流れた声を聞いた彼女達は悔しそうに、恨めしそうに表情を歪め、心残りを残しつつトレーナー達から背を向けて走り出す。
その現象はトレセンのあちこちで見られた。
ウマ娘達の唐突な撤退によりトレーナーとの激突が何の前触れもなく終了、その場に取り残された彼らは困惑と共に顔を見合わせる。
「・・・・・・終わった、のか・・・・・・?」
決着と呼ぶにはあまりにも尻切れな幕引きに誰かがそう呟いた。
何一つ落とし所が見つからないまま鎮静化した状況に、言いようのない胸騒ぎを覚えながら。
◆
スマホのスピーカーから聞こえてきた絶望の声。
それが示すのは《特化戦力》の壊滅。
そう呼ばれるウマ娘が何人いるのかは不明だが、声色から少なくとも彼女らの牙城が大きく崩れたのが察せる。
元より《特化戦力》ありきの作戦だ、この時点で暴走した生徒達の目的は頓挫したと言っていい。拘束されているルドルフ達はよくぞやってくれたと拳を握り、拘束しているウマ娘たちは明確に動揺していた。
しかしトウカイテイオーに動揺はない。
この展開も織り込んでいたに違いない滑らかさでテイオーはスマホ越しに指示を投げる。
「ん。そっか。じゃあ今の時点でやるしかないね。皆にも回すからすぐに動いて」
通話は切らないままスマホを机に置き、彼女はルドルフとエアグルーヴを拘束しているウマ娘達に目配せをした。
「縛っといて」
指示に反応したウマ娘達がトレーナーから奪ったザイルロープでルドルフとエアグルーヴを拘束しにかかる。
当然抵抗しようとする二人だが、テイオーがこれ見よがしに振ってみせたペンを見て動きを止めた。
全生徒を無差別に冤罪にかける捨て身を実行させる訳にはいかない。歯噛みしながらも二人は拘束を受け入れる他なかった。
「甘く見てた訳じゃなかったけど残念。最善はダメだったけど次善は掴もう。急ぐよ」
ぴょんと机から飛び降りて生徒会室から飛び出すトウカイテイオー。それを追うように他のウマ娘たちも部屋から飛び出し、生徒会室には縛られたルドルフとエアグルーヴが残された。
───何をする気だ?
急変した状況に二人は頭を回す。
全員で結託してトレーナー達を攫う『レッドアネモネ作戦』。彼女らの最善が作戦に参加したウマ娘全員が目当てのトレーナーを手中に収める事ならば、『次善』は『出来るだけ多くのトレーナーを攫うこと』と考えていい。今の時点でやるしかないというのはそういう事だ。
この時点で彼女らは撤退に移るだろう。
だが、待て。
トレーナー達の目的はあくまで防衛。制圧の許可が出ていても逃げる生徒を追いかける理由はない。
そうなれば逃げた生徒はトレーナーの目を外れてフリーになる。
そして唐突に戦闘が終わったトレーナーが困惑している隙に、注意を外された彼女らは捕獲したトレーナー達を連れ去ってしまう。
縛られた身体で跳ね起きたルドルフとエアグルーヴが遮二無二動いた。自分を戒めるザイルロープを解こうとする時間すら惜しんで壁に埋め込まれたミキサーの各スイッチを顎で押し、机に備え付けられたマイクに叫ぶ。
『全員気を抜くな!! 捕まった者を助け出せ!! まだこの動乱は終わっていない!!』
「何だと・・・・・・!?」
体育館に避難していた生徒達の無事を確認に来ていたトレーナー達が仰天してスピーカーを見上げる。
ウマ娘達が戦闘を放棄した、つまりこの騒乱は終結したと考えていた彼らにとって不意討ちに等しい知らせだった。同じ放送を聞いていた別のトレーナーが大慌てで体育館に駆け込んできた。
「おい今の放送聞いたか!?」
「聞いた! 皆まだ諦めてないんだ!!」
「マズいぞ、外を見たけど誰もいない! あれだけの人数がどこに消えたってんだ!?」
「どこにいったか突き止めなきゃ捕まった奴らが全員攫われるじゃないか!!」
束の間緩んだ空気が一気に張り詰める。
トレーナー達が目の前で怒号を飛び交わすかつてない状況に生徒達の目には萎縮するような怯えが見える。教え導く立場として腰を据えた態度を心がけてきた人間が混乱して叫ぶ様はそれだけ生徒達に動揺を与えるのだ。フジキセキとヒシアマゾンもとにかく場を落ち着ける方法を模索するが、体育館にいた彼女らも事態の全体像を把握できていない。
一刻の猶予もない状況で何をすればいいか分からない時間が流れ続けていることに募り続ける焦燥。いよいよ体育館が混迷を極めようとしていた時、一人のウマ娘が手を上げた。
「あ、あの・・・・・・っ、私、みんながどこに行ったか知ってます!」
全員が彼女の方を向く。
それを知っているという事はつまり、彼女は『あちら側』のウマ娘なのだ。その立場の者が何故ここにいるのか。何故それを告発しようというのか。それを理解できる者は彼女自身を除いてこの場にいない。
「
あるいはそれを卑怯というのかもしれない。
あるいはそれを裏切りというのかもしれない。
しかしそれは正道を貫く事に折れ、悪道への誘いにも乗り切れなかった半端者が振り絞った一歩分の勇気でもある。
もしこの場にアグネスタキオンのトレーナーがいれば、彼女を見てあっと声を上げただろう。
彼女はあの時彼を手篭めにしようとして失敗し、そして彼に諭されて涙したウマ娘だったのだから。
トレセン学園の地下にはお仕置き部屋と呼ばれる簡易的な独房のような小部屋が並んだ空間がある。
数十年前の惨劇に端を発して造られ、増加し続ける生徒達の暴走に対応するために突貫で増築を重ねてアリの巣の様相を呈している地下施設。
人間とウマ娘の間に積み重なった歪みの象徴とも言えるこの場所は今、少女達の悲鳴と怒号で埋め尽くされていた。
「ねえ私のトレーナーさんどこ!? 私まだ見てないんだけど!!」
「知らないわよ誰かが捕まえてるでしょ! それより早く逃げないと!!」
「ふざっけんな何がどうなりゃあのバケモン共がやられるんだよ!!」
「上手くいかないなあ本当に! 何もかも! 何もかもがさあ!!」
もはや捨て鉢とも取れる顔でウマ娘達が縛り上げたトレーナー達を担ぎ上げる。後戻りは出来ない。自分達はこのまま走り切るしかない。
歯噛みしつつも最下層にある非常口まで全力で走ろうとした時、入口の方から不穏な音が聞こえた。
金属の扉が開かれる音。
重なり合った無数の足音。
それらの正体が何なのか考えなくても分かる。
竦みそうになる脚を動かして走り出そうとした直後、異常が発生した。
────周りの仲間達が縛り上げられている。トレーナーを担ぎ上げていたはずの仲間達が、担ぎ上げていたはずのトレーナーに。
何のことはない、『トレーナー』の必須技能に縄抜けの技術が存在するだけだ。
足音を聞いて援軍の到来を察知した彼らが今が好機と見て一斉に拘束を抜け、その縄で逆にウマ娘を縛ったのだ。
そして生徒達の前に現れたトレーナー達はまた違った出で立ちをしていた。
左手にポリカーボネート製の大盾、右手には漏電する懐中電灯。明確な暴徒鎮圧用の装備。
頭数はまだまだ生徒達の方が上だが、その姿はウマ娘達の心を深々と傷付けた。
「・・・・・・そんなに、ですか」
歯軋りをして睨み付ける。
涙を湛えた瞳には怒りと恨みの色がある。
愛が裏返って憎しみになるならそれはきっとこの瞬間だろう。
震える声で吐き出されたのは、どうにもならない本能の慟哭。
「
「・・・・・・君たちと生きるのが嫌なら、最初からトレーナーになんかなっていないよ」
心の底に溜まった泥を真正面から受け止めて、トレーナーも静かに澱みなく答える。
本能に対する理性などという安直な対立ではない。それは本能に対する矜持、あるいは譲れない生き方の衝突。
心に打ち込んだ信念の楔、その鋒だ。
「だから戦う。トレーナーとして大人として、共に生きる者として───、『愛は
その言葉が開戦の合図になった。
真正面から突っ走ってくるウマ娘達を盾持ちのトレーナーが前面に出て迎え撃つ。激突の瞬間にその場にしゃがんで盾を斜めに構え、正面から受け止めるのではなく斜面状の障害物になった。
勢い余ってその
しかしもうそれで怯む者はいなかった。
自制心が振り切れた彼女達は気絶させられた者を乗り越えるように突っ込んで拳を振り下ろしてくる。
素人の未熟な攻撃だ。トレーナー達が捌けない道理はない。しかし彼女達が捕獲や逃走ではなく攻撃を選んだのは、それだけ彼女達が精神的に追い詰められているという事だろう。
その事実を彼らは覚悟を以て受け止める。
「ふんっ!」
叩き付けられる手を盾を振って横から弾くように捌き、バランスを崩したところを盾で押し込んで体勢を崩した所を別のトレーナーが無力化。
そこを狙って飛びかかったウマ娘にはまた別のトレーナーが動いた。カウボーイのように投擲されたザイルロープの輪が正確にウマ娘の腕を捕え、やはり転ばせてから気絶させる。
個の集団に対して全体で一つの生き物のように振る舞い連携の有利を活かすトレーナー達だが、しかしウマ娘達のこの物量────一瞬でも気を抜けば一瞬でへし折られる。
「【悪い】【子は】【
スーパークリーク渾身の呪言が放たれた。
思考を操る繊細さを捨て、物理的な破壊力に変換した音の砲撃。通路全てを埋め尽くす破壊圧が集団で固まっているトレーナー達を纏めて呑み込もうとしたその瞬間、
「わ゛ ! !! ! !!!!!」
爆音が轟いた。
耳鳴りどころか聴力すら機能を忘れるその大音響はしかし人間の肉声である。
割り込んだのは天を突く巨漢。ナリタブライアンのトレーナー。世界の裏側で振るわれる御技は、世界に憚る超常の肉体に阻まれた。
(呪言をただの大声で掻き消した・・・・・・!?)
「お前も妙な事をしやがるなァ? そういう奴への対策は『何かやる前にブッ飛ばす』だ!」
地上でやられた者達だけが《特化戦力》ではない。役割分担やタイミングで地下にいた者もいる。スーパークリークやエイシンフラッシュもその中の一人だ。
正確無比な
「皆さん。この隙に」
武装したウマ娘は危険極まる。
エイシンフラッシュの圧に退がるしかなくなったトレーナー達をウマ娘達が追い詰めていく。
───あと四手で壊滅できる。計算結果を弾き出した彼女がその最初の一手を繰り出した瞬間。
割り込んだトレーナーに剣が突き刺さった。
胸から刺さって背中へと、身体を楽に貫通する程に深く深く。
「ぁ・・・・・・っ」
刺す気は無かった。殺す気は無かった。
剣を握る手に伝わる感触に大きく動揺するエイシンフラッシュだが、しかし次の瞬間に貫かれたトレーナーの身体がバラバラと解け始めた。
肉体が崩れて無数の呪符に変わり、彼女の身体に纏わりついて硬化する。
マンハッタンカフェのトレーナーが呪符で作った囮による拘束の罠だった。
「武器持ちは厄介だね。搦め手が使える私が相手になろう」
「der Wiedergänger...!?」
凄まじい勢いでウマ娘達を無力化する男がいた。
そこにいると思えばおらず、気付く間も無く脳震盪で意識が落ちる。ウマ娘達の意識の死角に潜り込み納刀した刀で正確に顎の先端を掠めていくグラスワンダーのトレーナーの背後に漆黒の影が迫っていた。
音も気配も何もなく、ただの空気であるかのように。しかしその手に短剣を握り、一直線に彼の首筋を狙う。
───そしてそれは寸前で回避された。
「やるじゃないか・・・・・・。だが初手を外した暗殺者は後が辛いぞライスシャワー・・・・・・!!」
「ぅぅ・・・・・・・・・・・・っ!!」
あちこちで凄まじい乱戦が起きていた。
一応縄抜けは習得しているため拘束は脱しているアグネスタキオンのトレーナーだが、薬が底を突いているため出来る事が何もない。近くに転がっていたアグネスタキオンの拘束を昂っているウマ娘達に気付かれないようこっそりと解いていた時、寝転がっていた彼女がピクリと耳を動かした。
「・・・・・・妙な音がするねえ」
「妙な音?」
「ああ。何だこれは。ここだけではないあちこちから・・・・・・、・・・・・・」
床に壁に耳をぴとりとくっつけて不可解な音の出所を探るタキオン。怒号や戟音、無数の足音など不要なノイズを認識から削除して意識の深みに没頭していく。揺れるような軋むような、何かがひび割れていくような─────
「マズいぞ。トレーナー君」
アグネスタキオンが跳ね起きた。
それは突然の異変だった。
まずは地面が揺れた。
次に壁が歪んだ。
異常を感じて動きを止めて周囲の様子を見た時にはもう、天井にヒビが入っていた。
トレセン地下のお仕置き部屋。
数十年前の惨劇に端を発して造られ、増加し続ける生徒達の暴走に対応するために突貫で増築を重ねてアリの巣の様相を呈している地下施設。
それはきっといつか来る必然だったのだろう。
対応するにはウマ娘の暴走は加速度的すぎて、間に合わせるための増築は杜撰すぎたのだ。
他方の本能と他方の倫理。
捩れ固まり壊れる二重螺旋。
彼らと彼女らの激突に耐えきれないほど老朽化した地下施設が崩落していく。
愛も憎しみも信念も、積み上げた全てを奈落に呑み込んで精算するかのように。