「此処が幻想郷唯一の人間の居住地域、人里だ」
魔法の森を後にしたミカゲと正邪はその足で人里までやって来ていた。
人里の入り口には裏から閂で閉鎖する簡易的な木製の門が一つ、その左右を人里を囲う形で木柵が敷かれていた。
空を飛べる妖怪には勿論、中級妖怪にとってもその程度では足止めにすらなり得ない。
それを補うのが人里全体を覆っている半球状の結界なのだろう。
「その結界は八雲紫が……っておい!」
正邪の言葉を待たずして、ミカゲは結界に手を伸ばしていた。
侵入を妨げる類の結界ではないらしく、ミカゲの手は容易に結界内へと入っていく。
「ん?」
――汝、妖怪は人間を殺傷すること勿れ
――汝、妖怪は人間から略奪すること勿れ
――汝、妖怪は人間を拉致すること勿れ。
ミカゲの脳内に無機質な声が反芻した。
「入場時の条件提示。八雲之にしては規模が大きいと思ったけど……少しは考えたみたいね」
「ブツブツとなんの話をしてるんだ?」
「気にするな。で、これの説明をしてくれる?」
「お、おう。この結界は八雲紫が人間の安全を確保する為に張ってだな、この結界内で人間への殺傷行為、窃盗、拉致のいずれかの禁を破ると――」
「結界に仕込まれた術式が起動して制裁、ってところかしら?」
ミカゲの言葉に正邪は首を縦に振った。
正直なところ、ミカゲを人里に連れて来るのは時期尚早だったかもしれないと正邪は今になって後悔していた。
短い付き合い故に性格を把握していないのは仕方ない。
しかし最低限、逆鱗の在処くらいは知っておきたかったというのが本音である。
只でさえ妖怪は人間を取るに足らない弱者と侮る傾向にある。
それ故に下等な人間と対等に会話すること自体を不快に思う妖怪が多い。
特に――
(人里の人間はなぁ……)
結界が齎す弊害とは言え、とある理由ゆえに好き好んで人里に入る妖怪は少ない。
零れそうになる溜息を呑み込み、懐から取り出した布を頭に被る。
面倒であるがこればかりは仕方ない。
「何故角を隠す?」
「あー、お前は見た目人間だから問題ないけど、人里で人外部位を見られると面倒臭いんだ」
「……ふーん」
ミカゲがそれ以上追及してくる事はなかった。
単に興味が湧かなかっただけか、或いは結界による制裁など元から眼中に無いか。
相変わらずの鉄面皮の無表情で何を考えているか全く推し量れない。
(まぁ流石に暴れるみたいな事はしない……よな?)
一抹の不安を胸に、正邪とミカゲは人里の門を潜るのであった。
開けてびっくりな香霖堂の様に奇妙奇天烈な光景が広がっている、という事は無く。
視界に広がるのは忙しなく人間が行き交う大通りであった。
道沿いには木造の平屋が建ち並び、食料関係、生活必需品、娯楽品が一通り揃う多様な店が軒を連ねている。
「随分と人間が多いな」
案内の為に先導する正邪のことなど気にせず、ゆっくりな歩調でミカゲは道行く人間を観察する。
男性と女性で然したる数の違いは無く。
子供から年寄りで年齢幅が広く。
身体付きは総じて足が短く、全体的に丸みを帯びている。ミカゲの知る日本人と似た特徴だ。
しかし解せない点が一つ――
「妖怪が見当たらないな」
人間の安全地帯と言えど、あくまでも妖怪と人間の共存を謳う幻想郷の一場所に過ぎないはず。
しかし、現実はどこもかしこも人間だらけで、妖怪の一体もいない。
「天邪鬼、妖怪は何処にいる」
「あー、今日はいないかも?」
正邪はばつが悪そうに言葉を濁した。
そんなこんなで暫く通りを歩いていると、ミカゲは唐突に通りの端にいる少女を指さした。
「……いた」
「え、何処だ?」
小汚い古着に、正邪と同じく頭巾を目深に被った年端のいかない少女が道端を歩いている。
パッと見ただけでは何の変哲も無い光景であったが、些か様子がおかしい。
挙動不審と言うべきか人間が近くを通り過ぎる度に異常な程に怯えている。
まだ只の人間嫌いの可能性があった。
だが、その腰周りに人間には無い膨らみが――
「人間の子供に化けた妖怪か?」
「狐か狸かは知らないけれど。八雲之の言う共存が実現していればああはならない」
人間を畏れさせるはずの妖怪が逆に人間を畏れている。
ミカゲは顔を上げ、人里を囲う結界を視界に収めた後に目を細めた。
「八雲之は随分と人間を過大評価しているのね」
殺し合わせない規則を作ったところで意味は薄い。
人間は保守的な生き物だ。
自らと違う隣人を徹底的に許さない。
性別や肌の色、風貌、挙げ句の果てには信仰する神が異なるだけでも諍いの種にする。
そんな連中が人間を食らう種族と分け隔て無く受け入れられるだろうか。
答えは言うまでもない。
「ふざけるなニンゲン!」
突如二人の耳に怒号が聞こえてきた。
出所を探れば、人里に来て初めて見る人外姿の妖怪に行き着く。
見た目は成人男性よりも一回り大きく、二足歩行で顔は人間であるが身体は熊を彷彿とさせる毛むくじゃら。
紛うこと無く妖怪の風体であった。
話す言葉は人語に慣れていないらしく片言で聞き取りにくいが、どうやら揉め事らしい。
「なんだなんだ揉め事か。って……あー、これはまたご愁傷様」
正邪も出処に目を向け、何が起きているかを理解して憐みの言葉を口にした。
この騒動の顛末が分かっているかの様な言動に、ミカゲは正邪を一瞥したがすぐに視線を戻す。
「カネはらった。にくヲヨコセ」
「だからこれは人間様の価格だってんだ。欲しいならこの倍は持ってきな!」
熊男と人間との間には、幾らかの金銭と干し肉が置かれている。
凡そ熊男が肉を買おうとして、人間の店主が妖怪である事を理由に値段をふっかけた。
事の背景は面白味に欠けるが、ミカゲは素直に妖怪が人間と金銭を用いた取引を試みている事に感心していた。
(結界の制裁とやらは相応の抑止力になっているらしいな)
しかし、妖怪と面と向かって相対している人間の店主の態度が気に掛かる。
熊男が有する爪も牙も容易に人間を死に至らしめる凶器である事は一目瞭然。
店主からしてみれば、喉元に刃物を突きつけられてるのと大差ない。
にも関わらず、一切怖じけず、恐怖もしていない。
「嫌ねぇ、声を荒らげて。やっぱり妖怪は野蛮だわ」
「なんで賢者様は妖怪の入場を認めているのかしら」
「せめて人型の妖怪に限って欲しいもんだ」
声量を抑え、熊男に聞こえない様にヒソヒソと話し出す野次馬達。
その間にも無意味な押し問答が繰り返されるが互いに主張を曲げずに平行線が続く。
そして、何度目かの問答の末に熊男の苛立ちが限界を迎える。
「フザケルナよ! ニンゲンが!!」
怒りに駆られるがままに、店主の胸倉を掴み上げていた。
人間と妖怪とでは膂力差は歴然。
店主も抜けだそうと藻掻いているが、熊男の怪力に手も足も出せずにいる。
「あっ、彼奴手を出しやがったぞ」
「来るぞ、賢者様の威光が」
群衆のざわめきの質が変わった。
それまでは妖怪に対する嫌悪感有り気の雰囲気であったが、今は別の何かに期待した様子で野次馬の何名かが空を見上げ始めた。
「分かった。分かったから手を離せ!」
「フン! ワカれば、イイ」
乱暴に突き飛ばされた店主は打ちどころが悪かったらしく、腰を押さえて呻いている。
熊男は倒れ込んだ店主に目もくれず、涎を垂らしながらも肉を貪り始めた。
礼儀作法などあったものではない。
ただ本能のままに目の前の肉に齧り付く、その姿は只の獣畜生であった。
「フー」
短時間で肉を食い終えた熊男は人心地ついた様子で、漸く自分の置かれている状況を認識した。
痛みに呻く人間に、差し出した金銭以上に食い荒らして売り物にならなくなった肉の数々。
人間への殺傷と略奪。
禁忌の内の二つを破ってしまったことを。
「チガッ……ヤツガワルかったんだ!」
群衆に自らの弁明をし始めるが、誰もが顔を合わせずに目を背ける。
そして、その瞬間は突如としてやって来た。
「イヤだ、イヤダァ!!」
熊男の身体を光の粒子が包み込み始める。
必死に光から逃れようと腕を滅茶苦茶に振り回すが効果は無い。
「アレが制裁の前準備。そしてこれから降ってくるのが――」
正邪が顔を上げたのに倣い、ミカゲも空を見上げる。
其処には一つの光球が形成されていた。
みるみるうちにその規模を膨張させ、熊男と同じ大きさまで達したところで落下を開始した。
その様は正に光る流星の如く。
明らかに自然法則を無視した動きで、対象の熊男に向かっていき――
「ガァァァアアーーー!!?」
光に包まれ、完全に姿が見えなくなった熊男の断末魔が木霊する。
肉の焼ける不快な匂いに周囲の人間達は顔を顰める。
光が晴れた其処には全身を隈無く灼かれ、皮膚の爛れた熊男が立っていた。
先までの力強さは完全に失われ、浅い呼吸を繰り返すだけ。
虫の息程度に辛うじて生き残った様だが、もはや何か行動出来る状態でないのは明らかであった。
「ウ……うぅ……」
恨めしそうな唸り声を残し、熊男はボロ雑巾の様な様相で這いずる様にこの場から去ろうとする。
決着、詰まらない幕切れとミカゲが視線を外そうとした瞬間――
「二度と人里に来るな!」
声変わりもしてない幼い声と共に一つの石が熊男目掛けて放られた。
「そうだ……手を出したお前が悪いんだ」
「乱暴者は消えろ!」
「塩撒け、塩!」
「その汚ねぇ姿二度と見せるな!」
子供の一石が呼び水となり、次第に群衆が一丸となって石を投げ始める。
「お前さんも災難だったな。腰は大丈夫かい」
突き飛ばされた店主の心配はすれど、誰一人として妖怪に同情する者がいない。
それどころか遠巻きに陰口を叩くしか出来なかった連中が今や公然と罵り、石を投げる始末。
店主に限った話ではない。
人里全体で妖怪蔑視の思想が蔓延している。
「……これが人里。で、これが人里の人間か」
「そっ、これが私達妖怪が人里に入りたがらない理由」
人間側に如何なる非があろうとも関係ない。
妖怪側に如何なる理由があろうとも考慮されない。
ただ、禁忌を犯したか否かの至極単純な判断の下、制裁が下される。
あまりにも人間側に偏った体制。
人間が増長するのも当然である。
(妖怪を畏れぬ人間が、幻想郷にとって価値があるのか。なぁ八雲之よ)
不穏な空気を残したまま、二人の人里巡りは続くのであった。
前編的なお話で、後編は近々投稿します。