アイギル大陸メシ 美味けりゃ上手もゲテモノも!   作:?がらくた

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第2話 命を灯す至高の旨味と甘味! 【オーク骨出汁の焦がし玉葱スープ】

「……なぁアンナ。いくら冬眠前の極上肉を狙うからって、わざわざ自殺志願者の名所と言われる凍てついた山に踏み込む必要はあったのか?」

 

ディートが厚手の防寒着に身を包み、深く積もった雪を大股で踏み荒らしながら吐き捨てた。吐き出された白濁した息が、刺すような極寒の空気の中で一瞬にして結晶化し、さらさらと地面に落ちていく。

 

「何を言っているの、ディート。深淵王ヴァニタスがもたらす冬の厳しさに耐えた食材ほど、生命の輝き……つまり最高の旨味を内に秘めているのよ。文句を言う暇があるなら、しっかり周囲を警戒して」

 

私は琥珀色の瞳を雪の斜面に走らせながら、おっとりと、しかし確信を込めて答えた。冷気が鼻腔を突き刺し、肺の奥がツンと痛む。肌を撫でる風は不快なほどに冷酷で、分厚い手袋越しでも指先が強張るのが分かった。その時、ディートの足がピタリと止まった。

 

「……おい。肉じゃねぇぞ。人間が転がってる」

 

視線の先、雪に半分埋もれるようにして、一人の男が倒れていた。まだ生きているかもしれない。ディートが即座に駆け寄り、男の胸元に耳を当てる。

心臓はまだ、小さく跳ねている。

 

「アンナ」

「ええ、すぐ準備しましょう」

 

急ぎ魔導馬車「アイゼン・ディ・キュッヒェ」の側面を開き、厨房を露出させる。ディートが手際よく薪を熾し、鉄の魔導コンロに火を点けると、凍てついていた車内の空気がじんわりと熱を帯び始めた。

 

「……う、うう……」

 

毛布に包まれた男が、小さく呻き声を上げて瞼を開いた。その瞳が虚ろに彷徨い、やがて私の手元で小気味よい音を立てているフライパンへと固定される。

 

ジュウウ、パチパチ、と鉄肌の上で軽快な音が響いていた。

私が炒めているのは、アイギル大陸の北国、シュネー地方の雪深くで育つ「シュネー・ツヴィーベル」だ。この雪の中で栄養を蓄えた玉葱は凍結を防ぐため、自らの澱粉を糖分へと変える性質を持つ。包丁でスライスした瞬間から、ツンとした刺激臭の奥に、驚くほど濃厚な蜜のような香りが漂っていた。

 

ラードを熱したフライパンで、焦がさないようじっくりと弱火で炒める。

白かった玉葱が、次第に透き通り、水分が抜けていく。そこからさらに、木べらでフライパンの底をこそげるようにして炒め続けると、黄金色を通り越して、深く艶やかな「きつね色」へと変化していく。水分が完全に飛び、糖分が熱でカラメル化していく瞬間の、香ばしくも暴力的なくらい甘い香りが、冷え切った車内に充満した。

 

「……いい匂いだ。俺は、死ねなかったのか……」

 

男は乾いた喉を鳴らし、掠れた声で呟いた。衣服の天秤の紋章から、かつて公的ギルドで自然保護に携わっていた人物だと察せられた。男は力なく視線を落とし、無意識に毛布を掴む指先に爪を食い込ませながら、ぽつぽつと境遇を語り始めた。名はヨハンという。

 

「長年、アウレウスの秩序の元で動物保護に取り組んできた。だが……上手くいかなかった。それどころか、密猟は増える一方だった。命懸けで育て、野生に返した子たちは無惨に殺され、地元の猟師たちからは『俺たちの食い扶持はどうなる!』と怒鳴られるばかりだった。誰も、俺の言葉など聞きやしない……。絶望したよ。せめて、あの子たちが生きるこの自然の中で、静かに逝きたかったんだ……」

 

ヨハンの言葉には、血を吐くような泥臭い絶望が張り付いていた。彼の胸の奥にある、理不尽な現実への怒りと、自己の無力さへの諦念が、言葉の端々から伝わってくる。

 

私は何も言わず、ただ調理に集中した。

きつね色になった玉葱のフライパンに、じっくりと煮込んでおいたオークの骨の出汁(ブルイヨン)を注ぎ入れる。ジュワッと激しい湯気が立ち上り、焦がし玉葱の旨味がスープ全体に溶け込んでいく。仕上げに塩と、ほんの少しの黒胡椒。

 

スープ皿に注がれたそれは、琥珀色の宝石のように美しく澄んでいた。

 

「……見事な、スープだ……」

 

ヨハンがその美しさに見惚れている。私はスープ皿を彼の前に差し出した。

 

「お召し上がりください。食こそが生命の本質です」

 

ヨハンは震える手でスプーンを握り、スープを一口、口に含んだ。

その瞬間、彼の身体がビクリと硬直した。

 

「ッ……!!」

 

口内を襲ったのは、圧倒的な旨味と甘味の爆発だった。雪の結晶が溶けるかのように、玉葱の甘さが優しく、しかし強烈に舌の上で広がり、喉を通って胃袋へと流れ込んでいく。冷え切っていた彼の五臓六腑が、内側からカッと熱くなるのが外から見ても分かった。

腹を空かせた男は、もはや言葉を失い、恍惚とした表情でスープを夢中で啜り、一滴残らず飲み干した。ヨハンの頬に、生気の赤みが差していく。

 

「……なんて、温かくて、甘いんだ。いや、甘みだけじゃない。オーク骨と玉葱の滋味、それを引き立たせる塩味、そして舌にピリッと痺れる胡椒のアクセントが器の中で完璧に調和している。こんな味が、この世にあるなんて……」

 

私は空になった皿を受け取り、ヨハンの濁った瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「この玉葱はね、シュネーの酷寒の雪の中で、凍えまいと必死に甘みを蓄えた逸品です。ぬくぬくと温かい畑で育ったものには、決して出せない深い味わいがある。過酷な環境の中でしか培われないもの、耐え抜いたからこそ得られる強さは、食材も人間も同じではないかしら」

 

私の一言にヨハンは息を呑み、言葉を詰まらせた。

すると、それまで黙ってスープの香りを嗅いでいたディートが、大剣の柄を重々しく鳴らしながら口を開いた。

 

「命捨てるのは結構だがよ。俺らの稼業……冒険者や調達屋は常に生死の境を彷徨う。だがよ、死に損なうたびに、何かしらの学びや生きる知恵を得るもんだ。あんたがここで生き延びて、アンナのスープを食った。この出逢いにも、何かしらの意味があるんじゃねぇか?」

 

ディートの現実的で不器用な言葉が、ヨハンの凍りついた心を揺さぶる。ヨハンは視線を彷徨わせ、自らの内面と必死に戦うように拳を握りしめた。

 

その時だった。

厨房の開口部の外、しんしんと降る雪の向こうに、一匹の白い狐が現れた。

狐は警戒するように耳を立て、こちらをじっと見つめている。その澄んだ瞳は、明らかにヨハンを心配そうに追っていた。

 

「あ……」

 

ヨハンの喉が、歓喜と驚愕で小さく鳴った。

 

「あの子は……間違いない。俺がかつて怪我を治し、この山に放した狐だ。生きて……生きていてくれたのか」

 

狐はヨハンが生きているのを確かめるように一度だけ短く鳴くと、美しい尾を揺らしながら、ゆっくりと雪山を降りる足取りを見せた。まるで「ついてこい」と促すかのように。アンナは白い息を吐き

 

「放っておけません。食糧調達のついでに、一旦引き返します。ヨハンさんはどうしますか?」

「……すまない、馬車に同行させてもらうよ。あの子たちのために、もう一度密猟者を防ぐ新しい仕組みをギルドに掛け合う。繋いだ命を絶やさないために……」

 

ヨハンの目から、大粒の涙が溢れ出し、彼の凍えていた頬を熱く濡らした。その涙は、絶望の終わりを告げる温かい雨のようだった。

 

「ありがとう、ありがとう……」

「ま、考え直してくれてよかったぜ」

「また逢いましょうね、ヨハンさん」

 

吹雪が吹き荒れる雪山で、私の料理は1つの命を灯した。たった一杯の優しさが人を救うこともあるのだ。私とディートは一安心して山を下るのだった。

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