青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜 作:SK43
──ばさばさばさ……
机の上で紙束が崩れ落ちる音が響く。
「……夢かぁ~~」
じめじめした熱気と、大量にしたためたレポートが床へ散らばる音に包まれながら、アルスは目を覚ました。
季節は春。だが、そろそろ夏の気配も近づいてきている。締め切った部屋の空気はじっとりと重く、クーラーの出番も遠くなさそうだった。
「夢の中のあの人は、誰なんだろうね。友達っぽくもあるし、奥さんっぽくもあるし……」
「きゅう?」
年季の入った革張りのソファから身を起こし、いつの間にか身体の上に乗っていた真っ赤なハリネズミをそっと撫でる。
濃い紅色の針で身を包んだその小動物は、少しチクチクする手触りをしていた。それでも、掌に伝わる感触はどこか柔らかい。
ハリネズミはぐっと身体を伸ばし、一しきりリラックスした後、ころりと床のフローリングへ転がっていった。
「交友関係、希薄だからなぁ……」
寝ぼけ眼を擦りながら、アルスは掠れた声で独り言を漏らす。
夢に出てきたような距離感の女性など、現実には思い当たらない。大学時代の自分を思い返してみても、研究漬けの日々ばかりだった。
――いや、別に寂しい学生生活だったわけではない。
講義室の隅で昼寝するふりをしながら昼休みをやり過ごしていたわけでもないし、研究を通じて気の合う友人や競い合うライバルだっていた。学生生活はそれなりに充実していたと、アルス自身は思っている。
その結果が、この部屋の惨状だった。
床にも机にも積み上がった論文とレポートは、一山どころかもはや山脈じみている。
「大学じゃ研究ばっかだったし。……ほら見て。これ全部書いたんだ」
乱雑に積まれた紙束から一枚を引き抜き、アルスは床で丸くなっているハリネズミへ見せつける。
論文の題名は『魔物の社会性についての考察』。
アルスの人生を大きく変えることになった論文だった。
青春時代を何に捧げたのかと問われれば、きっと真っ先に「魔物の研究」と答えるだろう。
それほどまでに、彼は魔物という存在へ没頭していた。
「って、魔物の君に言ってもしょうがないよね」
自嘲気味に笑い、論文を紙束の山へ戻す。
我ながら色気のない青春時代だとは思う。だが、それでも楽しかったのだから仕方がない。
二十三歳になった今でも、目の前にいる小さな魔物を観察しているだけで時間を忘れてしまうほどには。
「きっきゅ」
そう、可愛らしく鳴くハリネズミの正体は、普通の動物ではない。
フレアラットと呼ばれるこの生き物は、ハリネズミ科に属する魔物であり、燃えるような紅い針を特徴としている。
魔物たちは基本的に動物と似た進化を遂げているが、その身体の血液には魔力という特殊なエネルギーが流れている。
魔力を持つ動物――略して魔物。
実に分かりやすい名称だった。
「大変だったんだよコレ書くの。他にもいっぱい書いたんだけど、どれも滅茶苦茶時間かかってさ」
床に散らばる論文を眺めながら、アルスは過去を思い返す。
どの論文も簡単に完成した試しはなく、中には書き上げるまで一年近くかかったものすらあった。苦労して完成させた文章ではあるが、今では扱いも随分雑になっている。
「この辺にあるのはもう全部使えないからね」
「きゅきゅきゅ……もしゃもしゃ」
フレアラットが床に散らばったレポートの中で、もそもそと動いている。どうやら気に入った場所を見つけたらしい。
彼らは普通のネズミ同様、暗い場所を好む傾向がある。紙束に埋もれるこの空間は、彼にとって居心地がいいのだろう。
とはいえ、いくら
アルスは何気なく、フレアラットが潜り込んでいる辺りのレポートを一枚拾い上げた。
文字で埋め尽くされた紙の中央には、
その穴から、フレアラットの尻が見えていた。
「あはは、可愛いなぁ……所で何故か紙に穴が開いてるんだけど、もしかして僕の論文食べてるの君!?!?」
紙には明らかに齧られた跡があった。
――いや、ちょっと待て。
「ちょちょちょ待った!! これは君のごはんじゃないからね! っていうかフレアラットって紙食べない……あああああ、歯がかゆいのか!」
子供のフレアラットは歯の成長に伴って痒みを覚える。
そのため何かを噛んで痒みを紛らわせながら、同時に顎の力を鍛える習性があるのだ。
――いや、感心している場合ではない。
アルスは慌てて、呑気に紙を食んでいるフレアラットを抱き上げた。
「もしゃっ……きゅ」
「もしゃっきゅじゃないんだよ! ウチが汚いのはごめん! でもちょっと……お願いだから離して食べないでぇー!!」
突然持ち上げられたフレアラットは、アルスの腕の中でもがきながら逃げ出そうとする。
だが、噛み続けている論文を離すまで解放するわけにはいかない。
涙目になりながら懇願するアルスにも、譲れない事情があった。
「もしょ……きゅぅぅぅうう……ぎゅッ!」
ちなみに、フレアラットがなぜ
理由は単純だ。
彼らは危険を察知したり強いストレスを受けたりすると、針が超高温となって発光する。
つまり、警戒状態のフレアラットを抱きかかえるという行為は――
真っ赤に熱された鉄を抱えるのと同義だった。
「ああああああっつァーーーーッ!!!!」
「きゅーぅ」
そうしてアルスの腕から難なく脱出したフレアラットは、「気安く触るな」とでも言いたげに鳴き声を上げる。
その後は満足するまで紙を齧り続け――そのまま寝た。
そして、その横でアルスは力なく倒れ込み。
静かに、泣いた。
読んでくれてアリガトネッ
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