青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜 作:SK43
「ウォオオ……ッァアアア!!!!」
激怒した化け物が、大地を粉砕する勢いで飛び掛かってくる。
その巨体からは想像もつかないほどの速度だった。
踏み込んだ瞬間に湿った土が爆ぜ、衝撃で周囲の木々が激しく揺れる。
アルスとエスカはほぼ同時に反応し、互いに反対方向へ駆けることでその突進を紙一重で回避する。
空を裂いた化け物の巨腕が、背後の大木を無残に叩き潰した。
破壊の余波の中、化け物の輪郭が不気味な陽炎のように揺らめいた。
消えた――と錯覚した次の瞬間には、物理法則を無視してまた別の場所へ現れる。
「ホロウガルムの魔法を使うんだ……でも、使い切れてない……!」
距離を取りながらアルスが呟いた。
額にはべっとりと脂汗が滲んでいる。
もしこの巨体が、完全なホロウガルムのように完全に景色へ溶け込めるのなら、その時点で勝負は終わっている。
少なくとも、ツギハギゆえの『不完全さ』だけが、二人の命を繋ぐ唯一の救いだった。
「アルス、これ持ってて!」
土煙の中から、エスカがきらりと光る物を投げてよこした。
それは、ヒヒイロに来た時にアルスが渡した銀の指輪だった。魔力干渉を引き起こすこれを持っていては、エスカの魔機が正常に作動しない。
アルスは無言で頷いてそれを受け取り、ポーチの奥底へ押し込んだ。
「それで!? あんたはどうやって戦うの!?」
大木の陰へ滑り込んだエスカが、鋭い声を飛ばす。
「それはもちろんこれだよ……!!」
アルスは肩から下げたポーチを乱暴に漁り、無骨な一丁の銃を引き抜いた。
魔力ではなく、純粋に科学の力で動くテーザーガン。
銀の影響を受けずに作動する、アルスの頼れる護身道具だ。
「それぇッ!!」
真っ直ぐに構えて引き金を引けば、銃口が青白く発光する。
次の瞬間、放電用カートリッジが撃ち出され、化け物の分厚い胸部へ深く突き刺さった。
直後、数万ボルトの激しい電流が巨体の全身を駆け巡る。
紫電が白銀の毛皮を這い回り、大気が焦げ臭い匂いを立てて弾けた。
本来なら、成人男性でも一瞬で泡を吹いて昏倒するほどの威力。
だが――
「あーりゃ、全然ダメだねこれ」
「ウォオオオッーーーーー──!!!!」
化け物は怯むどころか、むしろ電流の痛みを怒りへと変換させたかのように咆哮した。
青白い電撃を纏ったまま太い腕を薙ぎ払い、その一撃で周囲の木々がまとめてなぎ倒される。
「ちょおおお!! なにやってんの!!」
「ごめん! 無理そう!!」
「も~~!!
エスカが舌打ちをしながら腕の魔機を構える。
短いキーワードに応えて射出されたナイフが、一直線に化け物の眼球へ向かった。
しかしそれは、甲高い金属音と共に空中で弾き飛ばされてしまう。
「きゃっ、なに!?」
突風のような空気の揺らぎ。
化け物の周囲に展開された見えない壁が、物理攻撃を完全に阻んでいたのだ。
「サイクロプスの魔法だ! 声の壁だよ!」
「声の壁!?」
「声で膜みたいな壁を作って身を守るんだ! 連続では使えないはずだから、今なら狙える!」
「オーケー、それじゃもういっちょ、
間髪入れず、二投目のナイフが放たれる。
今度は見えない壁の再展開が間に合わない。
鋭利な刃が、化け物の太い脚へ深々と突き刺さった。
「ォオオオ!!」
明らかな痛覚を伴う攻撃を連続で受け、苦悶の咆哮を上げた化け物は半狂乱となり、のたうち回る。
「ちょっと……なになになに?」
それを見たエスカの顔が、恐怖に引き攣った。
化け物の広い背中が、内側から不自然にボコボコと膨れ上がっていたのだ。
肉が蠢き、皮膚が裂け、そこから新たな『腕』がグチャリと生え出してくる。
血と体液を撒き散らしながら現れた真新しい異形の腕は、そのままの勢いでエスカの頭上へ叩き付けられた。
「やっ……!!」
エスカは咄嗟に、腰の鉄剣を抜いて盾代わりに構える。
激突。
まるで全力で走る荷馬車に撥ね飛ばされたような、圧倒的な暴力。
彼女の華奢な身体は木の葉のように吹き飛ばされ、硬い地面を何度も転がる。
だが、傭兵としての本能で受け身だけは辛うじて成功していた。
どこかを深く切ったのか、額から派手に血が垂れ流れるが、エスカは即座に立ち上がる。
「……やっば」
息を呑んだ。
盾代わりにしたはずの鉄剣が、ぐにゃりと『へ』の字に曲がり果てていた。
戦場を潜り抜けてきた、頑強な鉄剣だ。
決して脆い代物ではないのに、まるで熱せられた飴細工のようにひしゃげている。
恐らく今の衝撃で、腕か肋骨にヒビが入っただろう。小さく咳き込むと、胸の奥を直接ハンマーで殴られたかのような鈍い激痛が走った。
「エスカさん!!」
容赦なく、化け物の新たな腕がエスカへ向けて再び振り下ろされる。
体勢を崩した今、絶対に避け切れない。
「っ……!!」
エスカが死を覚悟し、目を強く閉じた――。
刹那。それよりも先に、アルスが地を蹴って駆けていた。
化け物の背後から死角を突き、その巨大な質量へ一気に肉薄する。
心臓が喉から飛び出そうなくらいに暴れている。
一歩間違えれば、あの太い脚で蹴り潰されて即死する距離。
それでも、アルスは止まらない。
手に持ったテーザーガンを、化け物の脚の関節へ力任せに押し当てた。
ほぼゼロ距離で──
「こん……っのおおおおお!!!!」
残された全てのカートリッジを、至近距離から一気に叩き込む。
火花が散り、強烈な電撃が一斉に炸裂すると、今度こそ化け物の巨体がビクンと硬直し、その動きが僅かに止まった。
ほんの一瞬の空白。
だがその隙を見逃さず、エスカは転がるようにその場を離脱する。
直後、空を切った剛腕が地面を粉砕し、彼女が先ほどまでいた場所から土と石が爆発的に飛び散った。
「はぁっ、はっ……ごめん! ありがと!」
「大丈夫!?」
土埃に塗れ、荒い呼吸を交わしながら、二人は再び化け物と対峙する。
しかし、状況は最悪だ。
電撃で怯みはする。
どうやら痛覚もあるらしい。
だが、倒れる気配がまるでない。
むしろ傷付くたびに、血の匂いに酔ったように暴れ方が激しさを増している。
「……もう、倒すしかないわね」
血が滴る額を拭い、エスカが息を整えながら呟く。
「そう、かも」
アルスも、弾切れになった重い銃をポーチにしまって苦い顔で頷いた。
逃げ切れる保証がない以上、ここで決着をつけるしかない。
「アルス、もう一度あいつの動きを止められる? 少しで良いから」
「……なんとかできるって事?」
「なんとか、する」
エスカの目は真剣だった。
命を賭ける、本物の傭兵の目だ。
アルスは一瞬だけ迷い――力強く頷く。
テーザーガンはもうない。
ならばと、虎の子を使うと決めたアルスは、ポーチの奥からピンのついた手榴弾を取り出した。
「目を閉じて!!」
アルスは腕を大きく振りかぶりながら絶叫する。
その合図を信じ、エスカは躊躇なく両目を伏せた。
「光れ──!!!!」
放物線を描いて投げられた魔機が、化け物の眼球の真ん前で炸裂する。
凄まじい閃光。
そして耳を裂くような爆音。
アルスの投げた閃光手榴弾により、暗い森全体が真昼のように白く染め上げられた。
「サイクロプスは目が良いんだ。視力は人間の十倍から十五倍。紫外線すら視認できるって言われてる。でもその代わり──」
光が収まり、視界が戻る。
化け物は目を押さえ、狂ったように暴れ回っていた。
見えない恐怖から巨大な腕をでたらめに振り回し、木々をなぎ倒しながら苦悶の咆哮を上げる。
その目は完全に視界を失い、焦点が合っていない。
目の前にいるアルスたちを、全く捉えられていなかった。
「──光に弱い!」
「ご高説どーもっ!」
確かな希望に満ちた声で、エスカが叫ぶ。
曲がった鉄剣を投げ捨てた彼女の手には、無骨な筒状の魔機が握られていた。
その姿を見て、アルスは目を見張る。
間違いない、王都のマジックショップで見た、あの年代物の古い魔機だ。
エスカはそれを滑らかな動作で手の中で回転させ、グリップをしっかりと握り込む。
そして、深く息を吸い込んだ。
「『炎舞、たおやかに』」
それは、現代の短いキーワードとは全く異なる響きだった。
長い。
古い。
まるで、神話の神に祈りを捧げるかのような、重厚な詠唱。
「『いざ豊かなる心育みし時──』」
淀みなく紡がれるエスカの声色は、どこまでも凛としていて。
かつて声帯認証技術が未熟だった、血生臭い戦争時代。
敵軍による鹵獲と悪用を防ぐため、旧式魔機にはわざと複雑で長い詠唱が必要とされていたという。
その歴史の重みが、彼女の言葉に乗る。
「『奮い立て』!!」
カチン、と。
筒の内部で、分厚い歯車が重く噛み合う音が響いた。
直後。
筒の先端から、太陽の破片のような灼熱の炎が爆発的に噴き出す。
豪音と共に燃え上がる赤橙の光が、暗い森の闇を焼き尽くし、二人を鮮やかに照らし出した。
「バリアブルソード!!」
かくして、荒れ狂う炎は一本の『剣』の形へと収束し、エスカの手に顕現した。