ようこそ、『人間合格』を貰いに来た人よ。   作:knob人

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この章は、お手数ですが、『人間合格の章』(ダイナミックダイジェスト短編)を読んでからおすすめします。

この章は、『人間合格の章』でオリ主と椎名ひよりがもし、中学時代に出会わず、高度育成高等学校で出会っていたらというIfルートです。

オリ主が椎名ひよりに中学時代に出会わなかった結果、怪物になりかけていた可能性の話。(まだ怪物になってない)地獄を味わっています。取り敢えず、死にかけてます。

この章は基本シリアス。ヤンデレ風味。でも、最後には純愛に生かせる予定です。。
最後にこの章は何でも許せる人向けです。この章では、不可思議現象が起きます。後、大体椎名ひより視点で物語が進みます。

時系列的には一年生編の体育祭が始まるまでの数週間の出来事になります。この章は。


第一話『泡沫の出会い』

 

 【椎名ひより視点】

 

 微睡みの淵で、私は静かに目を閉じていた。

 

 高度育成高等学校の学生寮。そのベッドは適度に柔らかく清潔で、生活において何一つ不自由はない。けれど、どこか無機質で、ひどく冷たい。

 

 特に最近は、数週間後に控えた体育祭に向けて、クラスの空気が見えない熱とギスギスとした焦燥感を帯び始めている。そんな騒がしい日常から逃れるように、私は図書室の片隅で、ただ静かに本とだけ対話して日々をやり過ごしていた。

 

 私の生きる世界は、凪いだ海のように平穏で、そして同じくらい退屈だった。

 

(……温かい)

 

 ふと、頬を撫でる空気の質が変わったことに気がついた。

 

 寮の部屋に漂う建材や芳香剤の匂いではなく、古い紙とインク、そして日に焼けた木の匂い。

 

 ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに黄金色の光が広がっていた。

 

 大きな窓から差し込む、春の柔らかい夕日。天井の低い、少し埃っぽい、けれどひどく落ち着く空間。見覚えのない、あるいはずっと昔に忘れてしまったような、どこかの中学校の図書室だった。

 

 視線を落とすと、着ているのは高校の真新しいブレザーではなく、少しサイズの大きなセーラー服。自分の手は小さく、視線の位置も低い。

 

 どうやら、私は中学生の姿になっているようだった。

 

(夢、なのでしょうか)

 

 不思議とパニックにはならなかった。むしろ、このセピア色の空間が、私の心のどこかに開いた空洞に、すっと馴染むような心地よさがあったからだ。

 

「……」

 

 微かな、本当に微かな衣擦れの音がして、私はそちらに顔を向けた。

 

 すぐ隣の窓際の席。埃が光の粒となって舞うひだまりの中に、彼がいた。

 

 肩まで届く艶やかな漆黒の髪。長く伏せられた睫毛と、女性と見紛うほどに整った白磁のような横顔。一瞬、上級生の女生徒かと思ったが、その身を包む黒い詰襟と、骨ばった指先が、彼が私と同じ年頃の少年であることを示していた。

 

 彼の手元には、見慣れた文庫本が開かれていた。

 

 太宰治の『人間失格』。

 

 だが、彼はただ文字を追っているだけではなかった。何か見えない怪物から逃れるように、あるいは頭を割るような激しい痛みを堪えるように、眉間に微かな皺を寄せ、食い入るように頁を睨みつけていた。

 

 その横顔は、今にも切れてしまいそうなほど張り詰めていて痛々しく、同時に、どうしようもなく目が離せないほどの不思議な引力を持っていた。

 

(どうして……そんなに苦しそうな、悲しそうな顔で本を読んでいるのでしょう)

 

 現実の私なら、見知らぬ少年に声をかけることなど絶対にしない。人間関係の煩わしさを避け、自分だけの殻に引きこもるのが私の処世術だからだ。

 

 けれど、夢というあやふやな境界線が、私の背中をそっと押した。

 

 彼を、その苦痛から救い出してあげたいと。

 

「……太宰治、お好きなんですか?」

 

 鈴が鳴るような、ひどく幼い自分の声が図書室の静寂に響く。

 

 その瞬間。

 

 少年は弾かれたように顔を上げた。

 

 漆黒の瞳が大きく見開かれ、私を真っ直ぐに射抜く。警戒、驚愕、そして――瞬きを一つした直後、彼の瞳に浮かんだのは、深い、深すぎるほどの『安堵』だった。

 

 まるで、彼の頭の中でずっと鳴り響いていた耳障りなサイレンが、私の声を聞いた瞬間に、ふっと鳴り止んだかのように。

 

 彼の強張っていた肩の力が抜け、苦痛に歪んでいた眉間の皺が、春の雪解けのように嘘のように消え去っていく。

 

「……あぁ」

 

 彼は、春の風が吹き抜けるような、大らかで爽やかな笑みを浮かべた。

 

 その笑顔を見た瞬間、私の胸の奥で、トクリと小さな音が鳴った。

 

「うん。すごく惹きつけられるよ。最初は、なんて生き方の不器用な人なんだろうって思ったんだ。でも、ゆっくり読んでいると……自分の醜さや弱さを誤魔化さないその言葉が、とても愛おしく思えてくる」

 

 彼の声は、図書室の空気に心地よく溶ける、少し低くて温かい響きを持っていた。

 

 私は、思わず息を呑んだ。

 

 ただのあらすじの感想ではない。彼もまた、言葉の奥底にある作者の生々しい魂に触れようとしている。私と、同じように。

 

「……ええ。大庭葉蔵の苦しみは、作者自身の心の叫びそのものですものね。不器用だからこそ嘘がなくて、胸が締め付けられます」

 

 私の言葉に、彼はとても嬉しそうに目を細めた。

 

 それから、彼は私を少しも否定することなく、淀みのない言葉で私自身に興味を向けてくれた。好きなジャンル、心に残っている一節、物語の結末に対する考察。

 

 彼との会話は、まるで極上のミステリーのピースが次々と完璧に嵌まっていくかのように、私の言葉と寸分の狂いもなく噛み合った。

 

「椎名さんは、色んな本を読むんだね」

 

 彼が、ふと私の名前を呼んだ。夢の理(ことわり)なのか、彼が私の名を知っていることに疑問は湧かなかった。

 

「俺は、自分の周りの狭い世界しか知らなかったから……椎名さんの話を聞いていると、すごく世界が広くて、羨ましいなって思うよ」

 

 何のてらいもない、純粋な称賛。

 

 現実の世界で、誰とも言葉が噛み合わず、孤独な図書室に閉じこもっていた私の十五/十三年間が、その一言でふわりと救済されたような気がした。

 

 彼を傷つけるような言葉は何一つ紡ぎたくない。ただ、この穏やかな時間が永遠に続けばいいと、心底そう願った。

 

 彼もまた、私と話している間、どこか酷く安らいだ表情をしていた。見えない重圧から完全に解放され、ただの一人の少年として、静かな呼吸をしているような無防備な顔。

 

 ――キィン、コォン、カァン、コォン。

 

 遠くで、下校を促す夕暮れのチャイムが鳴り響いた。

 

 途端に、黄金色だった図書室の光が、水彩画が滲むように少しずつ輪郭をぼやけさせていく。

 

「……もう、時間ですね」

 

「そうだね」

 

 彼はゆっくりと本を閉じ、立ち上がった。私より少しだけ高い背丈。彼が窓を背にすると、その姿が逆光に溶けていく。

 

「ありがとう、椎名さん。君と話せて、本当に良かった。……また、ここで」

 

 彼が差し出した大きな手が、私の頭をそっと撫でた。

 

 その手のひらの、少し不器用で優しい温もりに、どうしようもなく胸の奥がきゅうっと締め付けられる。

 

 行かないで。もっと、あなたとお話ししたい。

 

 その切実な願いを口にする前に。私の世界は温かな光に包まれ、真っ白に溶けていった。

 

     *

 

 パチリと、目を開ける。

 

 白い天井。冷たい空気。規則正しい目覚まし時計の秒針の音。

 

 私は、高度育成高等学校の学生寮の、自室のベッドに横たわっていた。

 

 ゆっくりと体を起こし、自分の手を見る。そこにあるのは、高校生になった私の手だ。枕元には、昨夜読みかけで置いたミステリー小説がある。

 

「……夢」

 

 ぽつりと呟いた声は、静かな部屋にむなしく吸い込まれた。

 

 彼が誰だったのか、私は知らない。私の過去の記憶のどこを探しても、あんなに美しくて、大らかで、私の言葉を百パーセントの温度で受け止めてくれる少年は存在しなかった。

 

 きっと、一人で本ばかり読んでいる私の脳が作り出した、ただの都合の良い幻だったのだろう。

 

 けれど。

 

「……ふふ」

 

 胸の奥には、彼と語り合ったあの図書室のひだまりの温もりが、確かに残っていた。

 

 彼が私に向けてくれた、安らいだような爽やかな笑顔。私の世界を「広い」と言ってくれた、あの真っ直ぐな声。

 

 窓のカーテンを開けると、清々しい朝日が部屋に差し込んできた。少し開いた窓の隙間から、朝練に向かう生徒たちの声が微かに聞こえてくる。体育祭を目前に控えた、いつもと変わらない、少し騒がしくて退屈な現実の朝。

 

 けれど、不思議と悪い気分ではなかった。

 

 あの夢の続きがあるのなら。

 

 見知らぬ彼が、またあの古い図書室で、本を開いて私を待っていてくれるのなら。

 

 眠りにつく夜が、今日から少しだけ楽しみになる。

 

「また、夢でお会いしましょうね」

 

 誰もいない部屋にそっと語りかけ、私は今日という現実を歩き出すための準備を始めた。

 

 

 

 

 

『読書友達になれなかったんですね、アナタは……』

 

 

 




この話の椎名ひよりは、中学時代の精神年齢に若干引っ張られてます。

こういう、別の世界線の記憶を夢でみる展開って、よう実の世界に合わないよなぁ。と友人に相談したところ。

「いや、沢山ある、よう実二次小説で転生オリ主原作知識持ちの作品がある時点で今更じゃね?転生のメカニズムガン無視でやってるの多いんだから、気にする必要ないと思うけど」

というありがたい話を聞いて、開き直って書きました。取り敢えず明確な設定はありません。
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