超能力者がボディーガードとして働く話   作:goldMg

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トレセンってすげー

 

 というのが先日のことだ。

 

 2人の良い刺激になっただろうか。

 一周走り終えて戻ったら4人全員泣いてて怖かった。

 聞いてもなんでもないって言うから良く分からんし、俺が泣かせたみたいですごく気まずかったYO……

 警備員のおじさんとすれ違った時もゴミを見る目を向けられてしまった。

 おじさんなら分かってくれよお! 

 男にも色々あんだろお!? 

 

 それにしても一つ疑問な事がある。

 いくら競馬の魂を引き継いでるからって、あんな走り辛い芝で走る意味あるのか? 

 いいや、レース場によっては土のところもある──というのはどうでもよくて、なんでタータンにしないの? 

 

「それはだね! 仮に陸上競技用のタータンだとしても、スパイクシューズをウマ娘が使用すればすぐにタータンがズタボロになってしまうからさ! それならば滋養さえ行えば回復する芝生や土の方が、長期的に見れば安上がりということだよ!」

 

 トレーナーonlyのボディーガードと言いつつ、トレーナーがいない人気ウマ娘の護衛をやることもある。

 確かにウマ娘のファンってめちゃくちゃ多いもんな。

 多感な年頃の女の子達に大の大人がくっついて回る──ボディーガードでもストーカーでも大差ないストレスが掛かりそうなもんだけど、彼女についてはそこの心配はあまり要らないらしい。

 マイペースを極めたような性格だった。

 

「やはり地方ではウマ娘よりもトレーナーの意思決定の比重が高いな。精神の揺らぎから縋れる相手を求めてしまうのだろうか。だが……それこそが枷になっていると言わざるを得ないな。やはり観察するならば中央か」

 

 しかし走らない。

 遠方のレース場に来たというのに、やることと言えば専らウマ娘の観察。

 自分の足を労っているのとも違う。

 奇妙なのは、事前のミーティングでは気質がやや難しい子だと聞いていたのに普通に会話ができる。

 

 普通と違うのは、その魂だ。

 既に限界まで達した輝きが意味するところは、(おの)が限界に到達しているということ。

 未熟な肉体にも関わらずと極めてアンバランスだけど、それはつまり、自らの肉体の限界を把握しているということに他ならない。

 天性の才能か、あるいは研究でもしていたか。

 白衣(その格好)からして後者だろう。

 

 限界に1人で到達すること。

 それ自体は、稀だけど初めてってわけじゃない。

 生徒会長である彼女もそうであるように、他の例はある。

 だけど、限界を超えた先へ行く事はできない。

 その為には他者の力がいる。

 

 トレーナーだ。

 

 多くのウマ娘を見た。

 その魂を見た。

 どれも美しく彩られていて──それでも、トレーナーと共に歩むウマ娘は格が違う。

 早きも遅きも、トレーナーの魂と共鳴して更なる高鳴りを見せてくれた。

 

 この中央トレセンでもそれは変わらない。

 美しさは揺らがない。

 

 だから、彼女も相手を見つけるべきだ。

 内なる世界に閉じこもるんじゃなくて、外なる世界からやって来た誰かに壁を壊してもらう事が必要だ。

 データを超えたところにある所へ辿り着くためにも。

 

「ところで!」

 

 白衣からは化学薬品のような匂いがする。

 トレセン内でそういう実験もしているらしいから、その影響だろう。

 

「キミは人間の身でありながら、ウマ娘と同等以上の肉体を有しているらしいじゃあないか!」

 

 どこで知ったんだろう。

 ビラ撒いたりしてないのに。

 

「はーはっはっは! 噂さ!」

 

 トレーナーは警護対象であって友達じゃない。

 そしてトレセンの花形はウマ娘とトレーナーだからヒエラルキーも違う。

 違うラインの中で生きている奴らの噂なんか知らないんだよなあ。

 

「トレセンにも七不思議というやつがあるのさ! そこに、最近新しい不思議が追加されたというじゃないか!」

 

 なんだろう。

 ウマ娘が恋をすると強くなるとかだろうか。

 というかそんなの初めて知ったな。

 

「ずっとボケるのは辞めたまえよ? 分かっているだろうに……トレセンの中には、男でありながらウマ娘に追いつける者がいるという噂話さ。そして、多くの目撃談などから総合的に判断して……キミがそうだと私は結論付けた!」

 

 どうやら彼女は善良なマッドサイエンティストのようで、俺のデータを取らせて欲しいと口で言って来た。

 しかしウマ娘の発展に寄与するためと言われても、あまり食指が動かない。

 そもそも過去に幾度となく実験対象にされて来たし、その上で何も解明されなかった。

 超能力を科学で解き明かそうとするのが無茶な話なんだ。

 

「否定はしないんだねえ! 俄然興味が湧いて来た! どうだい、キミもトレセンにいる身だ。ウマ娘の栄光には興味があるだろう? 是非、実験に協力してもらいたい!」

 

 勿論NOだ。

 根本的な話として、トレセンのウマ娘と警護関係以外で関わることは禁止されている。

 クビになったらシャレにならん。

 

「おやおや、噂の超人類くんは随分と世俗的だね」

 

 俗人が世俗的で何が悪いんだ(憤慨)

 ウィンドとハヅキの為に来たんだから、それ以外は二の次に決まってる。

 

「ふむ……」

 

 納得してくれたらしい。

 

 

 ──────

 

 

 土曜日。

 ボディーガードつってもガチガチのやつじゃないし専属でもないので、休日はある。

 朝早くから洗濯物を干して、好きに使っていいと言われた花壇に大根とかトマトとか色々植えていたらハヅキがやってきた。

 例の白衣ウマ娘──アグネスタキオンも一緒だ。

 

 ウィンドの末脚を伸ばす為にタキオンが協力を申し出た……? 

 一を連れてきたんだから二の次だろうが三の次だろうが協力しろよって話か。

 良い度胸だ、殺すのは最後にしてやる。

 ……冗談だぞ? 

 警護対象を殺すボディーガードがいたら世の中の構造変わっちゃうだろ。

 

 何してたのって……食費浮かす為に野菜植えてたんだよ。

 好きに使って良いって理事長から許可取ってるし。

 ……いや貧乏じゃないから。

 トマトとかわざわざ買うくらいなら育てた方がいいだろ? 

 ニンジンだって品種が多いし。

 

 食堂……? 

 

 トレーナーとウマ娘が激安爆盛り園内食堂を使っている事は知っていた。

 だけどまさか、ボディーガード達も使っていたなんて〜! 

 でもほら、ボディーガードも女の子達ばっかりだから、男を誘うってなると勇気がいるんだよきっと。

 ……違うもん! ハブられてるわけじゃないもん! 

 

 閑話休題。

 具体的な相談内容は、ウィンドの末脚の事だそうだ。

 

 末脚というのはつまりラストスパートのことだった筈だ。

 スタミナと筋力を伸ばすってことじゃないのか。

 ふむふむ……ふむふむ…………なるほどねえ。

 

 要約すると、全部のステータスを伸ばす時間はないから今回は長所を伸ばすらしい。

 ウィンドの長所は馬場による走りの乱れがないこと。

 風が吹いてる時は調子が良くなること。

 俺が協力するとしたら……ウィンドが走る時は天候を大荒れにして、風を吹かせまくるとか? 

 ……ダメ? 

 

 ちなみにアグネスタキオンにはどんな協力をしてもらうんだ? 

 アグネスタキオンが作った薬の提供? …………アグネスタキオンが作った薬の提供!!?!? 

 いやいや、ドヤ顔で言うことじゃないよね。

 効く効かないは置いといて、そもそも法律的に大丈夫? それ。

 あとウィンドの身体は大丈夫? 

 薬って勝手に作って人の体で試して良いの? 

 そもそも何でそこの方面で頼ろうと思ったの? 

 ──確かに! 俺が最初に飲めば良いじゃん! 

 バカか。

 でも飲みます。

 

 うわああ! 体が光り始めた! 

 これはまさかオロシャヒカリダケの効果!? 

 それとも超高濃度のウランとかじゃねえよな! 

 ウィンドが光ったらどうすんだよ! 可愛いからいいか! 

 ……ちなみに効能は? 

 疲れてない俺に、どうして疲労回復薬を……? 

 

 アグネスタキオンが予想以上にサイコな事は分かったけど、細かいことを気にしても仕方ない。

 とりあえず薬を片っ端から飲んでいくことにした結果、身体が光るだけならいい方で、左眼だけ見えなくなったり超能力が暴走しそうになったりと、かなりアレな薬が多かった。

 ただ、効果を確かに感じるものもあるのでチョイスさえ間違えなければ意外と悪くないのかも。

 即効性がありすぎて怖いけど。

 

 副作用、これ普通の人間だったら死ぬレベルだったりするのかな……

 

 そういえば、これってどっちへの協力なんだ? 

 無料の治験って考えればアグネスだし、使用者が危なくないようにって考えればウィンド側。

 相殺でいいか? 

 ……走ってるところを見たい程度なら別にいいけど、真っ昼間だしなあ。

 

 アグネス! ちょっとこっち! 

 ……変な話じゃないから早よ来い! 

 …………2人は来なくていい! 

 

 ──日曜日。

 

 今度こそ休日だ。

 昨日はアグネスタキオンに付き合って大変だったから今度こそ息抜きに出かけることにした。

 まずは商店街だ。

 トレセンがそこにあるというだけで周辺は栄える。

 地方でも見られたけど、都市部はさらに顕著だ。

 府中が都市部かは置いといて。

 

「ニンジン安いよー!」

 

「ニンジンが安いよー!」

 

「今日はニンジンが安いよー!」

 

 売る気を微塵も感じられない商店街の声かけ。

 しかし買う人は買うので関係ないのかもしれない。

 店頭を見れば、どこの店でもニンジンを加工したおやつが売っている。

 そんな商店街の店々がニンジンの供給過多で潰れないのは、ひとえにウマ娘のおかげだろう。

 

 ウマ娘の全てがトレセンに入るわけじゃない。

 むしろほとんどのウマ娘は普通の人間と同じようなルートで人生を進む。

 そして彼女達はニンジンが大好きだ。

 

 馬っていうか兎ですやん。

 そもそも馬ってニンジンが好きなのか? 

 もう、それを調べることすらできない。

 一つわかるのは、ニンジン食べるようになったのは最近だろうなってこと。

 品種改良される前のニンジンとか絶対ゴミだろ。

 

 しかしこの世界のニンジンは美味いので食べたくなるのもわかる。

 なんかこう……ガチったんだろうなってのが伝わってくるレパートリーだ。

 ジャガイモとかコメみたいな。

 

「毎度!」

 

 蒸かしニンジンなどというものも存在する。

 これがとんでもなく甘くて、安納芋を想起させるほどだ。

 外側の硬い薄皮は剥かれていないので指先で剥がしていくと、ホクホクの中身が現れる。

 店の前でモシャっていたら、いつの間にか周囲の買い物客も買っていた。

 やっぱり人気商品らしい。

 

「兄ちゃん最近よく見かけるけど引っ越してきたのかい? もしかして……トレーナーさんだったりするのかい!?」

 

 変な誤解をされたくなかったので、トレセンに出入りする業者ではあるけどトレーナーじゃないと答えておいた。

 あまりにも完璧すぎる回答にデイヴィッドも大拍手だ。

 Bravo! Bro! 

 

「ほえー、もしかして──さんのところかい?」

 

 誰だ。

 

「トレセンの食堂に卸してる所でね、商店街の会長さんがそこの社長さんなんだよ」

 

 休日だからか、商店街を歩くウマ娘も増えてきた。

 全員が全員休日までトレーニングするようなトレ狂いってわけじゃないか。

 というか休日にトレーニングして疲労は大丈夫なのかしら。

 整体の勉強してハヅキにマッサージしてやろう。

 ウィンドの身体のことはハヅキに任せたから、俺はハヅキの身体を担当するぜ。

 俺の身体はウィンドに任せた。

 

「おっ! ウマ娘の子たちも増えてきたな! いつも元気もらってるんだし、今日も頑張るか!」

 

 商店街は栄えているけど、逆に言うとそれ以外は大した事ない。

 まあ府中だし、そんなもんだ。

 ゲーセンやカラオケくらいかな遊興地は。

 それでも、この街には休日を潰すための最高の場所がある。

 

「いっちに! いっちに!」

 

「いっちに! いっちに!」

 

「良い調子だよー! みんなそのままねー!」

 

「「「はーい!」」」

 

 河岸だ。

 涼やかな風が初夏の熱を冷ますように流れ、それでもと照りつける陽射しの下、トレセンに入る前の幼いウマ耳が揺れている。

 堤から芝に下る為の階段はちょうど良い椅子だ。

 買ったばかりのニンジンジュースやニンジンのサラダを食べて川面を眺めていたら、子供達が集まってきた。

 ニンジンの誘惑に勝てなかったらしい。

 鳩の餌付けみたいだな、なんて思いながら分ければコーチの元に戻っていく。

 遠くから律儀に頭を下げてくるので軽く手を振ると、何故かコーチも寄ってきた。

 

「あ、あのお……」

 

 申し訳なさそうにしながら、そのウマ耳には引く気がないようだった。

 尻尾も揺れ、オレがケツを乗せた石段の二つ下、足のすぐ脇に置かれている紙袋に積まれたニンジン飴から視線が離れない。

 一つ渡す。

 

「ありがとうございます!」

 

 コーチをしていたのは、恐らくトレセンのウマ娘だった。

 左脚を引きずっている。

 自然治癒は見込めないであろう内部的損傷が見られた。

 その作りはウィンドよりも余程できているのに。

 煌めきが全身から溢れているのに。

 きっと良いレースを見せてくれた筈なのに。

 

 何となく日曜日は毎週観にくるようになった。

 よく考えなくても気持ち悪い事してる自覚はあったけど、美しいんだから仕方ない。

 どの週でも彼女の脚に治癒の兆しは無く、彼女のトレーナーの姿もなかった。

 それが何だか寂しかった。

 

 だからと言って何をするわけでもない。

 ただ見るだけだ。

 そんなことをしていれば、当然不審がられる。

 毎週見にきている理由を直接聞かれた。

 この際なので、俺も洗いざらい聞いてみる事にした。

 脚のこと。

 トレーナーのこと。

 

「…………」

 

 弾き結ばれた唇はわずかな震えを持って上下した。

 先程までの不安は何処かへ行き、残されたのは切なそうに俯く1人の少女だけ。

 ここにいたのが俺じゃなくてハヅキだったら、もしかして心を救えたのか? 

 それも分からない。

 俺にできるのは、せめて彼女の脚に触れることだけだった。

 

「──!?」

 

 顔面への蹴りを受け止め、謝罪を告げてその場を後にした。

 綺麗なウマソウルだった。

 そして、良い蹴りだった。

 真っ直ぐで、穢れがなくて、どこまでも進んでいける脚だ。

 

 

 ──────

 

 

 仕事は順調で単調だ。

 誰かに付いて回り、不審人物の有無を確認。

 いたなら排除して何もなければ何もなし。

 忙しいとすら感じない。

 こんなので金もらっていんすか?! 

 

 とか言ってたら強化外骨格軍団が現れた。

 表に出してくれたらボディーガードなんかいらなくなるのになあ……なんて。

 近未来的なシルエットだけど、流石に雷を放ったり周囲を凍らせたりできるわけじゃない。

 ただ速くて重くて硬いだけ。

 まだSFに出てくるような万能の鎧ってわけじゃないから、雷シビビビ〜ってやれば面白いように動かなくなっていく。

 

 ……バケモノ? 

 オレが? 

 だからどうしたの? 

 こんな目に遭いたくないなら関わらなきゃ良いのに……。

 秩序の為だの科学の発展の為だの危険因子を排除する為だの、お為ごかしに付き合うのはもう飽きたんだよね。

 そういう思想の奴らがいっぱいいて、しかも別々の組織で……お前らがみんな協力して世界を本気で良くしようとすれば何かが変わったもしれない。

 それなのに俺の力にばかり執着するんだから、結局のところ本気で世界を良くしようだなんて思ってないんだろ。

 まあ安心して良いよ。

 何が起こっても事故って事になるんだから。

 いつもそうだっただろ? 

 悪役らしく大爆発で終わろうか。

 

『依然として、先週の爆発事故の原因は掴めておりません。警察関係者の情報提供によると、ガス爆発にしては不審な点が──』

 

 月曜日のニュースは爆発事故についてで持ち切りだった。

 周辺にあった建物には被害がなかったけど、原因究明のために調査中とのこと。

 商店街からも不安の声がインタビューで上がっている。

 複数の爆発事故が府中近くで起きていることについて、大きな話題になっているようだ。

 

「──単刀直入に聞きたい! 例の爆発はキミが関係しているのか?」

 

 そうくるか。

 

「キミについてのさまざまな噂は我々も把握している。個人的な事情が関わっているのかもしれないが……心配ぐらいはさせてもらえないか?」

 

 善人だ。

 それも根っからの。

 2人とも、ウマ娘の未来のことを想ってこそ激務に身を投じている。

 そこに余計な物を挟むのはやはり憚られた。

 だけど、勝手に調査された結果として場がこじれるのは良くない。

 俺のことを狙っている連中がいるということだけは伝えておく事にした。

 トレセンに危害が加わるような方向に進んだら出ていくとも。

 

「気遣いは不要! 知っての通りボディーガードを導入しているし、警備員もいるからな! 警察への通報も迅速に──」

 

 上手く伝わっていなかったので、窓から空に向けて雷を混ぜた大火球を放った。

 ……伝わったな! よし! 

 あれは理事長提案の花火の試し打ちだ! 

 

 ウィンドは6月くらいにデビュー戦だ。

 俺も頑張って警護するぞ! 

 

 

 ──────

 

 

『こちらは中山レース場。メイクデビュー戦が間も無く開始となります。既に各ウマ娘はレース場に出ておりますが天候はあいにくの雨。馬場状態も不良という中でデビュー戦を飾る事になってしまったのは不運という他ありませんが、いかにレース展開を組み立てていくか注目したい所です』

 

『さあ全ての選手がゲートイン。各々の夢に向かうための第一歩。メイクデビュー戦がすぐにも始まります』

 

『──スタート!』

 

『不良馬場のデビュー戦、泥濘に足を取られてか列が乱れながらの出走となりました。先頭につけるのは4番オールウィンド。2馬身差開けて二番手は5番スフィンクスウェーブ、後ろにピッタリと張り付いて三番手は1番ブレンドホープ、右後方四番手8番オルタナ、並ぶように五番手2番ウィスパーボイス──』

 

『一つ目の曲線を回る間に後続が距離をやや詰めました。先頭が第二コーナーに差し掛かるところ、一番手は変わらずオールウィンド』

 

『向正面です。下りということでレース全体が加速していきます。8番オルタナがスーッと伸びてスフィンクスウェーブとブレンドホープを追い抜きましたが、レース全体は縦に長い状況。後続の選手はここから上がれるか』

 

『第四コーナー回って、400m足らずの最後の直前に先頭オールウィンドがさしかかります。おっと、ここで更にリードを伸ばしにきました! ぐんぐんと二番手以降との差を広げ、4、5……6バ身差でのフィニッシュとなりました!』

 

『着順が確定いたしました。一着、オールウィンド。二着、ウィスパーボイス。三着──』

 

「わああああ! ウィンドォォォオオオ!」

 

 ウィンドが一着! 

 一着を取った! 

 メイクデビュー! 

 ライブだ! 

 まだ衣装は出来てないけど、ライブだ! 

 

「ウィンド〜!」

 

「お姉ちゃん!」

 

 雨で濡れそぼったウィンドを抱きしめた。

 すぐに乾かしてあげなきゃ。

 ……ライブだ! 

 ウィンドの初めてのライブ! 

 ダンス、いっぱい練習したんだからちゃんと見なきゃ! 

 

「──やったねウィンド!」

 

「ふふ、もう分かったって」

 

「やったよウィンド!」

 

「もー!」

 

 控え室で、何度も同じことを繰り返して言った。

 浮き足立っていた。

 どこか世界が遠く感じられた。

 正直ここ1週間はすごく緊張して、日常のことすらちゃんと出来ていなかった。

 なるべく自分の力で──なんて思ってたのに、結局お兄ちゃんに色々頼ってたように思う。

 

 だけど……

 

『全部見る!』

 

 とか言ってたお兄ちゃんは観客席には見当たらなかった。

 メイクデビュー戦は人が少ないから、いれば見つかるはずなのに。

 仕事だとも聞いてない。

 ウィンドもガッカリしていたけど──ライブが始まって気付いた。

 

『響けファンファーレ♪ 届けゴールまで♪ 輝く未来を──』

 

「──うおおおおおお! ウィンドォォオオ!」

 

『ぶっ! ちょっ……い、一番目指して♪』

 

 なんかいる。

 当たり前の顔して立ってる。

 どぎついピンクの法被には右胸にウィンドLOVE、左胸にハヅキLOVEって刺繍。

 両手にはそれぞれ裏表が法被と同じく描かれた団扇。

 ウィンドはわかるけど何で私も? 

 やめて欲しい。

 というかやめさせよう、うん。

 

「ウィンド〜! こっち見て〜!」

 

「お兄──げふんげふん、ヒビキくん?」

 

「……ハヅキ!」

 

「きゃっ!?」

 

 ブワッと、昔懐かしい香りがすごく近くに来た。

 どういう状態か確かめる必要すらなかった。

 頭が沸騰しそうだった。

 慌てて突き放す。

 

「し、しんじらんない! 人前で……だ、だきしめるなんて!」

 

「ごめんごめん、つい感極まって」

 

「ごめんで済んだら警察はいらないの!」

 

「自分たちだってさっきは抱きしめ合ってたくせに……」

 

「私たちはいーの!」

 

 なんでこう、男の人って子供っぽいんだろう。

 お兄ちゃんも普段はもっと大人だし、いろいろ助けてくれるのに。

 ……幼馴染だって言っても私は女で向こうは男なのに、そういうの気にならないのかな。

 

「うおー! カッコよかったぞウィンドー!」

 

 ちらっと見た横顔は、さっきの事なんか本当に何でもないみたいに目を輝かせてウィンドを見ている。

 ウィンドだけをまっすぐに。

 

「可愛いぞウィ──?」

 

 脇腹をこづいたら不思議そうに私の方を見ていた。

 少しだけスッとしたので私もウィンドを応援。

 

「ウィンド〜! 可愛いよー!」

 

 こっちを見てウィンクしてくれた。

 ウィンドかわいいよウィンド。

 

『──最高だけ目指してゆこう〜♪』

 

「うぅぉぉおあああああ!」

 

 お兄ちゃんは最初から最後までうるさかったけど、ウィンドが嬉しそうだからいいかな。

 でもトレーナーとしての威厳が減った気が……

 

 ライブが終わると、控え室に腕を引っ張って連れて行った。

 俺入っちゃダメだろ……とか知らない。

 ウィンドも言いたいことがあるよね。

 

「ウィンド! 中央トレセンでのメイクデビュー戦勝利おめでと──」

 

「ヒーくんはしゃぎすぎ! みんな引いてたじゃん!」

 

「え……い、いや、だって初めてのライブだったから……テンション上がっちゃって……」

 

「というかレースの時はいなかったのに何で!?」

 

「……ん? いや、見てたぞ」

 

「え?」

 

 全然気付かなかったけど、実はレース場内にいたらしい。

 どこに? 

 

「始まる直前ギリギリに着いてさ、入り口のところから見てたんだよ。コレ、サプライズにしたいからこっそりしてた」

 

「……コレ禁止!」

 

「え……?」

 

「恥ずかしいもん! せめて普通にしててよ!」

 

「ええっ!?」

 

「目立ちすぎて集中できないの! ヒーくんに見られてるって思っちゃうから!」

 

「あーそれはまずいか……分かった、やめるわ」

 

「なんでよ!」

 

「え……?」

 

「もっと、こう…………それでも俺はコレを着たい! くらい言ってよ!」

 

「ええっ!?」

 

 ウィンドが無茶苦茶なことを言い出したので間に入った。

 なんだかんだで、応援の法被まで作ってくれたのは嬉しかったんだと思う。

 それでも恥ずかしいって気持ちは本当で……私も恥ずかしかった。

 身内だと思われたくないなって思っちゃったし。

 

「うう……頑張って作ったのに……」

 

 でも、脱いで泣きながら紙袋にしまう姿を見てたらちょっと思うところも出てきた。

 実際、私達のためにやってくれたってのは嬉しかったし、どうしようかな……

 

「「……」」

 

 ウィンドがちょうど私のことを見ていた。

 それだけで、何となく気持ちが伝わってくる。

 きっと同じような目をしていたんだと思う。

 

「あー……んんっ、ヒーくん?」

 

「?」

 

「その法被、恥ずかしかったのは本当だけどさ……私達のために作ってくれたんでしょ?」

 

「おう」

 

「だから気持ちは嬉しかったよ、ありがとっ!」

 

「──ウィンド!」

 

「ストーップ!」

 

「!?」

 

 この人は本当にこういう時のデリカシーとかそういうのが欠けてるというか、いつまでも昔のまんまなので一周回って安心するというか。

 ウィンドは今の今までライブだったわけで。

 激しく踊って歌っていたわけで。

 今抱きしめたらどうなるか、という想像が足りない。

 

「今はダメだから!」

 

「な、なんでっ!?」

 

 仕方ない。

 どうせこのままだと『この溢れる気持ちをどこにぶつければ!?』とか言い出すだけだよね。

 私は寛大なのです。

 仕方ない。

 

「この溢れる気持ちをどこにぶつければ!?」

 

「ヒビキくん、ヒビキくん」

 

「──ハヅんぐええっ!」

 

 お兄ちゃんのシャツの襟が千切れんばかりに伸びている。

 ウィンドと再び視線が交錯した。

 

「私の代わりにお姉ちゃんを使うのは違うんじゃないかな〜って」

 

「大丈夫、私だって応援の法被と団扇作ってもらってるんだし代わりじゃないよ」

 

「でもほら、ヒーくん汗臭いかも」

 

「そうかな。確かめたいから離してあげて?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 一旦、引き分けとした。

 

「俺って汗臭いのか……?」

 

「かも、だから確定じゃないよ」

 

「どういう意味なんだそれ……」

 

 今日は終わり。

 お兄ちゃんも仕事は片付けてきたらしいから、奢りで食べることになった。

 お母さん達も来るらしい。

 用意周到だ。

 

「えーと……2人がメイクデビュー戦で無事勝利を収めたので祝勝会を開かさせていただきます! 乾杯!」

 

「「「かんぱーい!」」」

 

 お肉、魚、野菜。

 なんでも来い! 

 飲み物もたくさん! 

 私は、折角なので札幌産高級にんじんジュースにした。

 北海道の名前が入ってるだけで美味しそうに思えるの、何でだろうね。

 

「こんな良いところ、メイクデビュー戦でなんて勿体無い気がするなあ〜……どうせならもっと良いレースで勝ってからでも良かったのに」

 

「そんな事を言う悪い子はコレを食べなさい。あーん」

 

「あーん!」

 

 それはずるい。

 

「今日の食材はヘルシーなのばかりだから、いつもよりも沢山食べられるぞ」

 

「ケーキも食べて良いの!?」

 

「食べれば良し!」

 

「わーい!」

 

 あんまり甘やかしが酷いようなら止めないといけない。

 コレから調整やトレーニングが本格化するっていうのに、いきなりデブウィンドになったら色々崩れちゃうんだから。

 

「ハヅキ」

 

「……な、なに?」

 

「ハヅキも食べな。まだ育ち盛りなんだから」

 

「子供扱いしないで」

 

「子供扱いはしてないぞ。俺も育ち盛りではあるし」

 

「……」

 

「ほら、あーん」

 

「…………あー「いただきっ!」」

 

 ……は? 

 

「おいしーね!」

 

「お、おう」

 

 は? 

 は? 

 は? 

 

「……ハヅキ、まだあるから。折角の祝勝会なんだからにーって! ほら、にーっ! 美味しいの食べようぜ」

 

「…………」

 

「ウィンド! めっ!」

 

 確かにお兄ちゃんの言う通りだ。

 今日は祝勝会。

 こんな些細な事で怒っていたらトレーナーとしての威厳が立たない。

 今はご飯を楽しもう。

 

「ハヅキ、あーん」

 

「あーん…………うん、美味しい」

 

「まだまだあるからな」

 

 ケーキは口に入った瞬間から昼間の疲労やイライラを甘さで包み込んでくれた。

 咀嚼するほど感情の峰が削れていく。

 こうなったら食べたい物全部食べるぞ! 

 

「そっちのやつ食べたいかも」

 

「あっちの」

 

「それも」

 

「コレ追加〜!」

 

 

 ──────

 

 

 ハヅキが最近めちゃ大変そう。

 夜遅くまで2人のミーティング室の明かりがついていて、コッソリ行くと目の下を真っ黒にしながらパソコンカタカタしてる。

 ウィンドの為だってのは分かるけど、それでハヅキが不摂生になるのは待って欲しい。

 俺は仕事に関わってやることはできない。

 せめて飯を買ってきたり体力を分けたりして、ついでに一緒にいたい。

 気を散らしてしまうようであれば特に何もしないつもりだったので、それとなーく確認は怠らない。

 なーハヅキ! 

 

 ……? 

 もう少しとは。

 離れた方がいいのか。

 ……隣? 

 隣に座れって事? 

 デスクワークしてるハヅキの隣に俺がただ座ってれば良いの? 

 

 ご要望とあらば従うんだけど、なんか思ってたのと違う構図になった。

 これじゃあ俺が、仕事してる女の子の隣でそれを見てるだけの男になってしまう! 

 風聞が良くなさそうなので、やっぱりなにかすることにした。

 簡単に摂れる夕食を作ってみたり、どうしても進めなきゃいけない仕事がある時は栄養剤を昼間のうちにアグネスから貰ってきたり、心がキツそうな時は無理やり膝枕で休ませたり。

 ハヅキは天才だけど、まだ子供なのだ。

 強引に押し込めるのも、嫌われるかもしれないけど必要なことと考えないといけない。

 

 ウィンドは……まあハヅキに任せてるみたいなところはある。

 それでも夜、ミーティング室にやってきた時は宿題を教えたりマッサージしたりして時間を潰した。

 

 悩ましいのは俺も社会人であるということ。

 ウマ娘は、全体で見れば毎週どこかしらの競技場でレースを行なっている。

 担当トレーナーもついていくのは必須で、多くが中央トレセンから日本津々浦々に飛び回っているというわけだ。

 ボディーガードの仕事は、そんな彼らには付いて行くことなわけで運転手も務めなければならない。

 つまり──ほぼ毎日出張してる。

 2人のために就職したからと言って、仕事を無視するわけにはいかない。

 ある程度の規律を守らないと怪物になってしまう。

 

 しかし悪いことばかりじゃない。

 寂しい気持ちはあるけど、毎日一緒にいてもウザいだろうから間を空けるのも大事だ。

 こうして離れる時間もまた、必要経費ってやつだね。

 

 ──ハヅキとウィンドが夜な夜な男をミーティング室に連れ込んでいるだとお!? 

 

 運転中、警護対象のトレーナーからそんな噂話が広まっていることを聞かされて動揺しないわけがない。

 しばらく震えが収まらなかった。

 運転も乱れに乱れて、危うく転倒するところだ。

 ……どんなやつか見なきゃ! 

 

 相手はトレーナーなのか? 

 というかそれ以外に思い付かないけど、俄かには信じられない。

 トレーナーは優秀だがウマ娘キチしかいない。

 それで未成年かつ人間のハヅキに手を出したりするのは……いや、世の中には引退後のウマ娘と元トレーナーが結ばれるなんてことがザラにあるらしい。

 担当ウマ娘同士が切磋琢磨しているのをきっかけに──なんてのもあり得ない話じゃないか。

 何にせよ、今回の仕事を片付けたら抹さt──じゃなくて真っ先に顔を見に行こう。

 

「いや、そういうつもりで話を振ったわけじゃないんだが……」

 

 困惑顔で訳のわからないことを宣うのは、俺に噂話をニヤニヤと伝えてきたトレーナー。

 何を困惑してんだ。

 あの2人が男を連れ込んでるなんて、俺がむしろ困惑してるんだよ! 今この瞬間も! 

 ハンドル切って今から中央に戻ってやろうか!? 

 

「それはやめてくれ。コイツの大事なレースなんだ」

 

 担当の大事なレースへ向かう途中に運転手を動揺させるな! 

 ……何でその子も楽しそうなんだよ! 

 揃いも揃って、人の苦しむ様がそんなに見てて楽しいか! 

 

「いいと思います!」

 

 なんだこいつら!? 

 

「──ふう、何とか無事に着いたな」

 

 レースは明日の午前11時……それまでは帰れないか……! 

 

「前から思ってたけど……意外に律儀だよな」

 

 俺は何故か破天荒なイメージを受けがちなんだけど、律儀じゃなかったらボディーガード出来ないんですが。

 不審者は通さない! が出来ないんですが。

 

「何にせよ頼んだぞ。コイツのためにな」

 

「私からも、お願いします」

 

 2人は明日まで一旦休養タイムで、神社近くのお祭りに行くらしい。

 俺はお出かけの邪魔をしないように、かつ不審者が近付かないように排除する。

 ボディーガード言うてますけども、SPみたいにスーツを着てサングラスをして──なんてことはしません。

 この人を守ってまーす! と喧伝するようなものだ。

 観光客の1人くらいにしか見えないだろう服装で2人の様子を見守っていた。

 

『あ、ねえ! お祭りあそこだ!』

 

『んー?』

 

『行こ! …………ほーら! 早く!』

 

『ったく……前日だってのに余裕だなあ?』

 

『にひひ! だって今から焦っても仕方ないじゃん? それに……』

 

『?』

 

『……ううん、なんでもない! それよりさ!』 

 

『あん? 手?』

 

『逸れないように、繋ご?』

 

『…………はあ』

 

 学生とトレーナーが手なんか繋いで──とかそういうのはどうでもいい。

 大事なのは、2人の魂の輝きが一層増したことだ。

 絆の力。

 ウマソウルの共鳴。

 女神の導き。

 

 明日はきっと良いレースになる。

 そこに辿り着かせるためにも──

 

『おとなしく付いてくれば、あの2人には手出しをしない』

 

『無駄な抵抗はするなよ』

 

 沈みゆく太陽が染め上げる夕焼け空が美しい。

 あの2人も、そんな空を見上げて小さく微笑みあった。

 そうだな。

 世界はこんなにも美しい。

 色付いて、輝いて、心を癒してくれる。

 

『おい、聞いているのか?』

 

『──っ!? ……貴様、何をした!』

 

『…………空が……!?』

 

 2人の邪魔はさせない。

 お祭りにも影響は与えない。

 情報は渡さない。

 逃げ帰ることすら許さない。

 

 分解したらタスク四つだけ。

 なんて簡単な仕事だ。

 

『シールド展開!』

 

『サンプルだけでも持ち帰るぞ!』

 

 田んぼがダメになるのは申し訳ないけど、人類の為だ。

 

 

 ──────

 

 

 トレセンに帰って直ぐミーティング室の前まで来たけど、そこで気付いた。

 何て聞けば良いんだ。

 男連れ込んでたとしても、個人的な……それこそ俺とも関係ない話だから答えてくれるか分からない。

 どうしよう。

 なんか怖くなってきたぞ。

 

「──おやおや、そんなところで何をしてるんだいモルモットくん」

 

 マゴついてたらマッドサイエンティスト(善)に見つかった。

 俺をモルモット呼びする事と、俺に治験前の薬をぶち込みまくる事がマッドたる所以だ。

 しかしアグネスは意外と人の機微に聡いぞ。(逆説)

 しかしアグネスはコミュ障だったわ。(反転)

 

「何だね? 人の顔を見て百面相だなんて……まさか治験が楽しみで楽しみで、愛しの幼馴染に会うよりも先に実は私に会いたかったとかなのかい?! ククク! そう言うと思って薬も用意してある!」

 

 人の色恋沙汰などまるで興味がなさそうな顔をしている。

 彼女がそういったモノを理解する年頃は一体いつになるのだろう。

 研究が楽しいねえ! とか言いながら36くらいになってやっと焦り始めるのかな、可哀想に。

 

「何やら憎たらしいことを考えていそうだが……さっきから、何も答えずになんなんだねキミは。暇なら実験に付き合ってくれたまえよ。せっかく新理論の筋力増強剤が形になろうとしているのに、キミときたら出張出張とまるで社会の歯車じゃあないか。超人たるその肉体・資質を活かせる場というもののありがたみをもう少し理解してもらいたいものだ」

 

 悩みを相談する相手として、おおよそ最低に近いコミュニケーション能力だ。

 アグネスに相談するくらいなら、サボテンの方が感情の整理がつく分マシだよな。

 

「何をしている? 付いてきたまえよ」

 

 アグネスの実験室は陰気だ。

 あまり電気を付けることがないという終わってる生活リズムもそうだけど、部屋にいる人物がジメジメしているというのも、その雰囲気に拍車をかけている。

 でも、学生のために教室一つが研究室として渡されることの方がぶっ飛んでるな? 

 

「──また、連れてきたんですね」

 

 浮世離れした性格のためか寄り付く人も少なく、逆にそれがが気に入ったのか、1人だけ入り浸っていた。

 マンハッタンカフェ。

 なんともコーヒー好きが名づけそうな名前だ。

 実際コーヒーを啜っている。

 俺はカフェイン摂取の必要性を感じないけど、コーヒー自体は嫌いじゃない。

 マンハッタンカフェが淹れたものは濃く、それでいて苦味が薄いので飲みやすいんだ。

 

 彼女がいるスペースは研究室然としたタキオンのスペースとまるで違う、コズミックな様相を醸し出す空間だ。

 あと色々すごい。

 

「さあ!」

 

 早速とばかりに机上に置かれたのは緑色の謎の液体を淹れたグラス。

 色合いだけ見れば濃いめのメロンソーダだ。

 グラスの内壁からは大きめの気泡が湧き出てコポコポと音を立て──明らかに炭酸飲料じゃない。

 

「先日の実験をもとに原材料の見直しを行ったんだあ! 副作用として現れた右腕の過緊張もこれで無くなるはず! それに加えて、思考がクリアになる作用も追加された! 飲まない理由がないねえ!」

 

 飲む理由を見つける方が難しい──けど、一気飲みした。

 …………っ! 

 

「どうだい!?」

 

 体の奥底が熱くなる。

 心臓が激しく鼓動している。

 頭を抱えた。

 額を押し開いて、爆発的な何かが弾け出てきそうだ! 

 これは──ペルソナァアア! 

 

 とはならなかったけど、確かに肉体の増強効果は認められた。

 だからアグネスの作った計測機器を粉砕してしまったのも仕方ない事なんだ。

 

「通常時に比べて8.7%ほどの増加! 素晴らしいデータだ! はーはっは! はあ……また壊された……」

 

 いい加減、ウマ娘用の計測器を流用するのはやめてもらえないだろうか。

 というか今の効果だけならカフェインや強心剤じゃダメなのって思っちゃうんだけど。

 

「既存の薬は発展性がないからねえ! 私の作ったツヨクナールαならば、さらなる付加効果も自在さ! まあ、そちらはこれからということになるがね! 何にせよ、筋肉に対して有効に影響を与える事は認められた! ここからというものさ!」

 

 そう言うとパソコンに向かって無表情に近いブスッとした表情でデータをまとめ始めた。

 こうなってしまうと邪魔するのも悪い。

 マンハッタンカフェのコーヒーを貰うためにガラガラとオフィスチェアーを動かした。

 

「どうぞ」

 

 いつも貰っているので、彼女の用意も慣れたものだ。

 

「あの……」

 

 いつもは静かな彼女から珍しく質問があるらしい。

 コーヒーを貰い貰われのよしみだ、何でも答えてやろうじゃないか。

 

「今更な質問なのですが……何故、ボディーガードを……?」

 

 そりゃあ当然──

 

「噂通り……ということですか……」

 

 どこか納得のいっていなさそうなツラをしている。

 何か変だったかな。

 

「いえ……」

 

 それとも、いつも一緒にいる彼女のオトモダチが何か言っているのだろうか。

 

「!」

 

 マンハッタンカフェの周りにはウマソウルが浮いている。

 彼女のものと非常に酷似したウマソウルだ。

 仲良さそうなのでオトモダチと勝手に呼んでいたけど、敵対しているなら呼び方変えようかな。

 

「……それには及びません」

 

「おやおやおやおや」

 

「なんですか……」

 

「キーボードを叩いていたとて。あまりにも興味深い話をしていれば私のウマ耳は勝手にその情報を脳にまで届けてしまうものだよ、カフェ」

 

 カタカタ音が止んでるので察してはいたけど、やっぱり聞いていたらしい。

 出歯亀やめてね。

 

「カフェのお友達については私も聞いていてね。しかし、実体を肉眼で捉えた事はないし映像機器でも撮影できた事はない。不可解な現象が起きていることからして、なかなか否定できるものではなかったが……ここにきてカフェに友人がいること──すなわちボッチではないことが証明されたのは喜ばしいことじゃないか?」

 

「……タキオンさんに言われるのは……納得いかない……ですね」

 

「ああすまないカフェ! まさか私も友人としてカウントされていたとは思わなかったよ! だが、全ての超常現象が地続きとは限らないじゃないか。君の周りにいるときに起こる現象と、君のお友達への認知。この2つがまったく別物という可能性だってあっただろう? だからそんなに気を落とさないでくれたまえよ!」

 

「……気は落としてないです」

 

「そうかい! ソレはよかった! まあ、とにかく! 本人以外にもカフェのオトモダチを認識できる存在がいるというのは非常に喜ばしいことだ! しかもそれが超人であればこそ、そのオトモダチの存在の後押しにもなる! 良かったねえカフェ!」

 

「別に……他の人に何と言われようと、お友達がここにいることには変わりありませんから……ですが、驚きました……」

 

 本当は初対面で指摘しようかなーって思ったりもしたけど、害があるわけでもないから放置していた。

 それに、マンハッタンカフェ1人だけがそうってわけじゃない。

 女神様も忙しいから全部は見切れないせいだろうな。

 

「…………あなたは……本当にお友達の姿が見えるのですか…………?」

 

 ウマソウルが見えるだけだ。

 しかしこの言い方、もしやマンハッタンカフェにはウマソウルの生前の姿が見えているのだろうか。

 

「「ウマソウル……?」」

 

 ウマソウルも知らないとかモグリか? 

 筋肉だの脳の覚醒だの言う前にそっちから疑いなよ。

 人間とまったく同じ姿と筋肉量で人間の数倍の出力なんてまさしくオカルトだろ。

 魂だよ、タマシイ。

 

 それにしても、タキオンがやたらと『カフェのスペースに不用意に立ち入るんじゃないぞ』と言っていた理由はこれだったのか。

 ブービートラップでも仕掛けられていて、踏み入ったら俺以外ミンチになるとかかと思ってたよ。

 …………ん? オトモダチちゃんがフヨフヨと俺の周りを……どしたん? 

 

「本当に……見えてるんですね……」

 

「何だい水臭いねえ。今、何がどうなっているんだい?」

 

「…………お友達が…………彼の周りを回っているところです……」

 

 こうしてウマソウルが自ら近づいて来てくれる事は珍しい。

 一度触ったことがあるが、中々面白い触り心地だったので久しぶりに──

 

 へ ン タ イ! 

 

「っ!?」

 

「うわははあ!?」

 

 凄まじい斥力が頬に発生した。

 室内に大風が巻き起こる威力だったけど、その本質はハヅキやウィンドに叱られた時のものと似ている。

 そう、言うなれば超威力のビンタを喰らった感触だった。

 触るのは良くなかっただろうか。

 

「あの子も……女の子なので……」

 

 それは本当にごめんだけど、ウマソウルに対してそういう感情で触れたことないんだ。

 今後は気をつけることにしよう。

 

 にしても、ことの始まりであるマンハッタンカフェの質問が気になった。

 彼女自身も言っていたように、何故、今更あんなことを聞いたんだろう。

 

「お友達が……アナタのことを気にしていたので…………きっと、アナタがあの子の事を見ていることに……あの子も気づいていたんだと思います……。だから、何か……深い事情があるのかと……思って…………」

 

 それは色々と申し訳ない事をした。

 再三言うけど、全く深い事情はなくて本当に2人のためだけに就職したんだよね。

 

「勿体無いねえ! 私のモルモットになりに来てくれた事は喜ばしいことだけれども……くくっ! はーはっはっは! やはり考えるだにおかしいな! 最強の肉体を持つ人間が選ぶ職業がボディーガードだなんて!」

 

 すまん、笑いどころどこ? 

 

「有効活用の方法など他にいくらでもあるだろうに!」

 

 多分、彼女に大事な人ができるまでは説明しても意味ないんだろうなあ。

 だいぶ先だろうし、説明しても無駄かな。

 

「幸せ……ですね……あの2人は……そこまで思ってくれる人が、いて……」

 

 どうなんだろう。

 俺は幸せだけど2人がどう思っているかは分からない──というか考慮してない。

 実際のところ、しつこいと思われている可能性もああああああああああ! 

 

「っ!?」

 

 忘れてた! 

 2人に例の話を聞きにきたんだった! 

 

「例の話? なんだいそれは」

 

 噂について説明すると、何やら呆れたような顔に変わっていく。

 マンハッタンカフェは兎も角、アグネスにそんな顔をされるような謂れはない……はず。

 

「肉体は超人でも、思考回路が凡人だなあ……」

 

 皮肉にもならない無意味な言葉を吐き出したアグネスに薬をまとめて飲ませつつ、マンハッタンカフェの意見を伺ってみる。

 彼女はとても思慮深い言葉を使ってくれるので何か良い話が聞けるかもしれない。

 

「私も……そういったことは不得手、ですが……きっと……ちゃんとお二人と話すのが……よろしいかと……お友達も、そう言ってます」

 

「あばばばばば視界がががが」

 

 勇気をもらったので改めてウィンドとハヅキに尋ねてみても、上機嫌になるだけで回答は得られないのでした。

 でも俺が思っているような事は決して無いらしい。

 それは良かった。

 

 良かった……? 

 

 

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