青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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34.正体不明と青年

 

「ソフィアさんに伝えよう。みんなを避難させるんだ」

 

 森の入り口まで戻ってから、アルスは強張った声でそう告げた。

 

 額には冷や汗が浮かび、呼吸も浅い。

 それでも足だけは止めなかった。

 背後の森からは、まだ何か巨大なものが動いているような低い軋み音が微かに聞こえてくる気さえしたからだ。

 

「ちょっと! ちょっと待ってアルス!!」

 

 エスカが苛立った声を上げる。

 

「本気!? あんたここに何しに来たのよ! 尻尾巻いて逃げるっての!?」

 

「分かってる、分かってるよ。僕だってどうにかしたいさ!」

 

 アルスは振り返りながら叫び返した。

 その顔には依然焦燥が浮かんでいる。

 

「待てよお前ら、ちょっと冷静になれ。……アルス、まずは落ち着いて聞かせろ。あいつはなんだ?」

 

 ヒートアップする二人をなだめようと、ガーディールが低い声で割って入る。

 普段よりずっと真剣な声音だった。

 

 アルスは息を整えようとしながら、苦しげに口を開く。

 

「……さっきも言ったけど、分からない。写真館で見た魔物だと思うけど、あれだけ大きいとは思わなかった。サイクロプスか、ギガンテスの仲間だと思うんだけど」

 

 どちらも巨体を誇る高位種の魔物だ。

 本来なら危険指定区域や、濃密な魔力溜まりにしか現れない。

 

 こんな人里近い森に現れる存在ではない。

 アルスの脳裏に、文献で読んだ災害記録が過る。

 

 村一つが壊滅した例。

 討伐のために軍が動員された例。

 

 どれも笑い話には程遠い。

 

「ふん。研究家って言ってもわかんないんじゃ当てにもならないじゃない」

 

 エスカが焦りと不安の混じった声で吐き捨てる。

 

「……ごめん」

 

 アルスは小さく謝ることしかできない。

 研究家としての知識不足を痛感し、反論できなかった。

 

「戦って勝てるもんなのか?」

 

 静かに腕を組んだままのガーディールが問う。

 アルスはしばらく黙り込み、それからゆっくり首を横に振った。

 

「今の装備じゃ……」

 

 無理だ。

 その言葉を飲み込むように、唇を噛む。

 

 エスカもガーディールも、それ以上は何も言わなかった。

 肌にまとわりつくような圧迫感は、まだ消えない。

 

「はぁ……はぁ……っ……え、エスカ?」

 

 その時だった。

 背後から聞こえた息切れ混じりの声に、全員が振り返る。

 

 そこには、肩で荒く息をするミーティアの姿があった。

 髪は乱れ、顔色も青い。

 

 よほど急いで走ってきたのだろう。

 

「ミティ……? どうしたのそんな急いで」

 

 エスカが目を見開く。

 ミーティアは何度も呼吸を整えようとしながら、必死に言葉を紡いだ。

 

「た、大変なの。ソフィアちゃんが……! ソフィアちゃんが森に!」

 

 ミーティアの言葉に、全員の空気が凍った。

 

「うそ……!? なんで!? どうして!?」

 

 エスカの声が裏返る。

 

「わ、わ、わかんない……わ、わたし、止めたかったんだけど、追いつけなくて……」

 

 ミーティアは泣きそうな顔で俯いた。

 細い肩が小刻みに震えている。

 

「わたし、エスカに伝えなきゃって、おもっ思って……!!」

 

 それで森の周囲を探し回っていたのだろう。

 息が上がり切っているのも無理はない。

 

「ねぇ、リリスの魔法って男にしか効かないのよね!?」

 

 エスカがアルスへ振り返る。

 

「効きづらいってだけだよ。時間をかければ効かない事もない!」

 

 アルスは即座に答えた。

 その瞬間、エスカの顔色が変わる。

 

「っ……あぁもう、そうだったわね!」

 

 苛立たしげに髪をかき上げる。

 嫌な予感が、全員の胸に広がっていた。

 

「どうするよ、アルス」

 

 努めて冷静さを保っていたガーディールが静かな声色で問う。

 こういう時に落ち着いていられる人間が一人は必要だ。そう考えるガーディールは、その体の大きさに違わぬ度胸の大きさを示して見せた。

 

「おめぇが決めろ。リーダーだろうが」

 

 だからお前も、バシっと決めろ──

 

 言外にそんな意図を受け取ったアルスは、数秒だけ目を閉じた。

 森の奥で見た、あの巨影。

 

 冷たい目。

 圧倒的な気配。

 

 思い出すだけで、喉の奥が震えそうになる。

 

 だが。

 

 ソフィアを見捨てるという選択肢だけは、頭に浮かばなかった。

 

「……森にもう一度入る。ソフィアさんを連れ戻すんだ」

 

 言い切った瞬間、エスカが即座に叫ぶ。

 

「当たり前よ!!」

 

「分かった、早く行こうぜ。日が暮れちまう」

 

 ガーディールも頷き、背負ったカバンを担ぎなおす。

 

 西の空は既に赤く染まり始めていた。

 夜になれば、森はさらに危険になる。

 

「ミティ、家に戻って鍵をかけて。あたしたちが戻ってくるまで絶対外に出ないで、良い?」

 

 エスカはしゃがみ込み、へたり込んでいるミーティアの肩へ手を置く。

 強い口調だったが、その瞳には優しさが滲んでいた。

 

「う、うん……エスカ、絶対帰ってきてね? お願い……」

 

 不安げに見上げるミーティアへ、エスカは力強く頷く。

 

「分かってる。ミティも無事でね」

 

 そう言い残し、三人は出てきたばかりの森へと駆け出した。

 夕暮れの森の探索が、三度始まる。

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