青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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36.バリアブルソード

 

「……すごい」

 

 アルスの口から無意識に漏れたのは、感嘆と畏怖が入り混じった掠れ声だった。

 

 吹き出した炎が、周囲の空気をチリチリと焼き焦がしながら一点へ収束していく。

 それは、自然界で荒れ狂うような無秩序な火ではない。

 

 まるで炎そのものが意志を持った生き物のように形を変え、高密度に脈動し、やがて一本の輝かしい『剣』の輪郭を象っていく。

 

 変幻自在の炎剣――バリアブルソード。

 

 血で血を洗う戦争時代に生み出された、殺戮のための軍用魔機。

 ともすれば装甲車すらバターのように断ち切ったと伝えられる狂気の遺物を、アルスは今、目の前で目の当たりにしていた。

 

 周囲の空気が、異常な熱でぐにゃりと歪む。

 剣が放つ熱量だけで地面の水分が一瞬で蒸発し、足元の青草が触れてもいないのにじりじりと炭化を始めていた。

 

「離れて」

 

 エスカが、振り返りもせずに短く告げる。

 赤橙の光に照らし出されたその横顔は、死地にあってなお、いっそぞっとするほど危うく、そして美しかった。

 アルスは思わず息を呑み、言われるがまま後方へ飛び退く。

 

 呼吸をするだけで肺が焼けるような熱気。

 あの炎に一瞬でも巻き込まれれば、人間の肉体など骨すら残らず灰になる。

 本能がそう警鐘を鳴らしていた。

 

「ゥゥウウウ……ッ」

 

 化け物が、地を這うような低い唸り声を上げる。

 

 閃光手榴弾の光を嫌って固く閉じられていた巨大な単眼が、粘着質な音を立ててゆっくりと見開かれていく。

 少しずつ視力を取り戻しているのだろう。

 

 血走った濁った瞳が、炎剣を構えるエスカを真正面から捉えた。

 

 そして、再び死闘の火蓋が切って落とされる。

 大地を粉砕しながら、化け物がエスカへ向けて一直線に突進した。

 

 しかも今度は、ただの突進ではない。自身の周囲に『声の壁』を何重にも纏っている。

 圧縮された空気が悲鳴を上げるように振動し、突っ込んでくる衝撃波だけで周囲の大木がメキメキと音を立てて大きくしなった。

 

「『ランス』──!!」

 

 その致死の圧力を真正面から受けても、エスカは一歩も退かない。

 

 鋭いキーワードと共に、炎剣の刀身が激しく形を変える。

 高熱の炎が細く、長く、極限まで圧縮され、瞬く間に身の丈以上もある灼熱の『槍』へと変貌した。

 

「グゥゥギィイイイイーーーー!!!!」

 

 轟、と爆炎が奔る。

 

 すべてを焼き貫く灼熱の穂先が、物理防御であるはずの音の壁を容易く蒸発させ、そのまま化け物の分厚い胸肉へ深々と突き刺さった。

 

 白銀の体毛が一瞬で燃え上がり、ジュッと肉が爆ぜる。

 焦げた肉と血のひどい臭いが、熱風に乗って森全体へ撒き散らされた。

 

「もっと下がって! 出力がブレる!!」

 

 槍を乱暴に引き抜き、武器を再び剣の形へ戻しながらエスカが叫ぶ。

 その声に、アルスはハッとした。

 自分のポーチに入っている『銀の指輪』だ。魔力に干渉する銀が近すぎるせいで、旧式であるバリアブルソードの繊細な魔力制御を妨害してしまっているのだ。

 

 アルスはすぐさま全速力でさらに距離を取る。だが、振り返った彼の顔が、恐怖に引き攣った。

 炎の槍で背骨に届くほど深く抉ったはずの化け物の傷口が、ドクン、ドクンと不気味に脈打っていたのだ。

 

 焼け爛れ、炭化したはずの肉が不自然に痙攣し、千切れた筋繊維同士が互いに絡みついて、無理やり傷を塞ごうとしている。

 いや、治っているわけではない。

 完全に崩壊しかけた肉体を、文字通り『無理やり糸で縫い合わせるように』強引に動かしているのだ。

 

「なんだよ、こいつ……」

 

 やはり、()()は魔物ではない。

 生命の理から完全に外れた、在り方そのものが呪われているとしか思えない歪な存在だ。

 

 化け物は、自身の肉体が焼け焦げていることなど意にも介さず、半狂乱となって腕を振り回す。

 大木を易々とへし折る剛腕が、エスカを叩き潰そうと再度唸りを上げた。

 

「『クローク』!」

 

 それなら次はと、エスカが炎剣を大地へ深く突き立てる。

 直後、逆巻く火炎が分厚い『壁』となって吹き上がり、二人の間へ立ちはだかった。

 

 丸太のような剛腕と炎の防壁がぶつかった瞬間凄まじい衝撃波で地面がすり鉢状に抉れ、そして──止まったのは化け物の方だった。

 

 火炎の壁に触れた拳の肉が瞬時に沸騰し、強烈な白煙が立ち上る。

 表面がドロドロに爛れ、骨まで焦げ付いた激痛に、化け物が鼓膜を破るような苦悶の咆哮を上げた。

 

「『ライフル』!!」

 

 エスカは、決してその隙を見逃さない。

 今度は刀身が細長く変形し、銃身のように一点へ収束していく。

 

「──シッ!!」

 

 鋭い呼気と共に、狙いすました火炎弾が一閃。

 赤熱した高密度のプラズマ弾が、化け物を支える両脚の膝関節を正確に撃ち抜いた。

 肉が内側から爆ぜ、太い骨が粉々に砕け散る音が森に響き渡る。

 

 巨体が大きく傾き、揺らぐ。

 だが――倒れない。

 

 ぐちゃり、と。

 完全に潰れたはずの脚の肉が蠢き、千切れた神経と血管をデタラメに繋ぎ合わせながら、崩れた体勢を無理やり立て直そうとしている。

 

「っ……まだ動くの!?」

 

 極限の冷静さを保っていたエスカの顔にも、ついに焦燥の色が浮かんだ。

 

「壊れながら動いてるんだ……! でも!」

 

 肉体そのものが、とっくに限界を超えて暴走している。

 一歩動くたびに自らの身体を自壊させているような状態だが、体勢を大きく崩している『今』が、確実に仕留める最大の好機だった。

 

「今だよ! エスカ!!」

 

 アルスが声を限りに叫ぶ。

 その声を聞くより早く、エスカは焼け焦げた大地を強く蹴っていた。

 バリアブルソードが放つ規格外の熱量は、敵だけでなく、握っている使い手自身の身体すらも容赦なく蝕む。

 汗は蒸発し、皮膚はひび割れ、喉は焼け焦げるように痛むはずだ。

 それでも、彼女は止まらない。

 

 ——ここで、絶対に止める。

 

 この先の村へは。大切なミーティアのいるあの場所へは、絶対に踏み込ませない。

 そんな執念と覚悟だけを燃料にして、彼女は命の炎を燃やしていた。

 

 化け物は本能的に迫り来る死の危機を察したのだろう。

 砕けていない方の腕を地面へ深く叩き込み、巨大な岩盤を無理やり抉り取る。

 

 そして、それをエスカへ向けて力任せに投げつけた。

 

「エスカーーーー!!!!」

 

 アルスの悲鳴。

 岩塊がエスカの眼前で着弾し、凄まじい土煙と破片が舞い上がる。

 森の視界が完全に塞がれ、彼女の姿が消えた。

 

「『オルタナティブ──』」

 

 凛とした、唱えるような声が分厚い土煙を真っ二つに切り裂くように、一筋の紅蓮の炎が走る。

 もうもうと立ち込める煙の中から飛び出したのは、バリアブルソードを上段に構えたエスカだった。

 

 燃え盛る焔のように後ろ髪を激しくたなびかせ、その揺るぎない瞳だけが真っ直ぐに獲物の命を射抜いている。

 

「オォオ……ッ!!!!」

 

 死神を見たかのように狼狽える化け物へ向け、エスカは高く、天を突くように跳躍した。

 まるで駄々をこねる子供のように、それを迎え撃つように巨大な拳が下から振り抜かれる。が。

 彼女はそれすら意にも介さず、残された全ての力をその一振りに込めた。

 

「『バスタードーーーーッ!!!!』」

 

 最後のキーワードを受け、バリアブルソードが限界を超えて巨大化していく。

 

 空間そのものを焼き尽くさんばかりに膨れ上がった圧倒的な炎熱が、夜の森を真昼のように白く照らし出した。

 そして――

 

 一閃。

 

 重力すら断ち切るような、灼熱の斬撃。

 振り上げられた化け物の巨大な拳ごと、その醜悪な上半身を袈裟懸けに完全に叩き斬った。

 

「……」

 

 一瞬、世界からあらゆる音が消える。

 

 バリアブルソードから激しく煙が吹き、エスカが着地。

 柄を振り払い、煙を薙ぐと同時に──

 

 凄まじい炎柱が吹き上がる。

 袈裟切りに分断された化け物の肉体は再生する暇すら与えられず完全に二分され、そのまま土へと倒れ伏した。

 

 後に残ったのは肉の焼けるひどい臭いと、広範囲にわたって炭化した木々。

 そして、耳が痛くなるほどの静寂だけだった。

 

 白い煙を細く吹き上げるバリアブルソードを下げたまま、エスカだけが荒野と化した森の中心に立っている。

 

 肩で、ひどく荒く息をしていた。全身埃だらけで、立っているのが不思議なほどボロボロだ。

 それでも、その瞳には暗闇を払うような確かな勝利の光が宿っていた。

 

「ぃいよーーーーっし!!!!」

 

 エスカは、握りしめた拳を力強く天へ突き上げる。

 炎剣の残光がチロチロと揺れる中、彼女の誇り高き勝利の叫びだけが、月明かりの差し込む夜の森いっぱいに響き渡った。

 

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