姫と勇者と、メイドさん   作:食卓塩少佐

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第二話

 静寂とは無縁の大学3号棟。昼食を楽しむ大学生たちが生み出す喧騒の中、2人席のソファに腰を下ろして締まりのない顔でネギトロ丼を頬張る男が一人。

 同じ学科の女子から『もう少し服装のセンスがあればモテるのに』と、影で密かに語られている度会徠斗だ。

 

「はぁ……まいったなぁ」

 

 気難しい顔をしながら、誰に言うでもなく、ため息とともに漏れ出た独り言。

 決して、味の薄いトロをごまかすように醤油を多めにかけたのに、それでも拭いきれない微妙な味わいに、750円の価値をどう見だすか悩んでのものではない。

 再提出を求められているレポートの進捗がほとんど進んでいないことでも……いや、それは流石に悩みのタネの一つではあるが、根本的な原因では無かった。

 ネギトロ丼は喉にかけ込めば無くなるし、レポートもただ純粋に面倒というだけで、何を直せば良いかの目星はついている。

 どちらともゴールが見えている問題でしかなく、少なくとも徠斗は解決手段が見えてる問題では、ここまで深く頭を悩ませる性格ではない。

 つまり今の彼は、“解決手段が見えない悩み”に参っていた。

 

「受けるんじゃなかったなぁ」

「なにが?」

「──うぉっ」

 

 来るはずのない返事が耳に入り、慌てて前を向く。

 

「こんにちは、度会くん。随分と渋い顔してるね」

「あー……どうも、丸瀬さん」

 

 徠斗の向かい側の席に、いつの間にか定食を乗せたトレーを手に持つ丸瀬莉乃が座っていた。

 広い構内で予想だにしなかった知人との遭遇に加え、見事に独り言を聞かされたことの羞恥心が、寸前まで彼の脳裡を占めていた悩みを上書きさせる。

 そんな彼の心のうちなど知りもしない丸瀬は、とくに何かを気負う事もせずに言った。

 

「席、どこもいっぱいで。良かったら一緒に食べて良い?」

 

 時刻はお昼休みの真っ只中。

 早めにきていた徠斗と違い、このタイミングで3号館に来た丸瀬は座席の争奪戦に敗れていた。であれば偶然見かけた知り合いにあやかるのも、自然な流れだろう。

 丸瀬をどことなく苦手にしている徠斗にしたって、まだ返せていない先日の課題の借りを返す意味でも、断る理由は無かった。

 

「もちろん、どうぞ。というかもう座ってるじゃないすか」

「度会くんなら、OKって言ってくれると信じてたってことで。あ、今日はネギトロ丼なんだ。ここの美味しいもんね〜」

「……だね」

 

 どことなく苦手な丸瀬だったが、少なくとも食の好みに関して真っ向から違うことだけは、たったいま確定したのであった。

 

「それで?」

「ん? それでって?」

「度会くん、食べる手が止まってたから。何かお悩みなのかなーって。もしかして靏岡先生のレポートかな、確か度会くんの班が今週の担当だったよね?」

「うん。それはそれで悩みのタネなんですけど、ね」

「え〜それじゃないんだ。よかったら話してみて、あたし相談乗るよ?」

 

 右腕を曲げて、全く盛り上がってない力こぶをアピールする丸瀬。

 女子特有のしなやかで柔らかそうな細腕と、半袖の裾から一瞬だけのぞいた腋に、はしたなくも目が向いてしまった。

 後ろめたさを覚えるのと同時に、こんなにも親切な人間に向かって、苦手意識を覚えてることの申し訳なさも重なり、

 

「かなり込み入った話なんだけど、それでも良ければ」

 

 丸瀬の善意を甘んじて受け入れてしまうのだった。

 

「悩みなんて込み入ってるのが普通でしょ? 話してみて……あ、でも闇バイトとかはやめてよね」

「もちろん! そういうのじゃなくてさ……野々原いるじゃん、同じゼミの」

「うん、彼がどうしたの? 喧嘩しちゃった?」

「いや、実は昨日さ──」

 

 少しだけ声量を抑えながら、徠斗は昨晩の出来事をかいつまんで説明し始めた。

 


 

 22時ちょうど。まほらに入店した野々原は、店長と思わしき赤毛の男性──朝姫から、カウンター席へと案内された。

 いい店だな、というのが第一印象だった。

 純喫茶とバーを混ぜ合わせた昭和レトロな内装。

 名前はわからないが店内を漂う甘い香りに、時折かすかに聞こえてくる客たちの穏やかな会話が、初めて来た人間も平然と受け入れてくれるようで、すぐに居心地のよさを覚えた。

 店の奥には、こじんまりとした舞台とピアノも見える。

 あまり使われているようには見えないが、こういうレトロな雰囲気のお店でミニライブやダンスなど出来れば、演者はさぞ楽しいだろうなと、野々原は想像して勝手に楽しい気分になった。

 

「良いところで働いてたんだなぁ、度会って」

 

 メニュー表と店内を交互に見ながら呟くと、グラスと小皿を載せたトレイを手に、徠斗が姿を見せた。

 

「いらっしゃい。とりあえず客としてきてるから、これ」

 

 小皿にはポップコーンと一口サイズのチョコレート、グラスには氷水がなみなみに注がれていた。

 

「お通し……じゃなくて、こういう店ではチャームって言うんだよね?」

「正解。予習してきたんだ」

「まぁね」

 

 いつもの軽い会話を挟んでから、徠斗は朝姫に向かって尋ねる。

 

「店長、本当に良いんですか?」

「かまへんって言うたやろ。なんも気にせんでええよ」

「ありがとうございます……と言うわけだから」

 

 徠斗はパッと表情を明るくして野々原の右隣に座ると、先ほどよりも幾らか軽い声色で言う。

 

「ジャックダニエルをロックでお願いします〜」

「はいよ」

「えっ、えっ?」

 

 まだ働いてる時間のはずが、客と同じように酒を注文した徠斗に面食らう野々原。

 朝姫もなんてのことないように注文を受けると、プロの仕草で氷を四角に削ってグラスに入れて、アメリカが誇るバーボンを注ぎ徠斗に渡すのだった。

 

「ほら、お前も何か頼みなよ。バーに来て水だけってのは無いだろ?」

「あ、あぁ……でも、お前は良いの?」

「うん。店長が今日はもうアガリにして良いってさ」

 

 徠斗の言葉に、朝姫が続く。

 

「仕事のこと頭に入れたまま、人様のお悩み相談なんて成り立たへん。二刀流が持て囃されんは野球だけ。マルチタスクよりシングルバレルっちゅうてな」

「す、すみません。俺の都合でお店忙しいのにご迷惑をかけて」

「キミ、徠斗クンの友達にしては礼儀正しい子やね。類は友を呼ぶもんやが……例外もあるっちゅうことやな」

 

 徠斗本人を前に堂々と嫌味を言ってのける朝姫に、野々原は一瞬ヒヤヒヤしたものの、徠斗は全く気にしない様子でグラスを仰いでいる。

 

「気ぃ遣わんでええよ。この時間やったら、みんな酒と口直しに軽いツマミくらいしか頼まへんから」

「そうそう。ポップコーンとチョコなら店長の手でも美味しく提供できますからねぇ」

「そーゆーことやから、キミは遠慮なく徠斗クンこき使ったってな」

「は、はい……」

 

 先ほどの意趣返しのように徠斗が繰り出した嫌味を、同じように受け流す朝姫。

 今の短い応酬だけでも、2人の関係と信頼感を察するに余りあるものだった。

 

「……なるほどな。お前、良いところで働いてるんだな」

 

 言葉は同じだが、先ほどよりも大きな確信をもって、野々原は言うのだった。

 


 

 徠斗が同年代の友人と会話する様子を、少し離れた客席から巴は新鮮な面持ちで見ていた。

 まだ知り合ってから日は浅いものの、3人しかいない職場環境なこともあって、巴は彼の大まかなパーソナルを理解するのに苦労しなかった。

 だが、それでも分からなかったことがある。

 

「先輩、友達が相手だとちょっと柔らかくなるんだ」

 

 語勢というか、態度というのか、あるいは表情筋か。

 またはそれらを総合した全てか。

 きさくな態度というものはそのままだし、明確な言語化はできないが、野々原を相手にしているときの徠斗は、普段の巴や朝姫を相手にしているときと違って見えた。

 どちらが素の度会徠斗に近いのかと考えたら、恐らくは野々原を相手にしているときの彼が、そうなのだろうと思えるくらいには。

 

「……まぁ、仕方ないよね」

 

 それはつまり、徠斗が巴や朝姫とは一線を引いて人付き合いをしていることの証左でもある。その事実は巴にとって到底面白くは無いのだが、かと言って文句を言ってどうにかなる話では無い。

 出会い方がいかに鮮烈であったとしても、培った年月の差を覆すには、どうしたって足りないのだから。

 今後の徠斗と過ごす日々の質を高めていくことで、彼の心の壁を越え──いや、壊して行けば良い。もう出会えたのだから、焦る心配など、何処にも無いのだ。

 何よりも──。

 

「笑うときの顔、変わらないんだね。──」

 

 最後の言葉はか細く、巴自身の耳朶にすら届かないが。

 男子大学生のノリを十全に発揮して笑う徠斗を、今度はひどく懐かしいものを見るように、巴は目を細めて眺めるのだった。

 

 一方、巴が後ろに居るのは当然把握しているが、まさかそんな視線で見られているとは到底思っていない徠斗。

 野々原と互いにグラスの中身が半分以下になり、どちらもちょうどいい具合に酔いが回ってきたのを察して、いよいよ本題に踏み込み始めた。

 

「なぁ、そろそろ聞かせてもらおうじゃないか。美人な恋人がいる男のお悩みをさ」

「もう、だからそこから既に違うんだってば」

 

 徠斗の言葉が発破をかけたかのように、野々原はスコッチのソーダ割りをぐいっと勢いよくあおぐと、頬を朱に染めながらジト目で詰る。

 ゼミ飲みやプライベートの付き合いで、過去に何度も酔ったときの野々原を見ている徠斗だったが、ここまで強気に否定してくるのは珍しかった。

 

 ──あの野々原がこんな強気な態度を見せるとは、ただごとではない。なるほど、彼女であるかどうかが、よっぽど譲れない一線になっているらしい。

 

 詳細は分からずとも、友人の心の機微は理解できた。

 あわや一触即発にも似た空気の中で、野々原の視線をまっすぐに受ける徠斗だったが、決して怯むことはない。

 むしろ、面倒だと思っていた当初に比べてはるかに、野々原の相談を受けることに対するモチベーションが湧いたくらいだ。

 

「そこから違うって、じゃあもしかして、あの美人さんは──」

「あやこな? 朽梨彩子。俺の幼なじみ!」

「──あの朽梨さんは、一方的にお前の彼女を自称しているって事になるのか?」

「……そうなんだよ」

 

 瞬く間に徠斗の脳が『それの一体何が悩む理由になるんだ?』という言葉で埋め尽くされたが、間違っても口に出してはならない。

 

「へぇ……朽梨さんの方から、ねぇ」

 

 事態は予想通り単純では無かった。

 しかも恐らく、そして徠斗の人生および人生観にとって珍しく、男女問題でありながら女性側が、大きな問題要因になっている可能性が高い案件でもある。

 酔ってないと話せない話題でありつつも、決して酔った勢いで茶化してはならない。非常に繊細で気を使うべき内容だったのだと、徠斗は理解した。

 

 ──もうちょっと、おちゃらけて聴けるくらいの話かと思ってたがな。

 

 バーボンのロックではなく、ハイボールかビールにでもしておくべきだったと、既に手遅れな判断ミスに内心舌をうつ。

 くれぐれも失言しないようにと気を引き締めてから、話を続けた。

 

「ならまず、お前と朽梨さんの関係性からちゃんと話そうか。幼なじみって言ったのも聞き捨てならないし」

「うん。……と言っても、何の変哲もない話なんだけどね」

 

 あの美人と幼なじみという時点で変哲の局地なのだと口を酸っぱくして言いたいが、ぐっと堪える。いちいち茶化しを入れてしまったら、延々と話が先に進まない。

 

「言った通り、彩子とは家が近所なのもあって、幼なじみなんだ。と言っても、高校まではたまに顔を合わせたら話をする位の関係に落ち着いてたんだけどね」

「ふうん、友達以上で恋人未満とかでもなく?」

「そういう甘酸っぱいのは無かったよ、思春期でちょっと恥ずかしかったのもあったけど……」

「……けど?」

 

 さっそく、悩みのタネが顔を覗かせてきたことに、徠斗はすぐ気づいた。

 

「……妹と、ちょっと反りが合わない感じなんだ。中学にあがった頃くらいから」

「そう言えば妹さん居たな。毎日お前の弁当作ってる、オカンみたいなのが」

「オカンって……まぁちょっと俺もそう思う時あるけど」

 

 会ったことはないが、話題にあがったことは幾度もあった。

 高校生の妹が、大学生の兄のため、毎日お弁当を作っている。

 今どき珍しく仲の良い兄妹なので、印象的であった。

 

「反りが合わないって、喧嘩したのか。女同士のキャットファイト?」

「いや、喧嘩は無かったと思うよ……。もしかしたら、歳が近い彩子を姉みたいに思って、反発してるのかもしれないけど」

「兄のお前と仲が悪くなる代わりに、姉代わりの朽梨さん相手に反抗期が来たってこと? あり得るかもしれないけど……」

 

 どうにも、それ以外の何かがある気がしてならない。が、それ以上深く考えることは、今回の主題から逸れているので、一旦止めることにした。

 今回の主役は野々原と朽梨の関係であり、後々深く関与してくる可能性は捨てきれないものの、野々原妹と朽梨の関係に思考を割く時間ではない。

 

「で、お前の方は朽梨さんとの関係は、大学生なってからも変わってなかったのか? まさか高校時代はただの友達なのに、大学2年でいきなり彼女宣言するはずないだろ?」

「……2か月くらい前から、一緒にご飯食べるようになった」

「おぉ……どっちから誘って?」

「俺の方から。たまたま、歩いてる時にすれ違ってさ。向こうも何も食べて無かったから」

「気まぐれに誘ったって感じ?」

「うん。そこから向こうからも誘って来るようになって。学部違うからいつもってわけじゃないけど、時間が合えば一緒に食べるようになった」

「えー……」

 

 自分の預かり知らぬ場で、自分の友人が健全な大学生の春を演じていた事実に、徠斗は微かな衝撃を受けた。

 つい先日も自分と同じように酒を飲みすぎた二日酔いで、大学を休んでいるような男が、別の日には幼なじみとお昼を共にしている。

 比べてどうにかなる事ではないが。

 今は比べる時間では無いと分かっているが。

 どうしても、自分のキャンパスライフとの差に、愕然としてしまうのだった。

 

「ちなみに、お前はいつから、朽梨さんが彼女を自称してることに気づいたんだ?」

「昨日、俺が遅かった理由にも繋がるんだけど……実は一昨日、外国語学部の子に告られてさ」

「は?????」

「でまぁ、嬉しかったけど、知らない子だったし返事を昨日まで待たせてもらったんだ。それで結局断ろうと思って」

「は????? は?????」

「相手の子に直接話そうと思ったから、13号棟に行ったら彩子が急に現れて、告白は代わりに振っといたからって言ったんだよ」

「????????」

「それで、どうしてそんなこと勝手にしたんだって問い詰めたんだ。そしたら『だって私たちは、もう関係を結んでるじゃないですか』って言われてさ……そこで初めて、彩子が俺と恋人関係のつもりだったって知ったんだ」

「……」

 

 甘酸っぱい青春をしてるどころか、見知らぬ女子に告白されたり、修羅場に陥ってすらいた。

 圧倒的なまでの恋愛経験値の差に、徠斗の自尊心は音を立てて崩れていく。

 

「度会? なんか目が死んでないか?」

「気にするな。死んでてもお前の話は聞ける」

「いや、死なれちゃ困るんだけど……」

「大丈夫だ、問題ない」

 

 カウンセラーが、うつ病や統合失調症の患者を相手にカウンセリングをすると、当の本人がまるで引っ張られるように、それらの病に近い心理状態に陥ってしまうときがある。

 これは仕事のために患者の話を聴いて、内容を噛み砕き、理解して自分の中に取り込んで行く過程で、本来の自分自身との齟齬からエラーが生じてしまうためだ。

 今の徠斗も、程度の差はあれど、これに近しいことが起きている。

 真っ当な精神でこれ以上、野々原の無自覚な青春惚気話じみた相談を受け続けたら、自分の実態と比較して、嫉妬と自己嫌悪で頭がいっぱいになってしまうに違いない。

 ある程度、心を殺した方が、純粋な相談役として機能するのだ。

 

「もしかしたら、だけど」

 

 事実、徠斗は今までの話を受けて早くも、それらしい理由を思いついた。

 

「朽梨さんって、交際に告白を必要と考えてないタイプの人なんじゃ?」

「えぇ? なん……どういう意味?」

「聞いたこと無いか? ヨーロッパだと告白してから付き合うんじゃなくて、一緒にいる時間が長く常態化したら、もう恋人同士だって認識になる文化があるんだってよ」

「ほんとう? 初めて聞いたよそんな話」

「あるって! ねぇ店長、そういう国ありましたよね?」

 

 全く徠斗の話を信じない野々原を納得させるため、先程から無反応ながら間違いなく話を聞いていたであろう朝姫に話を振る。

 案の定、他の客用に分厚い氷を四角に削りながら、朝姫は間髪入れず答えた。

 

「フランスがそういう文化らしいで。アメリカでもあるって聞いたなぁ」

「ほらな、やっぱあるんだよそういうの」

「へぇー。初めて聞いた。あっ店長さんもありがとうございます」

「おおきに」

 

 澄し顔で応える朝姫だが、その実、本音ではもっとグイグイと会話に参加したがっているのを徠斗は見抜いていた。

 一応、初見のお客さんを相手に我慢しているのだろう。

 普段あまり見ない大人の振る舞いに物珍しさと面白さを感じつつ、徠斗は話を続けた。

 

「朽梨さん、学部なんだっけ」

「告白してくれた子と同じ、外国語。告白の件も同じ学部だから、何処かから伝え聞いてたんじゃないかなって思う」

「はは、じゃあなおさら俺の説が合ってそうじゃん」

 

 外国語学部の実態を知らない徠斗だが、そもそも学科の特徴からして、他の学部よりも外国文化に触れる機会は多いだろう。

 触れる機会が多ければ当然、影響を受ける可能性だって、他の学部生の比ではないはず。

 

「きっと、朽梨さんは前々からお前に好意を抱いてたんだ。彼女を自称する時点でそこは確定だろ。気まぐれとは言えお前の方からお昼を誘って、そこから一緒になる時間が増えた」

 

 グラスを優しく揺らして、中の溶けかかった氷をろくろのように回しながら、名探偵が犯罪のタネを明かすように持論を唱える。

 

「元からお前のことが好きだったし、幼なじみだから、関係を深める過程が必要なかった朽梨さんは、お前とのお昼ごはんをデートだと思うようになった。期待は月日の重なりと共に確信に変わり、自分たちが恋人同士だと思うようになった矢先に──」

「……俺が告白されたことを知って、彩子が怒った?」

「そう! 向こうからすれば立派な泥棒猫って話だから、怒るのは当然だな。まぁつまり今回の件は──」

 

 そこで一度言葉を止めて、徠斗はグラスに残っていた分を全てぐいっと飲み干す。

 薄まっていたとはいえ、バーボンがビリビリと喉を焦がしながら胃に落ちていく感覚を楽しんでから、結論づけるように言った。

 

「お前が幼なじみって関係に胡座かいて、中途半端に朽梨さんに構った結果、勘違いさせちまったってことだな。責任持って彼氏になっとけ」

「そ、そんなぁ」

「そんなあって何だよ。言っておくけど朽梨さんって信じられないくらい美人だからな? 幼なじみってだけで奇跡なのに、大学生になっても変わらずお前を好きでいるなんて、奇跡的なまでに一途なんだぞ? 分かってるのか?」

「……かも、しれないけどさ」

「分かってるなら別に問題ないだろ、向こうはとっくにその気なんだし、この際外国文化に感謝してだな──」

 

「──本当に、それだけなのかな」

 

 徠斗の言葉を、背後から遮る声があった。

 このタイミングで、背後から声をかけてくる人物は一人しかいない。

 先程からずっと、徠斗たちの会話を清聴していた巴だ。

 

「……君は?」

 

 割って入ってきた巴に、当然の反応を示す野々原。

 巴は普段よりしゃんとした姿勢からペコリとお辞儀してから、野々原に応えた。

 

「はじめまして、先ぱ──度会さんとここで一緒に働いている、アルバイトの朝倉巴です」

「あさくら……あぁ、そうか。キミがこの前から入ったっていう。度会からちょっと聞いてたよ」

 

 納得と同時に表情が柔らかく崩れて、早くも巴を受け入れる雰囲気を醸し出す。

 こういうさり気なく発揮される優しさ満開の気配が、見知らぬ女子を引き込むのかもしれないと、隣に座る徠斗は一瞬考えてから、続けて巴に直前の発言について尋ねる。

 

「本当にそれだけって? 朝倉さんは、他に理由があると思った感じ?」

「えぇっと、具体的にこうだって言い切ることは出来ないんだけど……」

 

 発言通り、明確な言葉で表現するのが難しいらしく、口元に手を当てて数秒うんうんと悩んでから、また言葉を続ける。

 

「先輩の考えが間違ってるって言いたいんじゃないの。野々原さんの恋人って意識は本当に告白を必要としてないかもしれないし。でも、本当に外国文化の違いだけでそこまでやるかなって、思っちゃって」

「そこまで……野々原の代わりに相手を振ったこと?」

「そうそう!」

「でも、恋人に唾かけてきた相手を追い払うって、普通の行動じゃないか?」

「そうかもしれないけど、でも普通はまず野々原さんに話をしてからやることだと思うの。自分のことを野々原さんの彼女だと思ってるなら、なおさら」

「なるほど、そう考えるわけか」

 

 後輩の、無根拠な戯言だと切り捨てるのは簡単だが、そうも行かない。

 なぜなら、男子だけで考えたものに、女子の視点から異議が入ったのだから。

 そう、女子目線。徠斗が失念していた、今回の件で必須となる立場の考えを、巴が運んできてくれたのだから。無下にする理由が無かった。

 

「どうして先に相談すると思ったのか、聞かせてくれる?」

「だって、不安になっちゃうもん!」

「不安……怒るより先に?」

「そうだよ! だって自分の知らないところで、恋人が告白されたんだよ? もしかして嬉しくなってないかな、浮気とか考えてないかなって、ありえないと思っても、勝手に嫌なことたーくさん思い浮かんできちゃうんだから!」

「……ふぅむ」

 

 なるほど確かに。巴の言葉に根拠はなくとも、説得力はあった。

 別に恋愛に限った話ではない。自分の行く手に不安要素が出てきた場合、それが後々に与える影響というものを普通は考えるものだ。

 例えば徠斗の場合、大学受験期にもし不合格になったらどうなるかで、2週間ほど精神を病んだ過去がある。浪人になった場合、高卒で社会人になる場合、もしくは親に勘当されて──等々、結果も分からない内から次から次へと、負の想像が捗っていた。

 心を揺さぶる事象という括りでまとめれば、恋愛だろうと受験だろうと、同じ心理状態に陥って然るべきなのかもしれない。

 そういう視点で見てみると、確かに、朽梨彩子の行動には一切の躊躇も迷いも、不安すら感じさせない勢いがあった。

 これが果たして単に恋人を信じている、というだけで済ませられるものなのか。

 あるいは……。

 

「彼氏に確認することもなく、勝手に恋敵を排除するだけの、強固な恋愛感情。それか関係が揺らぐはず無いという確信……もしくは悪い言い方をすれば攻撃性か……。うーん確かに、もっと大きな衝動っていうか、動機があってもおかしくないよな」

 

 告白を介さずに野々原と恋人同士になったと考えること自体は、外国文化の影響だと言えるかもしれない。

 しかし、それ以外の、そもそも野々原を好きになった理由であったり、恋敵になり得る女子を積極的に阻もうとする動きであったりは、全く別の理由がそこにあるかもしれない。

 

「野々原、当事者のお前は何か思い浮かんだりしないか?」

「そんな事言われてもな……ぱっと思い浮かばないよ」

「だよなぁ……」

 

 それがすぐに思い浮かぶくらいであれば、最初から今日の場はセッティングされていない。

 せっかく話がまとまりそうだった所から、急転直下。振り出しに戻ってしまったと言える状況に、巴はあわあわと手振りを加えて謝った。

 

「ご、ごめんなさい先輩、なんか余計なこと言っちゃったかも!」

「いや、そんな事ないよ。というか俺と野々原──ううん、俺が、安直に答えを出そうとし過ぎたんだ。きっと、朝倉さんの言う通り、もっと他に大きな理由があるんだと思う」

 

 アッサリと持論を手放してしまう程度には、巴の些細な疑念は確かな違和感に膨れ上がったのだから。

 しかし、こうなれば当然、問題が新たに出てきてしまう。

 

「けっきょく、何がどうして朽梨さんは、彼女を自称し始めたのか分からないんだよな」

「ごめん度会、俺も、何かパッとそれらしいの思い出せたら良いんだけど」

「……先輩、その朽梨さんって人に、直接聞いてみるのは駄目なの?」

「直接って……俺が? 野々原じゃなくて、俺?」

「うん。話を聞いてると、多分野々原さんが理由を聞いたら、大変なことになっちゃいそうだから」

「……我ながらで恥ずかしいけど、同感デス」

「同感するなよ……」

 

 とは言いつつも確かに、理由はどうであれ、高校時代には友人か知人程度の関係にまで収まっていた朽梨を、最初に()()()にさせたのは、野々原の気まぐれなお昼のお誘いからだった。

 そこから如何なる理由が挟まってあろうと、結果的に朽梨は、野々原の彼女を自認している。

 なのにいきなり、野々原が『どうして俺の彼女面しているの?』という類いの問いを投げかけてしまえば、どうなるだろうか。

 最低でも、学部を越えて大学全体に話が広まるほどの、大痴話喧嘩に発展しそうなポテンシャルを、大いに秘めているのだけは確かだ。

 それを避けつつ、朽梨の考えていることを知るには、第三者による聞き込みしかない。

 

「両方を知っていて、かつ、両方から知られてる俺が……朽梨さんを探るしかないわけか」

 

 深い、深い溜息をこぼしながら、同時にどこか納得もしつつ呟くと、徠斗はいつの間にか朝姫が入れ替えていた、新しいグラスを手にとってまっすぐ口に運んだ。

 まだ氷の影響が少ない、純度の高いアルコールが身体の内側を流れていく。

 一緒になって自分の中にある躊躇いや億劫さを、胃の中まで押し込んでくれることを期待したが、そう都合よくも行かない。

 酔い潰れにくい体質のせいで、まだまだ思考は冴えているから、酔った勢いでの安請け合いも無理だ。

 あくまでも自分の意思で、この後の行動を判断するしか無かった。

 

 まるで、周回プレイのときに避けられない、厄介なクエストを受注するときのような気分。

 面倒事を始める際に徠斗がいつも心のなかで行う、ゲームのたとえを思い浮かべてから、徠斗は言った。

 

「分かった。じゃあ探ってみるよ、朽梨さんの頭のなかをさ」

 

 ──どうかこの決断が、大学生活が終わるとき、笑い話に出来る結末になりますように。

 

 そんなことを願う傍らで徠斗はうっすらと、やはりろくな結末にだけはなりそうもないという、嫌な確信も抱いているのだった。

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