ノウラン市占領後
集合命令を出すと、銀月騎士団の騎士たちはすぐに集まった。
全員ではない。
見張り、通信、補給、整備の持ち場を空けるわけにはいかない。
だが、各小隊の代表と、ノウラン市国境ラインでデムザンバラの戦闘を見ていた若い騎士たちは、野戦陣地の中央に設けられた臨時集合所へ顔を出した。
土嚢。
仮設照明。
折りたたみ式の作戦卓。
遠くでは、占領されたノウラン市の灯がまだ不規則に揺れている。
ジィッドは作戦卓の前に立った。
右にニナリス。
左に整備班長。
その布陣を見ただけで、部下たちは何かを察した。
「隊長、何かありましたか」
「再出撃ですか」
「デムザンバラに問題が?」
ジィッドは片手を上げた。
「問題はある。だが、今すぐ戦えない類の問題じゃない」
そう言って、彼は一度ニナリスを見た。
ニナリスは静かに頷いた。
整備班長は腕を組んでいる。
顔には、余計なことを言うな、という圧がある。
ジィッドは少しだけ苦笑した。
「先に言っておく。これは隊内への正式説明だ。噂で変な形になる前に、俺から言う」
若い騎士たちの顔が引き締まる。
ジィッドは、逃げずに言った。
「俺は、デムザンバラの安全運用基準を詰めるために、バランシェ博士のもとにいるアウクソーへ接触する許可を求めた」
空気が止まった。
次の瞬間、ざわめきが走る。
「アウクソー……?」
「剣聖のファティマ……」
「隊長、それは……」
誰かがニナリスを見た。
その視線に、ジィッドはすぐ気づいた。
「今、お前たちが考えたことを先に潰す」
声は明るくなかった。
軍人の声だった。
「俺はニナリスを替えるつもりはない。アウクソーを欲しがっているわけでもない。ファティマ契約、譲渡、勧誘、配属変更に関する話は一切しない。黒騎士殿にもそう文書で提出した」
ざわめきが少し弱まる。
だが、完全には消えない。
若い騎士の一人が、抑えきれずに言った。
「でも、隊長。だったら、どうしてアウクソーなんですか」
ジィッドは頷いた。
「当然の疑問だ」
彼は作戦卓の上に端末を置き、出力曲線を表示した。
尖ったピーク。
潰された山。
低中域を太らせたデムザンバラの現在設定。
「これが、旧シュペルター系統の本来出力曲線だ。細い。狭い。だが、そこに入れば異常な出力が出る」
部下たちは黙って画面を見た。
「俺はここを扱えない。だからニナリスが出力を八十五パーセントまで落とし、低中域のトルクを太くした。ノウランでは、それで七騎落とした」
「成功したじゃないですか」
「ああ。成功した」
ジィッドは否定しなかった。
「だが、成功したからこそ、次を考える必要がある。俺たちは、何を潰して何を残したのか、まだ完全には分かっていない」
彼は白い曲線を指した。
「ピークを殺す。これは必要だ。俺が死ぬからな。だが、殺してはいけない反応まで殺しているかもしれない。逆に、危険な癖をまだ残しているかもしれない。低中域を太らせた結果、右肩と左脚に負荷が偏っている。連戦すれば、どこかで歪みが出る」
整備班長が頷いた。
「その通りです。今回の七騎撃破でフレームは持ちましたが、これは余裕があるから何度でもいける、という意味ではありません。負荷の逃げ方を詰めないと、次は勝った後に動けなくなる可能性があります」
部下たちの表情が変わった。
七騎撃破。
大戦果。
だが、整備側から見れば、それは「次も同じことができる」証明ではない。
ジィッドは続ける。
「アウクソーに聞きたいのは、剣聖騎をどうすれば本来通り使えるか、ではない」
少しだけ言葉を強めた。
「俺は剣聖ではない。そこは間違えない」
その場に沈黙が落ちる。
「聞きたいのは、ピークを封じた時、何を残すべきかだ。旧シュペルター系統を知るファティマが、騎体のどこを見ていたのか。どの反応が命綱で、どの反応が危険なのか。剣聖用の機体を、剣聖ではない俺とニナリスが使うために、知見が必要だ」
若い騎士が、まだ納得しきれない顔で言った。
「でも……ニナリスさんだけじゃ駄目なんですか」
場がまた硬くなる。
ジィッドは、その問いを責めなかった。
むしろ、ゆっくり頷いた。
「駄目ではない」
ニナリスが少しだけ目を伏せる。
「ニナリスは優秀だ。俺は彼女を信じている。ノウランで俺が生きて帰ったのは、デムザンバラとニナリスと整備班と、お前たちのおかげだ」
彼は、一度息を吐いた。
「だからこそ、ニナリス一人に背負わせない」
若い騎士たちが黙る。
「俺が扱えないから、ニナリスが剣聖騎を鈍らせている。俺が追いつけないから、ニナリスがピークを封じている。俺が死なないために、ニナリスがシュペルターをデムザンバラに変えている」
ジィッドの声は静かだった。
「その判断を、彼女だけにさせ続けるのは、俺の甘えだ」
ニナリスが、そこで一歩前に出た。
「私からも説明します」
部下たちは一斉に姿勢を正した。
ニナリスは、いつものように淡々としていた。
「ジィッド様の提案は、私にとって不快です」
全員が固まった。
ジィッドも少しだけ目を伏せた。
「私はジィッド様のファティマです。デムザンバラを調整し、ジィッド様を生還させることは私の役目です。その前提で、アウクソーへ接触したいと言われることは、不快です」
若い騎士の一人が、思わずジィッドを見た。
その視線には、隊長、やっぱり怒られてるじゃないですか、という感情が露骨に出ていた。
ジィッドは視線で、言うな、と返した。
ニナリスは続ける。
「ですが、軍務上の必要性はあります」
その言葉で、場の空気が少し変わった。
「デムザンバラは旧シュペルター系統の機体であり、現在の設定は本来性能の再現ではなく、限定運用です。限定運用を継続する以上、旧設定に関する知見を収集し、どの反応を残し、どの反応を封じるべきか検証する必要があります」
「つまり、ニナリスさんも同意しているんですか」
「条件付きで同意しています」
「条件、ですか」
「はい」
ニナリスは端末を開いた。
「第一に、私が同席します。第二に、整備班長が同席します。第三に、会話は全記録します。第四に、アウクソーへの勧誘、譲渡要求、契約変更に類する発言は禁止します。第五に、得た知見は、ジィッド様、私、整備班、黒騎士隊監督下で検証します」
整備班長が続けた。
「加えて、技術側からも確認する。団長とニナリスだけで行かせると、話が綺麗になりすぎる。こっちは綺麗な話ではなく、フレームがどこで歪むか、熱がどこへ逃げるか、次の戦闘でどこが壊れるかを聞く」
部下の一人がぽつりと言った。
「整備班長、容赦ないですね」
「容赦で機体は直りません」
「それはそうですが」
少しだけ笑いが起きた。
ジィッドは、その笑いを見てから、もう一度口を開いた。
「お前たちにこれを先に説明したのは、変な噂にしたくなかったからだ」
声が少し柔らかくなる。
「隊長がアウクソーに会いに行くらしい。ニナリスを替えるらしい。デムザンバラを本来性能に戻すらしい。そういう話になれば、部隊が割れる」
部下たちの顔に、気まずさが浮かぶ。
実際、数人はその方向へ考えかけていた。
「だから、俺から言う。俺のファティマはニナリスだ。俺が乗るのはデムザンバラだ。俺は剣聖ではない。アウクソーへ会うのは、その現実を誤魔化すためではなく、その現実で戦うためだ」
しばらく、誰も喋らなかった。
やがて、若い騎士が手を挙げた。
「隊長」
「何だ」
「正直、最初は嫌でした」
「うん」
「ニナリスさんがいるのに、なんでアウクソーなんだって思いました」
「ああ」
「でも、今の説明なら……分かります」
ジィッドは頷いた。
「ありがとう」
「ただ」
若い騎士は、真剣な顔で言った。
「もし隊長がアウクソーを見て鼻の下を伸ばしたら、俺たちはニナリスさん側につきます」
沈黙。
次の瞬間、騎士たちの間に笑いが起きた。
ジィッドは額に手を当てた。
「なぜそうなる」
「大事なことです」
「俺はそんなに信用がないのか」
「戦場では信用しています」
「戦場以外は?」
若い騎士は、少しだけ目を逸らした。
「剣聖騎とファティマが絡むと、隊長は痛いところを冗談で包むので」
ジィッドはニナリスを見た。
ニナリスは静かに言った。
「同意します」
整備班長も言った。
「同意します」
「君たちまで」
また笑いが起きる。
その笑いは、先ほどより軽かった。
ジィッドは降参するように両手を上げた。
「分かった。鼻の下は伸ばさない。伸びそうになったらニナリスが止める」
「記録します」
「そこは記録しなくていい」
「士気管理上、有効です」
「またそれか」
若い騎士たちがさらに笑った。
そして、その中の一人が真面目な声で言った。
「隊長」
「何だ」
「俺たちは、隊長がデムザンバラに乗ってるから従ってるわけじゃありません」
ジィッドの表情が止まる。
「隊長が止まるべきところで止まったから、従っています。七騎落としても追撃しなかったから、信じています」
別の騎士が続けた。
「だから、アウクソーに会うなら、ちゃんと帰ってきてください。知識だけ持って帰ってきてください。夢を持って帰ってこないでください」
ジィッドは、しばらく黙っていた。
それから、深く頷いた。
「分かった」
声は、明るくなかった。
だが、まっすぐだった。
「俺は、剣聖の夢を取りに行くんじゃない。デムザンバラの運用を取りに行く。銀月騎士団を生かすための知識を持って帰る」
部下たちが敬礼する。
ジィッドも敬礼を返した。
「説明は以上だ。各自、持ち場へ戻れ。第二遮蔽線を今日中に六割まで持っていく。敵は俺たちの感情整理を待ってくれない」
「了解!」
騎士たちが散っていく。
その後ろ姿を見送りながら、ジィッドは小さく息を吐いた。
「燃料は抜けたかな」
整備班長が答える。
「半分くらいは」
「半分か」
「残りは行動で示すしかありません」
「厳しいな」
「軍務ですので」
ジィッドは苦笑した。
ニナリスは隣に立っていた。
何も言わない。
ジィッドは彼女を見る。
「ニナリス」
「はい」
「ありがとう。隣にいてくれて」
「そのためにいます」
「そうか」
「はい」
その言葉は、先ほどと同じだった。
けれど、今度は少しだけ違って聞こえた。
ジィッドはデムザンバラの方を見た。
白い騎体は、簡易整備区画の中で静かに膝をついている。
剣聖騎の残骸ではない。
褒美でもない。
夢でもない。
銀月騎士団を生かすための、鈍い刃。
「よし」
ジィッドは端末を閉じた。
「次はバランシェ博士への正式依頼文だ」
整備班長が顔をしかめた。
「また文書ですか」
「軍務だからな」
ニナリスが頷いた。
「軍務ですので」
ジィッドは少し笑った。
「便利な言葉だ」
ノウラン市の夜風が、野戦陣地を抜けていく。
その風の中で、銀月騎士団は土嚢を積み続けた。
記事に載らない仕事で、戦線は保たれる。
そしてその夜、ジィッドは部下たちの前で、初めてはっきりと言った。
自分は剣聖ではない。
アウクソーを求めるのではない。
ニナリスとデムザンバラで戦うために、知識を取りに行くのだと。