懐かしい場所に帰る夢を見た。そこには大好きな人がいて、僕はその人を支えたいと考えるけど、決まってどうしたらいいかわからず、ただ見ているだけだった。
目を覚ますと、粗末な木の扉が目に入った。
頭の中にまるで濃い霧のような靄がかかっているようだ。何か大切なことを忘れているような気がする。だが、思い出せない。
そして身体は鉛のように重い。自分が何故この場所にいるのかわからないが、記憶が途切れるその前まで、中嶋陽子という女生徒と共にいた。こんなわけのわからない場所で、女性を一人にするわけにはいかない。咄嗟に起き上がって寝台から出ようと立ち上がると、そのまま膝が折れて身体が床に叩きつけられた。
元より身体は丈夫なほうではなかった。それにしても立てない程に衰弱して弱っていたつもりはない。
床の振動で、足音が近づいてくるのがわかった。
「高里くん、大丈夫?目が覚めたのなら、良かった」
「え……?中嶋さん、ですか?」
言動から、目の前の女性が中嶋陽子であるとわかるが、その髪や目の色は以前の彼女とは全く異なっていた。元より明るかった髪色は更に色味を増し緋色へと変化していた。瞳は深い緑。
陽子は目を見開き驚いている要の顔を見て苦笑した。それは驚きもするだろうと。顔の造形も多少変化し、今の自分はどう見ても全く別人なのだ。
「よくわからないけれど、こうなっていたの。高里くんだって、少し変わってるよ。全体的に細くなったし、髪の色は黒に近いけれど濃いグレー。それに少し髪が伸びている。肌の色は少し濃い。……不思議だね」
陽子はそう言って要に手を差し出した。人から向けられる善意を受けたのはいつぶりだろうか。自然と笑みが零れた。
「僕はどれくらい眠っていたんでしょうか。……それから、ここは何処ですか」
「三日目を覚まさなかった。ここは……私にも分からないけれど、これからどこかに連れて行かれるみたい。みんな、私たちのことを海客だというの……」
「連れていかれて………どうなるんでしょうか」
「……わからない」
もう一つ、足跡が近づいてきた。
「やっと目が覚めたか。お前たちは役所まで歩くんだ。早く身支度を整えろ」
中年といったところか、男が部屋の外から大声でそう言った。
「高里くんはまだ歩ける状態ではありません!」
「ったく、どきな!そう急かすんじゃないよ。この子らにはしっかり生きててもらわないといけないんだからね」
嗄れているがその男よりも大きな声。初老の女性はつかつかと要の寝台までやってくると、膝の上に盆を置いた。
「食べな」
「ありがとうございます」
「別に親切にしてやってるわけじゃないさ。おまえたち海客を役所に連れて行くとたんまり報奨金がもらえる。それだけだよ」
「あの、連れていかれたらどうなるんでしょうか?」
「さてね。王様は海客がお嫌いだからね。どうだか。今日は勘弁してやるから、明日は朝日が登ったらここを発つよ」
「わかりました」
この建物の住人らしい二人が立ち去ると、陽子と要は深妙な面持で互いに顔を見合わせた。
「また来るね。ゆっくり休んで」
陽子が部屋を出ると、要は出された食事に手をつけた。豆を塩で炊いてスープにしたようなもので、淡白だが空腹だからが美味しく感じた。
これまで食事の度に身体に取り込んでいた穢濁。それが減ったことに、要の影の中に潜む二匹は喜んだ。
要は考えた。このまま、彼らのいう役所に行っても良いのか。気にかかるのは、この世界の王様らしい人は自分たちのような「海客」を嫌っているという情報だ。嫌いなものを報奨金までかけて集めさせているとなれば、もしかすると良くないことが待ち受けているかもしれない。
その日の月は満月ではなくともまだ大きく、夜でも明かりなしで動くことができた。要はそっと陽子の部屋に入ると、声を潜めて名前を呼んだ。数回声をかけると、陽子の目が開いた。
「高里くん?!」
「シッ……中嶋さん、役所という場所は良くない気がします。逃げましょう」
「実は私も、そう思ってた。けれど、ケイキからもらった剣が……」
右も左も分からないこの世界では、持っていた方が良い代物だろう。要にも理解できた。
「どこにあるんですか?」
「たぶん、あのおばさんが持っていると思う」
「気づかれないように入るのはどうにかなっても、そこで物を探すのは……」
難しいだろう。
---タイキ、私が
床から女の声がした。
背後を振り返ると、そこには今までいなかった不思議な姿をした獣がいた。上体は人、下肢は豹、尾は蜥蜴、首は魚の白い女。陽子は思わず手で口を覆って後ずさった。
「君は……」
知っている気がした。だが、その名は喉から出てこない。その様子を見て、女は悲しそうに微笑み、薄い唇がゆっくりと動いた。
「汕子」
「汕子というの?」
「はい。私が取って参ります」
「では……お願いします」
よくはわからないが、床から出てきたあたりいざという時に逃げるのは容易だろう。汕子は床に溶けるように消えた。
汕子が消えたところで、ようやく陽子は声を上げた。
「高里くんって肝が座ってるよね……」
「はあ。……初めて、言われました」
もし一人でこの世界に来ていたとしたら、陽子はもっと慌てて、混乱していただろう。ほぼ初対面に等しい間柄でも、同じ場所から来た。ただそれだけでも心強い。
「汕子ってもしかしてケイキが置いていってくれたのかな」
汕子の姿は、ケイキの側に居た女性のようであり鳥のようでもある獣を彷彿とさせた。
「そうかもしないですね」
互いに普通の高校生だ。汕子がケイキの僕かもしれないと思うのは至極当然のことだった。