感情爆発からの精神が迷子になる描写はやっぱり楽しい。
ワード選ぶのメッチャ頭ひねって、痛くなりましたが。
一応、キャラ崩壊タグも着けました。
尚、ヤンデレタイプは独占型。(監禁を添えて)
五月の放課後。
傾きかけた春の日差しが、図書室の大きな窓から差し込み、床の上に長い黄金色の陰影を描き出している。
外界から遮断されたこの静寂の空間で、私――椎名ひよりは、お気に入りの窓際の席で古い本を捲っていた。
トントン、と小気味よい床の音が、私のすぐ隣の席で止まる。
顔を上げると、そこにはアガサ・クリスティの文庫本を片手にした天道真希くんが、いつもの大らかな笑顔を浮かべて立っていた。
「隣、いいかな? ひより」
「ええ、もちろんですよ、真希くん。どうぞ」
私が椅子を少し引くと、彼は「ありがとう」と微笑んで席に着いた。
あの日――中学一年生の春、私がこの図書室のひだまりの中にいた彼に「太宰治、好きなんですか?」と声をかけてから、まだ数週間。私たちは、ようやくクラスの隣の席の人という境界線を越え、昨日読んだ本の感想を小さな声で語り合う『読書友達』となり、名前を呼び合うようになったばかりだった。
お互いに本を開き、活字の海へと沈み込んでいく。
頁を捲るかすかな摩擦音だけが、心地よい静寂の中に溶けていく。人付き合いが苦手で、ずっと独りきりで「私の図書室」にこもっていた私にとって、隣に同じ体温で本を愛せる人がいるという事実は、それだけで奇跡のような、壊れ物のように愛おしい時間だった。
ふと、真希くんが文庫本を閉じた。
パタン、という小さな音が静寂を揺らす。彼を見ると、少し首の後ろを掻きながら、どこか照れくさそうな、それでいて大らかな苦笑いを私に向けていた。
「……あのさ、ひより。ずっと気にしてたことがあるんだけど、ちょっと白状してもいいかな」
「白状、ですか? 一体どうしたのですか?」
私が本を少し傾けて彼を見つめると、真希くんは悪戯が見つかった子供のような目で笑った。
「実はさ……。俺、ひよりにあの日話しかけられるまで、本なんてまともに読んだことなかったんだ」
「え……?」
私の指先が、次の頁を捲ろうとした位置でピタリと止まる。
「だって、あの日の真希くんは……すごく真剣な、まるで何かに追われているような張り詰めた顔で、食い入るように『人間失格』を読んでいらっしゃいましたよね?」
記憶の中の彼は、確かに物語の深淵に触れている読書家の横顔をしていた。だからこそ私は声をかけたのだ。だが、真希くんは「あはは」と少し耳の付け根を赤くしながら首を振った。
「違うんだよ。あの日は、本当にただの偶然というか、衝動的だったんだ。俺、太宰治のことも、その本の内容も、本来は殆ど何も知らなかった。ただ……あの頃の俺は、自分の家庭のこととか、自分自身のことで、どうしようもなく心がグチャグチャになっていてさ。そんな時に、図書室の棚でふと目に入ったのが、あの強烈なタイトルだったんだよ。――『人間失格』。その四文字を見た瞬間、なんだか今の自分そのものを言われているような、奇妙なシンパシーを感じて、吸い寄せられるように手にとって開いただけだったんだ」
真希くんの声はどこまでも真っ直ぐで、大らかだった。隠し事を取り払うような、無防備な色彩が彼の言葉から溢れてくる。
「それにね、正直に言うと……あの時点では、俺、ひよりのことも全然意識してなかったんだよ。毎日隣の席で静かに本を読んでいる、綺麗な大人しい子だなぁ、っていうくらいの認識でさ。あの日図書室にひよりがいたことすら、声を掛けられるまで気づいてなかったくらいなんだ」
「そう、だったのですか……」
私は小さく息を漏らした。
そうか、彼はあの時、私を見ていたわけではなかった。ただ、自身の内側にある「闇」や「孤独」に突き動かされて、あの本を貪るように読んでいただけだったのだ。私の美しい予感は、半分は私の都合の良い勘違いだったのかもしれない。
ほんの少しだけ寂しいような、そんな感情が胸を過った――次の瞬間。
真希くんは重なっていた私の視線を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと、優しく言葉を続けた。
「でもね。そんな風に、ただタイトルに惹かれて不器用にしがみついていただけの俺に、ひよりが声をかけてくれた。俺の、今思えばすごく稚拙で的外れだったかもしれない『人間失格』の感想を、ひよりは本当に嬉しそうな、宝物を見つけたような笑顔で聴いてくれたんだよ。――あの瞬間、俺の中で何かがガラガラと変わったんだ」
真希くんの瞳の奥で、確かな熱が灯るのを私の網膜が捉えた。
「ひよりが俺の言葉を一つも溢さないように受け止めて、手を引いてくれたから、俺は初めて本の面白さを知ることができた。自分の狭い殻から一歩外に出て、広い世界を見てみたいって思えたんだ。だから……俺がこうして読書という新しい趣味に出会えたのも、今こうして本を読めているのも、全部あの日、ひよりが俺を見つけて、声をかけてくれたからなんだよ。俺に新しい世界を教えてくれたのは、ひよりなんだ」
「――――」
思考回路が、一瞬で完全なホワイトアウトを起こした。
窓から差し込む夕暮れの光が、真希くんの爽やかな横顔を黄金色に染め上げていく。その光の中で紡がれた彼の言葉という意味の熱量が、私の耳の奥に、そして脳内の精神世界(私の図書室)へとダイレクトに流し込まれていく。
(あ……あぁ……っ!)
お友達になったばかりの、まだ初々しいはずの私の内心で、“世界中のあらゆる運命論、バラバラだったパズルのピースが最後にピタリと嵌まる瞬間を謳った至高のミステリー小説の全ページが一斉にハレルヤのコーラスを上げて爆発炎上し、理性の全回路が愛おしさと底知れない衝撃の過電圧で跡形もなく消滅する、過去最大の「過激な
彼はあの日、私を意識していなかった。太宰治すら知らなかった。
けれど、だからこそ――私の放った「太宰治、好きなんですか?」というたった一言のワードが、彼の真っ白だった読書の世界をゼロから構築し、彼をこちら側の世界へと引きずり込んだのだ。
真希くんがこれから読むであろう何百冊、何千冊というすべての物語。そのすべての思考の、すべての記憶の原点には、この私が植え付けたあの春の日の言葉が、消えないインクで深く深く刻み込まれている。
(何ということでしょう……。真希くんの読書人生の創造主は、この私だったんですね……っ)
普通の女の子なら、彼の真っ直ぐな感謝の言葉に、ただ胸をときめかせて顔を赤くするだけなのかもしれない。
けれど、私は椎名ひより。本を何よりも愛し、物語の因果を誰よりも冷徹に愛する人間。
私の胸の奥で、カチリ、と、歯車が嵌まるような音がした。
あぁ、これは――「恋」だ。
生まれて初めて胸の最奥に湧き上がった、この瑞々しくも、底知れない質量を持った感情。
自分を完璧に肯定してくれたこの男の子を、愛おしいと思うと同時に、私の知性はどこまでも静かに、冷徹に、ひとつの「解答」を導き出していた。
(真希くんが私のせいで本を好きになってくれたのなら……これから先、彼が紡ぐすべての感想も、その美しい知性も、他人に一文字だって消費させてなるものですか。一生、私の隣という檻に閉じ込めて、私のためだけにその綺麗な声を響かせる、私だけの
脳内でどれほど過激な「精神的監禁調教計画書」の初期企画案が走ろうとも、夕暮れの図書室に佇む私は、世界一気品ある、おっとりとした文学少女のままでいた。
トントン、と机の上で開いていた本の端を静かに揃える。
私は上気した顔を彼へと向け、まだ繋ぐことすら許されていない真希くんの温かい指先に、自分の冷たい指先をそっと、けれど逃がさないようにピタリと重ね合わせた。
これまでの人生のどこで浮かべたものよりも、純度100%の、本当に幸せそうな、とろけるような極上の微笑みを真希くんに返す。
「……ありがとうございます、真希くん。そんなずるいお話をされたら、私、嬉しくて頭のすべての回路が焼き切れてしまいそうです」
いつもの穏やかな口調。けれど、重ねた指先からは、微かな、けれど絶対に離さないという強い拒絶の意思を伝わせる。
「真希くんの『最初』を私がお預かりしてしまったのですから、もう責任を取っていただきますね。……ねぇ、真希くん? 私のせいで本を好きになってくださったのなら、……これからもずっと、私の隣から一歩も動かないでくださいね?」
――ちなみに超統合的共感覚を持つ真希の瞳には、ひよりのその純粋で美しい「微笑み」の裏にある、外界のどんなノイズ(他の女子や、将来の敵)が邪魔をしようとも、すべてを冷徹に排除して真希くんの隣に居座り続ける、底知れない『聖母の
――え、敵意が混ざって痛くないのか?愛の力で障害を取り除くので、入る余地はこれっぽっちもありません。愛は偉大なんです。
「これから始まる中学校の三年間も、その先の未来も、……真希くんのすべての『読書の時間』は、全部……私だけに、たっぷり……独占させて、くださいますね……?」
――まだ付き合ってもいない、読書友達になったばかりの距離感で直撃した、ひよりの純度一兆%の永続的読書監禁予告。
――それを受信した真希は、甘美すぎる恐怖と快感のオーバーフローを一気に起こし、脳内処理回路が真っ白に完全フリーズしていった。
「……ひ、ひより……?」
顔面を火傷しそうなほど真っ赤に染め上げ、心臓の完全にバグを起こした猛烈な鼓動に身を任せながら、真希くんはただただ放課後の図書室の机に突っ伏して、恥ずかしさと愛おしさ、そしてとんでもない底なし沼に足を踏み入れてしまったという圧倒的な降伏感に、激しく悶絶するしかなかった。
その愛おしく震える後ろ姿を、私はどこまでも優しく、据わりきった瞳で見つめ続ける。
ようこそ、真希くん。私の創り出した、誰も入ってこられない、二人きりの「私の図書室」へ――。
ちなみに、このルートでもダイジェスト短編のラストのようなエンディングにはたどり着きます。その代わり、その後、辿る結末は大分違う。
純愛好きだけど、こう言う狂気的な感情爆発が書きやすい。別の作品でも、そんなふうに書いてたから。久しぶりにヒャッハーとなった。
ちなみに、この椎名ひよりは中学一年生です(大事なこと)
今後、出てこない予定。……たぶん。
ps.よう実3年生編4巻で泣いた。いい意味で。