青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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39.反撃の鼓動

 

「博士様、ありがとうございます──」

 

 緊張の糸がほぐれ、ようやく訪れた静寂の中、ソフィアは深く頭を下げた。

 

「ううん、僕は結局何もしてないよ」

 

 アルスは困ったように眉を下げ、苦笑いをする。

 

「そんな事はありませんわ。ありがとうございます。最後まで……見守ってくれて」

 

 ソフィアの瞳には、微かに涙が滲んでいた。

 魔物としての本性を見せても彼は決して自分を化け物扱いせず、けれど自分の犯した罪をただ赦す事もなく、静かに見届けてくれた。

 それがどれほど自分にとって救いになるものであったか。そしてそれを知ってもきっとこの青年は笑って頷いてくれるだけで。

 

「止めようと思えば、貴方はエスカ様を止められましたわ。でも、そうしないでいてくれた」

 

「……買いかぶりだよ。怖くて動けないだけだったり」

 

 照れ隠しで、アルスは少しだけ本心ではない事を言ってみる。

 

「もう……」

 

 不器用な優しさに、ソフィアはふふっと柔らかい笑みをこぼした。

 

「博士様──貴方の魔物に対する知識や思いは、一体どこで身に着けた物なのですか……?」

 

「友達のおかげだよ。もう今はいないんだけど……僕の、大切な友達のおかげ」

 

 宴の時にもしたような質問を、今度はリリスとして改めて問いかける。

 その質問に、アルスは無意識のうちに自身の左胸へとそっと手を当てた。

 遠くを見るような、懐かしくも切ないその眼差しにソフィアはハッとする。

 

「友達……その方は……」

 

「ねぇ、話も良いけど、もうあの化け物もいなくなったんだし、村の人たちにかけた魔法を解きなさいよー」

 

 ソフィアが問い返そうとしたその時、少し離れた場所でミーティアをあやし続けているエスカが呆れたように声を張り上げた。

 

「ええ、もちろん。では倉庫の方にみんなで向かいましょう──」

 

 ソフィアが踵を返し、村の倉庫の方へと視線を向けようとして。

 ふと、森の奥で視線がピタリと止まる。

 

「──どうしたの?」

 

 突然凍りついた彼女の背中に、アルスが怪訝な声をかけた。

 

「……あれは」

 

 パキリ、と。

 不自然なほど大きな枝を踏み折る音が、真っ暗な森の奥から響いた。

 それから、バサバサという木が激しく軋み、へし折れて倒れる音も。

 それは明らかに、巨大な質量を持つ何かが動いている音だった。

 

「……ウソ」

 

 血の気が引き、エスカの顔が驚愕に青ざめた。

 

「おいおいおいマジか、ありゃあ……!!」

 

 ガーディールが目をひん剥き、目の前のそれを見上げる。

 森の闇から這い出るようにして現れたそれは、さっきエスカが完全に焼き殺したはずの巨大な化け物であった。

 

 ただ生きているだけではない。

 焼け焦げた肉が泡立つように膨張し、剥き出しの骨を覆い隠していく。様々な生物のパーツをツギハギしたような、よりいびつで、よりおぞましい姿へと変貌を遂げていた。

 

「オォ……ッォオオオオオ──!!!!」

 

 大気をビリビリと震わせる咆哮。

 怪物は確かに、爛々と濁った命の火を瞳に燃やしながら、ついに村の境界へと到達してしまったのだった。

 

「ぁ……ぁあ……っ」

 

 生物とは言い難い名状しがたき圧倒的な暴力を前にして、ミーティアの小さな体がガタガタと震え出す。

 エスカはそんなミーティアをかばうように、素早く背後へと下がらせた。

 

「まだやろうってのね……良い度胸……!!」

 

 エスカは弾かれたように立ち上がり、残された小さなナイフを構えて前に出る。だが、その足元は疲労でふらついていた。

 

「やだっ、にげっ逃げようよエスカ!! 無理だよぉ! 死んじゃうよぉ!!」

 

 ミーティアが泣き叫ぶ。

 見たところ、化け物の足は速くなさそうだ。今から全速力で逃げれば、自分たちだけならあるいは助かるかもしれない。

 だが、村の人たちはどうなる。村にいる住民全員に避難を呼びかけている時間など、到底残されていない。

 アルスたちは結局、村を見捨てるか、ここで玉砕するかの二択を迫られていた。

 

「もう一回……もう一回、足止めすれば……あんたたちは村の人を逃がして!!」

 

 エスカが血を吐くような声で叫ぶ。

 全力の戦闘により、エスカの装備は完全に尽きていた。頼みの綱だったバリアブルソードは限界を超えてオーバーヒートし、鉄剣もひしゃげて使い物にならない。今の彼女の手にあるのは、あんな巨体に対しては頼りないにも程があるナイフ一本だけだ。

 

 全員の顔が絶望に染まり、死の予感が場を支配する中。

 ただ一人だけ──

 

「ガーディ、ソフィアの銀の指輪を預かってあげて」

 

 アルスが、異常なほど静かな声でそう言った。

 その顔には、恐怖も焦りもない。ただ、深く静かな決意だけが宿っていた。

 

「……は?」

 

 さしものガーディールも、この絶望的な状況下でのその言葉の意味を理解できず、間抜けな声を出す。

 

「ソフィア」

 

「は、はい……っ」

 

 名前を呼ばれて、恐怖に縛られていたソフィアの背筋がビクッと跳ねる。

 

「みんなを守ろう」

 

 そしてアルスの真っ直ぐな言葉が、彼女の心に火を灯した。

 

「……はい!」

 

 ソフィアは魔力を封じていた銀の指輪を強く握りしめ、覚悟を決めたようにそれをゆっくりガーディールに手渡す。

 

「これで魔法が使えるようになんのか……でもよ、いくらお前が魔物っつったって、ひとりであんなのに勝てんのかよ……」

 

 ガーディールが冷や汗を流しながら問うが

 

「ひとりじゃないよ」

 

 その質問には、アルスが静かに首を振って答えた。

 

「お前……」

 

 親友の言わんとしている事を知って、ガーディールは口を噤む。

 アルスのその瞳には、見覚えがあった。一度だけ。たった一度だけ見た事がある。アルスの力。

 

「やんのか」

 

「大丈夫」

 

 だがそれは、使わせて良いのだろうか。恥ずかしくて普段は本人に言えたものではないが、自分はアルスにある種の信頼のような物を寄せている自覚がある。その自分でしても初めて見た時は理解に苦しんだというのに、ここにはそれを知らない人間が複数いるのだ。

 

 どうなっても後悔はないのかと、言外に言葉を含ませて確認するガーディールにアルスはいつものような、屈託のない笑みを向けて見せた。

 

「ちょっと、何を……」

 

「……エスカさん、怪我させてごめんね。怪我させないって言ったんだけど。こんな事なら、もっと早く使うべきだったんだ」

 

 アルスは驚くエスカの前に進み出ると、ソフィアと共に、そびえ立つ化け物と真っ直ぐに対峙した。

 

「待ちなさいよ! あんたが何できるの!? 危ない!」

 

 血相を変えて飛び出そうとするエスカの肩を、ガーディールが後ろから力強く掴んで引き留める。

 

「……見てろ」

 

 ガーディールはそれ以上何も言わず、前へ進み出る親友の背中を見送った。

 

「博士様……」

 

 隣に立ったソフィアも、不安げにアルスを見つめる。

 アルスは彼女を安心させるように小さく微笑み、そして、ゆっくりと前へ向き直った。

 

 空気が、変わる。

 夜の冷たさが消え、じりじりとした熱が空間を支配し始めた。

 

「行くよ。──レッド」

 

 アルスは胸の中心、心臓の真上へと右手を当て、静かに目を閉じる。

 深く呼吸を整え、意識を自らの最も深い場所へと沈めていく。

 そこで脈打つのは、かつて世界を愛し、彼を生かして散った偉大なる竜の命の結晶。

 

 アルスは、自分の中に固く閉じ込めていたその莫大な魔力の扉を、力強く蹴り破る。

 瞬間、世界が悲鳴を上げた。

 

「──レッドソウル」

 

 開かれたアルスの目から、鮮烈な赤い光が放たれる。

 彼の体から大気へと溢れ出した膨大な魔力は、青白い紫電となってバチバチと弾け飛び、夜闇を焼き焦がすような凄まじい轟音と共に、天へと立ち昇った。

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