TS転生した元おじさん一般村娘。将来結婚相手になるだろうからと優しく接していた幼馴染が村を出た。そして十年後、立派になりすぎて帰ってきた。 作:パンデュ郞
他には誰もいない部屋の中、ここにきておじさんの体力は尽き果てました。
「つ、疲れた……」
用意された豪華なベッドの上に飛び込み、うつ伏せに横たわる。
ダイナ君やアルカナ様は叙勲式の後の宴に参加している。
貴族って大変なんだなぁ。ああいう付き合いはおじさんあまり得意じゃないよ。
飲みの場で可愛がられるって才能なんだよねぇ。
おじさんは苦しい思いが多かったよ。
「お疲れ様です。カメリア様」
「きゃん!」
変な声が出た。
背後から首筋をすすす、っと指で撫でられたのだ。
急いで体を回して背後を見ると、ベッドの縁にルピガナさんが腰かけていた。
音も座った時の揺れも感じなかったけれど、いつからそこに……?
部屋に誰もいないのは確認してたんですが?
「ふふっ、隙だらけでしたのでつい」
「……二回目はやらないでくださいね」
「残念。では、次は別の方法を考えておきますね」
この人は……。
拒絶したらしたで別の何かを用意するんだろうなと思わせてくる。
なんか、思うがままにされてるなぁ。
「大演説でしたね」
「……ここまで上手くいくとは思いませんでした」
不安要素は多くあった。
大前提として、顔を隠しているとはいえ、おじさんの正体が詳しくバレていないこと前提の作戦だった。
ダイナ君とこの町に来ているところは見られているわけだし、その時の状況からおじさんの身元を推察するのは難しい問題ではないはず。
背丈や声から情報を絞ることはできる。不可能ではないと考えていた。
次に、おじさんの立ち居振る舞いが少しでも“らしく”なければ成立しない。
ここに関してはマナー講師の方に感謝するべきなのかもしれない。
厳しかった分、色々と身には付いたからね……。
最後に、子爵がそもそも想定を超えて愚かだった場合。
小心者ということで、あそこで暴れることは流石にしないだろうという判断で近くまで行ったけれども、非常にリスクがある行動だった。
あそこで激高されて、おじさんのヴェールを奪われたりすれば一大事だ。
「ですね。私が知るカメリア様は、もっと慎重な方のはずでしたのに」
「うっ」
少しばかり棘がある言葉だった。
ルピガナさんはアルカナ様以上に遠回しに物を言う。
偏にこちらが理解できるとわかっているからなのだろうけれども。
それこそ、親に叱られている子供の気分だ。
「本当にここまでする必要があったのですか?」
「……」
本当の事を言うならば、他にも幾つか方法は思いついていた。
ただ、それらはあくまで指輪を取り戻すことだけに注力した場合の話。
その後の事まで考えると、これがベスト、だと思っている。
「もう逃げられませんよ」
幾重にも意味が重なり合った言葉だ。
逃げられなくなるとは何からだろう。
ダイナ君から? 謎の人物の正体を知りたがる貴族たちの追求から?
それとも――。
再び首飾りに通した指輪をそっと胸元から取り出して、ぎゅっと握りしめる。
「ルピガナさんは、どう思いますか?」
「さて、なにについてでしょうか?」
きょとんとわざとらしくとぼけた様子を示す。
こういう仕草は可愛らしく見えるのだから得な人だ。
「私の、お母さんについて」
ヘルモニア。指輪の裏に刻印されている名前について。
お父さんは何も語らなかった。
聖銀製っていう特別な品であることは知っていたのだろうか?
わからない。わかっているのは、お父さんはお母さんをとても深く愛していたということだけだ。
ルピガナさんは少しだけ考える素振りをみせてぶっきらぼうに言い放つ。
「誰でもいいじゃないですか」
「……え?」
あまりに意外な言葉だった。
アルカナ様でさえも、きっと驚くと思う。
「もちろん、聖銀の希少性を知らないわけではありませんよ」
「じゃ、じゃあどうして」
「その指輪の有無で、カメリア様がカメリア様でなくなることがありますか?」
それはあり得ない。あり得てはならない。
そう、彼女は断じた。
「指輪は指輪であり、母親は母親です。同時に、カメリア様はカメリア様なのですよ」
その事実だけは、何があっても揺るがないのだと。
ルピガナさんの翡翠色の瞳は、雄弁に語っていた。
哲学的だ。と思った。
彼女の言葉は続く。
「例えるなら、そうですね。一人の女性がいたとします」
ふい、と視線を斜め上へ向けて。
遠い昔話を聞かせるように、彼女の口は物語を紡ぎ出す。
「その人には熱望していたことがありました。子を持ち、育むことです」
「……その人に、子供はできたんですか?」
「――いいえ。むしろその逆、二度と子を産めぬ体になってしまいました」
むごい。
なんて話をするんだと思ったけれども……ルピガナさんの目はどこまでも優しく柔らかく。
遠くを見つめていた。
「けれども、その人はその人。他人に変わることはできないのですよ」
どんなに熱望していたものを失っても。
どんなに輝かしい現実が打ち砕かれても。
どれだけ強く願ったとしても。
人は他人にはなれないのだと。
大人が寝る前の子供に歌い聞かせる童話のように。
彼女は
「なら、どうすればいいんですか?」
「決まっています。その人にできることをやればいいのです」
例えば、生きること。
例えば、与えること。
例えば、愛すること。
何か一つでも成せば、その人はそれを成した人になれる。
逆に、何も成せなければ……誰にもなれずに打ち砕かれたままなのだと。
「もう一度聞きますね。ここまでする必要は、本当にありましたか?」
再び視線がこちらへと向けられる。
こちらの本心を見透かしたように、まっすぐと。
「……私は、汚い人です」
「ほう。それは興味深いですね。どうしてですか?」
「私の我儘のために、好意を抱いてくれている人を利用しました」
おじさんはダイナ君を利用した。
指輪を取り戻すために、じゃない。
おじさん自身が、何かになるために、だ。
「少しだけ、功名心があったんです。これだけの事すれば、きっと何者かになれるんじゃないかって」
「それで、望んだ何者かにはなれましたか?」
「…………」
なれた気はしない。
むしろ、撒いた火種の大きさに怖くなってきた。
もう後戻りはできない。
「いつだって、背伸びした後はバランスを崩すものです」
「ルピガナさんもバランスを崩したことが?」
「ありますよ? ええ、いっぱい火遊びしたものです」
やけになって町一つ滅ぼそうとしたこともあります。
だなんて、わかりきった冗談まで言い放って。
静かに笑うと、穏やかに笑って返してくれる。
「色々と言いましたが。より重要なのは、今がどうなのかです。気分は如何ですか?」
「不思議と、悪くはありません」
あれだけの事をやったのに。
悔やむわけでも。達成感を得るわけでもなく。
ただ、ただ、終わったんだなという実感だけがある。
「では、背伸びしてみた甲斐があったのではありませんか?」
「そうですかね?」
「ええ。だって、今は地に足がついているのでしょう?」
確かに。
今は、自分はああいうことをする人間じゃないなって思えている。
高揚感だとか、そういうのにうなされたとしても。
おじさんはおじさんだ。
なるほど、そういうことなのか。
ルピガナさんの言っていることが、ようやく腑に落ちた気がする。
これでいいのだ、と。
横たわっていた体を、そっと起こす。
不思議と気分は良かった。
「すみません。いえ、ありがとうございます」
「おやおや、これはお礼を頂かなければなりませんね?」
言いながら、舌なめずりして顔を寄せてくる。
咄嗟に自分で自分を抱きしめて防御姿勢を示してしまう。
「……体は許しませんよ?」
「あら、それは残念」
クスリと目の前で笑って、鼻先をツンとつつかれる。
その仕草がいかにも慣れきっていて、本当にこの人はと思わされる。
「愛とは、カメリア様が思うほど狭量ではないのですよ」
「あっ」
お父さんが何も言わなかった理由が、今の言葉でわかった気がした。
お父さんは何も言わなかったんじゃない。何も言えなかったんだ。
きっと、ただ、お父さんはお母さんを愛していたからで。
お母さんが何者だからとか、そういうのは関係なかったから。
……それが、お父さんにとってお母さんを愛しているということだったから。
お父さんは、お母さんに何者なのかなんて、聞いたことがなかったんじゃないかって。
「同時に、愛を受け取るかどうかはその人の自由です。ですが、受け取らないからと言って、与えられる愛が消えるわけではありません」
全ては愛なのです。だなんて、胡散臭い台詞を放って。
ルピガナさんは、ご機嫌そうに鼻歌を歌う。
本当にこの人は自由気ままだ。
でも、凄く気は楽になった気がする。
お母さんに引きずられなくてもいい。おじさんはおじさんでいいのだと。
愛、か。
いつかは、明確な答えを出さないといけないんだろうなぁ。
……少しだけ、考えてはいたのだ。
誓いさえ受けられれば、ダイナ君とはしばらく一緒にいられるな、とは。
果たして、これはどういう感情なのだろう。
幼いころからずっといて、色々あったけれど。
やっぱり、側にいて気が休まるのは彼なのだ。
果たして、これは愛なのだろうか?
ルピガナさんほど、気軽に愛を語る気持ちにはなれなかった。