東方特級録   作:落書き

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第1話

夕暮れ時、とある神社では閑古鳥が鳴く程の静けさに包まれていた。

境内の夏草は手入れがされずに伸び放題で、神社は老朽化による雨漏りは数知れず。

歩けばギィギィと劣化した床板の悲鳴が染み出し、襖に貼られた障子は穴だらけで野晒しと大差ないほどの散々たる有様であった。

 

「あーあ、今日も収穫無し」

 

そんな静寂を破ったのは、覇気の抜けた少女の声であった。

博霊霊夢。

この廃屋寸前の神社の家主にして巫女、幻想郷の均衡を担う重要な存在――のはずである。

我欲に駆られ、賽銭箱に頭を突っ込んで物色する姿があっても、幻想郷には不可欠なのである。

 

「……葉っぱと木の実だけ、か。」

 

指先で摘まみ上げたそれは、長時間放置されてシワシワに乾いた正体不明の木の実。

供物にしても悪戯にしても中途半端。恐らくは偶然賽銭箱に入り込んでしまったのだろう。

哀愁漂う中身が、この神社への参拝客が皆無であることを如実に物語っていた。

 

「これじゃ、飢え死にだわ」

 

冗談めいた口調とは裏腹に、その言葉には現実味があった。

食料は昨日で底をつき、腹の虫の限界は近い。

 

「まったく、博霊の巫女が情けない」

 

神社の縁側に腰を下ろし、妖怪の賢者こと八雲紫は呆れた様子で、巫女の浅ましい言動の一部始終を観察していた。

幼少期から今日まで面倒を見てきたが、実力は付けど品性は身に付かなかったらしい。

スカートが捲れ、下着が見えていても当の本人が気にしていない。

巫女である以前に女性としても危うい事に紫は頭痛を覚えていた。

 

「少しは女性らしい慎みを持ったらどう?」

「慎みで腹が膨れるなら幾らでも覚えてやるわ!」

 

即答であった。

埃を払いながら紫の隣に腰を下ろし、不貞腐れる霊夢。

その手には賽銭箱で入手した正体不明の木の実が握られている。

 

「ねぇ、この木の実食べれると思う?」

「冗談言って……ないわね。うん、まずは拾い食いをしない事から覚えましょうか。」

 

瞳孔が開いた真顔に、口の端から垂れた涎を視認した紫は天を仰ぎ、後悔した。

どこで育て方を間違えただろうか、と。

 

「はぁ、取りあえずこれでも食べてなさい」

「ありがとうございます! 紫様!」

 

正体不明の木の実を没収し、代わりに数個のおにぎりをスキマから取り出す。

その瞬間、音も無くおにぎりが手の上から消滅していた。

隣に視線を向けると、頬いっぱいに膨らませて必死におにぎりを咀嚼する巫女が1人。

 

「……逞しいと言うか、生き汚いと言うべきか。」

「ふぅー、これで2日くらいは保つわ」

 

紫の苦悩などどこ吹く風。

腹の虫を黙らせたお陰で遠出していた理性が帰ってきたらしく、先までの刺々しさは和らいでいた。

 

「ねえ、紫。前々から気になってたんだけど。倉庫に安置してる黒い石、アレなんなの?」

 

ふと霊夢の視界に入った離れ家。

収納されているのはほぼ全てがガラクタで、売っても二束三文にしかならず、わざわざ香霖堂にまで持って行くのも面倒に感じる程度でしかない。

そんな中で唯一、他のガラクタと区分けされ、神棚に奉納されているのが話に挙がった黒い石であった。

 

「あらあら、品性と衛生観念は無いけど、周りを見る目は持っていたのね」

「揶揄うな。あの石、高度な封印式が組まれてるっぽいけど何か封印してるの?」

「えぇ。あの石には私が知る限り最強の妖怪が封印されている。だから下手に触ったら駄目」

「最強ねぇ。紫が断言するなんて珍しいわね」

「そう、ね。」

 

紫自身も柄ではないと思っている。

だが、最強という言葉を口にする度に脳裏に浮かぶ妖怪は1人しかいなかった。

誰よりも強く、誰よりも孤高で、誰よりも残酷であった妖怪。

大妖怪をも塵芥の如く蹂躙し、骸の山を築いたあの背中は今も脳裏に焼き付いている。

 

「で、なんでそんな危ない呪物を博麗神社に置いてるのよ」

「危ないからこそよ。悪用でもされたら未曾有の大災害になりかねない」

「なら紫の家で保管しなさいよ。呪物を保管してる神社って噂が広まったら余計参拝客が遠のくじゃない!」

「零から幾ら引いても零だから安心なさい」

「表に出なさい!この際一度痛い目にあって――」

 

怒り心頭に、霊夢は内包している霊力を解放した。

腹が満たされたお陰か、放出されている霊力は力強く、生気で満ち満ちている。

キレているのは誰の目から見ても明らかであったが、紫は立ち上がる素振りさえみせない。

 

「一飯の恩義を忘れたのかしら。それとも次はそこら辺の木の実でお腹を満たす?」

「と思ったけど、急に喉が渇いたからお茶を入れてくるわ!」

 

一時の怒りよりも明日の食事を優先した霊夢は方向転換し、台所へと走って行く。

扱い易い娘で助かった、と紫は嘆息した。

怪我の功名と言うべきか、先の一瞬だけだが霊夢の実力の一端を確認できた。

中級の妖怪程度なら問題にならず、大妖怪でも1対1ならば辛勝出来る。

数年もすれば、更に大妖怪をも超え、その上位存在にも或いは比肩出来る可能性がある。

 

「さてと、私も相伴に預かり――ッ!」

 

突然全身の皮膚が粟立つのを感じた。

首を締め上げられた様に呼吸が荒くなり、手指が勝手に痙攣している。

原因は探すまでもない。

博麗神社全域を覆い尽くす濃密で噎せ返る程の妖気、それが離れ家から漏れ出している。

 

紫はこの妖気を知っていた。

忘れられるはずもない、今までに出会ってきた如何なる妖怪とも異なる別次元の存在感。

紫は自身を囲う様に結界を展開し、妖気の濁流から身を守る。

 

「なに、妖怪のカチコミ!?」

 

転がる様に飛び出してきた霊夢はお祓い棒を構え、境内に躍り出た。

二人は不用意に動かず、辺りの様子を伺う。

 

「紫、これって」

「えぇ。貴方の考えで合っているわ」

 

封印が解けた。

つまりは、辺りに漂う妖気は紫の言う最強の妖怪から放出されている。

息を呑み、動かずにいた二人を余所に、内から扉が開かれる。

 

黒い。第一印象は正にそれであった。

腰まで流れる黒髪に一点の濁りは無く、衣もまた夜闇を彷彿とさせる漆黒。対照的にその肌色は死人を思わせる程に青白い女。否、女の姿形をしたナニカであった。

 

「八雲之か」

 

平坦で澄んだ声。

無気力に無表情。

光一つ無い黒い瞳が紫を捉えていた。

 

「お久しぶりで御座います、ミカゲ様」

 

紫が地面に膝を付き、恭しく頭を垂れた。

強制されてその体勢をとったのではない、反射的に身体が動いていた。

傍目からは2人の間で絶対的な上下関係があるのは明白であった。

 

話半分で聞いていた霊夢も紫の対応に目を丸くした。

幻想強屈指の大妖怪たるあの八雲紫が冷や汗を滲ませて頭を垂れている。

そんな紫の対応を尻目に、ミカゲと呼ばれた妖怪はぼんやりと空を見上げていた。

 

「結界に隔絶された世界……確かお前の悲願だったか。確か名は――」

「幻想郷。幻想に生きる者達が集う楽園で幻想郷です。」

「ふーん。で、これが今代の博麗の巫女?」

「ッ!」

 

唐突に耳元で囁かれた声に、振り向くよりも早く霊夢はお祓い棒を薙ぎ払っていた。

手加減は無い。込められるだけの霊力をお祓い棒へ収束させた。

並の妖怪ならひとたまりもない。大妖怪でも少なくない手傷を負わせられる。

そんな必殺の一撃、そのはず――

 

「随分と柔な棒きれね、これで何をしたかったのかしら」

 

止められていた。

それもたった2本の指で抓まれて、だ。

力の拮抗は無く、如何に霊夢が力を込め、霊力を込めて引こうが微塵も動かない。

 

「このッ!」

「止めなさい、霊夢!」

 

お祓い棒を諦め、もう一方の手で封魔針を繰り出そうとする霊夢を紫が制した。

今まで聞いた事が無いほどの切迫した声に驚き、幸か不幸か投擲する手が止まる。

 

「それ、投げないの?」

「ミカゲ様、お戯れが過ぎます。まだ霊夢は発展途上、ゆくゆくは歴代の巫女にも並びうる逸材です。今摘んでしまうのはあまりにも勿体ないかと」

「……先の一撃だとそうは思えないけど、まぁいいわ」

 

ミカゲは怪訝そうな表情を浮かべるも、興味を失った様子でお祓い棒から手を離した。

霊夢は即座に距離を離し、御札を自身の周囲に展開する。

乱れた呼吸を正す為に大きく息を吸い、無理にでも頭を冷静にする。

 

(死んでいた。)

 

紛れもない非情な現実に、心臓が激しく脈打つ。

耳打ちされるまで背後を取られた事に気づかず、剰え全力を込めたお祓い棒を容易に止められ、致命的な隙まで晒してしまった。

もしも、紫の制止を聞かず、あのまま封魔針を繰り出してほんの少しでも害意を抱かれていたら

 

(私は殺されていた。)

 

無意識にも血が滲むほどに唇を噛んでいた。

油断はしていない。警戒も最大限にしていた。

言い訳のしようがない。

自分とあの妖怪との間には覆しようのない絶対的な実力差があった。

 

悔しい。

これまで幾百もの妖怪退治を経験し、全て勝利してきた。

自分は強いという自負も少なからずあった。

にも関わらず、この博麗霊夢が戦う相手とさえ認識されていない。

 

「平安の世に近い空気。妖、人間……神もいるみたいね。」

「仰る通りです。既に幻想郷では如何なる幻想をも迎え入れる土台が築かれつつあります。」

「進行形ね、さしずめ作った箱に適当に放り込んだだけでしょ?」

「……その通りです」

「箱庭を大きく創り過ぎたわね。管理出来ぬなら適当に間引きなさい。貴方のその小さな手に収まる程度に、それで全て済む。」

「それは、出来ません。」

 

ミカゲの言葉を間髪入れずに否定した。

心なしかプレッシャーがより強く身体にのし掛かった気がする。

身体の震えはより一層激しく、黙って唯々諾々と頷けと本能が命じてくる。

だが、その一切を精神で捻じ伏せる。

今、その言葉を肯定してしまえば、きっと自分は幻想郷を見守る資格を失ってしまうから。

 

「私は幻想郷を外界で消滅する幻想全ての受け皿とし、此処を幻想達の楽園とします。」

 

言った。言ってしまった。

紫の中で妙な達成感と高揚感が湧き出たがそれも一瞬のこと。

次に押し寄せてくるのは、殺されるかもしれないという恐怖であった。

時間にしてたった数秒の沈黙。

しかし自らの生死が関わる紫にとってはその何十倍にも長く、苦しい時間の様に感じていた。

 

「あっそ」

 

そんな紫の内心とは裏腹に、周囲を支配していたプレッシャーと妖気が霧散した。

あまりにも呆気無い返しに、紫は鳩が豆鉄砲を食ったように表情が抜け落ちていた。

そして、件のミカゲは紫に何を言うでもなく、背を向けて階段を降りていった。

 

「霊夢、大丈夫?」

 

気を取り直した紫が依然として顔を俯かせている霊夢に近づき、声を掛けるが反応が無い。

無理も無い事かもしれない。

まだまだ成長盛りで己の強さを自覚してきたところに、圧倒的強者との出遭い。

培ってきた自信が壊されてもおかしくはない。

 

「霊夢、聞きなさい」

 

今の霊夢に告げるのは酷かもしれないが、言わなければならない。

博霊の巫女の使命は、幻想郷の調停役。

妖怪が増えすぎた際に退治をし、人間勢力との均衡を図る事が主となる。

 

これまで霊夢の尽力で辛うじて破綻しないギリギリの均衡を保ってきた。

しかし、ミカゲという大妖怪の枠を超えた存在、特級妖怪の封印が解けた今、人間との勢力差は決定的となった。

これで幻想郷に現存する特級妖怪は3人。

遅かれ早かれ、人間勢力の最強たる霊夢が彼女等と相対する機会は必ず来る。

 

(それをどう今の霊夢に伝えたものかしら)

 

紫の苦悩は続くのであった。

 

 

これは数多ある幻想郷でも大妖怪を超越した存在、特級妖怪が紡ぐ物語である。

 

 




不定期更新の為、気が向いた時にでも来て頂ければ幸いです。
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