フブキ組の合同訓練場。
その日は珍しく、全員が揃っていた。
「……で、なんで今日は全員正座なんですか?」
新人の メガネ が困惑気味に尋ねると、組員の一人が真顔で答えた。
「今日は“気当たり”の日だからだ」
「き、気当たり?」
「バッテンレッド式特訓よ」
前方では B級ヒーロー1位“地獄のフブキ" が腕を組んで立っていた。
妙に真剣な顔だ。
「アンタ新人だったわね。先に言っとくけど、死なないから安心しなさい」
「安心できる要素が皆無なんですが!?」
その時だった。
訓練場の扉がガラリと開く。
「失礼するでござるー」
赤いジャケット。
腰には日本刀。
どこか緩い空気を漂わせながら、1人の男が入ってきた。
「お疲れ様でござる、フブキ殿」
「遅い」
「途中で猫撫でてたでござる」
「帰りなさい」
「理不尽!?」
組員達は慣れた様子だった。
しかしメガネだけは違う。
(なんだこの人……)
別に大柄でもない。
筋肉の圧もない。
S級みたいな怪物感もない。
なのに。
入ってきた瞬間から妙に空気が重い。
それは威圧感というより――
“密度”。
そこに立っているだけで、周囲の空間が張り詰めているような感覚だった。
バッテンレッド――シンタは頭を掻きながら周囲を見渡す。
「今日は何人でござる?」
「24人よ」
「増えたでござるなぁ」
「アンタの気当たりで辞めなかった奴だけ残ったのよ」
「言い方ァ!」
メガネは思わず小声で隣に尋ねた。
「えっと……何するんです?」
「簡単だ」
隣の組員が真顔で言う。
「殺気を浴びる」
「意味分かんないです」
「安心しろ。俺も未だによく分かってない」
その時。
シンタがすぅ……っと息を吸った。
空気が変わる。
さっきまでの間延びした雰囲気が消えた。
「では始めるでござる」
静かな声。
次の瞬間――
ドンッ!!
「ッ!?」
メガネの視界が白く弾けた。
背筋が凍る。
喉が詰まる。
呼吸ができない。
まるで巨大な猛獣に睨まれたような、本能的恐怖。
脳が叫ぶ。
逃げろ、と。
今すぐここから離れろ、と。
だが身体が動かない。
シンタはそこに立っているだけだった。
刀も抜いていない。
なのに。
“斬られる”。
そんな錯覚が脳裏を埋め尽くす。
(な、なんだこれ……!!)
汗が噴き出す。
膝が笑う。
隣では数人が泡吹いて倒れていた。
「はい三名脱落でござるー」
「アンタは軽いのよ毎回!!」
フブキのツッコミが飛ぶ。
しかし彼女自身も額に汗を浮かべていた。
メガネは必死に呼吸を整える。
だが。
少しずつ。
本当に少しずつだった。
最初は押し潰されそうだった圧力の中に、“隙間”が見えてくる。
呼吸。
視線。
重心。
殺気の流れ。
シンタは無差別に威圧しているわけじゃない。
一人一人の限界を見ながら、絶妙に圧を調整している。
(この人……鍛えてるのか? 俺達を)
その時。
シンタと目が合った。
にへら、と力の抜けた笑み。
「お、筋が良いでござるな新人殿」
「は、はい!?」
「恐怖に飲まれる前に周囲を見る癖がある。生き残るタイプでござる」
メガネは呆然とした。
こんな訓練は見た事がない。
筋トレでもない。
実戦でもない。
技術指導でもない。
けれど確かに“死線”への耐性が鍛えられていく。
怪人と対峙した瞬間、身体が竦む。恐怖で判断が遅れる。
ヒーローにとって最悪の死因だ。
シンタはそれを無理やり叩き壊している。
フブキが溜め息混じりに言う。
「……あのバカ、自分のやってる事を説明しないのよ」
「説明苦手でござる」
「口下手の方向性がおかしいのよ」
その後。
さらに十分後。
メガネは床に倒れていた。
息も絶え絶えで天井を見上げる。
だが不思議だった。
身体は限界なのに、頭は妙に冴えている。
視界も広い。
呼吸も前より安定していた。
「お疲れ様でござる」
視界に逆さまのシンタが映る。
「……これ、意味あるんですか」
「あるでござるよ」
珍しく真面目な声音だった。
「怪人ってのは“怖い”でござる。どんな理屈並べてもそこは変わらん」
シンタは天井を見上げながら続ける。
「でも怖さに慣れると、人は周りを見る余裕ができる。仲間を見る余裕ができる」
「……」
「それができる奴は、生き残る」
その言葉を聞いた時、メガネは少しだけ理解した。
この男は不殺主義者なんかじゃない。
誰よりも。
“死”を知っている側の人間なのだと。
◇
深夜二時。
街外れのコンビニは、静寂と蛍光灯の白さだけで成立していた。
「いらっしゃいませでござるー」
気の抜けた声と共に、赤髪の青年が雑誌棚を整えている。
C級ヒーロー、バッテンレッドことシンタ。
現在の仕事――深夜コンビニアルバイト。
「ヒーローって夢ないわねぇ……」
レジから呆れた声が飛ぶ。
声の主は リリー 。今日はフブキ組の活動が無いため、シンタと同じシフトに入っていた。
「夢だけじゃ腹は膨れんでござるよ」
「アンタの場合、食費が全部和菓子に消えてるだけでしょ」
「どら焼きは命綱でござる」
「燃費が昭和なのよ」
リリーはレジ打ちしながら溜め息をつく。
しかし。
なんだかんだ言って、このバイトは妙に居心地が良かった。
シンタは接客が柔らかい。
高圧的な客にも怒らない。
酔っ払いにも笑って対応する。
しかも気配りが妙に細かい。
「お疲れでござるな」
「へ?」
「レジ前の立ち方。腰にきてるでござろ」
そう言って、さりげなく温湿布を差し出してきたりする。
「……アンタ、変なとこだけ気が利くわね」
「“だけ”!?」
そんなやり取りをしていた時だった。
ガンッ!!
自動ドアが乱暴に開く。
入ってきたのは、黒いマスクを被った男二人。
その手には拳銃。
「動くなァ!!」
店内の空気が凍る。
リリーの顔から笑みが消えた。
(強盗――!)
一人がレジへ銃口を向ける。
「金出せ!! 早くしろ!!」
もう一人は店内を警戒している。
しかし、その時点でリリーは違和感に気づいていた。
……静かすぎる。
シンタがあまりにも静かだった。
雑誌棚の前。
赤髪の青年は、しゃがんだまま缶コーヒーを並べている。
「お、おい!! 聞いてんのか!!」
強盗が怒鳴る。
シンタはゆっくり立ち上がった。
「聞こえてるでござるよ」
穏やかな声。
だが、即座に空気が変わった。
ぞわり。
店内の温度が一気に下がったような錯覚。
強盗の肩が震える。
「な、なんだ……?」
シンタは一歩前に出る。
ただそれだけだ、なのに。
“近づかれたくない”。
本能が悲鳴を上げる。
「お金欲しいのは分かるでござる」
シンタは静かに言う。
「でも銃は良くない」
「う、うるせぇ!!」
強盗が引き金を引こうとした。
その瞬間。
カンッ!!
銀色が閃いた。
「ぎゃっ!?」
男の拳銃が宙を舞う。
リリーが投げたフォークだった。
「今よ!」
その声に応じてシンタが動く。
速い――というより“消えた”。
気づいた時には、強盗の懐へ潜り込んでいた。
「え」
ドスッ。
腹部への掌底。
空気が抜ける音。
男が崩れる。
もう一人が慌てて銃を向ける。
しかしシンタは既にそこにいない。
既に強盗犯の背後に回っていた。
「ひっ――」
肩を軽く叩く。
それだけで男の身体が硬直した。
殺気。
圧。
“次に動けば斬られる”。
脳が勝手に理解してしまう。
シンタはため息混じりに言った。
「降参、するでござるか?」
男は震えながら頷いた。
数分後、通報を聞きつけた警官によって二人は連行されていった。
店内には再び静けさが戻る。
リリーはレジにもたれながら息を吐いた。
「……アンタさぁ」
「なんでござる?」
「なんでコンビニでそんな達人みたいな動きしてんのよ」
「達人ではないでござるよ」
シンタは床に落ちた肉まんを拾う。
「拙者、ただのフリーターヒーローでござる」
「絶対違う」
「あと肉まん潰れて悲しい」
「そこ!?」
その時。
店長が青ざめた顔で奥から出てきた。
「き、君達すごかったね……!」
シンタはぺこりと頭を下げる。
「いえいえ。店の商品守れて良かったでござる」
「いやそれより君、何者――」
「C級ヒーローでござる」
「嘘でしょ」
リリーが即答した。
シンタは「ひどい」と言いながら、また雑誌棚を整え始める。
その背中を見ながら、リリーは以前フブキの語った彼の評価を思い出す。
『あいつはね、
今でこそ社会的地位のあるヒーローだが昔はそんなものはなかった。
全ては自己責任。
暴漢に襲われたら自力で抗え。
警察にできるのは事後処理であって、今その時にいてくれるわけではない。
怪人が出現してからはそれが更に顕著になった。抗う力の無い弱者は搾取されるだけ。
そんな絶望の中で現れたのがヒーローだ。
何処からとなく現れて理不尽を否定する希望の象徴。
今では職業として扱われ、切磋琢磨するようにと序列ができた。
下級であるほど収入は低く、生活が苦しい。
上級であるほど収入は高く、生活は豊か。
自然とヒーロー同士で他者を恨み、蔑む者も生まれるようになる。
フブキ組はそんな荒波の中で生き残る為に徒党を組んだ者達だった。
最強のフブキを筆頭にして彼女を守る為に下っ端の自分達がいる。見る人がいれば言うだろう。
そんなの空しくね? お前らコバンザメかよ。
でもこの男はきっと、どこにいても変わらない。
戦場でも。
寿司屋でも。
コンビニでも。
人を殺さず、守る為に剣を振るう。
そんな、不器用すぎるヒーローなのだと。