青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜   作:SK43

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5.売りこむ青年

 

 もう間もなく昼時に差し掛かろうという頃。

 

 平日も休日も絶え間なく人が行き交う王都のメインストリートの一角で、未来あるフリー研究家――アルス=アルバーンはぽつんと立っていた。

 

 ちなみに少し離れた場所には、「あいつとは知り合いではありません」とでも言いたげに露骨に顔を背けている、ガーディール(筋肉ゴリラ)の姿もある。

 

「魔物研究家、いりませんかー」

 

 アルスが掲げている自作の()()()には、極太の筆文字で『依頼格安』の四文字。

 春の終わりの生ぬるい風を受けて、みすぼらしい布がゆらゆらと頼りなく揺れていた。

 

「研究家~、どうですかー」

 

 アルスの手に握られた手書きのチラシには、募集している依頼内容と連絡先が書かれている。

 ……とはいえ、アルスは通信機などという高価なものを持っていないため、記載されているのは自宅のアパートまでの雑な手書き地図だけである。

 それでも何とか通行人に受け取ってもらおうと、アルスは道行く人々へ必死に手を伸ばしていた。

 

「研究、お手伝いしま――」

 

「えっ、なに怖……」

 

 開始から数分。

 アルスは早くも、アスファルトの上に膝から崩れ落ちそうになっていた。

 

 チラシは一枚も受け取ってもらえず、足を止める者もいない。

 それどころか、本気でドン引きしたような冷たい視線や、避けを歩くような反応まで返ってくる始末である。

 色々なものが、音を立てて折れそうだった。

 

「……泣きそうだ」

 

「悪目立ちし過ぎだろ!!」

 

 直後、アルスの後頭部へ容赦のないツッコミの平手打ちが飛んだ。

 振り返るまでもなく、犯人はガーディールだ。

 

 どうやら彼の中でも、この珍妙な営業活動は見ていられない部類だったらしい。

 確かに、通行人の奇異の視線を一身に集めながらの強引な宣伝は、見ている側の共感性羞恥をこれでもかと刺激してくる。

 痛々しいを通り越して、心が苦しい。

 

 誰も幸せにならない空間がそこにあった。

 

「じゃあどうしろっていうんだこれ以上! 後は手作りポスターを背中に貼って歩くくらいしかないんだよ!!」

 

「発想が貧弱なんだよこの世間知らず! 宗教の勧誘でもしてんのか!」

 

 言い得て妙だ、とアルスは思った。

 そういえば、王都の裏路地で怪しげなツボや水を勧誘している人も、こんな悲壮感漂う格好をしていた気がする。

 

 今時そんなアナログな方法で足を止める人間は少ないし、下手をすれば街の警備隊に通報されて終わりだ。

 そう考えた瞬間、アルスは急に胸の奥がキュッと苦しくなった。

 

 自己嫌悪だろうか。

 

「じゃーガーディは何しろって言うのさ! 反対するなら代案出せって学校で習わなかったのか!」

 

「だーから、皿洗いなりドブ掃除なり、研究家の仕事に拘るのやめろって言ってんだろが。日銭を稼げ」

 

「うぐッ……!」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。

 有史以来、正論が人の心を救った試しはないが、それでも正しいものは正しい。

 

 討論会(ディベート)なら開始数秒でKO負けが決定しているレベルである。

 にべもないとはこの事か。

 

「何度も言うが、家賃って現実忘れんなよ」

 

 ガーディールの言葉が、見えない刃となって鋭く突き刺さる。

 夢を追う以前に、まず目の前に立ちはだかる『生活』という現実の壁が高すぎるのだ。

 

 アルスは本来、データと事実に基づき、現実を見るのが得意な人間だったはずだ。

 それなのに、いつからこんな風に、足のつかないふわふわとした生き方になってしまったのだろう。

 

「なんにせよ支払いまであと二週間くらいだろ。遊んでないで日雇いでも探せよ」

 

 これ以上付き合ってられん、と言わんばかりに吐き捨て、ガーディールは呆れ顔のまま背を向けて歩き始める。

 

「って、どこ行くのさ。今日休みじゃないの?」

 

「俺は仕事あるんでな。今日は昼からだ」

 

 アルスが営業活動――いや、ガーディールに言わせれば『遊んでいた』わけなのだが――をしている間に、いつの間にか太陽は中天を回っていたらしい。

 

 自分で「遊んでいた」と認識しかけて、アルスは少しだけ死にたくなった。

 

「ああー薬剤師かぁ……その図体で似合わないよね」

 

「死ぬほど聞いたわその台詞。んじゃあな、精々首くくらない程度に頑張れよ」

 

「んー……わかったよ。ガーディも頑張って」

 

 ガーディールが窮屈そうに白衣を着込み、小さな眼鏡姿で繊細に薬を調合している場面を、アルスは何度か見たことがある。

 

 何度見ても、筋肉隆々のゴリラには似合わない。

 だが同時に、彼はしっかりと社会に根を下ろし、人の役に立っている。

 

 その当たり前の事実が、今のアルスには少しだけ眩しかった。

 これ以上自分の不甲斐ない問題へ友人を巻き込み続けるのも悪いと思い、アルスは雑踏へ消えていくガーディールの大きな背中を、黙って見送った。

 

 最近の自分は、明らかにガーディールに頼りすぎている。

 せめて、一人で生きていける程度にはならなければ。

 

「きゅう」

 

 重い足取りで職業紹介所へ向かおうとした、その時だった。

 ジャケットのポケットの奥から、くぐもった、聞き覚えのある鳴き声が聞こえる。

 

「って、君いつの間に……ついて来てたんだ」

 

 そっと中を覗き込めば、赤い毛玉のようなフレアラットが眠たげな顔を出していた。

 どうやらずっとポケットの奥で丸まって寝ていたらしい。

 明るい陽射しに目をしょぼしょぼさせながら、小さく鳴いている。

 

「ととと……こんな街中で脱走でもしたら大変だ」

 

 魔物を無許可で街へ放つことは、ドーラ王国の法律で固く禁じられている。見つかれば即座に警察騎士が飛んでくるだろう。

 アルスも一応は研究家の端くれだ。

 魔物の管理には、人一倍気を遣わなければならない。

 

 仕方なく、職業紹介所は諦めて一度家へ戻ることにする。

 

「でもさ、僕にはやっぱり研究しかないよね」

 

「きゅぅ」

 

 家路につきながら、アルスは誰へともなく呟いた。

 ポケットの中のフレアラットは、肯定とも否定とも取れない、曖昧な鳴き声を返すだけだ。

 

「でも、どれだけ僕が『魔物はただの敵じゃない』って正しい証明をしても……もう誰も、僕の話なんて聞いてくれないんだ。困っちゃうよなぁ」

 

 始まりは、あの日だった。

 

 学会に。

 国に。

 世界中に。

 

 一斉に、冷たい後ろ指を差されたような気がした、あの日。

 

 最高峰の国立大学を首席で卒業した輝かしい期待も、恩師からの温かい忠告も、全部振り切って戦うことを決めた。

 

「僕、大丈夫かなぁ……不安だよ、レッド」

 

 ぽつりと吐き出したため息は、無関心な街の喧騒の中へ、誰にも拾われることなく溶けて消えていく。

 今のアルスの胸の奥底に残っているのは、焦りと諦観が入り混じった、泥のように重たいしこりだけだった。

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