姫と勇者と、メイドさん   作:食卓塩少佐

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第四話

「そら大したもんやな。大昔の約束をいまだに守っとるなんて、今時珍しいくらい律儀な子やないの」

 

 いつもより客足が少ない夜7時。

 店員のお喋りをまるで気にしない常連客しかいない店内で、店長の朝姫がタバコを吹かしながら感心するように言った。

 口から吐いた白煙が、天井部にある換気扇にくるくると吸われて消えていく様を見ながら、バイトの後輩朝倉巴も同調するように言う。

 

「うんうん! 最初に話を聞いたときは、怖そうな人だなぁって思ったけど、一途な人で素敵だなあ」

「律儀で、一途かぁ……」

 

 自分の伝え方が下手糞なのが悪いのだろうと、徠斗は2人の反応を否定せず黙って聞き入れた。

 確かに、言葉だけならそのように感じるのかもしれない。

 だけど、徠斗は違った。

 野々原と交わした『約束』を口にするとき、徠斗の目に映った彩子は決してそんな、甘く穏やかで健気な女性には見えなかったのだから。

 大きく見開いた、ブルーモーメントを彷彿とさせる深い蒼色の瞳。胸の前で固く握られた両手。

 一切の疑いを持たない──疑いを懐く機能を失っているかのような声色。

 徠斗が培ってきた20年の人生において、あれは信じるとは言わない。

 妄執、あるいは執着。そういった触れてはいけない強烈な感情の塊にしか見えなかった。

 

「次はどないすんの。恋人宣言の理由は分かったんやから、もう野々原君には伝えたんやろ? あと出来ることあるんか」

「いや、まだ伝えてないんです」

「えぇ? そらあかんよ。何事も早め早めに動かな。人生のコツは『面倒ごとほど最優先』や」

「したくても、できないんですよ。連絡が」

 

 大学の課題に二の足を踏んでいる現状に突き刺さる、朝姫のありがたい人生のコツを聞かずとも、既に徠斗は彩子から知り得た情報を野々原に伝えようとしていた。

 

「できないって、どういうこと先輩?」

「メッセ送っても未読。電話掛けても繋がらない。ブロックされたのかと思ったけど、どうもそういうわけでも無さそうで」

「大学では会ってないの?」

「最近は講義でもゼミでも姿を見てないんです。住んでる地域は知ってるけど、住所までは分からないから、直接尋ねにも行けないしで……正直、手詰まりです」

「……そら、ちょっとアカンな。昼ドラより火サスになってきよった」

「かさす? 店長、かさすってなんですか?」

「……おじさんの心は今、断崖絶壁よ?」

「ええなんでぇ!?」

 

 勝手にジェネレーション・ギャップに心を痛めた朝姫と、意図せぬ失言(実質もらい事故)であたふたする巴。

 いい加減、自分が若かった頃のテレビを物の例えにするのやめろよと、心の中で呆れつつ。徠斗はもはや恒例となったやり取りを見て、幾分か気を休めるのだった。

 実のところ、丸瀬の協力もあって考えてたよりもだいぶ早く、野々原との関係について彩子から聞き出すことはできた徠斗だったが、結果的に彩子と一対一で向き合った心労が、筋肉痛のように徠斗の心と精神を疲弊させていた。

 普段なら、サブスクでドラマや映画を見ながら愛するストロング系9%チューハイを流し込む事で、心労なんてものは消し飛ばすのが習慣だが、今回はそうも行かないのが疲労に拍車をかける。

 まず、先述した野々原に連絡がつかないことによる不安。

 次いで、矢継ぎ早に差し迫る『心理学研究法Ⅰ』の課題レポート。

 野々原が心配で否が応でも酒の味は落ちる上に、酩酊した意識でまともなレポートが書けるはずもない。

 とても遺憾ではあるが、精神面と現実のダブルパンチが、徠斗の飲酒を許してくれなかった。

 

 だからこそ。

 

「あー……気が楽」

「ん、先輩今なにか言った?」

「なんでもないですよ、大丈夫」

 

 大学の課題や野々原たちの事から離れられるバイトの時間は、まさに心の清涼剤になっているのだった。

 

「……ん、嫌やけど良い予感がしてきたわ」

「どっちですか、それ」

「両方。えらい忙しくなるんは大変やけど、店は儲かるっちゅうことやし」

「……なるほど。今日はそういう日ですか」

「ああ。俗に言う『溜めて溜めて解放』っちゅう奴やな」

 

 残念なことだ。残念なことだ。とても残念なことだ。

 癒しの時間は、もう間もなく終わりを告げることが確定してしまったのだから。

 

「え? え? どういうこと? ねぇ先輩、何が忙しくなるの?」

 

 朝姫と徠斗のやり取りに置いていかれた巴が、困惑しながら徠斗に尋ねる。

 

「そう言えば朝倉さんは初めてか。実は店長、特技と言うかなんというか、こと客商売に特化した能力があるんですよ」

「能力?」

「簡単に言えば『勘のよさ』かな。何ヶ月かに一回、とてつもなく忙しくなるのを事前に予知しちゃうんだ。……それも百発百中で」

「えー! 本当ですか店長!?」

「せやでー、金と銭と太客が近づいた時は、匂いがむわんむわんすんねん」

「じゃあ先輩、今から沢山お客さんがやってくるってこと?」

「そうなるよ。だから──覚悟してね、朝倉さん」

「……へ?」

「君のホール裁きが、全ての鍵だから」

 


 

「しんどかった! たいへんだった!」

「おつかれさまでーす」

 

 バックヤードで目に涙を浮かべながら四つん這いになってる巴を見て、『そういえば似たようなのがネットミームなってたなぁ』と疲れ切った頭で考えつつ、徠斗は気の抜けたねぎらいの言葉を掛けた。

 

「おかしかったよねぇ先輩。ぜったいお店のキャパシティ越えてたよねぇ。3人で回せる客の数じゃなかったよぉ」

「結果的に回しきったんだ。それで良かったじゃないですか」

 

 右手首を入念にマッサージしながら、徠斗は達観した声で語った。

 店内を駆け巡りホールの仕事に明け暮れた巴はもちろんだが、調理のためにフライパンや鍋を長時間ぶっ続けで振り続けた徠斗も、大概疲労困憊といったところだった。

 

「でも確かに、前みたいに俺と店長の2人だけじゃ確実にパンクしてました。朝倉さんが居てくれて助かりましたよ」

「え、本当!?」

「うおっと、急に元気になって」

 

 徠斗の嘘偽りのない感謝の言葉を耳にした途端、嬉しそうに徠斗の前に駆け寄ってくる巴。

 もし犬猫のように耳や尻尾があったら、確実にブンブンと揺れているだろう。

 

「ボク、先輩の役に立ってた? 力になれてる?」

「えぇ。さっきも言った通り、今日の人数は朝倉さん抜きじゃ回らなかったですよ」

「やったー! ボク、やっと先輩の助けになれたんだね!」

 

 さっきまでの疲れ切った姿は何処にいったのか。

 両手をあげてぴょんぴょんとウサギのようにはしゃぐ巴に徠斗が困惑していると、朝姫が奥からぬっと顔を出して、ニヤケ顔で言った。

 

「なんや二人して、元気満タンって感じやな。若いっちゅうんは羨ましいわ」

「いや店長、少なくとも俺は限界っす。今日何度パンケーキ焼いたことか」

「たしかに、今日はやたらめったらパンケーキばかり注文来てたなぁ。若い女の子みんなそればっかり頼んで、パシャパシャ撮ってたわ」

 

 徠斗の肌感覚でパンケーキが多かった印象があったが、間違いなかったらしい。

 今まで働いてきて、こんなにパンケーキばかり作ることが無かったため、もうしばらくパンケーキのたぐいは見たくなくなってしまった。

 

「ま、徠斗くんの作るパンケーキは美味いからなー。ひょっとしたらどこぞのインフルエンサーが、SNSで紹介したかもわからんで」

「えー? それはないでしょう」

「そんなことないよ! 先輩のパンケーキ、ボクだって食べてみたいなって思うくらいふわふわまんまるで可愛いし、SNS映えしてるから!」

「あんまり嬉しくないなぁ……」

 

 そんな理由で店に来ないでくれ。と思っても、店にとっては大事な客。

 写真撮るだけ撮って、後は要らないから食べずに帰るという客が、一人としていなかったことを良かったと思う方が健全だ。

 

「まー、SNSだのナンタラバエだの言うんは所詮一過性のもの。そう長くは続かんものやし、逆に続いたんなら、今後は穏やかに確実な店の稼ぎ頭になるから、ありがたいことこの上ない話やな」

「ありがたがるのは結構ですが、現実問題、今後は人員増やしたほうが良いんじゃないですか? 今日みたいな客のラッシュはそうそう無いにしても、ホールか調理に一人はスタッフ欲しいです」

「んー……確かに、そう言いたなる気持ちはわからんでも無いんやが」

 

 徠斗の切実な頼みを、一蹴こそしないが苦々しい表情で受け止める朝姫。

 その顔つきからは、到底好ましい返答が来るようには思えなかった。

 

「ごめんなぁ、こっから新しい人雇おうにも、コレがないねん」

 

 そう言って、左手の親指と人差し指で輪っかをつくる。

 古式ゆかしい、お金を示すジェスチャーだった。

 

「ああやだやだ、一番生々しい上にどうしようもない理由だった」

「ま、さっきも徠斗くんが言うたように、今日みたいなことはそう頻繁に起こることでもないやろ。今後も3人でのーんびり丁寧に仕事してこ」

「まぁ、決めるのは店長ですし、無理やりスタッフ増やして俺達の給料減るのも本末転倒か……」

 

 徠斗は知っている。如何に生々しくても、世の中は金銭で全て決まるのに等しい世界だ。

 金のかかるスタッフを、そう何人も短い間に増やすのは無理があるのも仕方ない──そうやって納得しかけた徠斗の脳裏に、思いつくだけ無駄な発想が閃いた。

 

「あーじゃあ店長、安めのメイドロイドとか買ってみるのどうです?」

 

 メイドロイドとは。

 日本が世界に誇る大企業、綾小路重工が満を持して世に放った、人間型のロボットだ。

 高度な自立思考AIを搭載し、成人女性と同じ体躯でありながら大きな荷物や家具を持ち上げる力を持ち、不気味の谷を越えて完璧な人らしさを持ったデザインを有する、まさに現代科学の極致。

 メイド、と名前がつくように製造目的は人間に対する奉仕活動であり、人間が行う一般的な家事はおろか、専門性の高い職業の支援すら学習過程を挟めば全て可能という、かつてSFに夢を見た人たち全員が大歓喜すること間違いなしな存在。

 それがメイドロイドだ。

 

「ね、良いじゃないですかメイドロイド。ランニングコストだけで、あとは給料払う必要もないですし」

「あんなぁ……メイドロイドが幾らするのか、知ってて言っとるん?」

「あー……20万くらい?」

「アホ。桁が一つ違うわ」

「なんと! 2万円ですか。いけますね」

「2万円減給したろか」

「あははは、まぁでも、分割とかで店長なら払えるんじゃ──」

 

 言いながら念のためスマートフォンを取り出し、値段を検索する。

 表示された最安値の額を見て、息が止まった。

 

「──すみませんでした店長。自分世の中舐めてました」

「分かればよろしい」

「せ、先輩がいつになくしおらしく……いったい幾ら──」

 

 巴も自分のスマートフォンで調べると、徠斗の焼き直しみたいな反応を見せて固まった。

 

「ふ、普通に新車買える値段してるぅ……!」

「せやろ? そんなん買うゼニがあったら、人間雇ったりせえへんよ」

「あー……しかも結構買ってからかかる費用もあるんですね」

 

 値段以外の検索結果を見ると、月々の電力消費や定期メンテナンス、有事の保険など、購入後も出費は出ることが分かった。

 大企業は手を出せるだろうが、中小企業はもちろんのこと、一般家庭にとっては夢のまた夢のような存在だ。

 中古品ならあるいは……と調べたが、中古販売は禁じられているらしく、過去に非正規手段で購入した人が不法所持で捕まったという報道があった。

 

 しかしこうなると徠斗の中で疑問が出てくる。

 いったいこのアンドロイドを買う人間は、なにを目的に買うのだろうかと。

 家事育児を任せたいならベビーシッターを雇えば良い。業務のサポートが必要なら秘書を持てば良い。人間で既に事足りる業務を、わざわざ高額支払ってアンドロイドに委ねる意義はなんなのか。

 そのお金があれば、それこそ高級車などに使って、街を乗り回せばいいのに。それこそアンドロイドでは出来ないことなのだから。

 もっとも、そういう発想こそが庶民の限界なのかもしれない。

 歴史を振り返ってみれば、ローマの貴族は奴隷の数や質で格式の高さを見せつけていた。

 人で済むものを『敢えて高額かつ高性能なロボットに任せる』という行為自体に、価値を見出すのが貴族なのだ。

 

「……結局は、金持ちの道楽か、ステータス誇示のためのアイテムですか」

 

 最終的に導き出された、あまりにも資本主義的な結論。

 一生働いても手が届かないだろう世界に対して、羨望とも嫉妬とも取れるため息をこぼすのだった。

 


 

 睡眠の最大の敵はなにか。

 そんなものは人によるだろうと言えばそれでおしまいだが、それで話を終わらせて良いのはコミュニケーション能力が20代後半になってもろくに育まれず、匿名掲示板やSNSでのみ饒舌な独身男性/女性のみだ。

 おおよその人間は学校と社会を問わず、無駄と思われるような会話すら『他愛のない話』として興じる能力がある。つまり何が言いたいのかと言うと、結論のみを求めているなら一生ショート動画だけを見ていろ、ということだ。

 話を戻そう。睡眠の敵について。

 代表的なものとしてはカフェインの摂りすぎだろう。

 次に考えられるのが生活習慣の乱れ。深夜遅くまでストリーマーの生配信を見て昼夜逆転生活をしていたり、スマートフォンで延々と動画を見漁っているような人間が陥りやすい。

 飲んでいる薬の副作用、なんてパターンもあるだろう。例えば徠斗の親戚には精神を病んでしまった人がいたが、服用した薬のせいでなかなか眠れないと盆の集まり等でボヤいていた。

 ここまでは外的要因による物をわざと挙げていったが、これらは幸運にも徠斗にとっては当てはまらないものばかりだった。

 では、彼に当てはまるのは何か──内的要因、つまりストレスである。

 第一に、彼は現在進行系で打ち寄せる波のように頻発するレポート課題に苦悩していた。

 第二に、朽梨彩子の異様なまでの野々原に対する恋慕(と呼ぶのが正しいのかも疑問が生じる)に対して畏怖に似た感情を持った。

 第三に、肝心の野々原とここ数日全く連絡が取れていない。

 決して繊細な気質ではない徠斗だが、負荷としては十分過ぎるほどの内容が立て続けに生じた結果。

 

「……ゔぁぁ゛あ゛」

 

 布団の上でのたうち回るゾンビのような大学2年生が誕生してしまった。

 

「マジかぁ……もうこんな時間かよ」

 

 じっと目を閉じても、仰向けになっても、軽い筋トレをしても、動画サイトから睡眠用BGMを垂れ流しても、遂には古式ゆかしく羊が草原を飛翔する数を数えても、全ては虚しく時刻は午前3時過ぎ。

 大学は午後からの講義しか無いとしても、流石に眠っておかないと生活に支障を来たす時間帯に差し掛かっている。

 なまじ原因がストレスだと分かっており、しかも今すぐ解決できる物でもないのがまたタチの悪さを助長している。

 このままでは、間違いなく眠れないことが新たなストレス源になる。──というよりも、既にそうなりかけている。

 こうなってしまったら、徠斗に取れる手段は1つしか無い。

 

「飲むか」

 

 愛する人生の仲間。アルコールの力を借りるのだ。

 寝る前に酒を飲むのは、ねむりを浅くすると言われているが、それは徠斗には当てはまらない。

 ストロング溢れる9%の衝撃こそが、彼にとっての薬用養命酒。眠れないあなたの側に立つ、慈愛の膝枕と子守唄なのだから。

 

 そうと決まれば即行動。すくっと立ち上がり、薄暗い部屋の照明をそのままに夜目を利かせて冷蔵庫までたどり着くと、パカリと扉を開けて愛しの500ml缶を取る──はずの手は、ヒンヤリとした空気を虚しく掴むしかできなかった。

 

「……酒がねえ」

 

 それどころか、冷蔵庫の中身は何も無かった。

 厳密には幾らかの調味料のみ。みりんと料理酒は買ってから殆ど使っていないため、もしどうしても今すぐ酒を飲みたいなら、選択肢は2つあるとも言える。

 

「──いやねえよ」

 

 無かったらしい。

 であれば、今この冷蔵庫の中には口に入れられるものは皆無だ。そうなると必然的に、徠斗が取る行動は一つ。

 

「……財布どこだっけ」

 

 日常雑費はキャッシュレスだが、際限なく飲み進めてしまう酒類だけは、生活費から分けて専用財布を用意していた。

 何故分けることにしたのかは、察していただきたい。

 PCデスクの上に無造作に置いてた財布を手に取り、椅子に引っ掛けてあった薄手パーカーを羽織ると、徠斗は望みを叶えるため真夜中の街へ出る。

 

 ……と言っても、以前二日酔いした状態ですら難なくたどり着く距離にコンビニはある。さっさと買って飲みながら帰れば、部屋に戻る頃には眠気が挨拶してくるに違いない。

 

 ──そう信じて疑わなかった彼に、現実は重くのしかかる。

 

「り、リニューアル工事中ゥ……?」

 

 視線の先に貼られた無機質な文字を読み上げる声は、断末魔の叫びにも似ていた。

 地上の星が如く夜の街を照らしていたコンビニの明かりは無く、いつ何時だろうと徠斗を優しく迎え入れてくれたガラスの門は、離婚寸前の熟年夫婦のように固く閉ざされている。

 そういえば最近、どことなく品揃えが悪かったり、ポテトチップスの棚に何も陳列されていなかったなと、遅すぎる気づきに至るのだった。

 

「チッ、マジかよめんどくせぇ……こっから一番近いコンビニは……?」

 

 舌打ちを鳴らしつつも素早くスマートフォンの地図アプリを起動し、次のコンビニの位置を調べる。

 どうやら徠斗の中では『諦めて家に戻る』という選択肢は、最初から持ち合わせていないらしい。

 一度飲むと決めたなら、アルコールが喉を通るまで。

 既にこの時点で彼の達成目標は、寝ることではなく愛しのストロング9%酒を飲むことに、ほぼ上書きされているのだった。

 

「ちょっと遠いじゃん……まあでも、運動にもなるし良いか」

 

 徒歩30分の距離を遠いと取るか近いと取るかは個人によるが、少なくとも真夜中に軽く酒を買いに来ただけの徠斗にとっては、お手軽な距離では無かった。

 それでも買いに行くのが彼の道。

 幸いなことに、徠斗の住む地域は都内23区の中でも、治安の悪い話は()()聞かない場所だ。街灯以外の明かりに乏しい道を、財布片手にぶらぶらと一人で歩いても、危険な目に遭うことは滅多に無いだろう。

 唯一の懸念点はアプリが示す進行ルート上に、先程治安について『ほぼ』という不穏な2文字がくっ付いた原因となる場所があることくらいだが。

 

「……背に腹は代えられねえよな」

 

 少なくとも今の状況で出てくる慣用句ではない。

 だが悲しいかな、この場に居るのはただ一人の酒に飢えた大学生男子のみ。

 真っ当な意見を持つ第三者不在の中、彼の足はまっすぐスタスタと、数キロ先のコンビニに向かって歩き出すのだった。

 


 

 歩き始めてちょうど15分程度が過ぎ、コンビニまで折り返しの距離になった頃。

 遂に街の治安に『ほぼ』とケチが付く原因となる場所に行きついた。

 

「……う、くっさ」

 

 思わず顔をしかめて、鼻をつまむ。

 その原因は、通りの端に広がるゴミ山だ。

 新幹線が走る高架下、歩道とフェンスを隔てたスーパー1軒分程度の広さがある空き地には、何年も前から不法投棄されたゴミが放置されていた。

 腐った木々、錆びた鉄やオイル、不快感を生み出す様々な悪臭が、カクテルのように混ざり合って立ちこもっている。

 

 ──隣県から外国人が廃材を捨てに来ている。

 ──悪徳業者が廃棄物処理費をちょろまかすための投棄場所になっている。

 ──反社会的組織が、死体を埋めたあとに死臭を誤魔化すため作ったゴミ山。

 

 飛び交う噂は諸説あり、どれが本当なのかは不明だが、誰が見ても不法投棄であるにもかかわらず、行政が長らく放置しているという事実だけは確かだ。

 

「……やっぱり気味悪いな」

 

 日中ならともかく、深夜の高架下は徠斗の予想よりずっと不気味だった。

 線路の隙間から僅かに差し込む明かりしか、高架下を照らすものは無く、ゴミ山の中に誰かが潜んでも全く分からない。

 噂の通り、不法投棄中の外国人や悪徳業者、反社などと鉢合わせでもしたらどうなるのか──要らない心配が勝手に徠斗の脳裏に浮かんでしまう。

 

 帰りは絶対遠回りでも別のルートにしよう。そう固く誓って、足早に通り過ぎようとしたとき。

 

「……………………ぇ?」

 

 視界の端──すなわち目を逸らそうとしたゴミ山の中に。

 一瞬だが、徠斗は見てはいけない物を視認してしまった。

 

 最初、それは真っ白な枝か何かに見えた。

 しかし、枝というのは白樺でもない限り表面がゴツゴツとして荒れているものだ。ゴミ山に投棄されているのなら、尚更そうだろう。

 それに、捨てられてる枝が靴やストッキング、ましてやスカートを履いているわけが無い。

 田舎の案山子でもなければわざわざ、木の枝が装飾される理由なんてないだろう。

 

 であれば、つまり──差し込まれた僅かな明かりが照らす、数メートル先の()()は、横たわる人間の脚に見えた。見えてしまった。

 

「いや……いやいやいや、流石にそれはない」

 

 不法投棄されたマネキンの脚だろう。

 あるいは、薄暗くて距離があるから、パレイドリア現象でそう見えるだけに違いない。

 ……などと、頑張って別の可能性を見出そうとすればするほど、今日一番のストレスが徠斗の胃と精神を万力のように締め付けていく。

 ちゃんと見れば誤認だったと分かるはず──半ば縋るように、視界の端に見えたモノにまっすぐ視線を向けると、脚に見えたモノはより鮮明に。

 人間の──いや、女性の下半身にしか見えなかった。

 

「──ッ!」

 

 悲鳴を漏らしかけた口元を、咄嗟に両手で塞ぐ。

 全身に冷や汗が噴き出し、鳥肌が立つ。暑いのか寒いのか判断が付かない。

 それでも、幸いなことに思考だけはギリギリ冷静さを保てていた。あるいは、保ってしまったと言う方が正しいのかもしれない。

 もし徠斗がもう少しだけ恐怖に駆られていれば、急いでここまで歩いてきた道を駆け戻り、道中で警察にパニック混じりの通報をしたに違いない。

 しかし若干の冷静さが残ってしまい、こんな状況だからこそ考えが冴えてしまった理性はこう考えた。『もし死体では無かった場合、警察の手を無駄に煩わせるだけになる』と。

 見えているのは下半身だけ。それならまだ、最初に考え付いたマネキンの可能性はあるのだから、最低限それを確かめてから通報すべきではないのか。

 

 ……訂正しよう、そんな考えをしている時点で、冷静だと思っているのは本人だけだ。

 しかし悲しいかな、繰り返しになるが、今この場には冷静な第三者など存在しない。

 徠斗は既にアドレナリンに染まりきった思考回路で、あまつさえ直接死体かどうかを確認しようという結論に、秒で至ってしまった。

 

 僅かに震える手をそのままに、フェンスによじ登って乗り越えると、スマートフォンのライト機能で足元を照らしながら、ゆっくりと近づいていく。

 

 ──どうか気のせいであってくれ。そしたら明日、大学で野々原や丸瀬さん達に笑い話として話せるから。

 ──ああでも、野々原とは会えていないんだった。ならまほらで店長や朝倉さんに言おう。

 

 恐怖心と焦燥感を上書きするために、まずは友人知人に思いを馳せ、次に大学の課題、続けて彩子との会話を思い出すなど、絶えず思考をフル回転させていく。

 数メートル先にあるかもしれない死体と比べれば、あれだけストレスの原因になっていた難しいレポートも、生きてる人間に強い恋慕と執着を向けているだけの彩子も、よっぽど健全だし真っ当にも程がある。

 もしこの先にあるのがただのマネキンであったなら、安堵と共にストレスの原因は全て雲散霧消し、徠斗は酒の力に頼らずとも熟睡できるだろう。

 それは何て素晴らしい事なんだと、即席の純度100%ご都合主義な希望を胸に抱きながら、心なしか軽くなった足取りは廃材と角材の合間を器用に避けて通り、とうとう"下半身"の目前まで迫った。

 腰から上はスクラップの陰に隠れて見えないが、一歩踏み込めば容易に覗き込める。

 

「……ここまで来ちゃったら、もう見るだけだよね」

 

 持ち前の漢気がなせる業か、あるいは完璧に恐怖を上書きした結果か、または恐怖心が一周回って反転したのか、いずれにせよもう躊躇する気持ちだけは消えていた。

 腰から上を隠すスクラップに手をかけて、力強く手前に倒した先に見えたモノは──。

 

「……うぁ、え、ひと──めいど? メイド? は?」

 

 遂に露わになった全身は、幸いなことに上半身が欠損している、スプラッターな死体などでは無かった。

 しかし、高架の隙間から差し込む明かりとスマートフォンのライトが照らす()()は、ある意味で死体以上に、この場には似つかわしくないものだったかもしれない。

 

 眠っているかのように瞳を閉じた、美しく端正な顔立ち。

 頭には白いメイドブリム。

 全身は紺と白を基調にしたクラシカルなメイド服に包まれ、その上から白いエプロンを身につけている。

 ストッキングを履いてると思っていた脚は、およそ人間のモノとは言えない機械的な造りをしており、足首部分には小さなランプのような物まで付いている。

 

「これって……まさか、いや、でも何でこんなのがここに……?」

 

 徠斗は、自分が見ているモノが何かを知っている。

 厳密には、知識として当てはまるものを知っている。

 幸いなことに──本当に幸いなことに、これは人の死体では無かった。

 だが、マネキンでもない。ただし、()()()という点においてのみ正解だった。

 極限まで人間の女性のようにデザインされた、メイド服を着た人造物──すなわち、

 

「メイドロイド、だ」

 

 写真や動画でしか見たことの無かった、金持ちの道楽の権化。

 その実物が、こんな富裕層とは真逆の場所に打ち捨てられていた。

 

「誰かが棄てたのか? いやでも、メイドロイドだぞ? ……本当にメイドロイドだよな?」

 

 本来あるはずがない物が目の前にあるという、特殊な状況。

 恐怖とストレスは、瞬く間に安堵を経て、圧倒的な知的好奇心に変わっていく。

 生きているうちに本物のメイドロイドを見るどころか、触れる機会すら無いと思っていたばかりに、降って湧いたようなチャンスに躊躇する理由は無かった。

 顔の前まで近づき、スマートフォンのライトを向ける。

 可愛らしく前髪ぱっつんに切り揃えられた金色の髪、生地の良さを感じさせるメイド服。端々に見える機械的なパーツの質感まで、どれを取っても一切安っぽさを感じさせない『本物』感。

 素人目に見ても、これが紛い物や海賊版とは思えない。

 まさしく、綾小路重工が産み出した現代科学の極致に他ならなかった。

 

「マジで人と変わらねえじゃん……すっげぇ」

 

 知的好奇心は感動にまで昇華していき、徠斗の左手は自然と、メイドロイドの頬に向かっていた。

 こんなに完成度の高いメイドロイドは、触れたらどんな感触なのだろう。人肌なのか、無機質な金属か、いずれにせよこの場を逃せば一生メイドロイドに触る機会は無い。

 ワクワクしながら伸ばした指先が、もう少しで頬に当たろうとした──そのとき。

 沈黙していたはずのメイドロイドの手が、徠斗の手首を握りしめた。

 

「──!?」

 

 停止していたはずのメイドロイドが何の前触れも無く動き出したばかりか、パーカー越しに手首を掴んだ。

 ゾンビパニック映画なら、間違いなくそのまま噛まれて退場する展開。

 そうじゃなくても、徠斗がやろうとしていた行為は、映画だと死亡フラグになる行動だった。

 うかつに触れるんじゃなかった──そんな後悔すら抱く余裕も無い程にパニックに陥った徠斗は、蛇に睨まれた蛙の様に固まってしまった。

 

 一方、メイドロイドはヘッドセットと足首のランプが淡く発光し、何かしらの駆動音を小さく響かせ始めた。

 ヘッドセットの光が段々と強くなり、駆動音も倣うように夜闇を轟かせていく。

 ギャグマンガなら、このまま派手に爆発して終わるだろう。

 だが徠斗はもう、自分の状況がホラーなのかサスペンスなのか、はたまたギャグなのか、もはや皆目見当もつかない。

 そうしている内にも、光は徠斗が目を開けられない位に強くなり、駆動音も文字通りの轟音となって、鼓膜を振るわせていく。

 

「なん──なんなんだよ!」

 

 とうとう耐えきれずに徠斗が叫んだのと、高架下を閃光が一瞬真昼の様に照らし、爆音によって空気とスクラップを大きく揺らしたのは同時だった。

 

「……おさまった?」

 

 瞼を閉じてるのに太陽を直接見た時のように視界が若干白く、耳もツーンと残響を残しているが、どうやらメイドロイドから発していた光も音も収まったらしい。

 手首は相変わらず握られたままだが、それでも何が起きたのか確認するべく目を開けると、視界には上半身を起こしてこちらをまじまじと見つめる、メイドロイドの顔があった。

 スマートフォンのライトは当たって無いが、天井からの少ない光でもハッキリ見える金色の光彩を宿した瞳が、機械らしく何の感情も込めずにこちらをジッと見つめている。

 綺麗な瞳だと思うべきかもしれないが、そんな心の余裕があるワケも無く、ただでさえパニック中だった思考はもはや何が最適解なのかも分からないまま、唯々(ただただ)メイドロイドの顔を見続けるしかできなくなっていた。

 そんな徠斗を更に追い詰めるかのように、メイドロイドの唇が小さく開き──。

 

「え……し……お……」

 

 か細く、しかし機械音声とは思えない程にハッキリとした女性の声が、耳鳴りが残る徠斗の耳朶に優しく響いた。

 

「え、いまなんて──ひっ!?」

 

 一瞬だけ和らいだ緊張はしかし、メイドロイドの指が自分の頬にゆっくり近づくのを見て、瞬く間に臨界点を迎える。

 

「うわぁあああぁぁぁあああ!!!!」

 

 パーカーを脱皮する様に脱ぎ棄てて、掴まれていた手首を無理やり離すと、弾けるように徠斗はメイドロイドから逃げ去った。

 


 

 そこから先の記憶は、ほとんど残っていない。

 3m以上はあったはずのフェンスをよじ登ったのか、あるいは飛び越えたのか。

 アパートまでぶっ続けで走り続けたのか、途中で休憩をはさんだのか。

 気が付けばアパートに戻っていて、着の身着のまま、気絶する様に布団に突っ伏して寝ていた。

 

 メイドロイドが何を言っていたのか、自分に何をしようとしていたのか、追いかけてきたのか、何一つ分からないまま夜は明けて、日が昇り、目を覚ました徠斗が確かな事として分かったのは2つだけ。

 

 1つ。パーカーを失っている事から、真夜中の出来事は夢では無かった事。

 2つ。枕元に、空になったストロングチューハイがあった──つまり帰る途中、しっかり酒は買って飲んでいたという事。

 

 あれだけの恐怖体験をしたのに、意地でも酒を飲もうとした自分のアルコール依存具合の方が恐ろしいのではないかと、思ってしまうのだった。




あとがきのくっそ雑な登場人物紹介コーナー②
朝姫大和
・主人公のバイト先の店長
・お酒が大好き。コーヒーも好き。煙草も好き
・コーヒー豆付け込んだ焼酎が一番好き。常連だけに裏メニューとして提供してる
・バイト2人が自分をマスターと呼ばないことが地味に不満
・苗字のせいで学生時代は女の子みたいと弄られてたから、結婚するときは相手の苗字になりたがってた
・そんな彼も37歳独身。家庭を持つことは諦めた模様
・出身は浅草だが、多感な時期のとある出来事がきっかけで関西弁を使うようになった。大阪よりも京都の方に寄ってるらしい
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