ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
振動の激しかった上層から崩れ、それによる歪みが下層へと波及していく。
入口に近かった者は大慌てで脱出した。
そうでない者らは追い立てるように迫る土砂と瓦礫の滝から必死に逃げた。
逃げる場所などどこにもない、いずれ埋没する運命の下層へと。
「逃げろぉぉぉおおおおおおっっっ!!!」
悲鳴と絶叫が地下を駆け降りる。
ウマ娘達はまだ良かった。天賦の脚で少しでも下に逃げ延びる事が出来るからだ。
しかし振り返った彼女らは見てしまったのだ。
逃げ切る事など到底不可能な人間達を。
気絶させたウマ娘を担いで必死に走っているトレーナー達を。
逃げねば危ない。置いてなどいけない。相反する本能と倫理が溶けないまま混ざって呼吸と脚が止まる。
それでもトレーナーを引っ張ろうと彼女が手を伸ばしたのは根底にあるのが愛であるからに他ならない。たとえそれが自分もろとも死に向かう選択だったとしても、ウマ娘を救おうとする彼らに背を向けて逃げる事を彼女らの生来の優しさが許さなかった。
しかし彼女が掴んだのはトレーナーの手ではない。
彼らから投げ渡された気絶した同胞だ。
面食らって反射的に抱き止めた彼女にトレーナー達は手のひらを振り上げた。
「行けぇッッッ!!!」
思い切りその尻を引っ叩き、叩かれたウマ娘が悲鳴を上げて走り出す。ウマ娘特有の反射行動だ。脳を経由せず脊髄で折り返した電気信号がその身体を駆け足で前へと運ぶ。
走り始めて、思考が戻った。
私はまだ大丈夫だ。
足も速いし力も強い。気絶したウマ娘一人程度なら担いでもまだ逃げられる。
じゃあ、人間は?
私にこの子を投げ渡したトレーナーさんは?
「ぅ゛ぁぁぁああ゛あああ゛っっ!!!!」
すぐ後ろに迫る破滅の轟音。
泣き叫ぶような悲鳴を上げて逃げる彼女の周囲で同じ事がいくつも起こっていた。気絶したウマ娘を渡されて逃がされるウマ娘達。中には無理にトレーナーも一緒に担ごうとして土砂に呑まれる寸前で尻を叩かれた者もいた。
振り返れない。後ろを見れない。
耳元に吐息を感じるほど間近に迫った死を振り切る為に彼女らは必死で背後から目を逸らす。
そしてスーパークリークだけは自分のトレーナーを抱えて逃げていた。
呪言による催眠が解けていないのだ。
頭巾におしゃぶり、涎掛け。クリークがトレーナーを我が物にするために使った全てが彼の命を脅かしている。
───どうしてこうなった?
争いが激し過ぎたから?地下が老朽化していたから?大人数で入り過ぎたから?私達がここに集まってしまったから?
自分たちはトレーナーを攫うためにここに集まった。トレーナー達はそれを追いかけてきた。
こんな計画を立てたからこんな事になった。
私達が、これを招いた。
「あっ・・・・・・!!」
追い詰められる思考と通路を雪崩れるように逃げる者達。トレーナーを背負っているせいで思うように走れないクリークが脚を躓かせた。
倒れる瞬間、クリークはトレーナーを身体の前側に抱き寄せようとした。
迫る土砂の瀑布から盾となってトレーナーを守るために。
たとえそれが無駄な抵抗だとしても、間違え続けた結末だとしても、それが彼女の愛だった────
「ラスト三ハロンダッシュ! 始め!!」
鞭を打つような音が響いた。
尻を叩かれたクリークが反射的に走り出す。
いつものトレーニング、いつもの掛け声。
耳と身体に馴染んだその習慣が彼女の身体をいつものように動かした。
動かしてしまった。
振り向いた。
頭巾とおしゃぶり、涎掛けを脱ぎ捨てたトレーナーと目が合う。
────君は生きろ。
土埃が彼の身体を覆う寸前、優しく微笑んだ口元は確かにそう言った。
「いや」
クリークの眦から液体が溢れ出す。
しかしそれは涙ではない。
涙というにはあまりにも赤く、涙というにはあまりにも鉄の匂いがした。
「嫌ぁぁぁああぁああッッ!!!!」
「クリークさん駄目、逃げなきゃ!!」
「走って!!走るの!!」
断末魔のような叫びを上げて土石の瀑布に突っ込もうとするクリークをウマ娘達が強引に掴んで引っ張っていく。
悲鳴ごと全てが呑み込まれていく。
施設のキャパシティを超えた人数に下り階段で必然的に落ちる速度。加えて統率もなく恐慌状態で逃げる彼女達はあちこちで接触を起こしており、人波に阻まれて思うように走れないウマ娘が後ろから追い抜いてきた誰かにぶつかって転んだ。
慌てて立ち上がろうとした彼女を大きな影が覆う。
ヒビ割れて落下してきた天井の一部だ。
死を目前にして動ける者は少ない。上を見上げたそのウマ娘も例外ではなく、奇妙に引き延ばされた時間の中で自らの十数年の人生を思った。
後ろから思い切り突き飛ばされた。
いきなり時間が元のスピードを取り戻す。
誰が自分を突き飛ばしたのか、誰が自分を助けたのか、それを考える余裕すらない。拾った命を繋ぐ為に彼女はよろめきながら再び走り始める。
遠ざかっていく彼女の背中を見送る彼女を突き飛ばした男の顔に自らの死への恐怖はない。
彼女らが皆死なぬように。
彼女らの未来が続くようにと。
『トレーナー』沖野はただ、祈った。
「逃げろ・・・・・・!」
天井と土砂が彼を押し潰し、そして破滅の進軍は続く。崩壊はもはや端から進んでいくのではなく、負荷のかかった地下全体へと波及した。
振動と地鳴りは独房の蟻の巣を伝播して構造に罅を入れ、加速していく破壊が彼女らに追い付く。先回りするように駆け抜けた亀裂が決壊し、崩れた壁と天井の瓦礫が顎門のようにウマ娘達を噛み潰しに来た。
あまりにも一瞬の出来事。
瞬きの後に自分達を飲み込む死の崩落を、
しかしまるで世界そのものが牙を剥いたかのようなその渦中に、その状況を正しく認識した上でただ一人その場で立ち止まった男がいた。
全身を意識レベルで極限まで脱力し、脳のリミッターが緩むその一瞬で神速の一閃を叩き込む《去原流》の奥義・《
一振りで完結しているその技を数十にも重ねて叩き込む。
守るべきものの前に立ち、掴んだ使命を刃に乗せて、グラスワンダーのトレーナーは今、己の限界を突き抜けた。
「《
運動能力の
残光すら残さない速度で振るわれた《
何かが発生したことを理解する前に別の何かが起きて、そしてそれが何なのかを理解する前に何かは終わった。逃げるウマ娘達にとってはそんな認識だっただろう。
そして彼はその場から動けない。
脳のリミッターが緩む一瞬、一振りが限界の刹那の合間に何十もの斬撃を放つという無茶の反動で全身の筋骨がガタガタになっているが、しかし彼の表情に絶望の色は無い。
父からの言葉。
妻との誓い。
自分が剣を振る理由。
それらが鍛え形作った自分という存在が正しく己を全うしたことを、彼はただ誇っていた。
「─────本望」
彼も崩れ落ちる土石の中に消えた。
崩壊はさらに加速するが、逃げる者達の速度には必然的にバラつきがある。
人間とウマ娘の種族的な差もあるが、荷物を担いでいるかどうかも関わってくる。荷物とは当然トレーナーに気絶させられたウマ娘の事だ。
何も持たず逃げているウマ娘が先を走り、トレーナーに託された荷物を担いだウマ娘が中団。必然的に人間が最後方を走る。
つまる所、人間が先に埋め立てられる。
「おい『カズ』!お前は先に逃げれるだろ!!何で一番後ろ走ってやがるんだ!!」
「足並み合わせなくていいんだよ行けるんならさっさと先に行け!!」
「念の為だよ黙って走れ!!!」
怒鳴る仲間達に最後尾から怒鳴り返す2メートル40センチ弱の大男。背後から少しずつ
そんな教育者達に育てられたならば生徒達も優しく真っ直ぐな心を持つはずだ。
自分の命を顧みず、トレーナー達を助けるために引き返してくるくらいには。
「トレーナーさん掴まって下さい!!」
「走るよ!背負うから乗って!!」
「バカ野郎なんで戻ってきた!!!」
「私達だけ逃げれないよ!!!!」
一刻の猶予もない状況で押し問答が発生するかに思われた。実際には発生しなかった。トレーナーが問答無用でウマ娘達に背負われたから、ではない。
周囲の壁に走った亀裂が決壊し、土石流が一瞬の内に加速したからだ。
ナリタブライアンのトレーナーが即座に動く。
この為に一番後ろを走っていた。
コンクリートの壁を両手で引っ剥がし、巨大な盾のようにして通路を塞ぐ。
人類の枠を外れた
「────────ッッッ!!!」
轟音。
通路を埋め尽くす土石流が彼の剛力に阻まれた。
しかし彼の全身を怪獣に踏みつけられたような衝撃が襲い、踏ん張った両足が床を削りながら押し流される。
思うように力が入らない。ナリタブライアンとの戦いで脳の箍を外した反動だ。
一人では無理。
歯を食い縛り、そして叫ぶ。
「〜〜〜〜〜ッッお前ら手伝えェ!!!」
「「「おおおおおおおおッッッ!!!」」」
迅速に反応したトレーナー達が一斉に反転して壁の盾に殺到。彼と共に盾を支え、後ろにいる者は前を支える。
それでも足が押し流される。
しかし彼らは折れない。支えているものを雄叫びを上げて前へ押す。
そして押し流されていた足が止まる。
振動が収まる。
地下の崩壊が、止まった。
「今だ!全員逃げろ!!」
「駄目、トレーナーさん達も───」
「俺たちは大丈夫だ!!だからお前らは外に出て助けを呼べ!!ウマ娘の方が速いだろ!?」
有無を言わさず役目を与えられたウマ娘達が少し躊躇いながらも走り出す。
途中で何度もこちらを振り返る彼女達の背中が遠くなり、壁の盾で土砂を阻むトレーナー達が残された。
奇妙な静寂に包まれた地下通路で壁の盾を支え続けるナリタブライアンのトレーナーが、
「なあ」
「なんだ?」
「俺さ、子供の頃から親に言われてきたのよ。『お前はきっとヒーローになれる』って」
「うん」
「俺ァ身体がこんなだからさ。凄え力で敵をブッ倒していくのがヒーローってもんだと思ってたんだが、実際のところどう思う?」
「そりゃ決まってる。敵を倒して皆を助けて、そんで・・・・・・
「そうだな。言えてる」
軽く笑って同意した。
両親の顔を思い出す。
通常の枠からあまりにも逸脱した自分を教え育ててくれた、きっと自分には見せない苦労を数え切れない程にかけてしまった父と母。
───そういえば最近顔見せてなかったな。
そんな事を思った。
「ごめん。ヒーローにはなれなかった」
決壊する天井。
上からひしゃげるように崩落してくる土砂に彼らは纏めて呑み込まれた。
呑まれていく。
呑み込まれていく。
彼らが守ろうとしていたものが。
彼女らが積み上げてきた全てが。
「駄目だタキオン、僕を下ろして逃げて!」
「黙りたまえよ。舌を噛むぞ」
「大丈夫、危なくなったら私が運ぶ!」
自分のトレーナーを担いで全力で駆けるアグネスタキオンと折紙のような式神に乗って飛ぶマンハッタンカフェのトレーナー。その周囲には気絶した何人かのウマ娘達が同じように式神に乗せられていた。
「いずれこの地下全てが崩落するだろう。どこかに抜け道がないと私達は揃って生き埋めになる」
「この地下にはいくつか非常口がある! この崩落でほとんど埋まってるだろうけど最下層の非常階段はまだ生きてるはずだ!」
「なるほど? 地下にトレーナーを集めてどうするのかと思っていたけど、そこから逃走するつもりだったんだねぇ・・・・・・!」
その非常口から外に出るには長い階段を登る必要があるが、それでもある程度施設から独立した非常階段が生き残る可能性は高い。
希望の糸口が見えたからかタキオンの走りに力が籠るが、その脚は即座に停止することになる。
先行して逃げていたはずのウマ娘達が、通路いっぱいに立ち往生していたからだ。
「何を立ち止まっているんだい!? さっさと先に逃げたまえよ!!」
「
凍り付いた。
死の崩落はすぐ後ろにまで迫っていた。