青年アルスの研究日誌〜全てを失った魔物学者は竜の力で理不尽な世界を調停する〜 作:SK43
「この世には神も仏もない」
「クソ露骨な宗教勧誘じゃねぇか。ウケるな」
「笑えるか!! 返せよ僕の純情!! 僕のお金!!」
ドンッ、とアルスが机を叩く。
西日が差し込む居酒屋の店内は、仕事終わりの客たちで賑わっていた。酒臭い笑い声と食器のぶつかる音が絶え間なく飛び交い、アルスの半ば八つ当たりじみた台パンも、酔客たちの喧騒にあっさり飲み込まれていく。
怪しげな教団に囲まれてから数時間。
結局、夕方近くまで解放されなかったアルスは、疲れ切った顔のまま仕事帰りのガーディールと晩飯を食べていた。
「しっかり買わされてるな。金欠のくせに……お前ってどこかカモ臭いんだよなぁ」
「買わないと返してもらえないくらい囲まれてたんだよ……」
アルスの首には、銀の指輪をチェーンへ通しただけの安っぽいアクセサリが二つぶら下がっている。
悪趣味極まりないデザインだった。
あの勢いに押し切られてしまった自分の押しの弱さに、アルスは心底うんざりする。
「まぁいいんじゃね? 底辺の運気もそれで少しはマシにならぁ」
「底辺なことを嫌でも実感させられた一日だったけどね……」
アルスはとろけたチーズの乗ったパンをかじりながら、もう一枚残っている封筒をひらひらと揺らした。
「これも
やはり自分に仕事の依頼が来るなど夢物語だったのだろうか。
少なくとも今のアルスは、完全に疑心暗鬼だった。
「さーな。次に買わされるのはツボか? それとも石か? ……むぐむぐ、うん、うめぇ」
ガーディールは香ばしく焼けた焼き鳥を豪快に頬張りながら、面白がるように笑う。
だが、流石にもう勧誘されることはないだろう。
なにせアルスの財布には、次に騙される余裕すら残っていないのだから。
――などと口にしたら、今度こそ皿洗いでもしてこいと怒鳴られるに違いない。
アルスはパンを噛みながら、ぐっと言葉を飲み込んだ。
思いついたことをすぐ口に出すから、ガーディールによく怒鳴られるのだ。
しかもその大半が図星なので、余計に耳が痛い。
「せめてこれが僕を守ってくれますように……」
アルスは胸元の安物アクセサリを指でつまみ、小さく祈る。
「そいつに頼り始めたらもう終わりだぜ……まぁ待てよ。次は俺も一緒について行く」
串をこちらへ向けながら、ガーディールがそう言った。
「え、ガーディも? でも……」
「なんだよ。頼りねぇ友人がまた変なのに引っかからねぇよう、一緒にいてやるって話だ」
独りでいると、また厄介事に巻き込まれそうなのは事実だ。
見た目だけなら、ガーディールほど頼もしい用心棒もそうはいない。
……もっとも。
「いや、隣にお前いると暴力団かなんかに間違われそうだから嫌なんだよね」
「てめぇも大概失礼だからな!?」
結局、我慢した意味もなく口から本音が飛び出した。
◆
メインストリートから大きく外れた閑静な住宅街。
そこは先ほどの喫茶店とも違い、鳥の鳴き声すらほとんど聞こえない静かな場所だった。
まだ西日が街並みを照らしているが、夜になれば相当不気味な雰囲気になるに違いない。
「次の待ち合わせ場所は、ここだね」
「またこりゃ……えらい立派な家じゃねぇか。絶対ツボ買わされるぞ」
レンガ造りの豪邸を見上げながら、ガーディールが縁起でもないことを口にする。
だが、その感想も無理はなかった。
周囲には小さな一軒家ばかり並んでいるというのに、この洋館だけが広い庭付きで堂々と構えている。
まるでそこだけ別世界だ。
ここに住む人物こそ今回の依頼人なのだろうが、一体どんな富豪なのだろうかとアルスは内心身構えてしまう。
「ま、まだ決まったわけじゃない……! ごめんくださーい!」
意を決し、アルスは門前のベルを鳴らした。
どうかまともな依頼人であってほしい。
そんな願いを込めながら。
「……」
「……あれ?」
「反応ねぇな」
しかし待てど暮らせど返事はない。
手紙には確かに、「夕方以降ならいつでも構いませんので、こちらへ」と住所が書かれていたはずだ。
もしかすると家を間違えたのかもしれない。
「留守かもね」
アルスがそう言いかけた、その瞬間。
かちゃん――と、小気味良い金属音が響く。
洋館の扉がゆっくり開いた。
「ごめんなさい、遅くなりました」
「……っ!?」
アルスとガーディールは同時に息を呑む。
鈴を転がすような澄んだ声と共に駆け寄ってきたのは、十七、八歳ほどの少女だった。
夕焼けを閉じ込めたような鮮やかなオレンジ色の長髪。
しっかりとした意志を宿すアーモンド型のブラウンの瞳。
夕日に染まる庭木を背に立つその姿は、思わず言葉を失うほど美しい。
如何にも金持ち然とした中年男性か、あるいは先ほどのような胡散臭い宗教家でも出てくるものと思っていた二人は、完全に不意を突かれていた。
まるで絵に描いたような良家のお嬢様である。まさに鳩が豆鉄砲を食ったような気分だ。
「あの……?」
首を小さく傾げる少女を見て、アルスはようやく我に返った。
いけない。
あまりに衝撃的すぎて、完全に見惚れてしまっていた。
「あっ、あ~っと、あの、手紙見て来ました。魔物研究家のアルスです」
声が上擦らないよう必死に気を付けながら、アルスは封筒を差し出す。
「俺は──あー、助手っス。ガーディールって言いまス」
ガーディールも咄嗟に身分を偽りつつ、なんとか平静を装っていた。
大の男が二人揃ってたどたどしいのが少し情けない。
「来てくれてありがとうございます。どうぞ、お話は中で」
「お、お邪魔します」
少女は丁寧に一礼し、二人を洋館の中へ招き入れる。
最初のインパクトは凄まじかった。
だが問題は、この先だ。
鬼が出るか蛇が出るか。
緊張と期待で乾いた唇を舐めながら、アルスたちはゆっくりと門をくぐった。