姫と勇者と、メイドさん   作:食卓塩少佐

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1章 約束と妹と、お嫁さん
第一話


 お気に入りの曲をイヤホンから流しつつ、徠斗はレポートを作成していた。

 5コマ目の講義を終えてからもうかれこれ、四時間はパソコンの前でにらめっこをしている。

 大学図書館のパソコン席に備えられている椅子は、徠斗のような課題に取り組む学生のために、質の良い柔らかめの素材で作られていた。とはいえ、流石に座りっぱなしでは腰も背中も限界も近い。

 本音を言えば、さっさとパソコンの電源を落として席を立ち、この時間でもまだ営業している大学前のファストフード店でピクルスを多めにトッピングしたチーズバーガーを頬張りたいが、そうもいかなかった。

 

「あークソ、なんで文章被るかなぁ……」

 

 ぼそっと呪詛を漏らしながらキーボードのバックスペースを連打し、今しがた入力したばかりの文章を大幅に削除していく。

 苦戦しているのも当然のこと。徠斗は『心理学研究法Ⅰ』と呼ばれる、自身の学科でもっとも悪名高い必修講義のレポートを相手にしているのだから。

 これは二週間に一回、心理学に関する実験を行い、レポートを提出する講義だ。

 実験は個人ではなくグループで行い、実験結果や意見共有も行うため、一見すると面倒ではあっても、レポート作成に四時間を要するようには思えない。

 それでも徠斗が苦戦する理由は、主に以下の二つだ。

 

 一つ、講義中に行う実験がどれも過去にやり尽くされており、過去に書かれた論文に事欠かないものばかりであること。

 二つ、レポートの文章は最低4,000文字であり、実験に関連した過去の論文を最低3つ参考にし、なおかつ参考文献と同じ文章が多いと判断された場合は返却される。

 

 特に二つ目の条件が徠斗を──というよりも、彼の学科にいる学生全員の頭を悩ませていた。

 最低文字数の多さもそうだが、まず実験結果だけでなく、結果から得た自分の考察を肯定する内容が書かれた過去の文献を複数見つけて、そこから文章を引用しつつ、自分オリジナルの視点を盛り込まなければならない。

 自分なりに考えた文章も、教授が読んで『この論文のパクリだな』と判断すれば、あるいは論文と異なる色を出そうとしすぎて、『書かれてる内容が曖昧すぎる』と見做されたら、最初からやり直しになってしまう。

 期日が延びることはないため、レポートを提出できなかったり、提出しても評価がC未満だったら、必修講義の単位は取得できない。卒業の道が遠のき、留年の二文字が接近するのだ。

 ある学生はこの講義を、『とっくに味の消えたガムを無理やり味わっているような気分だ』と嘆いていたが、激しく同意せざるを得ない。

 徠斗はそこから更にもう一つ二つ表現をかさ増しして、『他の人が散々噛んだ、唾液まみれのガムを無理やり口に入れて味のレビューをしている気分』とまで思っている。

 レポートの期日までまだ8日あるが、さりとて、8日しか無いとも言える。別の講義の課題やバイトの時間も考えれば、今日のうちに完成して提出まで持っていきたいところではあったが。

 無情にも閉館時間のアナウンスが、館内に流れてしまった。

 

「……時間切れかぁ」

 

 ファイルを保存してからパソコンの電源を落とすと、蓄積していた疲れが一気にやって来た。

 背中や腰はもちろんのこと、タイピングに酷使した指先も痛い。加えてこれは徠斗の打鍵の問題だが、利き腕の右手首も痛みを主張している。

 何より4時間休み無しで文献漁りと熟読、レポート作成を行った結果、本日分の集中力は在庫切れになってしまった。

 こうなってしまえば最後、自宅に戻って続きをする気にもならない。

 幸いなことに、先程苛つきながら削除した数行分を除き、レポートの内容はほぼ形ができあがっている。

 明日いくらか苦労するのを必要なコストと割り切れば、今日はもう止めても良いタイミングではあった。

 手早くルーズリーフや実験資料をファイルにしまってカバンに入れると、椅子から立ち上がってグイッと背中を伸ばす。

 長時間同じ姿勢だったため、凝り固まった身体からパキッと小気味良い音が鳴って、視界が白く染まりぼぅっと意識が遠のいていた。

 

「ん、んんぅ〜……っ」

 

 意識が溶けていく感覚は心地良くもあるが、やり過ぎて一瞬気を失う事もあるので、徠斗は寸でのところで姿勢を戻した。

 

「へへっ、危ねぇまたやる所だった」

 

 故意に立ちくらみを起こしたのが1人で勝手に楽しくなり、小さな声でくつくつと笑う徠斗。

 倒れるのは嫌だが、脳みそを強制的にリフレッシュさせたような気がして、中々に気分が良くなるのでついやってしまう。

 はたから見れば、競う相手もなくチキンレースを楽しむか如き奇行だが、幸いなことに周囲に人はなく、徠斗が奇異の視線を浴びることはなかった。

 

「陽……長くなったな」

 

 大学図書館を出て空を見上げ、ぽつりと呟く。

 19時を過ぎたにしては空はまだ西の方が藍色で、完全な夜闇にはなっていなかった。

 春が深まって冬の名残が消え去って、夏に転じていく気配を肌に感じながら、スクーターを停めている駐輪場までの短い道のりを歩く。

 

「……あ」

 

 その途中、先を歩いていた学生らの中に、見知った人物を見つけた。

 歩みを幾ばくか早めて、近くなった背中に声をかける。

 

「おーい、野々原」

「ん? おぉ度会ー。びっくりしたぁ」

 

 間延びした返事に、朗らかな笑顔。

 ひと目で人の良さが伝わる青年の名前は、野々原。

 徠斗とはコースは違うが、学科とゼミが同じ大学2年生だ。

 まだ大学生活に不慣れだった1年生の4月に、教科書を忘れて困っていた野々原を徠斗が助けて以降、2人は友人として交流している。

 

「どうしたの、こんな時間まで珍しい……てのはお互いさまか」

「レポート作成で詰まってた。マジで地獄だよ今回の実験」

「あー、丸瀬も先週同じこと言ってた。『性格が悪い〜!』ってレポートの修正で嘆いてたよ」

「嘘だろ……丸瀬さんでも返却されんのか」

 

 そのまま自然と肩を並べて歩いていく。

 途中の駐輪場でスクーターを拾ったが、徠斗は跨らず手で押しながら、野々原が向かう最寄り駅まで一緒に向かった。

 

「そんなに難しいなら、丸瀬に見てもらったら? 教授のクセとか教えてくれるんじゃないかな」

「俺、ちょっと苦手なんだよあの人……」

「えぇ〜、なんで? この前だって課題のこと教えてくれたじゃない」

「いい人なのは知ってるけどさ。そうなんだけど……」

 

 意外そうな顔を向ける野々原に対して、渋い顔になりながら徠斗は答える。

 

「どこまで冗談が通じる相手か分かんなくって……、言葉選びに気を使うんだよね」

「……あはは、あの人いっつも笑顔だもんな~。なんか分かるかも」

 

 いつも笑顔で笑っている人ほど、心のうちは分からないものだ。

 偏見と感じるかもしれないが、これが意外とそうでもないのが人間の面白いところ。

 他人に期待をしてない人ほど、いつも他人に優しいなんていう話もあるくらいなのだから。

 

「まぁそれなら自力で頑張れ頑張れ。他人事ながら応援してるよ」

「ほんっとに他人事のときにしかしない反応しやがってからに」

 

 遠慮の要らない軽口の応酬。

 レポート作成のため凝り固まっていた思考が、一気に和らいでいくのを感じる徠斗だった。

 

「それで、野々原は? 今の時期にこの時間までレポート作るような講義受けてないだろ?」

「俺? ……んと、色々あってね」

「色々って、なんだよ。気になるじゃん。お前部活かサークル入ってたっけ」

「入ってるけど、そっちは違くて……」

「何だよぉ、無駄にもったいぶるじゃん。まさかデートでもしてたんじゃないだろうな」

 

 若干煮えきらない態度の野々原をからかうつもりで口にした、『どうせお前彼女なんていないだろう』という負の信頼の上で口にしたはずの冗談だったが。

 

「…………」

「……おい、なんだよその沈黙と表情は」

 

 意味深な沈黙と、図星を突かれたかのように目を見開き、口元をぎゅっと閉じる。

 そんな野々原の反応は、徠斗の中にあった薄くて陰険な信頼を、やすやすと打ち砕くものであった。

 

「え。マジなん? お前彼女いたの?」

「いや……彼女っていうか、そうじゃないんだけど、難しくって……」

「はぁ? じゃあ何、もしかして◯フレ? セ◯レなのか! お前の分際でセフ◯!?」

「ちょっと、そんな下品な言葉を大声で連発するなよ! それに『分際』ってちょっと失礼だからな!」

「──はっ! ……すまん、割と本気で動揺して」

「本当に動揺しすぎだよ、まったく。……うーん、でもまぁこういう機会だし、度会になら話してもいいか」

 

 辺りに先程の徠斗の問題発言を聞いた学生がいないか確認してから、野々原がもう一度神妙な顔になり、言葉を続けた。

 

「……あのさ、度会ってこの前、電車でトラブルにあってなかった?」

「急になんだよ……あったけど?」

 

 今から9日前のことを、徠斗はふわりと思い出す。

 自業自得な理由で本来ならまず選ばない電車通学をした結果、酔っ払った中年男性が女の子に絡むという、面倒極まりない場面に出くわしてしまったことを。

 

「殴られたりして最悪だったけどさ、その時に助けたのが、今のバイトの後輩になったんだよ。奇妙な縁もあるもんだよな」

「助けたとき、髪の長い女の子いなかった?」

「……何人かいたんじゃない?」

 

 俺の話はスルーかよ、という若干の不満を即座に飲み込んで徠斗は答えた。

 自身と野々原の間に、会話の温度差があることに気づいたからだ。

 普段の野々原なら『助けた女の子がバイトの後輩になった』なんてドラマ性のある話を、スルーしない。必ず大きなリアクションをしてくれるのが、徠斗の知る野々原という人間なのだから。

 そもそも、あの場に間違いなく居なかった(あの日、野々原も二日酔いで休んでいたのだから)

 野々原が、電車での出来事を知っているのも奇妙な話である。

 つまりあの日、あの車両の中に野々原の推定彼女が居たことになるのだが……。

 

「その中にさ、三日月の形した髪留めしてるの居なかった?」

「……居たねぇ」

 

 腰まで届く濡羽色の長髪、すらりという形容がぴったりな手足、顔立ちは高名な画家が理想として絵に描いたかのような美人顔。

 それでいて、三日月を模したシンプルながら可愛らしい髪留めをしたギャップ持ちの美人が、中年男性を駅員に引き渡すとき協力してくれた。

 そう言えば……と徠斗は連想して思い出す。あの美人は彼氏がいる旨の発言をしていた。

 そして今、目の前で当該女性を思い起こさせる特徴を口にした男子大学生がいる。

 徠斗の無駄な時に無駄に発揮される推理力が、一つの結論を導き出した。

 

「よし、野々原。一発殴らせろ」

「な、なんでさ!?」

「お前、あんな超弩級の美人に彼氏って呼ばれてんのに、セフ◯扱いしてるとか最低すぎだろ」

 

 女性の心を踏みにじる野々原に対して、徠斗の拳に義憤の炎が宿る。

 決して嫉妬の闇ではない。決して。

 

「ま、待ってよ! そこなんだって、度会に相談したいのは! ……というより、他所でも俺のことそうやって言いふらしてるのかよ……」

「……?」

 

 慌てふためいているが、声色からはどうにも嘘やごまかしの気配は感じられない。

 そもそもの話、友人になって一年程度の関係でも、流石に野々原が性にふしだらな性格では無いことくらいは分かる。

 徠斗の無駄な推理力が、いま一度仕事した。

 

「なんだよ。じゃあ、あの美人さんが一方的に彼女面してるって言いたいのか?」

「……明日、バイトだったよな?」

「質問に質問で……まぁ良いや。あぁバイトだけど?」

「じゃあ、夜になったら行くよ。その時に、相談に乗ってほしいんだ」

「えぇ? 別にいいけど、ここまで話したらいま最後まで話せばよくね?」

「どうしても、大学の人間がいる場所じゃ嫌なんだ……わがままでごめんだけど、頼むよ!」

 

 足を止めて、両手を合わせながら頭を下げる野々原。

 いつもの野々原らしからぬ言動を受けて、かなり面倒な話に発展しそうな気配を全身で感じる徠斗ではあったが。

 

 ──こ、断り(づれ)ぇ……

 

 友人が珍しく真剣に頭を下げてきたのに対して、無下に断れる性根を持ち合わせていないのが運の尽き。

 さながら『はい』と『いいえ』の選択肢があっても、『はい』を選ぶまで話が進まないRPGゲームが如く、彼の次の言葉は既に決まりきっているのだった。

 

「い、いいよ……? ただ、来る前に連絡は寄越せよな?」

「──っ、ありがとう!」

 

 パッと顔を輝かせてまっすぐ礼を口にする野々原。

 それを受けて、少しいい気になってしまうのだから、我ながら甘いと内心自嘲しつつ、その日は解散となった。

 


 

 図らずも友人の悩み相談を受ける羽目になった徠斗だが、人に愚痴りたい悩みを持つのは、彼もまた同じだった。

 翌日の昼食を削りながら完成させたレポートが、噂通り重箱の隅をつつくのが得意な教授のネチネチした指摘を受け、にべもなく返却されてしまったこともそうだが。

 バイト先である喫茶BAR『まほら』でも、彼の頭を悩ませることが一つあった。

 

「──距離感?」

 

 グラスを磨く手を止めないまま、顔だけ徠斗に向けてそう尋ねたのは、まほらの店長である朝姫。

 

「はい、店長からも言ってくれませんか」

 

 朝姫に背中を向けてテーブルを拭きながら、徠斗が困り果てたように話す。

 

「せやからマスターって呼べて言うとるやろ……まぁ今はええわ。何があかんねん。後輩に慕われてるいうんは、別にええやないの」

「何事にも程度があるって話ですよ……」

 

 レポートに並んで徠斗の頭を悩ませているもの。

 それは、先日からバイトの後輩になった朝倉巴だ。

 

「嫌われるよりはマシですよ? でも出会って一週間ちょっとしか経ってないのに、気安過ぎなんですって彼女」

「気安過ぎって、巴ちゃんにどないされとんねん」

「いや、店長も見てるでしょ」

 

 まず顔を合わせたら『せんぱーい!』と子犬のように駆け寄り、抱きついてくるところから始まり。

 開店前にバックヤードでスマホを見てると『先輩、何みてるの?』と、吐息が当たる距離で顔を近づけて覗き込んできたり。

 徠斗が飲んだペットボトルやゴミを『ボクが捨てておくね!』と言って、頼んでもないのに世話を焼こうとしたり。

 客が少なく手が空いてる時に、徠斗の手を取って『わぁ、先輩の手おっきいー!』と無邪気に弄ろうとしたり。

 とにかく、セクハラやコンプライアンスが声高に叫ばれる昨今、性別が逆なら普通にアウトの判定が下されるくらいに、朝倉は徠斗に対して積極的という言葉すら足りないほどのコミュニケーションを取ってくるのだった。

 

「それの何があかんの。聞く人が聞けば血涙ものやんか」

「いや、おかしいじゃないですか。馴れ馴れしいってレベル越えてますよ」

「うーん……そうは言ってもなぁ」

 

 拭き終わったグラスを棚に入れて、胸元からタバコを取り出すとくわえて火をつける。

 既に焚いていた白檀のお香に、朝姫のピース・ヴィンテージが混じっていく。

 深く吸いながら言葉を頭の中でまとめきると、ぽうっと煙を吐き出した。

 

「もう一度、自分が巴ちゃんにしたこと振り返ってみ?」

「振り返るって……」

「電車で腐った酔いどれに絡まれて、誰も見向きもせえへん中、身を挺して助けてくれた。しかもそこそこツラも良い。…… 懐かれてもしゃあないんちゃうか?」

「そんな……」

 

 ツッコミも出来へんのかい──そこそこツラは良いという、さりげない褒め言葉を拾えない程度には、本気で参っているようなのは確からしい。

 これは単なる不幸風自慢では無さそうだと見た朝姫は、手元の灰皿を片手にカウンター席にまわり、腰を落としてから徠斗に尋ねた。

 

「なんか、巴ちゃんに嫌なところでもあるんか? 今どき珍しいくらい擦れてへんええ子やと思うけどなぁ」

「そこは俺も同意しますよ、けど……」

「歳下はアウトオブ眼中ってところか」

「なんですかそれ、昔の言葉?」

「おいコラ、話の途中にいきなりジェネレーションギャップで刺してくんなや。オッサン死んでまうて」

「真剣な話にスラング挟むからでしょ……」

 

 相談を受ける立場でありながら、勝手に打ちひしがれる朝姫。

 徠斗は猛烈に相談する相手を間違えたと思っているが、この店で朝姫以上の責任者が存在しない以上、どうしようもないので話を続けることにした。

 

「ちょっと怖いんですよ。そういうの」

「怖いって? そんな怖がるようなことあるか?」

「ああいう、無邪気に信頼を寄せて来るのがです。確かに電車の件があったとは言え、まるでずっと昔から俺を知ってたみたいに……幾らなんでも、あそこまで親しげにされる理由が無いんですよ」

「はぁ……いや、徠斗クンと知り合って1年ちょいやけど……意外なトコもあるんやねぇ」

 

 既に半分ほどの長さになったタバコをふかし、朝姫は驚きと関心が混ざった表情で徠斗をまじまじと見つめた。

 値踏みされているような視線を幾らか煩わしく感じるが、徠斗もここまで踏み込んだ話をしたのは初めてなので、甘んじて受ける。

 

「どうも、これは俺の勝手な憶測になるんやけど」

 

 そう断りを入れて、続けて言った。

 

「それだけっちゅうことはあらへんよな? 自分、ひょっとして昔、歳下になんかされたことあったんちゃうの?」

「……まぁ、ちょっと」

 

 言動の端々におふざけを織り交ぜる朝姫だが、接客業で生計を立てているだけあって、人を見る目は確かなものだ。

 ただ単に徠斗が分かりやすかっただけかもしれないが、朝姫の憶測を否定できなかったのだから。

 

「何があったかは、たぶんまだ聞いても答えてくれへんのやろなぁ」

「できれば、そうですね」

「ま、俺みたいないい加減な奴でも、生きとったら隠したいことぎょうさん出てくるわけやし? 徠斗クンみたいな真面目な子じゃなおさらやな」

 

 そう言って、フィルターすれすれになったタバコを灰皿に押し付けて火を消すと、

 

「せやったらまぁ、巴ちゃんにはそこはかとなーく、さりげなーく話しといたるわ」

「ありがとうございます! それと、すみません……めんどうな仕事増やしてしまって」

「かまへんよ、部下の労働環境を整えんのも、この店の()()()()の仕事やからな」

 

 そう言ってニッと笑うと、カウンター席から立ちあがって言葉を続けた。

 

「ほな、もうすぐ巴ちゃんも来る時間やし? そろそろ本格的に開店準備しよか」

「はい……助かります、マスター

「ふぅん!? 今ちょっとなんて言うた?」

「ほら、自分で言ったんですから準備しましょう店長」

「あ、こら。言葉尻掴んで誤魔化すんはズルいで自分!」

 

 聞き漏らしてしまった念願の呼び方をもう一度。そんな朝姫の望みを断ち切るかのように、従業員用出入り口の扉が開く音と共に、陽気な少女の声が店内を満たした。

 

「こんにちはー! わぁ、今日もいい香り~!」

 

 白檀の香りに入店早々歓喜の声を上げたのは当然、先程までの会話において中心となっていた朝倉巴だ。

 高校からまっすぐ店に来た巴は、制服のスカートをたなびかせてフロアに顔を出すと、そのままの勢いでまっすぐ徠斗の前に駆け寄ってきた。

 

「こんにちは、先輩! ボクね、今日家庭科の調理実習があったんだ!」

「こんにちは、朝倉さん。調理実習かぁ、何を作ったのか聞いても?」

 

 会って早々ご機嫌なテンションの巴に呑まれかけながらも、徠斗は普段通りのテンションで続きを促す。

 

「ふふ。何だと思う~?」

「鶏レバーの甘辛煮」

「そんなオジサンのおつまみ作らないよ!」

「じゃあ筑前煮。それか……レンコンの挟み揚げとか」

「なんで出てくる料理が全部オジサンの好物ばっかりなのさ! ……もしかして先輩、そういうのが好きなの?」

「焼酎に合うよね」

「うわーん! 店長、先輩がこの歳でオッサンに成り果ててますー!」

 

 実態は、徠斗のアパートの近くで売ってる安い惣菜を適当に挙げただけに過ぎないが、一人で勝手にショックを覚えている巴が面白いので黙ることにした。

 焼酎は芋も麦もいけるクチだが、先程のラインナップと一番相性がいいのは米焼酎だと教えたら、更に嘆くのだろうか。出会ってから巴の距離感に翻弄され気味だった徠斗にとって、珍しく立場が逆転している状況に楽しみを覚えたが。

 

「……いや、相談相手まちごうとるで。俺その()()()()()オッサンなんやけど……?」

「あっ!? ……ち、違いますよ店長ー! そういうんじゃなくってぇ……あはは」

「ええよええよ、店のお香は加齢臭を誤魔化すための苦肉の策やし、あと何年髪染めて毛根耐えてくれるかなとか思ってへんし? なんべん言ってもバイトはマスター言うてくれへんことももう慣れたし……?」

「あぁもう、不貞腐れないで店長~! 加齢臭よりもタバコ臭い方が気になるけど、店長はイケオジだから!」

「この流れで意地でもマスターって呼ばへんことある!?」

 

 勝手に傷心した朝姫と、意図せぬ失言で動揺した結果、フォローなのか追い打ちなのか分かりかねる発言を繰り返す巴の応酬の方が面白いので、静かにテーブルの清掃を再開した。

 


 

 まほらは18時という、一般的な喫茶店と比べて遥かに遅い時刻から始まる。

 普通なら商売が成り立たないように思えるが、意外にも繁盛と呼べるだけの売上を出していた。

 駅からそこそこ近いという立地条件、隠れ家風に見えなくもない店内の雰囲気、あるいは朝姫から醸し出される胡散臭いオーラが、人の興味を引いてるのかもしれない。

 仕事帰りの社会人や、近所で暇している年金老人が、満席になるかならないかのペースで出入りしていくのだ。

 朝姫は店の売りである珈琲飲料を全て一人で担っている。必然的に、その他の食べ物は全て徠斗が担当する。

 近所から来ている客はもっぱら珈琲を飲みに来ているが、それ以上に割合の大きい社会人は夕飯を求めに来店するので、徠斗は20時を過ぎるまで暇になることの方が少なかった。

 巴が来る前は作った料理を客席へ運ぶのも徠斗の仕事だったが、巴が来てからはフロア業務は彼女に一任されたため、徠斗の負担は比較的に軽くなったと言えるだろう。

 ……もっとも、新しい店員が『小さく華奢だが、笑顔で元気な接客で可愛い』という口コミがにわかに広まった結果、客足が若干増えて徠斗の負担が増えたとも言えるのだが。

 

「……はぁ。まいったね相変わらず」

 

 この日も営業開始してから意識が忙殺され、あっという間に3時間が経った。

 高校生の巴が働いていられる時間、そして()()()()()()()まほらが営業を終えるまで、残り1時間を切った。

 近所の客も、社会人も帰路について、店は開店前ぶりの静けさを取り戻す。

 食器類を片付けて、完全に手が空いた徠斗が、掛けていたエプロンで濡れた手を拭きながらバックヤードから出てきた。

 

「店長、言いそびれてたんですが、今日このあと大学の友人が来ます」

「ん~。別に誰が来よってもかまへんけど……」

 

 珈琲豆の入った瓶を手に持ちながら、朝姫が物珍しそうに続けて言った。

 

「自分が大学の友達連れてくるなんて、めったにあらへんな。なんや、大学でも営業活動してくれとんの?」

「いや。なんか、人生相談みたいなのを頼まれまして」

「人生相談?」

「すごーい! 先輩、頼られてるんだ」

 

 物珍しさから怪訝な表情に切り替わる朝姫と、無邪気に徠斗を褒め立てる巴。

 真反対の反応を同時に受けて、苦笑しつつ簡潔に成り行きを説明するのだった。

 

「──それ、七面倒臭そうな匂いがプンプンするで。相談、受けないほうがええんちゃうか?」

「面倒くさそうなのは同感です。けど、もう相談に乗るって約束した手前、反故にするのも嫌で」

「かー、変なとこ真面目やなぁ」

「そんな事ないよ店長! 恋に悩んでる人を面倒なんて、イケオジが言っちゃ駄目なんだから」

「なんでやねん。イケオジに背負わされる責任重すぎやろ」

「とにかく、先輩に助けを求めてるんだもん。仲間として見捨てられないよね!」

「なんで朝倉さんが俺以上に乗り気になってんですか」

 

 他人の恋路にノリノリになるのは、やはり年頃の女子高生だからか──いや、大学の女子も大概だったなと思い直してから、宥めるように続けて言った。

 

「朝倉さん、野々原が来るのは22時すぎだよ。()()()になるからバイト終わって帰らないとでしょ」

「え? 何言ってるの先輩。ボク帰らないで一緒にいるけど?」

「ちょっと待って。何でそんな常識みたいに言うのさ。何時まで相談が続くかわからないし、遅いから家の人も心配するんじゃ──」

「大丈夫」

 

 徠斗の言葉を遮って、巴は断言する。当然、確かめもせず言い切るのを許容するわけにもいかなかったが。

 

「家は大丈夫だから。先輩は気にしないで、ね?」

「…………」

 

 いつも通りの懐っこい笑顔と朗らかな声色。しかしどことなく、有無を言わせない圧がある。

 徠斗の胸中には明確な疑念が生じていたものの、一緒に話を聞いており、面接の過程で巴の家庭事情を把握してるはずの朝姫が、反対する気配を微塵も見せていない。

 となれば、徠斗も無理に反対する理由が出てこず、

 

「……まぁ、良いけども」

 

 そう言って、納得という言葉を飲み込むのだった。

 

「いや、やっぱ普通に大学の友達との会話をバイト先の人に見られんの嫌なんだけど!?」

「まぁまぁ、そう言わずに~!」

「普段見せない顔、見せたってや~!」

「何だコイツら!」

 

 今この瞬間だけ、バイト先を間違えてしまったと激しく後悔するのだった。

 




あとがきのくっそ雑な登場人物紹介コーナー①
度会徠斗
・主人公
・お酒が大好き
・好みのタイプは同年代か2つくらい上の高身長女性
・趣味特技はタップダンス。モテるかと思って中学から始めた
・昔からRPGゲームが好き。でもクリア後にラスボス戦手前にセーブデータが戻るのが気に入らない
・店長は好き、エセ関西弁がウケるから。友達は好き、一緒に飲むと楽しいから。丸瀬さんは苦手、ハラスメントやらかすのが怖いから。巴はよくわかんない、いい子なんだけどどうも馴れ馴れしいっていうか、確かに助けたけど別にそこまで懐くようなことしてる?裏あるんじゃね?とか余計なこと考えてしまうし、そんな事を考える自分にちょっと嫌な感じを覚えるから

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