アイギル大陸メシ 美味けりゃ上手もゲテモノも! 作:?がらくた
「やっと手に入ったわ、これはどんな料理にも使える最高の調味料よ!」
「……おい、アンナ。あの港町へ行く前に、わざわざこんな何もないルーエ村に立ち寄ったのは、単にこの『ルーエ岩塩』が目的だったのか?」
ディートが大剣の重みを肩で受け止めながら、革袋に詰まった薄桃色の結晶を睨みつけた。海からの湿った風が遠くから吹き込み、乾燥した大地の砂埃と混ざり合って、肌にじっとりと不快にまとわりつく。
「当然でしょう。天光神アウレウスの加護を受けたと言われるこの地の古岩塩は、肉の旨味を極限まで引き出すの。これがないと、次の港町で仕入れる予定の極上魚介(シーフード)を活かせないわ」
私は魔導馬車「アイゼン・ディ・キュッヒェ」の側面を開き、厨房の鉄板を磨きながら微笑んだ。鉄の擦れる甲高い音が、静かな村の広場に響く。
すると不穏な足音が3人分、こちらの屋台へと近づいてきた。
「お、移動屋台か。寂れた村じゃ飯屋も代わり映えしねぇからな。たまにはこういう場所で食うのも悪くねぇな。さっさとこいよ。ケルー、アンシー」
大斧を背負った、見るからに気の荒そうな男が、横柄な態度で魔導馬車のカウンターを叩いた。その後ろには、気まずそうに視線を泳がせ、仲間に申し訳なさそうに縮こまっている小柄な魔術師の少女。そして、もう一人は重い荷物を背負い、無言を貫いたまま床の木目をじっと見つめている斥候らしき男。天秤が特徴的なアウレウスのギルドバッジを胸に付けた、若い冒険者パーティーだった。
「あ、うん。ここで食べよっか……バルド」
少女が恐る恐る声を上げる。しかし、大斧の男は鼻で笑い、彼女を鋭く睨みつけた。
「あ? 役立たずが気安く話しかけてくんじゃねーよ。お前はただ後ろでオロオロしてるだけだろうが」
その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、私の隣でディートの身体が明確に強張った。彼の鉄灰色の髪の下、眉間に深い皺が刻まれる。胸の奥から漏れ出た低く濁った地鳴りのような吐息が、周囲の空気の重さを一変させた。ディートは無駄な争いを好まないが、料理の前に、こういう不浄な空気を持ち込まれるのを何より嫌う。飯が不味くなる、と。
「役立たずなんて言わないでよ! 今日だって、あなたが戦いやすいように補助の呪文をかけて……」
「あぁ? あんなの、誰がやっても同じだろ。つまり引き立て役ってことだな。俺のこの大斧の破壊力があってこそのパーティーだろ」
男の横暴な言葉に、少女は唇を噛み締め、爪が手のひらに食い込むほど拳を握りしめていた。その悔しさと悲しみが混ざった身体の震えを見て、私の脳内ですっと温度が下がる。
「とりあえず飯だ。がっつりスタミナつけてぇな」
「……ならご注文は、肉料理でよろしいかしら?」
「ああ、構わねぇよ」
私はおっとりとした声を意識しながらも、琥珀色の瞳の奥に冷徹な光を宿し、準備に取りかかった。食材を蔑ろにする者、そして共に戦う仲間を侮辱する者に、食の素晴らしさを叩き込んでやる。それこそが「食こそ生命の本質」と信じる私の義務だ。
私は冷暗箱から、美しく処理された「アイギルニワトリ」のもも肉を取り出した。豊穣母神テラの恵みを豊かに受けて育ったその肉は、弾力があり、皮目には健康的な脂がのっている。
包丁を極限まで薄く滑らせ、均一な厚みに開く。指先に伝わる肉の硬さと温度を確かめながら、余分な筋を完璧に断ち切る。
鉄板に薄くラードをひき、十分に熱気を感じたところで、肉を皮目から落とした。
ジュッッッ……鉄板に触れた瞬間、小気味よい激しい音が厨房に炸裂した。
立ち上る香ばしい脂の香りが、じっとりとした不快な風を一瞬で掻き消していく。私は肉の上に平らな重しを乗せ、皮目が完全に鉄板に密着するようにした。こうすることで、皮は限界までパリパリに、かつ余分な脂を絞り出しながら、肉汁を内側に閉じ込めることができる。
皮目がきつね色から深い黄金色へと変わる頃、重しを外して肉をひっくり返す。今度は身の側だ。火を通しすぎれば水分が逃げてパサつく。絶妙なタイミングを見計らいながら、傍らで軽く火を通しておいた地元の瑞々しい春野菜を鉄板の隅に並べた。
仕上げに、私は先ほどディートが持ってきたルーエ鉱山から採掘された色鮮やかな純度の高い古岩塩を、指先で高く掲げ、肉の上へとパラパラと振り落とした。
パチパチと塩が熱い脂に弾け、肉本来の持つ濃厚な香りが極限まで引き上げられる。
「どうぞ。お熱いうちに」
香ばしく焼き上がったもも肉を豪快に切り分け、野菜と共に木皿に盛り付けて提供した。
「……ほう、ただのチキンソテーか。だが、匂いが半端じゃねぇな」
大斧の男が、その匂いに抗えず、ナイフも使わずに肉を一切れ口に放り込んだ。
「――ッ!?」
男の動きが、咀嚼の途中で完全に止まった。
バリリッ、と皮目が小気味よく砕ける音が静かな空間に響く。続いて、中から溢れ出たのは、弾けるような肉汁の洪水だ。しかし押し寄せてきたのは鶏肉の良さだけではない。
肉本来の味わいを楽しんだ後にやってくるのは、より素材の味を引き締める上品な塩味とまろやかな甘味……!
「な、なんだこれは……! 噛むほどに肉の旨味が溢れてきやがる。単純な料理なのに、普段ギルドの酒場で食うメシと全然違うぞ!? すげぇ、料理人の腕だけでこんな変わるもんなのかよ!」
「本当……! お肉がすごく柔らかくて、ジューシー……」
少女も、無言だった男も、夢中で肉を口へと運び、その美味さに唸りを上げた。
「喜んでもらえてよかったわ。この村で採れた古岩塩を使用しているの」
私は木製の作業台にそっと手を置き、彼らを見つめた。
「調味料という『引き立て役』が完璧に機能して初めて、肉本来の隠された旨味が爆発的に引き立つわ。それは、パーティーを組む人たちにも同じことが当てはまるのではないかしら?」
私の静かに諭すと、大斧の男の手がピタリと止まった。
「あぁ、アンナの言う通りだ。さっきから聞いてりゃ、仲間にゴタゴタ文句ばかり……そうやって周りにカリカリ八つ当たって、自分が一番強いと思い込んでるのは、技術も精神も未熟な証拠だ」
ディートが大剣の鞘に手をかけたまま、低く、重い声で男を睨み据えた。その眼光の鋭さに、男の喉がゴクリと鳴り、背中に冷や汗が流れるのが見えた。
「……あ、あのさ」
それまで無言を貫いていた荷物持ちの男が、ぽつりと言葉を漏らした。彼は大斧の男の顔を真っ直ぐに見据える。
「アンシーは目立たないかもしれない。けど、バルドがいつも戦闘に集中できるように、足りない備品やポーションをいつも裏で買い足してたんだぞ。それにこの前の戦闘で刃こぼれしたアックスの修繕費用を稼ぐために、裏で割のいい依頼を夜通し探してたのも、全部こいつだ」
「え…… そう、だったのか……?」
大斧の男は、手元に残った肉の塊を見つめ、それから魔術師の少女へと視線を逃した。
肉の旨味を極限まで引き出していた、地味だが不可欠な「塩」の存在。それが目の前の少女の姿と重なったのだろう。男の顔が、恥辱と後悔で赤く染まっていく。
「……すまねぇ。俺が、間違ってた。お前がいてくれたから、俺は今まで無傷で戦えてたんだな」
男は深々と頭を下げ、少女に謝罪した。少女は驚きに目を見開いた後、嬉しそうに涙を浮かべて微笑んだ。
「ううん、分かってくれればいいの! さぁ、冷めないうちに全部食べちゃおう!」
険悪な雰囲気を漂わせていた若い冒険者の問題は一件落着し、3人は笑顔で残りの料理をたいらげ、満足そうに数枚のクラン銀貨を置いて去っていった。
「ふふ、いい塩が手に入った上に、いいものが見られたわね」
私は皿を片付けながらディートに笑いかける。
「……チッ、お前のお節介のせいで、肉の焼き加減を見る俺の胃袋が完全に空っぽになっちまったぞ。アンナ、俺の分の肉は残ってるんだろうな」
「もちろん。最高の焼き加減で、あなたにも『引き立て役』の素晴らしさを教えてあげるわ」
私たちは、遠くに見える港町の灯りを目指し、美味なる旅路を続けるために、再び馬車のエンジンを始動させるのだった。