青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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30.ソフィアと青年

 

「それで、そんなこんなで学会からは総バッシングをもらっちゃいまして……」

 

「まぁ……それは、本当に酷いお話ですわ。人それぞれに学問の自由というものがありますでしょうに」

 

「うーん、そう……そうなんですけどね。僕のやり方が、ちょっと強引でダメだったのかなぁ……」

 

「いいえ!」

 

 がたん、と激しい音を立ててソフィアが木製のテーブルに身を乗り出した。

 その拍子に、豊かな双丘が服の合わせ目の奥でたゆんと大きく揺れる。アルスは真っ赤になって気まずそうに視線を泳がせたが、当のソフィアはそれすら気に留めないほど激昂していた。

 

「証明に対して正当な反論ができないからと、そんな力業で博士様の主張を封じようとするなんて……。わたくし、その学会という場所の綺麗事の裏にある欺瞞を、激しく軽蔑いたしますことよ」

 

 ソフィアの聲音には、いつの間にか尋常ではない熱がこもっていた。

 単なる同情を超えた、何か世界そのものに対する憤りのようなものが、その碧色の瞳の奥で小さく燃えている。

 

「そ、そうかなぁ。なんか、無理にお世辞っていうか、フォローしてくれてない?」

 

「そんな事は母に誓ってございません! どう考えてもおかしいのは周りの方ですもの!」

 

 酒場の中は相変わらず宴の熱気で暖かく、笑い声や食器の触れ合う喧騒が絶え間なく響き渡っている。しかし、大酒飲みのガーディールが村の娘たちに囲まれて完全に捕まり、エスカがミーティアと話し込んでいる隙に、二人のいる席の周りだけは、切り取られたように静かな空間と化していた。

 

 アルスは既に相当な量の酒が回っているようで、白い頬は林檎のように赤く、視線もとろんと定まっていない。

 それでも、自身の研究について語る時だけは、その瞳に真っ直ぐな、純粋な光が宿っていた。

 

「それにしても、魔物と心を通わせ、会話をするだなんて。機会があれば、わたくしも一度……博士様のように、お話ししてみたいものですわ」

 

「ソフィアさんなら……きっと、魔物とだってすぐに仲良くなれますよ。……良い魔物もたくさんいるから……」

 

 言葉の終わりが、引き摺るように曖昧になっていく。

 アルスの重たそうな瞼がゆっくりと上下し、今にも船を漕ぎ始めそうだった。

 

 ソフィアはそんな彼の無防備な様子を、どこか哀愁の混じった、ひどく微笑ましそうな目で見つめる。

 

「ふふ、博士様。そろそろお宿に戻られてはいかがですか。写真館はまた明日に」

 

「そ……そーひます」

 

 完全に呂律が怪しかった。

 久しぶりの強い酒に加え、自分の話を一言も否定せずに聞いてくれるソフィアとの会話で、張り詰めていた緊張の糸が完全に切れてしまったのだろう。

 

「では参りましょう、博士様。肩をお貸ししますわ」

 

「あ、ありがとございます……」

 

 立ち上がった瞬間、アルスの視界がぐにゃりと歪み、身体が大きくふらついた。

 ソフィアが慌ててその華奢な身体でアルスの割り込むようにして、腕を回して彼を支える。

 

「す、すみません」

 

「お気になさらず。さあ、ゆっくり歩いて」

 

 二人はそのまま、騒がしい酒場の外へとゆっくり連れ立って出て行った。

 

 外はすっかり夜の帳が下りていた。

 村のあちこちに吊るされたランタンが風に揺れて橙色の光の波を作り出し、冷えた夜風が、アルスの火照った頬を優しく撫でていく。

 

「ご、ごめんなさい……せっかくの宴なのに、迷惑かけちゃって……」

 

「それもお気になさらないでくださいまし。むしろ、わたくしにこれほど楽しい時間をくださって、嬉しゅうございますわ」

 

 酔いつぶれて、出会ったばかりの女性に介抱されるなど、アルスにとっては恥ずかしさ以外の何物でもない。

 情けなさと気まずさで胸がいっぱいになるが、身体は言う事を聞かず、足元はふわふわと雲の上を歩いているようだった。

 

「博士様のお言葉、わたくし本当に感動しましたのよ。等身大で、何も飾らない……博士様のお人柄がよく分かる、素敵なお話でしたもの」

 

「そうかな……我ながら情けないというか……」

 

「自信を持ってくださいまし」

 

 夜道を静かに歩きながら、ソフィアはぽつりと、語るように呟いた。

 

「あなたの論文……実はわたくし、王都にいた頃に読んだことがありますの」

 

「え……?」

 

 アルスがぼんやりと、重い頭を上げてソフィアの横顔を見た。

 

「当時はもっと、冷徹でお堅そうな研究者を想像していましたけれど……」

 

 ソフィアはそこで言葉を区切り、ランタンの光に照らされた道を悲しげに見つめる。

 

「誰も確かめようとしてこなかった身を削る実験で証明した、一部の隙もない内容だと感じましたわ。あれが正しいとするのなら、わたくしは……」

 

「……?」

 

 アルスが首を傾げる。

 だがソフィアは、それ以上は何も言わず、ただひどく寂しそうに微笑んだだけだった。

 

「いいえ、なんでも。さぁ博士様、宿に着きましたよ」

 

 気づけば二人は、村の民宿の前まで辿り着いていた。

 アルスの意識は既に半分以上、心地よい夢の中へ沈みかけている。宿の女将も酒場の宴会に出払っているらしく、木造の建物の中は静まり返っていた。

 

 ソフィアはやむなく、帳場に置かれた宿泊帳簿を片手で確認し、アルスの部屋の戸を開けた。

 

「よいしょっと。博士様、大丈夫ですか?」

 

 畳の上のベッドへ腰掛けさせた時には、アルスはもうほとんど目を閉じていた。

 ソフィアの問いかけに、返答するだけの体力はもう残っていない。その様子を見て、ソフィアはふっと優しく笑みをこぼした。

 

「あらあら……ふふふ。仕方ありませんわね」

 

 無防備な寝顔。

 先ほどまで、酒場の席で必死に自分の正義を語っていた青年が、今は年相応のあどけない子供のような寝息を立てている。

 

 ソフィアはその顔を、しばらくの間、闇の中で静かに見つめ続けていた。

 やがて、吸い寄せられるように、そっとアルスの頬へ細い手を伸ばす。

 白く、人間のものと変わらない滑らかな指先が、アルスの熱を持った頬に、壊れ物を労るように優しく触れた。

 

 ◆

 

「へ~……ほ、本当に魔物に詳しいんだねぇ、アルスさんって。流石、王都の研究家さんだね」

 

「まぁ知識だけならすごかったわよーホント。あれ見てそこ見て、あれは何々だ~とかあれは街にもいる魔物だ~とか。まるで図鑑が歩いてるみたいよ」

 

「図鑑なんて言っちゃったら失礼だよ、エスカっ。もう……」

 

 一方その頃、酒場ではなおも賑やかな宴会が続いていた。

 大盛況の笑い声と酒の匂いが充満するカウンター席で、エスカはミーティアと肩を並べて談笑していた。

 

 ジュースの入った木製のジョッキを傾けながら、エスカはふと、昼間に三人で歩いた薄暗い森の調査を思い返していた。

 

「結構ぬかるんだ森をするする歩いてたし、研究家ってのは探検もよくしてるのかしらね。ねぇアルス?」

 

 何気なく、隣の席へと後ろを振り返る。

 しかし──そこには、さっきまで突っ伏していたはずの青年の姿はなかった。

 

「……お手洗い?」

 

「どうしたの、エスカ?」

 

 ミーティアが、不思議そうに首を傾げる。

 

 エスカは不審に思って立ち上がり、酒場の奥にある手洗い場へと向かった。だが、木の扉は開いたままで中には誰もいない。床も乾いており、しばらく人が使った形跡はなかった。

 

「……」

 

 嫌な予感が、冷たい指先のようにエスカの胸の奥をぞわりとざわつかせる。

 周囲を見渡せば、アルスだけでなく、いつの間にかソフィアの姿も消えていた。

 その瞬間、昼間にアルスが真剣な顔で言っていた、あの警告が脳裏を過ぎる。

 

 ――この村にいる以上、なるべく一人にならないで。

 

「ガーディール! アルスを見てない!?」

 

「んぉわっ!? んだよ急に大声出して……耳元で喚くな……」

 

 どたどたと手洗い場から走ってきたエスカが怒鳴りつけるように呼べば、村の娘たちに囲まれて酒をあおっていたガーディールが、驚いたように肩を震わせてグラスを掲げた。

 

「アルスなら、そこでソフィアと話して……って、アレ?」

 

「どこ行ったのよアイツ!? 一人になるなって自分で言っといて、何考えてんのよ……!!」

 

「え、エスカ? どうしたの……?」

 

 急激に顔を青ざめさせた幼馴染の異常な取り乱し方に、ミーティアもただ事ではないと戸惑いの表情を浮かべる。

 

「ミティ……ごめんっ! また後で! ガーディール、ほら、あんたも立つ! 行くわよ!」

 

「だぁぁ待て待て!! 酒がこぼれるっつーの!!」

 

 娘たちに「えー、もう行っちゃうの?」と引き留められるガーディールの太い腕を、エスカは有無を言わさぬ力で無理やり引っ張り、酒場の扉を乱暴に押し開けて飛び出した。

 

 突然の騒ぎに、残された村人たちは何事かと目をしばたたかせる。

 だが、そんな周囲の視線を気にする余裕など、今のエスカには一ミリも残されていなかった。

 

 酒場の外へ出た瞬間、夜風がひび割れたように強く吹き抜けた。

 ランタンの光が届かない暗い村道の向こうから、何か得体の知れない嫌な気配が、じっと自分たちを監視しているような──そんな不気味な悪寒が、エスカの背筋を駆け上がっていた。

 








30の大台ですってよ奥さん。
1話辺りを短くしているので、いつの間にかこんな数字に。

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