青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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36.化け物と青年2

 

「ウォオオ……ッァアアア!!!!」

 

 激怒した化け物が、大地を粉砕する勢いで飛び掛かってくる。

 

 その巨体からは想像もつかないほどの速度だった。

 踏み込んだ瞬間に湿った土が爆ぜ、衝撃で周囲の木々が激しく揺れる。

 

 アルスとエスカはほぼ同時に反応し、互いに反対方向へ駆けることでその突進を紙一重で回避する。

 空を裂いた化け物の巨腕が、背後の大木を無残に叩き潰した。

 

 破壊の余波の中、化け物の輪郭が不気味な陽炎のように揺らめいた。

 消えた――と錯覚した次の瞬間には、物理法則を無視してまた別の場所へ現れる。

 

「ホロウガルムの魔法を使うんだ……でも、使い切れてない……!」

 

 距離を取りながらアルスが呟いた。

 額にはべっとりと脂汗が滲んでいる。

 

 もしこの巨体が、完全なホロウガルムのように完全に景色へ溶け込めるのなら、その時点で勝負は終わっている。

 少なくとも、ツギハギゆえの『不完全さ』だけが、二人の命を繋ぐ唯一の救いだった。

 

「アルス、これ持ってて!」

 

 土煙の中から、エスカがきらりと光る物を投げてよこした。

 それは、ヒヒイロに来た時にアルスが渡した銀の指輪だった。魔力干渉を引き起こすこれを持っていては、エスカの魔機が正常に作動しない。

 アルスは無言で頷いてそれを受け取り、ポーチの奥底へ押し込んだ。

 

「それで!? あんたはどうやって戦うの!?」

 

 大木の陰へ滑り込んだエスカが、鋭い声を飛ばす。

 

「それはもちろんこれだよ……!!」

 

 アルスは肩から下げたポーチを乱暴に漁り、無骨な一丁の銃を引き抜いた。

 

 魔力ではなく、純粋に科学の力で動くテーザーガン。

 銀の影響を受けずに作動する、アルスの頼れる護身道具だ。

 

「それぇッ!!」

 

 真っ直ぐに構えて引き金を引けば、銃口が青白く発光する。

 

 次の瞬間、放電用カートリッジが撃ち出され、化け物の分厚い胸部へ深く突き刺さった。

 直後、数万ボルトの激しい電流が巨体の全身を駆け巡る。

 

 紫電が白銀の毛皮を這い回り、大気が焦げ臭い匂いを立てて弾けた。

 本来なら、成人男性でも一瞬で泡を吹いて昏倒するほどの威力。

 

 だが――

 

「あーりゃ、全然ダメだねこれ」

 

「ウォオオオッーーーーー──!!!!」

 

 化け物は怯むどころか、むしろ電流の痛みを怒りへと変換させたかのように咆哮した。

 青白い電撃を纏ったまま太い腕を薙ぎ払い、その一撃で周囲の木々がまとめてなぎ倒される。

 

「ちょおおお!! なにやってんの!!」

 

「ごめん! 無理そう!!」

 

「も~~!! 射出の魔機(ボルトシュート)! 起動(アウェイクン)!」

 

 エスカが舌打ちをしながら腕の魔機を構える。

 短いキーワードに応えて射出されたナイフが、一直線に化け物の眼球へ向かった。

 

 しかしそれは、甲高い金属音と共に空中で弾き飛ばされてしまう。

 

「きゃっ、なに!?」

 

 突風のような空気の揺らぎ。

 化け物の周囲に展開された見えない壁が、物理攻撃を完全に阻んでいたのだ。

 

「サイクロプスの魔法だ! 声の壁だよ!」

 

「声の壁!?」

 

「声で膜みたいな壁を作って身を守るんだ! 連続では使えないはずだから、今なら狙える!」

 

「オーケー、それじゃもういっちょ、射出の魔機(ボルトシュート)!」

 

 間髪入れず、二投目のナイフが放たれる。

 今度は見えない壁の再展開が間に合わない。

 鋭利な刃が、化け物の太い脚へ深々と突き刺さった。

 

「ォオオオ!!」

 

 明らかな痛覚を伴う攻撃を連続で受け、苦悶の咆哮を上げた化け物は半狂乱となり、のたうち回る。

 

「ちょっと……なになになに?」

 

 それを見たエスカの顔が、恐怖に引き攣った。

 化け物の広い背中が、内側から不自然にボコボコと膨れ上がっていたのだ。

 

 肉が蠢き、皮膚が裂け、そこから新たな『腕』がグチャリと生え出してくる。

 血と体液を撒き散らしながら現れた真新しい異形の腕は、そのままの勢いでエスカの頭上へ叩き付けられた。

 

「やっ……!!」

 

 エスカは咄嗟に、腰の鉄剣を抜いて盾代わりに構える。

 

 激突。

 

 まるで全力で走る荷馬車に撥ね飛ばされたような、圧倒的な暴力。

 彼女の華奢な身体は木の葉のように吹き飛ばされ、硬い地面を何度も転がる。

 

 だが、傭兵としての本能で受け身だけは辛うじて成功していた。

 どこかを深く切ったのか、額から派手に血が垂れ流れるが、エスカは即座に立ち上がる。

 

「……やっば」

 

 息を呑んだ。

 

 盾代わりにしたはずの鉄剣が、ぐにゃりと『へ』の字に曲がり果てていた。

 

 戦場を潜り抜けてきた、頑強な鉄剣だ。

 決して脆い代物ではないのに、まるで熱せられた飴細工のようにひしゃげている。

 

 恐らく今の衝撃で、腕か肋骨にヒビが入っただろう。小さく咳き込むと、胸の奥を直接ハンマーで殴られたかのような鈍い激痛が走った。

 

「エスカさん!!」

 

 容赦なく、化け物の新たな腕がエスカへ向けて再び振り下ろされる。

 体勢を崩した今、絶対に避け切れない。

 

「っ……!!」

 

 エスカが死を覚悟し、目を強く閉じた――。

 刹那。それよりも先に、アルスが地を蹴って駆けていた。

 

 化け物の背後から死角を突き、その巨大な質量へ一気に肉薄する。

 

 心臓が喉から飛び出そうなくらいに暴れている。

 一歩間違えれば、あの太い脚で蹴り潰されて即死する距離。

 

 それでも、アルスは止まらない。

 手に持ったテーザーガンを、化け物の脚の関節へ力任せに押し当てた。

 

 ほぼゼロ距離で──

 

「こん……っのおおおおお!!!!」

 

 残された全てのカートリッジを、至近距離から一気に叩き込む。

 火花が散り、強烈な電撃が一斉に炸裂すると、今度こそ化け物の巨体がビクンと硬直し、その動きが僅かに止まった。

 

 ほんの一瞬の空白。

 だがその隙を見逃さず、エスカは転がるようにその場を離脱する。

 直後、空を切った剛腕が地面を粉砕し、彼女が先ほどまでいた場所から土と石が爆発的に飛び散った。

 

「はぁっ、はっ……ごめん! ありがと!」

 

「大丈夫!?」

 

 土埃に塗れ、荒い呼吸を交わしながら、二人は再び化け物と対峙する。

 

 しかし、状況は最悪だ。

 

 電撃で怯みはする。

 どうやら痛覚もあるらしい。

 

 だが、倒れる気配がまるでない。

 むしろ傷付くたびに、血の匂いに酔ったように暴れ方が激しさを増している。

 

「……もう、倒すしかないわね」

 

 血が滴る額を拭い、エスカが息を整えながら呟く。

 

「そう、かも」

 

 アルスも、弾切れになった重い銃をポーチにしまって苦い顔で頷いた。

 逃げ切れる保証がない以上、ここで決着をつけるしかない。

 

「アルス、もう一度あいつの動きを止められる? 少しで良いから」

 

「……なんとかできるって事?」

 

「なんとか、する」

 

 エスカの目は真剣だった。

 命を賭ける、本物の傭兵の目だ。

 

 アルスは一瞬だけ迷い――力強く頷く。

 

 テーザーガンはもうない。

 ならばと、虎の子を使うと決めたアルスは、ポーチの奥からピンのついた手榴弾を取り出した。

 

「目を閉じて!!」

 

 アルスは腕を大きく振りかぶりながら絶叫する。

 その合図を信じ、エスカは躊躇なく両目を伏せた。

 

「光れ──!!!!」

 

 放物線を描いて投げられた魔機が、化け物の眼球の真ん前で炸裂する。

 

 凄まじい閃光。

 そして耳を裂くような爆音。

 

 アルスの投げた閃光手榴弾により、暗い森全体が真昼のように白く染め上げられた。

 

「サイクロプスは目が良いんだ。視力は人間の十倍から十五倍。紫外線すら視認できるって言われてる。でもその代わり──」

 

 光が収まり、視界が戻る。

 化け物は目を押さえ、狂ったように暴れ回っていた。

 見えない恐怖から巨大な腕をでたらめに振り回し、木々をなぎ倒しながら苦悶の咆哮を上げる。

 

 その目は完全に視界を失い、焦点が合っていない。

 目の前にいるアルスたちを、全く捉えられていなかった。

 

「──光に弱い!」

 

「ご高説どーもっ!」

 

 確かな希望に満ちた声で、エスカが叫ぶ。

 曲がった鉄剣を投げ捨てた彼女の手には、無骨な筒状の魔機が握られていた。

 

 その姿を見て、アルスは目を見張る。

 間違いない、王都のマジックショップで見た、あの年代物の古い魔機だ。

 

 エスカはそれを滑らかな動作で手の中で回転させ、グリップをしっかりと握り込む。

 そして、深く息を吸い込んだ。

 

「『炎舞、たおやかに』」

 

 それは、現代の短いキーワードとは全く異なる響きだった。

 

 長い。

 古い。

 まるで、神話の神に祈りを捧げるかのような、重厚な詠唱。

 

「『いざ豊かなる心育みし時──』」

 

 淀みなく紡がれるエスカの声色は、どこまでも凛としていて。

 

 かつて声帯認証技術が未熟だった、血生臭い戦争時代。

 敵軍による鹵獲と悪用を防ぐため、旧式魔機にはわざと複雑で長い詠唱が必要とされていたという。

 その歴史の重みが、彼女の言葉に乗る。

 

「『奮い立て』!!」

 

 カチン、と。

 

 筒の内部で、分厚い歯車が重く噛み合う音が響いた。

 直後。

 

 筒の先端から、太陽の破片のような灼熱の炎が爆発的に噴き出す。

 豪音と共に燃え上がる赤橙の光が、暗い森の闇を焼き尽くし、二人を鮮やかに照らし出した。

 

「バリアブルソード!!」

 

 かくして、荒れ狂う炎は一本の『剣』の形へと収束し、エスカの手に顕現した。

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