青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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3.干される青年

 そうしてしばらくの間、アルスが鼻をすする音だけが狭い部屋に静かに溶けていった。

 

 窓の外では小鳥が鳴いているというのに、この部屋だけ時間が止まっているように薄暗い。床には論文とレポートが散乱し、焦げ跡の残った紙が何枚も無残な姿を晒している。

 

 まぁいい。

 

 どうせ誰にも見向きもされない論文だ。費やした時間にさえ目を瞑れば、少しくらい齧られたところで困りはしない……とはいった物の、失って初めて気づくものというのは確かに存在した。

 

 半ば投げやりな気分のまま、アルスは「好きなだけ顎を鍛えてくれ」と言わんばかりに論文をフレアラットへ差し出す。

 

 その時だった。

 

 ばん、と勢いよく部屋の扉が開く。

 

「じゃまするぜ~~っておわっ!? お前……なんで縮こまってネズミに餌やってんだ……?」

 

 ガサツな大声が部屋中へ響き渡る。

 驚いたフレアラットは「きゅっ!?」と短く鳴き、慌てて部屋の奥へ逃げ込んでいった。

 そういえば昨日帰ってきてから鍵をかけ忘れていたな、とアルスは今更ながら思い出す。

 

「餌じゃないよ、論文あげてたんだよ」

 

「尚更意味わかんねぇよ。論文食わせてもネズミは賢くならねぇぞ」

 

 あまりにも容赦のない返答だった。

 

 論文を齧られて涙目になっていた友人への慰めどころか、状況を気遣う様子すらない。文句の一つでも言ってやろうとアルスは身体を起こしかけ――そして、男が抱えている本の束を見て言葉を飲み込んだ。

 

 こうして毎月律儀に頼み事を聞いてくれている相手には、どうにも強く出られない。

 

「ったく、バカかお前」

 

 呆れたように吐き捨てる大男の名は、ガーディール=ナケア。

 愛称はガーディ。

 

 たてがみのように荒々しく撫でつけられた金髪のオールバックは、薄暗い部屋の中でも妙に目立っている。

 

 大学時代から続く数少ない友人の一人ではあるが、口の悪さは筋金入りである。

 

「取り敢えず新しいの適当に借りてきたからよ。ここ置いとくぞ。返すから古いの出せ」

 

 机へどさりと本を置く。

 

 筋骨隆々な見た目通り、ガーディールの性格は豪快で大雑把だ。だがその一方で、アルスと張り合えるほどの勉強好きで、本の虫でもある。

 

 しかも職業は薬剤師。

 どう見ても格闘家か傭兵の類にしか見えない風貌との落差が凄まじい。

 アルスの現状を見かねて、こうして様子を見に来ては本を借りてきてくれる辺り、人情味のある男なのだろう。

 

 ……ただ、色々と雑なだけで。

 

「……なんだよ、人のことじろじろ見て。まさか前に借りた本なくしたとか言わねぇだろうな」

 

「いや、うん、今持ってくるよ……いつも悪いね、ガーディ」

 

 ガーディールが持ってくるのは、この国最大の図書館――【ドーラ国公立図書館】の本だった。

 

 アルスが頼むのは大抵、魔物に関する論文や図鑑ばかり。薬学系の本はおそらくガーディール自身が読むための物だろう。

 

 普通なら自分で借りに行けば済む話だ。

 実際、誰だってそう思う。

 

 しかもその図書館は、アルスたちの母校【ドーラ国立総合大学】の敷地内にある。卒業生であれば立ち入り自体は可能な場所だ。

 

 それでもアルスが自分で行かず、ガーディールへ頼んでいるのには当然理由があった。

 

「そう思うんなら、さっさと学会に頭下げろよ。アルス博士様」

 

「いや、それは……まだできないというか」

 

「あれから一年も図書館出禁、調査任務もなし。お前ほんとに忘れられちまうぞ。いや、もう忘れられてんのか?」

 

 アルス=アルバーンは、魔物研究学会から完全に干されていた。

 それはもう、乾き切るまで徹底的に。

 

 村八分どころの話ではない。学会が運営に関わる図書館への出入りすら制限されている辺り、その扱いの苛烈さが窺える。

 

 もっとも、その理由は単なる嫉妬などではなかった。

 名門校主席。最年少博士。田舎村出身。

 そういった肩書きが鼻につく、などという子供じみた理由ではないのだ。

 

 アルスが嫌われているのは、もっと専門的で――そして根深い問題によるものだった。

 

「あ、そういやお前。今月の家賃払えんのか? 何ヶ月か滞納してるらしいじゃねぇか。お前紹介した俺の面子ってもんが……」

 

「……」

 

 ガーディールが何か言っているが、アルスは振り向かない。

 今の彼にとって最優先事項は、「読み終わった本をどこへ置いたか」だったからだ。

 

「おい、バカ。おい、こっち見ろ。無視すんなコラ」

 

 ぼろぼろの本棚から、一ヶ月前に借りた本を引っ張り出す。

 そろそろ本棚も新調したい。

 もっとも金はないので、やるなら廃材を拾って自作になるだろうが。

 

「おい……? なぁ何ヶ月目だ? 大家の青筋そろそろ数えきれねぇぞ。マジで殺されるぞお前!」

 

「それについてはまぁ、前向きに善処する方向で……」

 

 できるだけ刺激しないよう、アルスは柔らかい口調で返した。

 だが、それが逆効果だったらしい。

 貼り付けたような愛想笑いを見た瞬間、ガーディールの堪忍袋の緒が切れた。

 

 次の瞬間。

 アルスの首根っこが鷲掴みにされる。

 

「仕事探しに行くぞオラァ!! 外出ろ引きこもりィ!!」

 

「いやだー!! 無理やりなんてひどいよーッ!!!!」

 

「やかましい死ね! 金払ってから土に還れ!!」

 

 そうしてアルスは半ば引きずられる形で部屋の外へ連行されていく。

 

 最近すっかり運動不足でもやし体型になっていた彼に、ガーディールの怪力へ抗えるはずもなく。

 ――街路樹が青々と葉を茂らせ始めた、春の終わり。

 

 友人に引きずられながら、アルスの最初の仕事が始まろうとしていた。

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