青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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22.森の中の青年

 森へ足を踏み入れた瞬間、そこはまるで別世界だった。

 

 薄く漂う霧が視界を白く曇らせ、幾重にも絡み合う木々の枝葉が太陽の光を完全に覆い隠している。

 昼間だというのに森の中は夕暮れのように薄暗く、苔の匂いを孕んだ湿った空気が、肌へじっとりと張りついてきた。足元はひどくぬかるんでおり、一歩進むたびに靴底が泥に飲み込まれ、重苦しい音を立てる。

 

「ぽたり」と。

 どこか遠くで葉から水滴が落ちる音が響くたび、森の底知れぬ静寂はかえって不気味に際立っていた。

 

 ヒヒイロの女たちは、村の男衆を探すために、こんな不気味な森を連日総出で捜索していたのだろう。その労力と恐怖を思えば、アルスは自然と感心に近い息を漏らしていた。

 

「んっしょ……っと。ねぇ、アルス。一個まだ腑に落ちないことがあるんだけど、聞いていい?」

 

「ん、もちろん。なんですか? ……よっと」

 

 太い倒木をひらりと飛び越えながら、エスカが背中越しに問いかけてくる。

 

 アルスが魔物使いではないと分かり、敬語を外したことで肩の力が抜けたのか、彼女の口調は以前よりずっと自然だった。軽やかに森の障害物を越えていくエスカの後ろで、体格の大きなガーディールが枝に肩をぶつけ、「いてっ」とぬかるみに足を取られかけている。

 

 その不格好な様子にアルスが吹き出しそうになると、ガーディールは照れ隠しのようにこちらを睨み返してきた。

 

「さっきの状態異常を検査する魔機……あんな便利なものがあるなら、村でミティ……ミーティア達にも全員使えばよかったじゃない。どうして使わなかったの?」

 

「ふぅ……あぁ、そういやそうだな。村人全員にアレ使えば、村が……ネスト? になってるかどうかなんて一発じゃねぇか」

 

 ガーディールも泥を払いながら同調する。

 

「あー……それは。うーんと、念のためかなぁ」

 

「念のため?」

 

 エスカが立ち止まり、首を傾げる。

 その仕草はどこか警戒心の強い小動物じみていて、アルスは一瞬だけ自宅で留守番をしているフレアラットを思い出した。口にしたら確実に怒られるので黙っておく。

 

「知能の高い魔物っていうのは、“灯台下暗し”を理解してるんだよ。今回の事件の犯人がリリスだとしたら、あの村に『普通の住人』として紛れ込んでる可能性が高い」

 

「なっ……! それなら尚更すぐ見つけなきゃ、ミティが危ないじゃない!」

 

 エスカが血相を変え、声が鋭くなる。

 だが、アルスは慌てることなく静かに首を横に振った。

 

「ううん、逆だよ。あの村では、女の人は一人も襲われてない」

 

「え?」

 

 アルスは湿った土を踏みしめながら、頭の中で事件の状況を整理していく。

 

 男だけを攫う。

 痕跡を消す。

 しかも、村から逃げていない。

 そこには、魔物側の明確な『意図』がある。

 

「つまり、犯人はまだ何か準備してる。あるいは、村から逃げられない事情がある。だからこそ、今は絶対に正体を悟られたくないはずなんだ」

 

 もしこの段階で村中に検査を行えばどうなるか。

 正体を隠しているリリスを、不用意に刺激する結果になる。

 追い詰められた魔物がどんな凶行に走るか、アルスは過去の経験から嫌というほど知っていた。

 

「正体がバレた時は、なりふり構わず僕らを殺そうとするか、人質を取って逃げようとするか……わからないけれど戦闘は避けられない。そういう可能性がある以上は、無駄に刺激したくなかったんだ」

 

「……っ」

 

 エスカはきつく唇を噛み、視線を落とした。

 ミーティアの笑顔が脳裏をよぎったのだろう。剣の柄を握る手に力がこもり、不安を必死に押し隠しているのが見て取れた。

 

 そんな重い空気を断ち切るように、ガーディールがわざとらしく肩をすくめる。

 

「まぁ心配だろうが、こいつがそう言うなら取り合えずそうなんだろうぜ。こいつ、魔物のことに関してだけは変態だからよ。図鑑の何ページ目に何の魔物が載ってるか暗記してんだぜ。普通にキモいよな」

 

「うるさいよ薬草オタク」

 

 じろりと睨み返せば、ガーディールは「へーへー」といたずらっぽい笑みを浮かべるだけだった。頼りにしてくれているのはアルスも感じる所だが、つくづく常日頃から一言多い男である。

 

「で? 博士サマはどうやって痕跡を探すつもりなんだ。御覧の通り、足跡なんざどこにもねぇぞ」

 

 話題を切り替えるように、ガーディールが泥だらけの地面を顎で示す。

 アルスは「それなら」と頷き、腰のカバンから板状の魔機を取り出した。

 

「痕跡の調査でも、これを使うよ」

 

「それって……さっきの状態異常を調べるやつよね?」

 

「うん。澱みの検査(ディテクト)は、人間以外にも使えるからね。例えば――」

 

 アルスは、すぐ近くに生えていた太い木へ魔機をかざした。

 ぴこん。

 軽快な電子音が鳴り、画面に“陽性A型”の文字が浮かび上がる。

 

「なんか出たけど……ここにリリスがいたってこと?」

 

「いや、多分ボアカミキリかな」

 

「……なにそいつ」

 

「木に穴を開けて産卵するカミキリムシ型の魔物です」

 

「は? カミキリムシ!?」

 

 エスカの顔が露骨に引きつる。

 アルスは嬉しそうに、木の幹に開いた小さな穴を指差した。

 

「ほら、この穴。これに魔力反応がある場合、大体ボアカミキリの産卵痕なんですよ」

 

「うわぁ……」

 

「この木を割れば、多分中にいっぱいボアカミキリの卵か幼虫がいるはずで。幼虫は焼いて食べるとクリーミーでおいしいんですよね~」

 

「ハァ!? 焼く!? 食べるって言いましたあんた!? バカなのアホなの!?」

 

 鬱蒼とした森の静けさを破る勢いで、エスカが顔を青ざめさせて叫ぶ。

 アルスはまるで当然のことのように頷いた。

 

「ベインカミキリっていう希少(レア)がたまに見つかるんですけど、そっちは毒あるんで食べちゃダメですよ。まぁでも……A型ならここにいるのはボアだけだろうなぁ、残念」

 

「食べないわよ! バカバカバーカ!!」

 

 研究家の仲間がこの場にいればみんなが手を叩いて喜ぶ鉄板魔物トークに対し、エスカは拳を固めてガーっと怒鳴った。

 

 陽性A型。それは極めて微弱な魔力反応を示している。

 B・C・Dとアルファベットが後の方になるほど、より強力な魔力反応という事になる。

 

「EとかFとか出たら、軽く国の軍隊が出動するレベルの災害クラス。僕らじゃどうしようもないから、出ないように祈ろう」

 

「ほ~ん……最大ってなんぼくらいなんだ?」

 

「過去最高の検出は、Hだね」

 

「H……それって、どんな魔物だったのかしら……」

 

 エスカが顔をしかめて呟く。

 記録が塗り替えられたのは、もうかなり前の話だと、アルスはどこか遠くを見るように目を細めた。

 あの頃のアルスはまだ子供で、故郷の村にいた。

 その最高記録の正体が何だったのかを知ったのは、全てを失い、王都で魔物の勉強をし始めてからである。

 

「魔物の鱗だよ」

 

「鱗……?」

 

「そう……ドラゴンの鱗」

 

 過去最高記録である『H』を弾きだしたそれが見つかったのは、ドレイクヒルと呼ばれる村だった。

 首都ブレイズから遠く離れた秘境に位置する場所で起こった、とある事故。それによって一晩で完全に崩壊した村には多くの警察や研究家が集まり、その焼け野原の一角で『ある物』が発見された。

 

 事故の惨禍に巻き込まれながらも、奇跡的に唯一生き残っていた少年と、そのすぐ隣に落ちていた一枚の鱗である。

 

 恐るべきは、その小さな鱗が本体から離れた後も未だに莫大な魔力を放出し続け、辺り一帯の生態系を狂わせる程の力を持っていたという事実。

 当然これは世紀の大発見となり、今も尚、最重要研究資料として国が厳重に保管しているという。

 

 そんな過去に思いを馳せながらも、アルスは澱みの検査(ディテクト)を片手に森の調査を続ける。

 ぬかるんだ泥の中や、変わった形の草花、所々で見つかる動物の糞まで、手当たり次第に魔機をかざしてみれば、微弱ながらも色々な反応が見つかっていった。

 

「これはクラストクラブの巣。硬質化の魔法を使う陸ガニです」

 

「あっ、こっちはセンリガエルのオタマジャクシ。成体になると透視魔法を使うって言われてて――」

 

「……糞にも魔力反応だ。この上の枝で鳴いてるのは、加速の魔法を使うフラッシュリットかな。黄色い綺麗な小鳥でかわいいですよ。つつかれると大怪我しますけど」

 

 説明するたびに、アルスの目は少年のように輝いていく。

 薄暗いアパートの研究室に閉じこもっていた頃より、よほど生き生きとしていた。

 図鑑や論文の文字を眺めるだけでは得られない、生きた魔物たちの確かな痕跡。

 それら全てが、彼にとっては宝物のようなものだった。

 

「……ほんと、よく全部見ただけで分かるわね」

 

 前を歩きながら、エスカが呆れたように、けれど少し感心したように呟く。

 剣の柄に手をかけ、周囲を警戒し続けてはいるものの、最初の頃の張り詰めた表情はだいぶ柔らかくなっていた。

 

「人に害のない魔物って、案外普通の生き物と変わらないんですよ」

 

 アルスは魔機の画面を覗き込みながら答える。

 

「ニュースとかで聞く有名な魔物って、大体危険区域にしかいないですから。こういう普通の森にいるのは、小さくてどこにでもいるような魔物ばっかりなんです」

 

「そういうのもいるんだ……全然知らなかった」

 

 その話を聞いて、それはそうかとエスカ自身も得心した。

 確かによくよく見れば様子が違う事に気づけるが、パッと見ただけではその辺にいる普通の動物や生き物となんら変わりはない。

 

 みんなそういう魔物であれば良いのにとも思うが、アルスにとってはきっと、どの魔物も全て等しく魔物なのだろう。

 

「フレアラットだって、ここの魔物と大差ないですよ」

 

「アイツは危険度が違うでしょーが! 今度アタシの前で外に出したら本当に斬るからね!?」

 

「いやいや、あの子もギリAですから! 安全も安全!」

 

「知らないわよ!」

 

 相変わらずの魔物嫌いにアルスが苦笑した――まさに、その時だった。

 

 手にしていた澱みの検査(ディテクト)が、低く乾いた警告音を鳴らした。

 今までの軽快な反応音とは明らかに違う、神経を逆撫でするような不快な音色。

 

 その音は数秒経たずしてふっと消えたが。

 三人の耳の奥には、森の静寂を塗り潰すような、冷たい嫌な余韻だけが確かに残った──。

 

 

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