徠斗がゴミ捨て場で恐怖体験をしてから数時間後、大学の6号棟。
強烈な睡眠不足に耐えつつ、どうにかゼミを終えた後。
徠斗は教室に残って丸瀬と話をしていた。
本来は野々原と朽梨の件について、進捗を話し合う予定だった。
しかし、丸瀬がゼミ中に何度も徠斗が欠伸をしていた理由を尋ねたので、深夜に起きた事を素直に答えた結果。
「ははは──なにそれ! そんなコミックみたいなことあるの?」
珍しく口を大きく開けて、素で笑う丸瀬を見ることになった。
もっとも、徠斗からすればたまった物ではない。
「笑い事じゃなかったっすよ……お気にのパーカーだったのに」
「ふふふ……そうか、ごめんね」
あまり……いやちっとも悪いと思ってなさそうな丸瀬。
しかし、仮に自分が話を聞く側で、語り手が野々原だった場合、同じように──いやそれ以上にひどく大笑いする自信があるため、強く言えないのだった。
「でも良かったかもね。
不法投棄されたメイドロイドに腕掴まれて、怪我がなかったなんて幸運だよ?」
「ですよね……」
容姿は人間の女性と酷似しても、メイドロイドは重労働にも耐えうる性能を有している。
人間を傷つけないようにプログラムされていても、不法投棄されてる機体が正しく動くかは分かったものではない。
現に、徠斗の手首を掴んだときのメイドロイドの力は、骨が折れるまではいかないものの、真っ当な手段で払いのけるのは困難なくらいに力強かった。
時間がたった今でも、どことなく痛みが残っているような気さえするのだから。
「今後は不法に捨てられてる機械には触らない! っていう教訓の授業料だと思う方が良いね」
「そう思うことにします」
いい具合に丸瀬が話をまとめてくれたところで、自然と話題は本命に移る。
「それで、結局あの後は朽梨さんから話は聞けた?」
「えぇ、野々原が知りたそうな情報は全部」
「そっか。良かった……度会くんちっとも連絡くれないから、今日まで気になってたんだよ?」
「あー……そういえば、そうでした。ごめんなさい」
丸瀬と徠斗は幾つか被っている講義があるが、どれも大人数が一斉に受講するタイプのものばかり。
本来は互いに連絡を取って積極的に会おうとしない限り、ゼミ以外で顔を合わせる方が少なかった。
食堂でばったり会ってから複数回も行動を共にしたこの前が、非常に珍しい出来事なのだ。
「それでそれで、分かったこと教えてよ。何があったの?」
「ちょっと、信じられないかもしれないけど──」
そう前置きしてから、徠斗は先日知り得たことについて順を追って説明した。
最初はわくわくとした表情で話を聞いていた丸瀬だったが、話が進むごとにその表情は段々と引きつっていき、最後まで話し終える頃には──。
「……私、この件から引くね。ちょっと予想よりすごかったかも」
真顔でキッパリとドン引きしてしまった。
それを見て、内心『ようやく同じような反応を見せる人が出てくれた』と安堵する徠斗。
朝姫も巴もどこか気の抜けた反応だったこともあり、もしかすれば自分だけが彩子を無駄に怖がっているだけなのかと思っていた分、真っ当な人間の枠にいる丸瀬の反応は喜ばしい。
しかし、続けて丸瀬の口から発せられた言葉は、彼の意表を突くものだった。
「そっかぁ。朽梨さんって、良く言えばかなりのロマンチストだったのね」
「ロマン……朽梨さんが?」
全く連想しなかった言葉。発言の意図が読めず徠斗が首を傾げると、丸瀬は右手の人差し指をピンっと立てて言った。
「そうだよ。だって普通幼馴染って言っても、結婚の約束なんて幼稚園とか保育園くらいの、こどもがやる話でしょ?」
「まぁ、そうだと思いますけど……」
「その頃の約束を未だに有効だって思ってるなんて──というより、
それだけでずっと一人の人間を好きで居続けられるのなんて、ロマンチスト以外にないと思う」
「……なるほど」
同じ話を聞いたとき、彩子のことを朝姫は『律儀』と表現し、巴は『一途』という評価を出している。
なるほど確かにと思う一方、徠斗はどうも、彩子の感情の大きさと重さと深さを表現するのに、今ひとつふたつ足りていないと感じていた。
その点、丸瀬が言った『ロマンチスト』は、今までで一番素直に納得できる捉え方だった。
さながら、『幼い頃に手にした『宝物の地図』を、大人になっても信じ続けて船出する冒険家』のようなものだ。これがロマンチストじゃなくてなんなのか。
冒険家が未知の宝を、UMA研究家が未確認生物や宇宙人を信じ求めるように。
大人になれば『意味のないもの』『こどもが信じる夢物語』だと忘れ去ってしまうモノを決して手放さず、絶対に在ると信じるのがロマンチストという生き物だ。
であれば、野々原と幼い頃に交わした約束を、二十歳を越えても信じ続けている朽梨綾子はロマンチストだという他にないだろう。
だからこそ、情報化が進み他者の考えや視線が間近になり、そういった考え方が冷笑されやすい現代社会においても、そこまで頑なに約束を信じてしまえる事に、徠斗は危うさを感じていたのだ。
丸瀬から『この件から引く』という発言が出てきたところから察するに、彼女も同じような危うさを彩子から感じ取っている。
彩子を間接的にしか知らない巴や朝姫とは違い、直接関わりを持った人間が、揃って同じ印象を抱いている。
──それはつまり。
「……度会くん。このこと、野々原くんにはもう?」
「
「電話はした? ……いや、してるよね流石に」
「ええもちろん。でも留守電にすらなりません!
会って直接話そうにも、今日も会えてないし!」
「マズいよ……私もあの日から朽梨さんに会ってないし、もしかして……」
──つまり、この後に予想される最悪のイメージも、被っているということだ。
浮かび上がるのは、『監禁』という二文字。
これを思考の飛躍と笑うのは、野々原と朽梨を知らない人間だけだ。
常人では想像も付かない感情を育み続けた彩子と、能天気に過ごしている野々原。
彼が他人の目がない場所で、致命的な失言を彩子に言い放っていた場合、彩子が常識や倫理の枠を取っ払った行為に出る可能性は0ではない。
そう思わせるだけの圧力が、彼女にはあるのだ。
「……まさかとは思うけど。もしかしたらって事も……あるかな?」
「──あってほしくないですけど!」
丸瀬に返事をしながら、即座にスマートフォンを取り出す。
Ra:INは相変わらず未読無視のまま。
どうせ無駄だと思いつつ、徠斗はもしかしたらと電話を掛けた。
虚しく繰り返すコール音を耳にしていると、焦燥感でじわじわと心臓の鼓動も速くなる気がして、ごまかすためにも徠斗は丸瀬との会話を続ける。
「…… なんで俺達がここまで気を揉んでるんでしょうか」
「しょうがないよ、2人の間に首突っ込んじゃったもの」
「そもそも野々原が素直に朽梨さんと付き合ってれば、それで終わった話なのに……ったく、なんで電話すら出ないんだよコイツは」
「彼って、ひとり暮らし?」
「いや実家だったはずです。妹が一緒に暮らしてるんで」
「じゃあ家の固定電話あるよね? そっちで電話した方が良いかも!」
「……なるほど確かに!」
考えてみれば当然の発想だったが、家の固定電話というものは、久しくひとり暮らしに慣れきった徠斗からは出てこないものだった。
仮にそちらでも連絡がつかなかった場合、いよいよ二人の杞憂では済まされず、現実的に事件性を帯びてくる。
いつまでもコール音が続くだけのスマートフォンより、最優先にそちらから電話するべきだろう。
「あいつの実家の電話番号知ってるのは……学生課に聞けばいいか。行ってきます」
「待って。それだと個人情報保護とかで断られるかも。靏岡先生なら知ってるんじゃないかな!」
靏岡先生──徠斗がレポートで苦悩している『心理学研究法Ⅰ』の担当講師の一人であり、徠斗たちがいるゼミの教授でもある。
彼なら間違いなく連絡先名簿のようなもので管理しているだろうし、そうじゃなくとも調べやすさは徠斗たち学生の比ではない。
「最近休みが続いてて、講義やゼミのレジュメを渡しに行きたいって言えば、住所も一緒に教えてくれるよ」
「うっわ、咄嗟に思いつく嘘がお上手!」
「本当のことにすれば嘘じゃなくなるから平気!」
嘘も方便ではなく、嘘から真を作れば良いという理屈は徠斗の好みにも合っている。
「それじゃちょっと行ってきます。ありが──」
「いや一緒にいくよ、その方が説得力あると思うし」
「……ありがとう!」
朽梨との口利きといい、今回といい、徠斗はここまで丸瀬に助けてもらうことが続いている。
こうなってしまったら仕方ない。今のところ予定はないが、仮に国内旅行した際は、必ず丸瀬向けに高めのお土産を買わないといけないな……そう思いつつ、急ぎ足で靏岡教授を含めた教員研究室がある2号棟へ向かった。
ゼミの中でも野々原と仲の良い徠斗。利発で人望のある丸瀬。
説得力と信頼感をそれぞれ担う両名のお願いというのもあってか、急なお願いにも関わらず靏岡教授はすんなりと、野々原家の連絡先を教えてくれた。
礼を言って静かに、かつ急ぎ足で2号棟を出てから、中庭でいただいた番号に電話を掛けると、スマートフォンに電話したときとは異なる、聞き慣れない呼び出し音が耳朶に優しく響いた。
もしこれで誰も出なかったら、いよいよ次の電話先は『110番』になるぞ──この場にいない野々原に向かって、心の中で脅迫するように唱えると、まるで届いたのかと思うタイミングで呼び出し音が止まり、待望の相手の声が聞こえた。
『はい、もしもし。野々原です』
若い女性の声──丸瀬よりも更に若い雰囲気の声に一瞬面食らうが、徠斗はすぐに相手が野々原の妹だと気づいた。
まだ時刻は15時半過ぎ。こんな早い時間に女子高生が自宅に居ることに若干の違和感は覚えつつも、今は隅に置いて徠斗はなるべくやさしい声色を意識しつつ、電話先に応える。
「もしもし、急な電話ですみません。俺は野々原くんと同じ大学の、度会と言います」
『あっ──もしかして徠斗さんですか! 兄がいつもお世話になってます』
「……どうも。ご存知でしたか」
名前まで知ってるとは意外だった。
度会という苗字からすぐ徠斗の名前が出てくるほど、過去に野々原家で話題になったのだろう。
「急な電話ですみません。
野々……お兄さんが最近大学に来てないので、心配になって電話しました」
『そうでしたか。わざわざお電話まで、ありがとうございます!』
「お兄さん、大丈夫ですか? 何か怪我とか病気でもしました?」
どうか平穏な返答が来てくれ……切に願いながら尋ねると、電話越しの渚は申し訳なさそうに、それでもどこかあっけらかんとした声色で答えた。
『実は、兄は先週からインフルエンザになってまして……』
「え、インフル!?」
平穏と言って良いわけではない。インフルエンザも症状次第で重度の病態に陥るし、インフルエンザ脳症などの後遺症もバカにはならない。
それでも、全く深刻そうではない渚の声からして、薬を飲んで収まる程度のものらしい。
徠斗の隣で成り行きを見守っていた丸瀬も、インフルという言葉だけで大方の察しが付いたのか、安堵のため息をついていた。
揃って監禁という最悪のパターンを想定していたが、杞憂という最も肩透かしではあるが、最も理想的な結果に落ち着いたことで、2人の緊張の糸が一気に緩んでいく。
「いや、そうでしたか。良かった──というのは違うか。もっと大変な事になってるんじゃないかと、勝手に心配してました」
『ありがとうございます、そうやって兄のことを心配してくれる友達が居てくれて、嬉しいです』
口調は丁寧だが、用意した言葉では無く本心から言ってるのが伝わってくる。
兄の友人が心配してくれる事を、ここまで我が事のように喜べる辺り、どうやら普段から野々原が自慢げにしていた兄妹間のよさは本物らしい。
「お兄さんの病状はどうです? この時期にインフルエンザなんて、運が悪い」
『熱がまだあって、でもお薬でだいぶ良くなりました。今は寝てますが、目が覚めたら度会さんから電話があったと伝えますね」
「ええ。お大事にとも伝えてください」
『はい!』
お互いに穏健な空気のまま、電話は終わった。
結果的に、彩子の件を伝えることは叶わなかったものの、平和な流れで話が落ち着いたことで、徠斗は丸瀬に遅れてほぅっ……と安堵の息を吐くのだった。
「私たちの考えすぎ……だったみたいだね」
「それで良かったです。とりあえずは向こうの連絡待ちかなー……と」
「それじゃあ、いよいよ私もこの件とはこれっきりにさせてもらおうっと」
そう言って座っていたベンチから立ち上がると、プリーツスカートについたホコリを落とす。徠斗は座ったまま、風で揺れる髪を手で抑える丸瀬を見上げながら言った。
「本当に、色々と助けてくれてありがとうございました。
俺だけじゃあ、多分まだどうやって朽梨さんと会話するかで頭悩ませてたと思います」
「ぜんぜんいいよー。私もちょっと楽しかったから」
悪趣味かもね、と小さく舌を出して笑う丸瀬。
今回の一連の流れを楽しめるメンタルは、見習うべきかもしれないと思いつつ、徠斗も同じように笑みを浮かべて言った。
「内容次第ですが……話せる結果になったら教えますね。何も言えないときは、お察しください」
「あははは……そういう事にならなきゃ良いけどね」
「全てはあの2人次第です」
朗らかな雰囲気で、話題は不穏。
他の学生が会話を聞いたら、怪訝な表情を浮かべるのは間違いないだろう。
「……あ、そうだ。これだけ気になってたから、最後に言うね」
「あんまり聞かないほうが胃に優しそう」
「うん。多分これを聞いたら、度会くんは考え込むんじゃないかな」
「分かってるなら言わんでくださいよ。……それで、なんです?」
小言を言いつつ、どうせ聞かなければ聞かないで気がかりになるのも分かっているため、徠斗は自ら話を促した。
丸瀬は柔和な笑顔から、僅かながら表情を引き締める。
「今回の件、そもそも朽梨さんが野々原くんの彼女を自称したことがキッカケだったよね」
「ですね」
「朽梨さんはずっと前から野々原くんが好きだった。
……というより、執着してると言っていい程に愛してた」
「愛……まぁ、あのレベルになるとそう呼べますか」
徠斗はそういう捉え方はしなかったが、朽梨の野々原に対する感情は確かに、愛と表現しても間違いではない。
徠斗が執着とか縋る、と形容したものを全てひっくるめて『病的なまでの愛』と言い換える事は可能だからだ。
ふと、サブカルチャー用語にある『ヤンデレ』という単語を思い出す。なるほど確かに、朽梨彩子の在り方はヤンデレという言葉に相応しいのだろう。
幼い頃の約束を強く信じるロマンチスト故に、ヤンデレになる。
朽梨彩子には、そういう生き方が約束されているのかもしれない。
……それにしても、ロマンチストといい、愛といい、彩子を情緒豊かな女性として見ることが出来るのは、丸瀬が同じ女性だからなのか。
あるいは徠斗が乙女心に疎いだけかもしれないが、その可能性について深掘りすると時間が足りなくなる為、今は割愛とする。
「そうなるとね。さっき度会君が言ってた事が、気になったの」
「え、俺なんか気になるようなこと言いましたっけ」
「言ってたよ。6号棟で野々原君に電話してるとき。
『そもそも野々原が素直に朽梨さんと付き合ってれば、それで終わった話なのに』
……徠斗くん、覚えてない?」
「いや……言った。確かに、言ってました」
電話に出ない野々原に対する苛立ちから、弾みで発言していたのもあり忘れていたが、徠斗は確かにそのような事を口にしていた。
徠斗からすれば特に考えのない発言に過ぎなかったが、それが丸瀬にはどう引っ掛かったのだろうか。
「そこで思ったの。今回の件って野々原くん的には、何が問題なんだろうって」
「……と、言いますと?」
「だって考えてみて。野々原くんって外国語学部の女子に告白されて、喜んでたんだよね?」
彩子が彼女を自称したことが発覚するキッカケがそれだった。
確かに、告白を受けるかどうかで悩んでこそいたものの、野々原は告白されたこと自体は嬉しく思っていたのだ。
「つまり、野々原君は恋人が欲しかった。少なくともそういう欲はある。
なのにどうして、幼馴染が自分を好きだって分かったのに、付き合おうとしないんだろう」
「それは……どうなんでしょうかね……」
「男の子の視点ならどう? 人に好意を向かれてるって分かってて、それでも受け入れないときって、どんな理由がある?」
世間でよく耳にする男子の恋愛観として、『告白されたら嬉しくて付き合う』というものがある。
これは徠斗も同意するところがある。というより、高校時代の彼がまさにそのパターンだった。
同じようなパターンで交際を始めた人を、大学生になってからも見ているくらい、典型的なパターンだと思っている。
交流の薄い相手や、好意が無かった相手から告白されても付き合うくらいだ。幼馴染からであれば、まず普通の男なら大喜びで受け入れるだろう。
ましてや、朽梨彩子ほどの美貌を持った人間からであれば、尚更だ。
しかし、野々原は違った。
幼馴染である彩子からの好意を知ってもなお、喜ぶのではなく困惑し、あまつさえ彩子の真意を友人の徠斗に探るように頼んだ。
これは『普通の男子の反応』と比べても、だいぶ特別なものだと言える。
考えてみれば、彩子の行為が発覚する前も、徠斗は外国語学部の女子から受けた告白を、悩んだ末に断ろうとしていた。
誰であろうと喜んで付き合いそうな野々原が、だ。
そのような場合、徠斗が思いつく理由は2つある。
ひとつは、心から好きになった相手としか交際関係になりたくないという、誠実な理由。
紆余曲折を経て、今の徠斗がこのパターンになってるが、最初からこの考え方の人間はあまり居ないというのが、徠斗の考えだ。
ましてや、最終的に断ろうとしたとは言え、その過程で告白を喜んだ事実がある以上、野々原がこのパターンというのは考えにくい。
そうなると、別の理由が当てはまる。
それがふたつめの理由、『最初から好きな相手がいる』パターン。
自覚の有無に限らず、本人の中で『この人が良い』と決まった相手が居た場合、横から割り込んできた好意に応えることはまず無いだろう。
受け入れるとすれば、余程の浮気性。または脈が期待出来ないあまり諦めて、新しい恋を選んだ人くらいだ。
野々原は軽薄そうだが、繰り返すように『告白を断ろうとした』のだ。最低でも浮気性では無いのだろう。
それにもし、野々原が2つめのパターンであるとすれば、ここまで抱いた諸々の違和感にも納得できる答えがでてくる。
『ごめん、他に好きな人がいるから』
恋する者にとって最も恐ろしい言葉の一つ。
受けた告白を喜びながらも断ろうとしたのも、幼馴染から向けられる恋慕を知りながら受け入れないのも、全てこの一言で決着がつくのだ。
ここから、もう一歩踏み込んで考えてみる。
もし野々原が、ハッキリと好きな相手が居た場合。
今回の彩子の件は、困惑するよりも迷惑がるのが自然だ。
何故なら、好きな相手がいて付き合いたいと思ってるのに、横から勝手に付き合える可能性を潰してくるのだから。
この場合、彩子からの愛は野々原にとって一方的に押し付けてくる
つまり、迷惑がってはおらず、あくまでも困惑の域に留まっているということは。
「アイツ……自分で気づいてないだけで、もう好きな相手がいるのかな」
「もしくは、自分の気持ちが恋愛感情なのか分かりかねてる……とかね」
「え……だとすると、俺もさっさとこの件から足を洗いたくなりました」
一体何が楽しくて、そんなオレンジみたいに甘酸っぱそうな物語に関与せねばならないのか。
全く自分に関係ない他者の恋愛模様など、総じて『勝手にやってろ』と言いたくなるのも、致し方ない話だ。
「あははは、それはダメだよ。度会くんは私よりもずっと、あの二人の間に肩まで浸かっちゃったんだもん。頑張って責任持って、最後まで寄り添おう!」
「いやだー……」
ここにきて複雑さを増した事態を前に、ストレスとは別種のウンザリ感が徠斗を包むのだった。
別れ際に『今後はもっと楽に連絡できるようにしたい』と言う理由で、丸瀬からRa:IN交換を求められた。
わざわざ断る理由も無いので、素直に応じてから互いにあいさつ代わりのスタンプを送って解散。
徠斗は1時間ほど大学に残って、レポートを書き進めてからバイトに向かった。
通学時は苦しめられていた眠気も流石に消え失せ、スクーターを軽快に走らせ、そのまま店へ到着する。
専用の駐輪場に止めて、裏手の従業員用出入り口から店に入ると、既に店の制服に着替え済みの巴が開店準備を始めていた。
普段は徠斗の方が先に来て店の準備をするが、今日はレポートのためギリギリまで大学に残っていた分、先を越されたらしい。
「先輩、こんにちは!」
「ん、こんにちは朝倉さん」
こちらに気づくやいなや元気な挨拶をする巴につられて、徠斗も笑顔で返事を返す。
「今日はいつもより遅かったけど、もしかして大学で何かあったり……?」
「普通にレポートで忙しかっただけですよー。まぁでも、何かあったかと言えばあったかな」
「そうやって変にもったいぶって話すの、自分の悪いクセやで?」
「あ、店長おはようございます」
バックヤードからぬぅっ……と顔をのぞかせた朝姫に、すかさず挨拶をする。
「うーん、いつになったらマスターって呼んでくれるんやろなぁ。もう店長て呼ばれるん慣れてもうた」
「じゃあ一生それで良いじゃないすか」
「あかんわ。……まあ、一旦それは置いとくとして。何があったんか話してくれるんやろ?」
「えぇ。前から連絡取れなかった、野々原についてなんですけど──」
サラッと会話相手が変わったのが面白くないのか、朝姫と話すたびに袖を掴んで割り込もうとする巴を軽く押し返しながら、大学の一幕を説明した。
「インフルエンザは怖いなぁ。店に来た日にはもう、感染してたいうわけか。
徠斗君も巴ちゃんも、おかしいと思ったらすぐ病院いかんとあかんよ。店でパンデミック起きたら、俺の首が回らんくなるから」
「はーい。あっでも、もしボクがインフルエンザになったら、先輩に看病してもらおうかな」
「いいですけど……」
「えっ本当!? 先輩が四六時中ボクのために時間を使ってくれるなら、今すぐインフルエンザになってもいいくらいだよ!」
「時給1500円」
「えー!? お金取るのぉ!?」
目も口もまんまるとおっきくして、この世の終わりを見るような絶望顔になる巴。
トンチンカンな発言もこれで収まると思った徠斗だったが、巴は早々にショックから立ち直ると、声色に真剣味を増して言った。
「……うーんでも、それで先輩が買えるなら……」
嘘だろ、そこから話を膨らませるのかよ。
予想外の反応を見せた巴と、それに驚く徠斗、両名ともボケで進む漫才のような会話に、さすがの朝姫も待ったを掛ける。
「あかんやろ。なるな言うてるのに、なんでそっち行くん」
「……はーい」
「本気で残念そうな顔しとる……。
徠斗くん、徠斗くーん。自分の後輩やろー?
しっかり教育せんとあかんちゃうのー?」
「知りませーん。社員教育は店長の業務だと思いまーす」
「くっ……正論」
どちらも正論は言ってないし、この場の全員が等しくどうかしていた。
このまま開店時間を迎えるまで延々と、3人揃ってボケ倒し続けるのかという雰囲気だったが。
「──あ、電話きた」
空気を断ち切るかのように、徠斗のスマートフォンが着信を告げるバイブレーションを鳴らした。
画面を確認すると、電話帳アプリに記録した野々原家の番号が表示されている。
「すみません、ここで出ちゃいますね」
「構わへんよ。……ほら巴ちゃん、掃除の続き続き」
「はーい。……あ、店長、壁時計の埃取りたいから、三脚とかありませんか?」
「ん、今取ってくるからちょい待ち」
あっという間に三者三様に動き始めるのは、さすがの連携力と言うべきか。
特に巴はまほらに来て日が浅いのに、中々の適応力だと関心を抱きつつ、徠斗は電話に出た。
「はい、度会ですよ」
『あぁ、俺だよ、電話くれてありがとうな』
「"オレ"って知り合いはいません」
ブツっと電話を切る徠斗。
「……いや、いやいやいや。何をしとん自分」
「あっ、しまった」
朝姫の困惑多めな呆れ声でハッとする。
どうやら、久々に聞いた友人の声を聞いて、つい条件反射的にネタに走ってしまったようだ。
「先輩……そういうダル絡みはよくないよ?」
「……だね」
基本的に徠斗を肯定する巴ですら、情けないものを見るような目で見ている。
猛省するより先に、野々原から再度電話が来たので即座に出た。
「すまん野々原、病み上がり相手に──」
『はいもしもし、野々原でございますー。お相手は僕の大学の友人であるところの度会徠斗くんで合ってますでしょうかぁ?』
「すまんって。マジで」
『ったく、二度とするなよー?』
「善処するわ」
『徹底してね!?』
早々に本筋と大きくズレた会話が続くのを、あぁこれだよこれと思いながら楽しむ徠斗。
両者の息が合っている証左だが、これがまた同時に悪い所でもある。
徠斗はもとより野々原も、こういったアドリブ的な会話を深堀りしてしまうので、延々と本題に行かないのだ。
しかもこの手のノリを好むのは徠斗よりも野々原の方だから、今回は徠斗がブレーキ役を務めなければいけない。
『もし次やったらお前の家でストゼロ寄せ鍋──』
「待て野々原、その話はまた後日──ストゼロ寄せ鍋!?
詳しく……じゃない! 今日はその話で電話したんじゃないだろ?」
非常に、非常に魅力的な言葉が飛び出てきて一瞬揺らいだが、どうにかバキバキに折れていた話の腰を矯正するのに成功する。
『あ……あーそうだそうだ。悪い悪……くは、無いよね? 元はお前のせいだし?』
「すまんすまん。で、朽梨さんのことだよな聞きたいのは?」
『そう! なんだけど……』
そこから野々原はまるで誰にも聞かれたくなさそうに、声を小さくして話し始めた。
『悪いけど、詳しいことは直接話して欲しいんだ。家に来てくれる?』
「お前んちか。なんでまた、大学じゃ駄目なのか」
『大学だと、彩子に見つかっちゃうかもだから』
「随分と警戒するんだな。朽梨さんのこと」
『……そういうこと言うなよぉ』
「まぁ良いけど。別に直接俺が行かなくても、Ra:INで送ったの読めば良いだけじゃね」
『それなんだけど、スマホ失くしちゃって読めない……』
「はぁ? だから既読も付かなかったのかお前」
『面目ない……。ちょうどインフルなったばかりの時に、落としたらクレーチングに入っちゃってそのまま……』
「あー、ご愁傷さま。それは仕方ないわ」
およそ『スマートフォンの失くし方』の中で、もっとも最悪の失くし方をしていた。
悪いことは続きがちだが、今の野々原がまさにそうだ。最初に起きた悪いことに当てはまるのが何かは気になるが。
「じゃあ、住所教えてくれ。あ、ちょっと待ち、スマホにメモるから」
『うん』
ワイヤレスイヤホンを取り出して接続させて、メモアプリを起動する。
開店準備をしながら何となく会話を聞いていた朝姫が『現代っ子やなぁ』と、関心とも呆れとも取れる声色で呟くのが聞こえた。
「はい、言っていいよ」
『うん。じゃあ言ってくよ、──』
野々原から住所を聞いて、念のため2回ほど確認をした後に通話は終了した。
終わるやいなや、準備を終えた朝姫が本日何本目かのタバコをふかしながら、声をかける。
「おつかれさん。と言っても、今度は野々原くんの家か」
「えぇ。日曜日に行きます。どうも安心できる場所で聞きたいらしくて」
「難儀やな。わざわざ遠出する自分も、びくびくせなあかん野々原くんも」
「しょうがないですよ。病み上がり……というか、まだ病んでる途中でしょうし」
「せやけど、徠斗くんも意外な才能あったんやな。数日前に依頼受けて、調べて、
もう真相持って帰ってくるとか、探偵ナイトスクープみたいでおもろいで。
表の看板に『何でも相談受けます』って書いたら、案外儲けになるかもわからんな?」
「探偵ナイトスクープ?」
「この前の『かさす』みたいに、昔のテレビ番組のことですか?」
いつも通り、ジェネレーションギャップネタだろうと思っていた徠斗と巴だったが。
二人の発言を聞いた朝姫の反応は、普段とは比にならないレベルのものだった。
「いや、現役でお茶の間を楽しませてくれとる番組やろ探偵ナイトスクープは!
またか!? またジェネレーション・ギャップ・ハラスメント起こすんか自分らは!
そもそも昔やあらへん! 探偵ナイトスクープは現在進行系でお茶の間の娯楽番組やないか!」
普段よりだいぶ力説する朝姫に、二人は若干おののく。
どうも、探偵ナイトスクープについては、単なるジェネレーションギャップで済まされるのは許容できなかったらしい。
そうは言っても、現実問題として、関東圏に長らく暮らしている徠斗達にとっては何をそんなにムキになっているのかと思うばかりだ。
それゆえに、両者はほぼ同じ言葉をタイミングよく、ほぼ同時に発するのであった。
『いや、関東でやってない(ません)し……』
「ンなことあらへん! 放送しとる……ちゃんと放送しとるんや」
「へぇ、ちなみに何時にやってるんです?」
「日曜17時から、東京MXで」
「あー、その時間なら笑点見ますね」
「ボクも笑点です」
「普通って何やねん普通って! 何で二人して笑点派なん? 笑点そんなに強いんか!」
「いやー強いですよ、当たり前じゃないすか」
「えっと、ボクはショート動画でたまに見るくらいだけど、店長の言う番組は出てこないから……」
「くっ……現代っ子ども……」
咥えているタバコを噛みちぎってしまうのでは、と思わせるほどの悔しさを滲ませている。
テレビ離れが加速し続けている昨今。
傲慢な芸人やテレビ局が『嫌なら見るな』と言った通り、テレビ離れが世代を越えて広がり、留まることを知らない。
かつてお茶の間を賑わせたバラエティも、面倒なクレームを避けるため無難な内容が増え、気がつけば芸人やタレントが街をぶらついて、飲み食いするような番組ばかり増えている。
そんな中でも、朝姫がここまで熱弁するのだから、『探偵ナイトスクープ』とは、よほど面白い番組に違いない。
もっとも、部屋にテレビの無い徠斗は、この先も見ることは一切ないのだが。
ネットの動画に慣れきった徠斗に、スキップもブロックも出来ないテレビCMは、苦痛でしかないのだ。
「……しゃあない。本当にテレビがおもろかった時代を知らんっちゅうのも、ある意味悲劇やな」
──あ、最終的に世代で括ってマウント取ったよこの人。
思いはしたが、口にすれば更にややこしくなるのが分かっているため、徠斗は黙って聞き流した。
「でも先輩、本当に将来は探偵さんになれちゃうかもね」
「いやぁ、無理でしょう。ストレス耐性が高くないと生業にできませんって」
「そんなことないよ! だって色々調べるの早いもん」
「それだって、協力してくれる人がいたってだけですよ」
「……? 野々原さん以外にも手伝ってくれた人がいるの?」
「はい。大学の丸瀬さんって人が、いるんですがね。たまたま朽梨さんとお友達で、そのコネを借りました。これまた色々と頭の回転も早くって、彼女がいなきゃまだ朽梨さんと会話すら出来てたかどうか」
「彼女……マルセさんって女の人なんだ」
「えぇ。同じゼミでね。気さくで良い人ですよ」
「ふーん。……ふーん!」
「……朝倉さん?」
丸瀬が話題に上がった途端、露骨に機嫌を損ね始めた巴だったが、あまりにも急過ぎる態度の変化に徠斗は理解が及ばない。
もし、徠斗がもう少しばかり察しのよさを持っていれば、この反応に対する正しい解釈ができた。新しいタバコに火を付けた朝姫は、それが出来ている。
しかし悲しいかな。
徠斗は人並みに察する力はあるにはあるが、こと『歳下の女子が自分に向けてくる感情』については、無意識レベルでシャットアウトする男だった。
当然、ご都合主義的な朴念仁というわけではない。彼の高校時代のトラウマに起因する話ではあるが──今は関係ない話なので割愛させていただく。
とにかく言えるのは、今の徠斗は巴に対して、『大学の話は身内ノリでついて行けなかったのだろうか』という的外れな事を考えているということだけだ。
「えっと……話題変えましょうか? というか俺もそろそろ店の準備しないとだから着替える──」
「先輩」
「はい?」
「日曜日、野々原の家に行くんだよね?」
「まあ、はい……」
「そのとき、マルセさんって人も一緒なの?」
「え? いや行かないよ。というかあの人はもうこの件には関わりたくないって」
「……そっか。それじゃあ」
謎の圧(徠斗視点)を発しながら、にじり寄ってくる巴。
慄きつつ、一体何をされるのかと身構えていると、巴は徠斗の服の袖をぐっと握ると、ジトーっと徠斗を見上げた。
「日曜日、ボクも行くから」
「行くって、どこに……まさか野々原の家に?」
ぶんぶんと首肯する巴。
「行っても何も面白くないと思うけど……」
「良いから」
「ただ話して帰るだけ」
「いーいーかーらー!」
何がどう『良い』のか、いまいち分からず困惑する徠斗に、朝姫の助け舟が来た。
「何でもいいから、徠斗くんのお手伝いしたいんとちゃうの。
最初に朽梨って子の違和感を言い出した以上、最後まで付き合いたいんやろ」
「──っ! そう! そのとおりだよ店長! 先輩の相棒役はボクなんだ!
大学の同級生よりもバイトの後輩のほうが頼れるってこと、証明しないとね!」
「…………そっか」
正直、一人で行くほうが余程気が楽なのだが。
先ほどからずっと、有無を言わせない圧力を発している巴を断る方が、後々面倒なことに繋がりそうな気がするので。
「……じゃあ、日曜日の13時に、
「やったー! 日曜日に先輩とデートだー!」
「うん、デートじゃないけどね」
心底嬉しそうにはしゃぐ巴を宥める徠斗は、まだ知らない。
野々原を巡る"ある仮説"によって、自身にさらなる面倒事が舞い込んで来る事を。
あとがきのくっそ雑な登場人物紹介コーナー③
丸瀬莉乃
・主人公と同じゼミ生
・読書とダンスとバスケとカラオケが好き
・彩子はたくさんいる仲が良い人のうちの一人
・ノリは良いし気さくだが、あまり他人と一対一になろうとしない
・好きなお酒はロングアイランドアイスティー。名前と裏腹に紅茶を使わない全くもって偽物なところが好きらしい
・この子が出てくる場面書きながらよく聴く曲は「素敵なしゅうまつを!」