ヒトの強さを無礼るなよ ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
『クソッ、何が起きてるんだ!』
『止まるな足を動かせ! 最終想定のアラートは鳴らないのか!?』
『この騒動だ、生徒会も何か想定外の事態に陥ってるのかも知れない!』
『とにかく捕まるな! 無線は使える、合流しなけりゃ話にならん!!』
窓の外から聞こえてくる怒号の群れ。
世界から切り離されたような沈黙に包まれた生徒会室で、最初に口を開いたのはエアグルーヴだった。
「・・・・・・どういう事だ」
「言ったままだよ。ボクもトレーナーを自分のものにしたいんだ。その為にこうして動いてる、ただそれだけ。他の皆と変わらないよ」
「この騒動の首謀者はお前なのか」
「違うよ。司令塔にはボクが収まっちゃったけど、誰かが企んだ訳じゃない。ボク含めて皆が抑え続けてた我慢が丁度いま爆発したんだと思う。学園そのものがウマ娘達が同じ時期に入ってきて似たような時期のレースを目指すっていう大きなルーティーンで構築されてるから、こういうことが同時に起こる事も有り得るんじゃない?」
「嘘だ。先程の会話からしてお前は少なくとも作戦の立案、それも生徒会の制圧という計画の中枢を担当している。自分が何を犯したか分かっているのか? 学園の転覆などテロリズムに等しい! 反省文や謹慎では済まんぞ
「んー、そういうのはやる前に言うから効くんじゃないかなー。そもそもボクだって中途半端な覚悟でやってないんだし」
色をなして叫ぶエアグルーヴとは対照的にテイオーの表情はまるで変わらない。
のらりくらりとまるで世間話をしているかのような調子で罪の追及を受け流す彼女は、何でもないような顔で更なる爆弾を投下する。
「フツーな感じで喋ってるけどさ、これでも大変だったんだよね。生徒会室のどこに何があるのかどんな機能の設備があるのかとか探ったり、遠回しに聞いても答えて貰えなかった質問を集めてヒミツにしてる事を逆算したりもしたしね。
けど正直分かった事は大して多くなくてさ。理事長もたづなさんも今は出張でいないからこうして2人を捕まえておけばひとまず安全かな?って思うんだけど。どうかな?」
「そうだな。
低い声と共にざわりと揺らぐ空気。
地面に押さえ込まれているシンボリルドルフがゆっくりと立ち上がり始めたのだ。
ウマ娘にしても信じ難い力だった。テイオーに従っているウマ娘たちが慌てて力を込めるが彼女の動きは止まらない。
その髪を獅子の如く揺らめかせる皇帝が、数トンのタイヤを引き摺る膂力を4人分も引き摺りながらテイオーへと迫っていく。
「ならば私自ら動こう。これでもトレセン学園の生徒を束ねる身だ、大抵のトレーナーに遅れを取らない力はある。まずは計画の全貌を聞かせて貰おうか」
「それをやったら他の子がこの大騒ぎを外部に通報しちゃうよ? ウマ娘とトレーナーの関係がセンシティブなだけにトレセン学園って情報が閉鎖的だから、そうなればあっという間に色んなところが群がってくる。カイチョーって卒業した後URAのポストが用意されてるよね? こんな騒ぎを知られたら初手から躓いちゃうよ?『全てのウマ娘が幸せに暮らせる世を創る』っていうカイチョーの夢」
「構わん、夢に至る道は1つと決まった訳ではない。この状況で自分のキャリアを優先するなどトップとして言語道断だ」
「そうだよね。カイチョーならそう言うよね」
その言葉にテイオーの肩を掴もうとしていたルドルフの手が止まる。
明らかに他の手を隠し持っている者の言い草だった。少なくとも力で引っ繰り返されようとしているこの状況を逆転できるだけの何かを。
ルドルフの警戒を感じ取ったテイオーがそこで切った手札は、しかし切り札というには余りにも邪悪だった。
「今どきペンに偽装した小型カメラなんて普通に買えるからさ、それで皆にあちこちで録画してリアルタイムでサーバーに保存してもらってるんだ。もっと具体的に言えば、邪魔したらその映像とこの計画に乗った子たちの名前も一緒にタレ込むぞっていうのがボクの手札なんだけど」
「名前もだと!? そんな事をしたら─────」
「やっぱり人数が多すぎて正確に把握できてなくて。もしかしたら参加してない子の名前も結構混ざってるかもしれないんだよね」
ろくでもないマスコミの多さはカイチョーも知ってるでしょ? と彼女は言う。
全員が言葉を失った。
つまり彼女は、邪魔をしたら何の罪もない生徒にも冤罪を吹っかけるぞと脅しているのだ。
こうなるともうルドルフは動けない。
無邪気な邪気と言うべきか無垢な邪悪と言うべきか、余りにも悪びれる事のないその様に、心に根差す倫理や良識が本能的な拒絶を発するのを感じるエアグルーヴ。
背筋を粟立たせる彼女の前で、しかし気後れなく相手を見据える者が1人。
薄紫の瞳に彼女を映し、静かな声でシンボリルドルフは語りかける。
「テイオー。これは何者かに脅迫されての事か?」
「ううん。ボク自身の意思」
「ここによく遊びに来たのは情報を引き出す為だったのか?」
「途中からはね。それまではカイチョーとお喋りしたかったからだよ。これは本当」
「トレーナーと強固な信頼を築いているのではなかったのか」
「うん。信じてくれてるよ。嫌になるくらい」
「・・・・・・何故だ、テイオー」
ここで初めてルドルフの表情が歪む。
痛恨に唇を噛み締める彼女は、この時だけは生徒達の長としての立場を忘れた。
それは裏切られていた悲しみか、気付いてやれなかった後悔か。
均衡の一線を容易く踏み越える程に内面が歪み果ててしまったテイオーを、それでも彼女は理解しようとした。
「信じているのなら、信じてくれていると分かっているのなら、何故こんなやり方を選んだ。力で捕らえて意のままにしようとする先に望んだものなど無い。テイオー。仮にこの暴動が成功したとしても、君が本当に欲しいものは何も──────」
「目に映しても貰えない苦しさがどうして
ぞわり、と。
トウカイテイオーの地の心が束の間無表情の影から姿を覗かせた。
仮面の下から這い出て来た怒りと憎しみ、声から滲み出る燃える重油のような感情が、穢れた刃となってルドルフとエアグルーヴの心臓を貫く。
しかし彼女の双眸が映しているのは目の前の2人ではなく、実を結ばなかった過去でも理想の未来ですらもない。
それは誰に、何に向けた言葉なのか。
己を阻むもの全てに手袋を投げるかのように、テイオーは想いと意思を独白のように突きつける。
「どれだけボクが好きだって言っても『身近な存在に錯覚してるだけ』とか『卒業すればもっといい人がいる』とか判で押したみたいに同じことばっか。他の子の話も聞いたけど、『トレーナー』って本当にマニュアルでもあるのかって位そう言うんだよね。それがイチバン無難なのかそれで凌いできたのか知らないけどさ、本気の気持ちを片手間であしらわれるのがどれだけ悲しいか考えた事あるのかな」
頑張れてるのも諦めずにいられるのもぜんぶトレーナーと一緒に走ってるからなのにね、とテイオーは中空に投げかける。
「ボクを対等に見て欲しかった。でもそうしては貰えなかった。まだ子供だなんてどうしようもない理由で向き合ってすらくれないのなら、こっちが胸ぐら掴むしかないじゃん」
「・・・・・・、」
「ここにきて諦めるなんてできない。愛が手に入らないのなら好きな
望んだ未来にならなくても、拭えない過去になったとしても─────、
───それでもボクらは、『今』が欲しい」
全員が押し黙った。
水色の奥に焼け付く彼女の覚悟にルドルフとエアグルーヴは息を呑み、2人を押さえ込んでいるウマ娘達の手に俄に力が篭る。
本気だった。トウカイテイオーは今まで築いてきた全てを犠牲にしてでもこの暴挙を成功させようとしている。
束の間だけ腹の底を曝け出した彼女は再び『仮面』を付け直し、最初と同じあっけらかんとした顔で机に腰掛けパタパタと脚を揺らす。
「ま、こんな風に策士みたいなこと言ってるけど、ボクがやれる事ってこうして2人を止める事だけなんだよね。
本当はもっとやれる事はあったのかもしれないけど、理事長とたづなさんの不在を狙うなら時間の余裕もそう無かったし。
だからここからのボクの仕事は皆を信じて待つことだけ。カイチョー達と同じだね」
「そう上手くはいかんぞ。スイッチを破壊してもその程度の事態は織り込んである。お前が壊したスイッチは一定時間ごとに」
バツン、と部屋の光量が下がった。
スイッチが切られた訳ではない。学園の電灯が、いや、全ての電子機器が一斉に落ちたのだ。
何が起きたのかを理解してエアグルーヴが色を失うと同時に、テイオーのスマホが着信を告げる。
「どうしたの?」
『電気止めたよ! どう? 復旧してない!?』
「うん切れてる。復旧もしないね」
『よかった、じゃあ予備電源も落とせたんだ! そっちはどう!?』
「カイチョーとエアグルーヴは止めてるよ。エアグルーヴが凄い顔してるから、詳しくは分かんないけど電力のストップはかなり効いたっぽい。じゃあ後は大急ぎで終わらせるだけだね。終わったらこっちを手伝ってほしいな。流石にこの2人に本気で暴れられたらこの人数でも逃げられなさそうだから」
『了解!! 何かあったらすぐ言って!!』
作戦の成功を予感しているのだろう、喜色に弾む電話口の声。
通話ボタンを切ったテイオーは今度こそ沈黙した2人を真っ直ぐに見据える。
「最初は愚痴を言い合うだけだった」
そう彼女は独白した。
「相手にされないのが辛いって子達で集まってたら、同じようなグループが他にもいる事に気付いた。
そんな集まりが合流して喋ってみたら、結果が出ない子どころか出してるはずの子もトレーナーに愛してもらえてない事が分かって、皆どうしたらいいのか分からなくなった。
だからボクらは爆発したんだ。
この『スキ』って気持ちが辛さになって、そこから怒りや憎しみに変わる前に」
ルドルフとエアグルーヴの呼吸が止まる。
自分も同じウマ娘だからこそ、自分にも同じ狂愛の芽がどこかにあるだろう事を自覚しているからこそテイオーがどれだけ本気かを理解してしまったのだ。
これはもう止まらない。
夢抱いた過去と掴むはずだった未来、その全てを
遊ぶように揺らしていた脚の動きを止め、テイオーは光の消えた双眸で学園の長たちを
「《レッドアネモネ作戦》。絶対に邪魔はさせないからね」
────『レッドアネモネ』。
それは数十年も前に自分のトレーナーと無理心中した、あの競走ウマ娘の名前だった。
『うまぴょい』という言葉がトレセン学園で曲名や歌詞ではなく、その手の行為を表す隠語として使われるようになってからどれだけの時が流れたのだろう。
自分自身を、ひいてはウマ娘を守るために手に入れたトレーナー達の強さが、結果として彼女らの想いを蔑ろにする因果の宿痾。
他方の倫理と他方の本能、捩れ固まり壊れつつある二重螺旋がここまでの歴史に是非を問う。
弱く脆い人間よ。
お前達が目指した最良はウマ娘にとっての何なのか、と。