青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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23.襲撃

「な……なに? 今の音……」

 

聞き慣れない警告音に、エスカが怪訝そうに眉をひそめた。

 

先ほどまで軽快な反応音を鳴らしていた澱みの検査(ディテクト)とは違う。今のは、一定以上の魔力を探知した際に鳴る警戒アラートだ。設定してある基準はCランク以上――つまり、この近くに比較的強力な魔物が存在していることを意味していた。

 

アルスの表情から、すっと色が消える。

 

「近くに強い魔物がいる。みんな、ゆっくり姿勢を低くして……」

 

その一言で、森の空気が一変した。

 

先ほどまで漂っていた探検めいた高揚感は霧散し、辺りを満たすのは張り詰めた緊張だけになる。

 

風に揺れる木々のざわめき。

どこか遠くで鳴く鳥の声。

湿った土を踏みしめる微かな音。

 

それ以外、何も聞こえない。

 

だからこそ、その“静けさ”が異様だった。

 

「リリスって奴か……? どこにいんだ?」

 

ガーディールが声を潜めたまま、視線だけで周囲を探る。

アルスは魔機を握り直し、小さく首を横に振った。

 

「違う、リリスはもっと反応が強い……っていうか持ってきた魔機安い奴だから、魔物の場所とか分かんないんだよね。てへ」

 

「おまぁぁぁ……! 言えよ俺にそういうのは……! 買わせろ……! んな大事なもんをケチってんじゃねぇぇぇ……!」

 

怒鳴るのを必死に堪えているせいで、ガーディの顔は鬼のように引きつっていた。

アルスは反射的に目を逸らす。

 

言い訳をするなら、研究家としての意地があったのだ。中古でも性能は問題ないと思っていたし、予算だって限られていた。

だが命が懸かっている状況では、そんなプライドに何の価値もない。

 

内心で謝罪しつつ、アルスは慌てて腰のポーチを漁った。

とはいえ、何の備えもしていないわけではない。

 

解析の魔機(アナライズ)……起動(アウェイクン)

 

低くキーワードを唱えながら、別の魔機を起動する。

 

板状の機械から低く小さな駆動音が響き、淡い光を灯したディスプレイに方位磁石のような円盤が浮かび上がった。

 

魔力の強い方向を探知する簡易探査機。

精度は高くないが、位置を絞るには十分だ。

 

「……っ!?」

 

次の瞬間、アルスの顔が強張った。

 

「どうしたの……!?」

 

エスカが覗き込む。

そこに映っていたのは、異常な光景だった。

本来なら敵の方向を指し示すはずの針が、狂ったように高速回転している。

 

止まらない。

まるで壊れた時計の針のように、ぐるぐると回り続けている。

 

「針が……止まらない……!? 凄い勢いで動いてっ……これ壊れてるんじゃ!?」

 

エスカの声が震える。

だがアルスは、その意味を理解してしまった。

壊れているのではない。

 

これは――

 

「違う壊れているんじゃない……囲まれてるっ!! 二人とも立って! 木に登れ!」

 

叫ぶのと同時だった。

 

「ゥォォォオオオオオオン!!!!」

 

何もなかった空間が、突如裂けた。

 

否。

裂けたように“見えた”。

 

風景そのものを切り裂くようにして、黒い狼の群れが姿を現したのだ。

 

「ホロウガルムだ! 二人とも急いで!」

 

「マジか!? どうなってんだおい!?」

 

十数体にも及ぶ狼型魔物が、四方から一斉に襲い掛かってくる。

 

漆黒の体毛は周囲の闇に溶け込み、まるで影そのものが牙を剥いているようだった。鋭い爪が泥を抉り、獣臭い吐息が湿った空気に混じる。

 

だが、奇襲に気付けたのは大きい。

 

まだ距離はある。

 

「アルス!! エスカ!! こっちだ、この木なら登れる!」

 

ガーディールが少し離れた場所の大木を指差して叫ぶ。

幹には大きな凹凸があり、確かによじ登れそうだった。

 

「行こうエスカさん!!」

 

「ええ! ……っ!」

 

返事をしかけたエスカの目が、ふいにアルスの背後へ向く。

その表情が凍りついた。

 

アルスも反射的に振り返る。

目の前に、狼がいた。

 

黒い毛並み。

粘つく涎。

異様なほど鋭い牙。

 

その顎が、今まさにアルスの首へ食らいつこうとしていた。

 

「危ないッ!!」

 

「がっ!!?」

 

衝撃。

 

次の瞬間、アルスの視界が激しく回転した。

体が横から蹴り飛ばされ、泥の上を転がる。肺から空気が一気に押し出され、息ができない。

胸が焼けるように痛い。

 

何が起きたのか理解するより先に、耳へ怒鳴り声が飛び込んできた。

 

「アルス!!」

 

ガーディールが駆け寄る音。

 

咳き込みながら顔を上げると、そこには剣を構えたエスカの背中があった。

アルスを突き飛ばしたのは彼女だ。

 

真っ黒な獣を前に、一歩も引かず立っている。

 

「アルス!! 大丈夫かオイ! すげぇ音したぞ折れてねぇか!?」

 

ガーディが肩を抱き起こしてくれる。

アルスは返事をしようとしたが、喉から出たのは乾いた咳だけだった。代わりに頷いて無事を伝える。

 

「クソが、なんだよこいつら! ただの犬っころじゃねぇのか!?」

 

「昼行性の魔物だ……けど、本来ここにはいないはず……!」

 

「全然バッチリいっぱいいるじゃねぇか! 頼むぜ魔物オタク!」

 

ホロウガルム。

 

光の屈折を操り、自らを風景へ溶け込ませる狼型魔物だ。

通常は獲物を包囲し、逃げ道を塞いでから襲う習性を持つ。

今思えば、群れが姿を現した時点で違和感はあった。

 

本隊を囮にし、一匹だけ隠密状態のまま接近していたのだ。

 

「ガーディール! アルスを担いで木の上へ! できる!?」

 

「お前は!?」

 

「あたしは──」

 

言葉を最後まで紡ぐ前に、ホロウガルムが飛び掛かった。

凄まじい風切り音。

黒い弾丸のような突進を、エスカは紙一重で回避する。

 

獣の牙が頬をかすめ、数本の髪が宙を舞った。

 

「──平気!!」

 

言うと同時に、エスカの腕が光る。

きらり、と木漏れ日を反射した何かが一直線に飛んだ次の瞬間。

 

ザクリともズブリとも聞こえる生々しい音。

 

「ギャン!!」

 

投擲されたナイフがホロウガルムの腹部へ深々と突き刺さり、獣が悲鳴を上げる。

間髪入れず、エスカは腰の松明型魔機を引き抜いた。

 

松明の魔機(イグナイト)起動(アウェイクン)!」

 

ぼうっ、と激しい炎が噴き上がる。

突如燃え上がった火に、狼たちが一斉にたじろいだ。

 

その隙を逃さず、エスカが叫ぶ。

 

「今のうち!! 早く!!」

 

「くっ……わかった! アルスしっかりしろ! ったくこのモヤシ野郎が!」

 

ガーディールに担ぎ上げられながら、アルスはもう一度咳き込む。

 

火は確かに有効だ。

だが一時しのぎに過ぎない。

 

炎への警戒を解いたホロウガルムたちは、再びじりじりと距離を詰め始めていた。

 

「……消えていく。景色に溶け込む魔法か……うざったいわね」

 

エスカが舌打ちする。

狼たちの輪郭が、ゆらゆらと揺らぎ始めていた。

陽炎のように歪み、森の景色へ溶け込んでいく。

 

再び透明化が始まったのだ。

 

「ガーディ降ろして……僕が……!」

 

「馬鹿、めったな事言うんじゃねぇ! 今のお前に何ができるよ!?」

 

木を登りながらガーディが怒鳴る。

 

見えない敵。

しかも数は十数匹。

普通なら勝ち目などない。

 

誰が見てもそう思う状況だった。

だが。

 

「どの道もう間に合わないわよ。それに……一生木の上で暮らすつもり?」

 

下から響いたエスカの声は、不思議なほど落ち着いていた。

深く息を吸い込み、静かに剣を握り直す。

 

その背中には背中に守る者を背負った、不退転の覚悟が宿っていた。

 

「じゃ、気合い入れていくわよ……!」

 

そしてエスカは、姿を消した獣たちへ向かって鉄剣を構える。

 

鬱蒼とした森の中。

揺れる木漏れ日の下で。

 

ただ一人、見えざる狼の群れと対峙した。

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