アイギル大陸メシ 美味けりゃ上手もゲテモノも! 作:?がらくた
魔導馬車「アイゼン・ディ・キュッヒェ」を走らせているが、目的の港町まではまだかなりの距離があった。街道の途中で小規模な魔物を討伐し、ギルドの出張所で路銀をコツコツと稼いでくれるディートには感謝している。しているのだけれど。
「……なぁ、アンナ。腹が減った。もうさっきの魔物の肉は消化しちまったぞ」
ディートが鉄灰色の短い髪をガリガリと乱暴に掻きむしり、大きな胃袋をさすりながら低くうめいた。
「ちょっと、どれだけ食べるのよ。今日の分の仕込みはさっき全部終わらせたばかりなの。作る側の手間も少しは考えてちょうだい。私の分まで食いつくす気?」
「仕方ねえじゃんかよ。身体を動かせば動かすほど、胃の中が空っぽになるんだ」
ディートは頬の古傷を寄せて、本当に情けなさそうな顔をする。四肢の筋肉を維持するためには豊穣母神テラの恵みが大量に必要なのは理解できる。けれど、この私の疲労感はどうなる。旅の連日の疲れが足腰にじわりと溜まり、呼吸をするたびに肺が重く感じる。まとわりつく夜の空気は不快なほどに湿り気を帯びていて、私の体力を容赦なく削り取っていた。
私は渋々、魔導馬車の調理台に向き直る。脳内で「もう寝てしまおうか」という怠惰と、「いや、腹を空かせた相棒を放置して眠れるか」という職人の矜持が泥臭く衝突する。
「ハァ……めんどくさっ。さっさと作って、食べて、寝よ」
小さく吐き出し、私は愛用の包丁を握った。
素早く仕上げるなら、これしかない。私は棚から、極細の乾燥麦麵「ゲッティン・ディ・ハーレ」を取り出した。茹で時間が短く、滑らかな喉越しが特徴のパスタだ。その美しい毛と見紛う見た目から、「女神の毛髪」と呼ばれている。
大鍋にたっぷりの湯を沸かし、ルーエ村で手に入れた古岩塩をガサッと投入する。湯が激しく波打つのを確認し、細麵を放射状に広げて落とした。
茹で時間はわずか2分。その間に、隣の鉄製フライパンを熱する。
カンカンと小気味よい音を立ててフライパンが温まったところで、新鮮なラードではなく、今回は豊かなコクを出すために「アイギル牛の放牧バター」を贅沢に一塊落とした。
じゅわあ、とバターが泡立ち、特有の甘く濃厚な香りが広がる。そこへ薄切りにした鮮やかな紫の薄皮が特徴の大蒜(ニンニク)を投入。火力が強すぎると大蒜はすぐに焦げて苦味に変わる。私はフライパンの底を火から数センチ浮かせ、絶妙な手熱で大蒜の水分を飛ばし、旨味をバターへと移していった。
パチパチと大蒜が色づき始めた瞬間、ドゥルスト砂漠のオアシス周辺で収穫した乾燥ハーブと、ズッキーニに似た、独特の苦味がある地元の野菜を薄切りにして滑り込ませる。
そして、ここからが味の核心だ。
私は冷暗箱から、前回の料理で残ったアイギルニワトリの骨を、ハーブや根菜と共に丸一日じっくりと煮込んでおいた特製の「鶏ガラ出汁(ブルイヨン)」をレードルですくい、フライパンへ一気に注ぎ入れた。
ジュワァァァッッッ!
一際激しい湯気と共に、大蒜の刺激的な香りと、鶏の凝縮された濃厚な旨味の香りが融合し、爆発的に車内に充満した。
スプーンでソースを一口啜る。脳内で、塩味と旨味のバランスを瞬時に計算する。よし、完璧。茹で上がった細麵をザルに上げ、水気を切る間もなくフライパンのソースの中へと滑り込ませた。
手首を鋭く返し、フライパンを数回大きく振る。麵の持つ澱粉質と、バター、そして鶏ガラの出汁が激しく混ざり合い、カチャカチャと小気味よい音を立てながら、とろりとした乳化ソースへと生まれ変わっていく。
皿に高く盛り付け、仕上げに粗挽きの黒胡椒をひと振り。
「はい、お待たせ。特製出汁のガリバタ風ゲッティン・ディ・ハーレよ」
湯気が立ち上る大皿を前に、ディートは鉄灰色の瞳を空腹のあまり、獲物を見つけた狼のようにギラつかせる。
フォークを力強く握りしめ、細麵を豪快に巻き取って口へ放り込む。
「ん、んんッッ!!」
ディートの喉がゴクリと大きく鳴り、身体がガチリと硬直した。
彼の脳内で、空腹による苛立ちと疲労が、一瞬にしてこの濃厚なスープパスタの旨味によって上書きされていくのが分かった。大蒜の上品な辛味が舌を刺激し、噛むほどに細麵の隙間から溢れ出す鶏ガラの奥深い出汁と、バターのまろやかさが彼の胃袋を直撃したはずだ。しかし旨味の暴力だけで、これほど卓越した味は出せない。熱を通した大蒜から滲み出す甘味、入れた季節野菜の苦味、それらが一皿の中で完全なものに仕上げられている。
「……う、美味い! なんだこれは、ただの塩味じゃねぇよな。鶏の出汁が麵の芯まで染み込んでやがる。大蒜の匂いだけで、気力が一気に湧いてくるじゃねぇか!最高、最高だ……」
ディートは額に汗を浮かべ、傷のある頬を歓喜で歪めながら、一心不乱にパスタを啜り続けた。ズズッ、ズズッという音が、不快だった夜の静寂を小気味よく塗り替えていく。
「ふふっ、大袈裟な反応ね。ま、どれだけめんどくさくても、それだけ喜んで、綺麗に残さず食べてくれるなら……作った甲斐があるわ」
私は木製の作業台にぽんと肘をつき、手元に残った一切れの野菜を口に運びながら、小さく息を漏らした。胸の奥が、じんわりと温かい達成感で満たされていく。心臓の跳ねが落ち着き、身体の強張りが解けていくのが分かった。
「……アンナ、いつも悪いな。急に無理言って……感謝してっからよ」
ディートは皿を綺麗に空にすると、フォークを置き、珍しくバツが悪そうに視線を泳がせた。だが、その顔は完全に満足しきっている。
「明日も死ぬ気で魔物を狩って、がっつり路銀を稼いで、アンナを地の果てにだって連れていってやる。だから……明日のメシも頼んだぜ。お前のメシじゃなきゃ、俺は満足できねぇ体になっちまったからな」
「いいわよ。その代わり次はもっと強くて美味しい魔物を連れてきてよね」
「おう、任せとけ」
私たちは互いに顔を見合わせ、自然と頬を緩ませた。
胃袋を満たし、心を通わせた2人は、明日迎えるであろう新たな美味への期待を胸に、心地よい眠りへと就くために魔導馬車の明かりを消すのだった。