短編   作:月夜 のかに

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短編

 

 

 何かが壊れる音がした。

陶器とも、厚い硝子(ガラス)ともいえない、鈍く湿った破砕音であった。

 何があったのかと慌ててベッドから飛び起きた私の目には、先ほど砕けたであろう硝子の金魚鉢だったものが床に散乱していた。床一面水浸しであり、金魚たちが床に曝されてしまっている。私の家は狭い格安賃貸のフローリングそのままの床なので、下まで染み込んで木を駄目にしてしまいそうなこの状況は大いにマズイ状況である。

普段の私であれば急いで桶か何かに金魚たちを避難させるところなのだが、如何せんそう出来ない事態が起こっていた。

 金魚鉢の破片が紛れてしまう程に、部屋の中がめちゃくちゃになっていたのだ。

「おいおい、地震でもあったってのかよ」

 スマホを取り出して災害情報発信のSNSアカウントを調べてもそれらしい情報はない。

そもそも緊急地震速報のあのうるさいアラートが鳴っていない訳で、どうやら大地震が起きた訳でもないらしい。

 そうなってくると、可能性として不審者が侵入でもしてきたのかという考えが頭をよぎる。

 強盗。その考えが頭を()ぎった瞬間に、先程までの眠気は完全に吹き飛んだ。

 狭いワンルームを見回す。床にはコンビニ袋が散乱し、床に積まれていた文庫本の山は崩れ、タンスからは服が飛び出している。まともな生活を送っていた訳では無いためコンビニ袋に関しては平時からこんなものであったが、他に関しては前日はこうでは無かった。

 まるで誰かが部屋を掻き回したかのようだ。

 私は唾を飲み込むと、もう夏も終わりだというのに額をじわりと汗が伝った。

「いやいや、男の一人暮らしだぞ……? それもこんなボロ賃貸に誰が入るって言うんだよ」

 口ではそう言いながらも、辺りを見渡す。

 金魚鉢が割れたのはついさっきの事だ。空き巣だとしたらまだ部屋に潜んでいるかもしれない。

 そう考えた途端に午前5時半の部屋の暗がりが恐ろしく感じられた。

「……誰か居るのか」

 薄暗い部屋でそう問いかけるが当然返事は無い。冷蔵庫の駆動音だけがやけに耳に残った。人の気配なんて微塵も感じられなかった。

 割れた硝子片を避けながら、濡れたフローリングをつま先で踏みしめて部屋の中を見渡す。

 ワンルームを抜けて狭い廊下に併設されたキッチンから護身用の包丁を1本取り出すと、ひとまず部屋の明かりを点けユニットバス、トイレと順に扉を全開にして誰もいないことを確認する。

 誰もいない。ひとまず、目に見える範囲には。

 少しだけ緊張が抜ける。

「なんなんだよほんと……あ、やば」

 ここでようやく金魚達を放置していたことを思い出した。

 慌ててキッチンに包丁を戻すとボウルを引っ張り出して水道水を溜めた。そのままの水道水を使うのはカルキだとか色々と問題があるかもしれないが、今は緊急事態なのでそんな事を気にしている場合じゃない。

 幸いにも金魚達は無事だったようで、ボウルに移すと正に水を得た魚と言った具合で徐々に元気を取り戻して一安心した。

 彼らの無事が確認できた所で大惨事になっているフローリングへと意識を移す。

 一旦硝子を掃除しようと思った時だった。何か違和感があった。何か変だ。散乱する硝子の破片。その飛び散り方が、タンスからこの場所へ落下したにしては何か不自然な位置に飛び散っている。

 そして金魚鉢が置かれていたタンスへと視線を移せば――

「は?」

 思わず声が漏れた。

 違和感なんてものでは無い。異様な事態。

 タンスが水を被ったように濡れていた。よく見れば荒らされたように半開きになり、洋服が飛び出たタンスには水が未だに滴っていた。

 ここから導き出されるのは、金魚鉢は落下して砕け散った訳ではなくタンスの上で突如爆発四散したという事実である。開けられたタンスの引き出しの中身までびっしょりなので、金魚鉢が爆ぜたのはどうやらタンスがめちゃくちゃになった後らしいということが分かる。

 内側から爆ぜたなんて、中に爆弾でも投げ入れたのか?

 その時背後のクローゼットの扉がひとりでに少しだけ動いた。

 ポルターガイスト、そんな言葉が頭をよぎる。

「おいおい、いつの間に我が家は幽霊屋敷になったってんだ」

 馬鹿馬鹿しい、なんて冷笑してしまいたいが、なにせ今目の前で起きている霊障はもう物理現象を超えていた。

「ま、まぁひとまずはそ、掃除ダヨナァ」

 声が上ずってしまったが断じてビビってなどいない。

床に散らばったガラスを拾う所から始めよう。幸いにも破片自体はかなり大きいので、ひとまとめにして見えない破片は掃除機で吸い取ってしまえばいい。

 私はそう思いながら硝子片に手をかざすと、なんとそのガラス片がカタカタと動き出し手をかざした先に集まり始めた。

「は?」

 やけに親切なポルターガイスト……というよりも、まるで私の意思に反応して手に吸い寄せられたような……。

 私は思わず息をとめた。拾い上げた一纏めに纏まった硝子片がちゃり、と小さな音を立てる。視線は硝子片ではなく、私の手のひらに向けられていた。

「いやいや、そんな馬鹿な」

 口では否定するが、心の内ではある可能性が消えてくれない。

 先程と同じように、今度は少し先の空になったペットボトルに手をかざしてみる。そうすると、ペットボトルが少し物音を立てて反応する。

 もうこの時点で私の仮説は私の中で確信に近いものとなった。

 私は超能力に目覚めたのだ。

 

 まるで漫画の中のような特別な力に目覚めた興奮。高揚。そして未知への好奇心。

「はは、まじか」

 心霊現象なんかよりよっぽど凄い。超能力、厳密に言うと念動力、サイコキネシスと呼ばれる類の力だ。

「こっちに来い」

 私がそう念じると、先程“掴んだ”ペットボトルがこてんと倒れ、そのままコロコロと私の目の前へと転がってきた。

 いや、そこは手のひらに飛んでくるとかもっとこう、あるだろ。あまりにも締まりがなかった。

 しかし、確実に私の意思で物を動かせるようだ。

 私は立ち上がる。

 今度はもう少し大きくて重たいものを試したくなった。

 こうなってくると色々と試してみたくなるのが人間の性というものだ。好奇心が止まらない。

 今度はあの文庫本だ。

 朝の時点で山が崩れてめちゃくちゃになってしまっていた文庫本の一冊。それに意識を集中する。

 文庫本にしてはかなり分厚い。カバーでタイトルが思い出せないが恐らくライトノベルの何かだ。重量だって空のペットボトルに比べれば何倍もある。

「いけるか……?」

 意識を集中する。

 動け。

 動け。

 動け。

 動け。

 集中すること数秒。何も起きない。

「やっぱ無理……」

 そう思った瞬間、文庫本の山は完全に倒壊した。

「はは、」

 乾いた笑いが漏れ出る。

 「……すげぇ」

  心臓が早く脈打つのを感じるほどに、私は興奮していた。

 確かに、今は糸で繋げた物を引っ張る程度のことしか出来ない貧弱な力だ。しかし、目の前の崩れた文庫本の山が、この金魚鉢を砕いた力と同質のものであると私に確信させる。今はまだ使いこなせていないだけで、間違いなくこの力はとんでもないポテンシャルを秘めている。

 私は夢中で部屋中の物へと視線を向けた。

 リモコン。

 空き缶。

 空のコンビニ袋。

 ハンガー。

 手当り次第に力を試した。

 軽いものは簡単に動く。慣れてくると、「掴む」感覚が分かるようになってきた。まるで三本目の見えない手が伸びて物を掴むよう。触覚としての感覚は無いが、確かに「掴んだ」という実感がある。

 不可思議な感覚だった。少なくとも生まれて今まで感じたことの無い感覚だ。超能力によって新たに開いた第六感とでも言うべき感覚である。

 しかし、重いものになると途端に難しくなる。重ければ重いほど「掴む」ことは出来ても動かすことが出来ない。

 確かに私は筋力は全然ない非力な人間であるが、超能力でも重いものを動かせないとは思わなかった。

「結局超能力も筋トレしないと動かせないものは動かんかぁ」

 引き寄せたペンをクルクルと回しながらごちる。

 抵抗を無視して少し浮いたペンが指先を高速回転している。さながらハンドスピナー。某呪術の先生がやっていたようなあれであるが、こんな遊びで良いのなら無限にやれるのにな、と回転するペンを最後上唇に乗せて両腕を組んだ。

 軽いものであればもう慣れたもので、浮かせることだって出来る。

 目の前の硝子片を器用に組みながら元の形に戻して行く。流石に接着は専門外なのでただのブロック遊びみたいなものだが、大きい破片に砕けた金魚鉢はみるみるうちに球状にくみ上がっていく。

 そうして、いくつかのパーツが足りていないことに気がついた。

「あれ、なんで」

 よく見れば硝子片に血が着いていた。

 いつの間にか手を怪我しただろうか。と見てみるも特にそれらしい傷は無い。硝子を踏まないようにしていたので当然踏んでもいない。

 頭の中で急速に何か見落としているという警鐘が鳴る。

 確かに金魚鉢は起きる時、無意識に能力によって砕けたのかもしれない。でも、私は一度も一度たりともクローゼットに注意を向けてはいないのだ。

 あの時クローゼットは何故動いた?

 私が後ろを振り向くと、あの時ゆっくりと動いたクローゼットの暗闇と「目が合った」。

 

 彼は最初からそこに居た。

 

 私の超能力の暴発でタンスを物色する彼の目前で金魚鉢が破裂したのだった。

 スローモーションのように流れる時間の中で、私が見たのは、顔に硝子片が刺さった鬼のような形相の彼が手に持った凶器を私に振り下ろす瞬間だった。

 咄嗟に超能力で彼を突き飛ばそうとするも、重たいものをどうにかするなんて出来ないと言うことすら私は失念していた。

 

 何かが、壊れる音がした。

 

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