ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
「《
マンハッタンカフェのトレーナーの懐から躍り出た呪符の群れが宙に立体的な方陣を描き、通路に分厚い『力』の障壁を生み出した。
障壁に阻まれ停止する土石流。しかし地鳴りは止まらない。もう
───詰みだ。
血の気の失せた顔で唇を戦慄かせるタキオンに彼のトレーナーは静かに問う。
鉄のように硬いが力みもない、腹を括った者の声だった。
「タキオン。あの薬は持ってるよね?」
「あの薬・・・・・・、!? も、持っている訳がないだろう!! あんなもの処分したに決まっているじゃないか!!」
「嘘だ。アレを安全に処理する方法はまだ見つかってない。あれっきり使っていないとしてもまだ残ってるはずだ」
「この騒ぎであんなもの持ち出せるはずがないだろう!! 学園も君も取り返しのつかない事になるような代物を!!」
「嘘だ! 危険極まるからこそ君は最も厳重に保管してる!! うっかり誰かが触れる事のないよう肌身離さず持ち歩く事で!!」
「嫌だ嫌だ!! 君の体質で受容は出来ても君の虚弱さでは薬効に耐えられないと判明しただろう!! あの時だって保険としてプラナリアの形質を取り込んだ上で君は生死の境を彷徨ったんだぞ!? あんな思いをするのは二度と御免だ!!」
「タキオン」
「
割り込むように叫んだのはマンハッタンカフェのトレーナーだ。
「身体の弱さが原因なら私の力でカバーする!! 手段があるなら今すぐ頼む!!」
「ふざけるなッ!! 私のトレーナー君に死ねと言うのかい!? 私達の破滅を煽るなら君から先に死んでもらおうか!!!」
「タキオン!!!」
彼女のトレーナーが彼女の肩を掴んで叫ぶ。
「今やらなくちゃ僕がトレーナーである意味がない!! 僕達の死は心臓が止まる事じゃない、君達の未来が潰れる事だ!!!」
「その未来に自分は存在しなくていいと本気で思っているのか君は!!?」
「違う!!!」
アグネスタキオンの呼吸が止まる。
虚弱体質とは思えないような力で自分の肩を掴む彼の目に浮かんでいたのは恐怖でも焦燥でも、命を捨てる悲壮さでもない。
あの時の自分が心底から惚れ込んだ、地の底から天を焦がすような狂気の色だった。
「僕は死ぬ為じゃない、生きる為にやろうとしてるんだ!! 僕をリノリウムの檻から出してくれた君の未来を、君が望んだ果ての景色を!!! 見ない内に終わってたまるか!!!」
時が止まったように感じた。
彼が自分を射止めたのがその狂気なら、彼に命を懸けさせるのも自分が惚れ込んだ狂気。
この執念は、この
───ずるいねぇ。
小さく呟いて、タキオンは頭頂部近くにある耳の根元に触れた。
右耳の根元に着けた、化学式を模した耳飾り。
するりと耳から外したそれを───、タキオンは、自らの口に含んだ。
「タキオン・・・・・・ッ!?」
「勘違いしないでくれたまえ。君の意思が翻らない事は理解している。今まで君を振り回した分、今は君に振り回されようじゃないか。しかし、だ」
愉快、興味、高揚、狂気。
彼女の笑顔はいつだって楽しそうだ。
そして彼女の未来がこれからも続くとして、もう数回もないだろう。
アグネスタキオンというウマ娘が、ここまで儚く笑うことは。
「あるいはこれで最期なんだ。せめて一人の少女の夢を叶えてくれたまえよ」
タキオンが口に含んだ髪飾りを噛み砕く。
中から溢れた薬液で口内を満たした彼女は、そのままトレーナーに密着して背伸びをした。
もう言葉はいらない。
彼女の想いを受け取ったトレーナーは、自分を見上げて目を閉じる彼女に顔を近付けた。
睫毛が触れ合った。
息遣いに触れた。
そして、唇が重なった。
暖かく柔らかい、そしてぎごちない感触の隙間から慣れ親しんだ味が流れ込む。
タキオンの耳飾りに封されていた禁忌。
口から口に移されたそれを飲み込んだ瞬間。
彼は
余計な事を考えている余裕はない。
彼らはやると決めた。だから自分もやる。
障壁を解除し、その分の力を遮二無二彼に注ぎ込んだ。
阻むものが無くなった土石流があっという間にマンハッタンカフェのトレーナーとその先にあるものを呑み込もうとする。
───後は頼んだ。
土石流に呑まれる直前、そんな遺言じみた思いを遺そうとした彼は、見た。
人ともウマ娘ともつかない混ざり物。
それでいて確かな神性を宿した混沌の姿を。
ウマ娘の可能性の果てに至る探究。
その過程でタキオンとトレーナーは全てのウマ娘に共通する三つの遺伝子を発見した。
彼が使う薬はその遺伝子の研究で生まれた副産物。ウマ娘という存在を解き明かすための検証の一環。
薬という形で生み出されたいくつもの可能性、その中で最も
───『00-17640401《Eclipse》』。
それは恐らくある種の禁忌。
アグネスタキオンとそのトレーナー、二人は現時点での到達点にそう名付けた。
生き物ではない声がした。
しかしそれは魂を込めた咆哮だった。
そして全てが引っ繰り返る。
下から上、地の底から天へ昇る『力』の奔流。
先刻に柱が振るった御技と同質のそれが、自分達を塞ぐもの全てを上へと吹き飛ばした。
天を揺るがして大地が空に消し飛ぶ。
青空を覆う土埃と共に生き埋めにされていた無数のトレーナーが米粒のように宙を舞った。
巨大な大穴と化した地下施設の底、全てを使い果たしたアグネスタキオンのトレーナーが意識を手放して崩れ落ちる。
それを受けたマンハッタンカフェのトレーナーは腰に下げていた霊薬入りの瓢箪に口をつけ、枯渇していた力を強引に補充。
呪符で作られた式神を無数に空に放ち、自由落下を始めていたトレーナー達を捕まえて地面に下ろした。
衝撃で意識を取り戻した者達が咳き込みながら目を覚まし、即座に状況を確認。
歩ける者は立ち上がり、歩けない者は身体を引き摺って穴の縁へ向かう。
自分の身体の状態よりも何よりも先に確認しなければならない事がある。
穴の縁から身を乗り出し、彼らはあらん限りの力で叫んだ。
「フルートリズム!! 無事か!!?」
「タヴァティムサ!! 返事をしてくれ!!」
「生きてるのかロングキャラバン!!!」
「デュオスヴェルーーーーーーッ!!!」
◆
「・・・・・・終わったな」
「わお。・・・・・・そうなの?」
地鳴りと共にもうもうと空に立ち昇る土埃をミスターシービーは目を丸くして見上げ、そのトレーナーは胸を撫で下ろす。
「ホッとしてるけど大丈夫?あれで終わったんだとしても皆かなり大変な事になってるんじゃない?きっとキミが大変なのはここからだよ」
「そうだな。でもウマ娘達は全員無事なはずだ。あの場にいる全員がやるべき事をやった。それだけを信じられればいい。
・・・・・・それよりシービー。俺としては一緒に皆を制圧してたはずの君がいきなり俺に襲いかかってきた理由が知りたいんだけど」
「あははっ、だって君のカポエイラ凄く面白いんだもの! ブラジルの格闘技なのに躰道や地躺拳まで混ざってる! 教えたのは私なのに私より自由だ。
「楽しんでもらえたなら何よりだけどね・・・・・・」
「うん、楽しかった!・・・・・・でもさ、技術体系がバラバラの格闘技を習得して混ぜるなんて、きっととんでもない訓練が必要だったでしょ?それこそその為に身体を一から作り直さなきゃいけないくらい」
そう言って彼女は彼の胸に指を這わせる。
湿度の乗った手つき、じっとりと熱の籠った上目遣い。舌で唇を舐めながら、ミスターシービーはトレーナーに身体を密着させた。
「アタシも見て触って確かめたいな。・・・・・・ベッドの上で隅々まで」
「・・・・・・卒業したらね」
顔を逸らしながらトレーナーはシービーを引き剥がす。不満そうに頬を膨らませる彼女だが、彼の心を差し切っていることを再確認して彼女はにんまりと笑みを深めた。
ミスターシービーとそのトレーナー。二人が卒業後の結婚を前提とした清い交際関係にあることは、トレセン学園公然の秘密である。
◆
「・・・・・・決着だなあ、アレは」
ボロボロのトレーナーが土埃の柱を見上げる。
何があったかは分からないが、全員がやるべき事をやり、守るべきものを守ったのだろう。
空に舞い上がるトレーナー達とそれを回収していく鳥のような何か。意味不明な光景だが、異常な状況に対応する動きがあるのを見ればそれは確信できる。
────ったく、俺は役立たずか。
自嘲の笑みを浮かべると同時に彼を動かしていたアドレナリンが切れる。糸が切れたようにその場に倒れようとしていた彼を抱き止めて支えた者がいた。
「シリウス・・・・・・あいつらは」
「安全な場所に動かしておいた。で、アンタは今からどうしたい」
「ひとまずあそこまで行く。まだ俺にもやれる事があるかもしれん」
迷わずそう言ったトレーナーに黙って肩を貸すシリウス。きょとんとした顔で彼女を見る彼に顔を向けず、真っ直ぐ前を見て彼女は言う。
「支えてやる。手出し無用と私を押し除けてまで我を通したなら、責任持って最後まで立て」
「・・・・・・はっはっは、そりゃ嬉しいな。じゃあ腰のポーチを開けてくれ。取って欲しいヤツがあるんだ」
頭に疑問符を浮かべながらシリウスシンボリは彼の腰のポーチに目を落とす。
開けてみるとやたらゴツゴツしたものが一杯に詰まっていた。どれを取ればいいのか分からないのでひとまず片手で掴めるだけ掴み取り───、そして目を剥いた。
硬直するシリウスの手からいくつか小瓶を取り、慣れた調子で注射器に薬を詰める。
「ま、こーいうのが必要なのさ。俺は《特能枠》みたいなビックリ人間じゃねえからなぁ」
「っ・・・・・・チッ! 保健室まで運ぶ、立つな寝てろ! 身の丈に合わねえ背伸びしてんじゃねえ!!」
「それは聞けねーなあ」
自分を抱えようとするシリウスの手を振り払い、慣れた手付きで静脈に針を刺す。
ただの誤魔化しだ。肉と骨は最奥から熱を発し続けている。身体の悲鳴を気力で抑え、支えを離れて一人立つ。
「死ぬ気で胸と肩肘を張るのよ。それが凡人の俺の矜持ってやつだ」
それだけ言って彼は行く。
罅割れて軋む身体を奮わせ渦中へと歩く彼の背中をシリウスはただ見つめていた。
それしか出来なかった。
心臓を貫いた稲妻と腹に灯った熱に圧倒されて、ただ胸を押さえて耐えるのに精一杯だったから。
◆
「そっか。負けたんだね」
校庭に立つトウカイテイオーがぽつりと呟く。
ウマ娘の聴力がトレーナー達の声を捉える。
ウマ娘達の名前を呼ぶ声。ウマ娘達の無事を問う声。どれもこれも必死な叫びで、ボロボロのはずの自分の身など考えてもいない。
上辺の誤魔化しと糾弾した彼らの意志は本物で、彼らの行動に一切の偽りはなくて。
自分達は、負けた。
過ちの全ての負債を、彼らに押し付けて。
靴底が砂利を踏む音が後ろから聞こえる。
抵抗する意思はない。
持てる全てで問いかけて、そして答えは示された。
「大好きだよ。トレーナー」
遺言のような言葉を聞き届けて。
拘束から抜け出したシンボリルドルフが、無抵抗のテイオーを抱き締めるように捕縛した。
◆
「どう、して・・・・・・」
地下施設だった大穴の底、円形に光さす頭上を見上げて呆然と言葉を漏らす。
穴の縁から自分達を見下ろすトレーナー達の叫びに、罵詈雑言は一つも含まれていなかった。
ただ自分達の無事を願う祈りのような切実さが、どこか現実味を伴わずに空から降り注いでくる。
「私たち、取り返しのつかない事をしたのに・・・・・・。私たちのせいで、みんな死んじゃうところだったのに・・・・・・、なんで私たちを・・・・・・」
「当然、じゃないか」
小さく掠れた男の声。
タキオンの膝の上に頭を乗せて横たわるトレーナーが、消耗し尽くした己に鞭打って答えを返す。
掲げ続けた信念を、ウマ娘達に示し続けた未来を、自分達は確かに証明したのだと。
彼ら全ての心を代弁するように、ボロボロの身体で彼は誇る。
「ぼくたちは、トレーナー、なんだから」
「・・・・・・ごめんなさい」
最初は小さな声だった。
そこかしこから嗚咽が聞こえた。
塗り潰されていた純粋な想いと捻じ曲がる前の真っ直ぐさをようやく彼女達は取り戻す。
止めどなく溢れる大粒の涙。
鼻水も涎も全てを垂れ流して喉を絞る姿は、産まれたばかりの赤子のようにも見えた。
「─────────ごめ゛ん゛な゛ざぁぁ゛あ゛ああぁ゛ぁ゛い゛ッッッ!!!!!!!」
何重にも重なった泣き声が地の底から届く。
自分達の呼びかけにあらん限りに叫び返してくる彼女らの声にトレーナー達は安堵した。
《レッドアネモネ作戦》、失敗。
怨恨、無し。
揺るがない愛を示された彼女たちの罪悪感の慟哭は、重なり響いて天へと昇る。
それはまるで、彼らの答えをかつて思い詰めた『彼女』に届けるかのように─────
いつまでも────
いつまでも─────────