青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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19.希望の青年

 ブレイズ(首都)から高速飛空艇で約二時間。

 

 街の喧騒はとうに遠ざかり、空を埋めていた飛空艇の往来もいつしか途絶えていた。

 山々に囲まれた土地――ヒヒイロでは、未だ魔力エネルギーの普及が十分とは言えず、都市部のような利便性とは無縁の生活が根付いている。

 

 不便ではある。

 だがその代わりに、ここには都会にはない穏やかな時間の流れがあった。

 

 温泉地としても有名で、最近雑誌か何かで特集を組まれていたのをアルスはうっすら覚えている。

 規模の割に人口は多く、老人から子供まで幅広い世代が暮らす、活気ある山村――本来なら、そういう場所のはずだった。

 

 しかし。

 

「……誰もいないわね」

 

 村へ足を踏み入れた瞬間、エスカが不安げに呟く。

 その声がやけに大きく聞こえるほど、辺りは静まり返っていた。

 

 木造の家屋。

 軒先で揺れる洗濯物。

 道端に置かれた農具。

 

 どこを見ても生活の痕跡は残っている。

 それなのに、人の気配だけがごっそり抜け落ちていた。

 

「みんないなくなっちゃったの……? まさか、もう手遅れだったんじゃ……」

 

 エスカの顔がみるみる青ざめていく。

 幼馴染の安否を案じているのだろう。

 握り締められた拳が小さく震えていた。

 

「消えたのは男連中だけって話だったろ。なら他の奴らは家にでも隠れてんじゃねぇか」

 

 最悪の想像に飲まれかけるエスカを、ガーディールがぶっきらぼうに宥める。

 

 確かに得体の知れない脅威が村を襲っているのだとしたら、家に閉じこもって身を潜めている可能性は十分考えられた。

 

 アルスも周囲を見回しながら軽く息を吸い込み、腹の底から声を張る。

 

「すみませーん!! 誰かいませんか~!」

 

 声は静かな村中に響き渡った。

 周囲を山に囲まれているせいか、少し遅れてやまびこのような反響まで返ってくる。

 

 そして、しばしの沈黙。

 三人の間に緊張が走る。

 だがやがて、ぽつり、ぽつりと乾いた音が聞こえ始めた。

 家の戸を開く音だ。

 

「僕はアルス! 魔物研究家です!! この村の話を聞いて来ました!」

 

 さらに声を重ねる。

 すると今度こそ、家の中に隠れていた住民たちが恐る恐る姿を現した。

 

 その誰もが疲弊していた。

 不安に怯えきった顔。

 眠れていないのか目の下には濃い隈が浮かび、互いに身を寄せ合うようにしてこちらを見ている。

 

 けれどその表情の奥には、確かに安堵の色もあった。

 

「研究家様……本当ですか? ブレイズから来てくださったんですか?」

 

「本当だわ……! みんな! 街から魔物研究家さんが来てくれたわ!」

 

「研究家様、どうか話を聞いてください! 息子と主人が行方不明に……!」

 

 アルスは眉をひそめる。

 ――これは、想像していた以上に深刻だ。

 

 一人が声を上げれば、それを呼び水にするように住民たちが次々と集まり始めた。

 そして事前に聞いていた通り、その中に男の姿は老若問わず一人として存在しない。

 

「えっと、皆さんちょっと落ち着いて……」

 

 なんとか宥めようとするものの、住民たちの不安は限界に達しているのか、喧騒はなかなか収まらない。

 

 ガーディールも半ば諦めたように肩をすくめる。

 落ち着くまで待つしかないか――そう思った、その時だった。

 

「……エスカ?」

 

 ざわめきの中に混じって、誰かを呼ぶ小さな声が響く。

 

 しかしその声は妙にはっきりと耳に残った。

 

 アルスが視線を向けると、人混みをかき分けるようにして一人の少女が駆けてくる。

 息を切らし、今にも泣き出しそうな顔だった。

 

「エスカ!!」

 

「ミティ! 会えてよかった!!」

 

 少女はそのままエスカへ飛びつくように抱きついた。

 再会を果たした二人を見て、混乱していた住民たちも少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 

「お待たせ、ミティ。ごめん、遅くなったわ」

 

「そんなことない……っ。ありがとうエスカ。本当に来てくれたんだね……」

 

「そりゃ来るわよ。どんな手を使ってでも」

 

 二人とも目に涙を浮かべていた。

 

 その様子を見るだけで、エスカがどれほどこの少女を心配していたのかが伝わってくる。

 そしてミティと呼ばれた少女もまた、どれほど不安な時間を過ごしてきたのか。

 

 アルスは二人のやり取りを少し離れた場所から見守っていた。

 

 間に割って入るのは気が引けるが、このままというわけにもいかない。

 

 アルスは小さく咳払いをしてから声をかけた。

 

「えっと、貴方が今回の依頼人ですよね。僕はアルス。ブレイズから来た魔物研究家です」

 

「あっ、あっ……ご、ごめんなさい! ご挨拶が遅れてしまって……っ! み、ミーティアと申します」

 

 びくりと肩を跳ねさせた少女は、慌てて深々と頭を下げた。

 必要以上に緊張している様子に、アルスの方が逆に戸惑ってしまう。

 

「こんな遠方まで来ていただき、ほ、本当にありがとうございます……」

 

「いやいや、そんな畏まらなくても。……でもこの様子を見る限り、かなり切迫してそうですね」

 

 アルスは改めて周囲を見回した。

 

 集まった女性たちは、今なお不安げな表情のままこちらを見つめている。

 藁にも縋る思い、という言葉がこれ以上なく似合う光景だった。

 

「ご、ご覧の通りです……。ヒヒイロにいた男の人たちは、みんないなくなってしまいました。ここ一週間くらいの間に、次々と……」

 

 震える声で語るミーティア。

 アルスは真剣な表情で頷いた。

 

「……まずは詳しい話を聞きたいです。数人でいいので、村の代表を決めてもらえますか。現状把握から始めましょう」

 

「わ、わかりました……。ありがとうございます。本当に……」

 

 ミーティアは胸元で両手を握りしめ、何度も頭を下げる。

 

 魔物の脅威に怯える人々を見るのは初めてではない。

 だが、その不安を真正面から引き受ける立場になるのは初めてだった。

 

 責任の重さに、改めてアルスは静かに息を吐く。

 そして、ずっと後ろで様子を見守っていたガーディールと、涙を拭っているエスカへ視線を向けた。

 

「二人とも行こう。調査開始だ」

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