青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜 作:SK43
「あの……」
話がまとまった後、帰り際に玄関まで見送りに出てきたエスカは、どこか落ち着かない様子で立ち尽くしていた。
先ほどまで依頼成立に安堵していたはずなのに、その表情にはまだ迷いの色が残っている。
アルスが「どうかしました?」と首を傾げると、彼女は少しためらってから口を開いた。
「改めてなんですけど、本当に良いんですか? やっぱり法外な値段だと思うんですけど……」
遠慮がちに紡がれたその言葉に、アルスは思わず笑ってしまう。
何かと思えば、まだその話かと。
もちろん金の問題は大事だ。
生きていく以上、避けては通れない。
だが、それについてはもう答えを出したはずだった。
それに何より、今のアルスにとっては“仕事を依頼された”という事実そのものが奇跡に近い。
「むしろ仕事振ってくれて本当にありがとう! 長い長い営業生活が、ようやく実を結んでくれて……!」
両手を握り締めながら感極まったように語るアルスに、エスカは一瞬きょとんとした後、どこか同情を含んだ表情になった。
「そ、それは……心中お察しします」
「え、なんでちょっとかわいそうな人を見る目になってるの?」
とはいえ、彼女なりに気遣ってくれているのは伝わってくる。
だからアルスもそれ以上は気にしないことにした。
そんな二人のやり取りを少し離れた場所で眺めていたガーディールが、不意に「あー……」と声を漏らす。
「なぁ、お前ら」
妙に歯切れが悪い。
いつもの豪快さが鳴りを潜め、どこか言いづらそうな顔をしている。
「ん、どしたのさガーディ。報酬の話はもう十分でしょ?」
「いや……まぁそれは良いんだが、旅費はどうすんだ? ヒヒイロまで、どんなに安く行ったって10金以上かかると思うんだが。前金半分消し飛ぶぞ」
「へー、そうなんだ……でも足りるならなんとかなるよ」
アルスは軽く肩を竦めた。
そもそも採算度外視で受けるつもりの依頼だ。
足りない分は皿洗いで返す――その覚悟も決めている。
しかし、ガーディールは納得していない様子で首を横に振った。
「他にも調査道具新しくしたりとか色々あんだろ。まさかお前の家にあるボロ持っていく気じゃねぇだろうな」
その瞬間、その場の空気がぴたりと止まった。
アルスの脳裏に浮かぶのは、自室の隅で埃をかぶっている古びた調査機材の山。
長らく使われていない計測器具。
軋むケース。
擦り切れた保護装備。
――あれ、まだ使えるんだろうか。
「調査道具……なんとかどっかで借りられないかな」
「あ、あの。あたし、叔父さんに掛け合って少しお金借りられないか相談を……」
「どっちも望み薄だな。お前にゃアテはねぇだろうし、嬢ちゃんも借りられるなら最初からそうしてるはずだ」
あまりにも的確な言葉だった。
アルスも、エスカも何も返せない。
調査道具がなければ、現地へ行っても意味がない。
最低限の対魔物装備だって必要だ。
まして今回の案件は、男たちが集団で失踪しているという異常事態。
古い機材だけで乗り込むには危険すぎる。
重たい沈黙が落ちる。
その空気を見かねたように、腕を組んでいたガーディールが大きなため息を吐いた。
「はぁ~~~……ったく。なら今回は俺がついてってやるから、そこは心配すんな」
「へ?」
唐突な申し出に、アルスの思考が一瞬停止した。
一緒に来る――ということは。
「それって、旅費持ってくれるってこと?」
「ああ」
ガーディールはあっさり頷く。
「魔物調査に行くなら専門医を同行させるのが鉄板だろ? あいにく俺は薬剤師だが、真似事と応急処置くらいはできる」
「えええええ!? ま、ま、マジで!? ほんとに!?」
アルスの目が限界まで見開かれる。
10金を超える交通費を人数分ともなれば、決して軽い負担ではない。
だからこそ狼狽するしかなかった。
「てめぇが稼げるようになるまでツケにしといてやるよ。ま、研究家として働けねぇお前と、医者の真似事する俺。違法ここに極まれりって感じだな」
「ガ、ガーディ~~……!」
「ええい泣くな! すり寄んな! マジでお前これ終わったら、もっと気合入れて仕事探せよな!」
アルスは今にも拝み倒しそうな勢いで両手を合わせる。
捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこのことだった。
そんな二人のやり取りを見ていたエスカが、少し困惑したように尋ねる。
「あの、ありがとうございます……でも、どうしてそこまで」
その問いに、ガーディールは視線を逸らしたまま頭をがしがしと掻いた。
それは照れ隠しをしている時の、彼の癖だ。
「ま……なんてこたねぇ。俺もあんたと一緒なんだよ」
「え?」
「でけぇ仕事を頼んだ借りがある。まだ、それを返せてねぇ」
ぽつりと落とされた言葉に、エスカは目を瞬かせる。
ガーディールが過去にアルスへ頼んだ“仕事”――その詳細は語られない。
だがアルス自身は、毎月図書館の本を運んできてくれるだけで十分返してもらっているつもりだった。
それでもなお恩義を感じ続けている辺りが、なんだかガーディールらしい。
「律儀だなぁ。似合わないぞガーディ」
「うっせぇわ。貧乏人め」
だから二人は、結局いつも通り軽口を叩き合う。
そのやり取りは妙に自然で、長い付き合いを感じさせた。
「あんたも災難だな。コイツ、ただの魔物オタクだから。頑張ってくれ」
「えぇ……」
でも照れ隠しついでに僕がオタク呼ばわりされるのは違うだろうと、声を大にしたかったがなんとか飲み込む。
エスカの中で自分の評価がどんどん妙な方向へ転がっていっている気がしてならなかった。
「こほん。それじゃ、早速準備するものまとめなくちゃ。エスカさん、また今度」
これ以上余計な暴露をされる前に、アルスは強引に話を切り上げる。
次の打ち合わせの日程だけ決めると、二人は洋館の門へ向かった。
「それじゃあ……今回はよろしくお願いします」
「はい。最善を尽くします」
門を出た頃には、夕日はすっかり沈んでいた。
街灯もまばらな住宅街は薄暗く、先の見えない夜が静かに広がっている。
けれど、不思議とアルスの心は明るい。
干され、見放され、仕事もなく、未来も見えなかった日々。
その停滞した時間がようやく少しだけ動き始めた気がしたのだ。
「まもののお兄ちゃーん! ばいばーい!!」
「おっきいおにいちゃんもまたねー!!」
「って、またあんた達はーっ!!!!」
館の奥から聞こえてきた元気いっぱいの声に、アルスとガーディールは思わず振り返る。
窓から身を乗り出した子供達が、大きく手を振っていた。
二人も手を振り返しながら、夜の街へと歩き出す。
その背中には、久しぶりに“仕事へ向かう者”の熱が宿っていた。