/*/ 星団暦3069年・バッハトマ軍・ベイジ司令部 秘匿通信室 /*/
通信室は、無駄に暗かった。
秘匿通信のため。
魔導走査を遮断するため。
音声漏洩を防ぐため。
理由はいくつもある。
だが、ジョー・ジィッド・マトリアには、どうしても別の意味に思えた。
罪人を引き立てる部屋は、明るいより暗い方が似合う。
通信盤の前に立つジィッドの横には、ニナリス。
少し後ろにラドとノエル。
さらに壁際には、デコーズ・ワイズメルが腕を組んで立っている。
明らかに面白がっている顔だった。
「……主宰に面会ですか?」
ジィッドは、通信盤を前に呟いた。
「罪人として引っ立てられる気分ですね」
デコーズが鼻で笑う。
「似合ってるぜ、ジィッド」
「否定してくださいよ」
「嫌だね」
通信盤に光が入る。
空間が一段、重くなった。
魔導映像の向こうに、ボスヤスフォートが現れる。
バッハトマ魔法帝国の主宰。
その姿が映った瞬間、ジィッドは姿勢を正した。
「銀月騎士団、ジョー・ジィッド・マトリア。出頭いたしました」
ボスヤスフォートは、穏やかに笑っていた。
穏やかすぎる笑みだった。
「よく戻ったね、ジィッド」
「はっ」
「ナカカラ北部戦線での撤退支援。報告は見た」
「命令違反については――」
「うん」
ボスヤスフォートは楽しそうに頷いた。
「君は、命令違反の咎が何か欲しいと言っていたようだから、私から君にプレゼントだ」
ジィッドの背筋が冷えた。
主宰からのプレゼント。
その時点で罰より怖い。
後ろで、デコーズが笑いを堪えている気配がした。
「ジョー・ジィッド・マトリア。君を、ベイジ、ノウラン市、オータ市、ボルサ諸島列島を含む周辺地域の総督に任じる」
時間が止まった。
ラドの口が開く。
ノエルが硬直する。
ニナリスだけが、静かに記録している。
ジィッドは完全に固まった。
まじかぁ。
顔がそう言っていた。
声には出さなかった。
だが、表情には出た。
出てしまった。
ボスヤスフォートは、その表情を見て、実に満足そうに笑った。
「いいね、その表情。任じた甲斐があるよ」
ジィッドは、ようやく声を絞り出した。
「主宰」
「何かな」
「総督、ですか」
「そうだ」
「ベイジとノウラン市とオータ市、ボルサ諸島列島を含む周辺地域の」
「そうだ」
「正式に」
「正式に」
ジィッドの頭の中で、書類が増えていく音がした。
王都ベイジ。
ノウラン市。
オータ市。
ボルサ諸島列島。
周辺衛星都市。
宿場町。
農村。
工房町。
倉庫街。
酒造税。
乳製品加工。
保存食。
産院。
保育所。
街道警備。
税収輸送。
裏社会監視。
GTM500騎以上。
今までは、事実上の責任だった。
それが今、正式な肩書になった。
ボスヤスフォートは、まるで軽い世間話のように言った。
「なに。今までやっていた仕事に、正式な肩書が追いついただけだ」
ジィッドは、心底嫌そうな顔をした。
「……それが、一番重いのですが」
「そうかな」
「はい」
「君はすでに、ノウラン市とオータ市、ボルサ諸島列島の税収を見ている。周辺都市の復興も見ている。銀月騎士団は二百騎以上のGTMを抱え、後方補給と街道警備と治安維持を同時に処理している。産院予算まで見ているそうだね」
「それは管理官が勝手に――」
「決裁印は君のものだ」
ジィッドは黙った。
記録はいつも残酷だ。
ボスヤスフォートは笑みを深めた。
「それに、ナカカラで君はよく分かっただろう。命令を守るだけでは、兵を残せない場面がある。盤面が壊れたとき、現地で誰が判断するか。その責任を負う者が必要だ」
「それで総督ですか」
「そうだ」
「騎士団長ではなく」
「騎士団長でもある」
「増えてるじゃないですか」
「減らしてほしかったのかい?」
ジィッドは、心底嫌そうな顔のまま答えた。
「できれば」
ラドが息を呑んだ。
ノエルが「団長……」という顔になる。
デコーズは、もう完全に笑っていた。
ボスヤスフォートは怒らない。
むしろ愉快そうだった。
「正直でいい」
「申し訳ありません」
「いや、いい。君が喜んで受けるなら、私は少し退屈だった」
「主宰、俺は退屈を埋めるためにいるわけではありません」
「そうだね。だが、面白く育っている」
ジィッドは、視線を落としそうになってこらえた。
「育成対象ですか」
「不服かい?」
「不安です」
「不安で済むなら、まだ余裕がある」
「主宰」
「何かな」
「総督職を受けた場合、銀月騎士団の前線運用はどうなりますか」
ボスヤスフォートの目が、わずかに細くなった。
ジィッドは続ける。
「銀月騎士団はすでに、ノウラン=オータ=ボルサ圏の防衛と補給、後方休養受け入れ、街道警備、税収輸送を担っています。総督職を兼ねるなら、前線投入可能な機動戦力はさらに選別が必要になります」
「ほら」
ボスヤスフォートは笑った。
「もう総督の考え方をしている」
ジィッドは、返す言葉に詰まった。
デコーズが壁際から口を挟む。
「言ったろ、ジィッド。お前さんはもう逃げられねえって」
「デコーズ隊長、今は黙っていてください」
「嫌だね」
ボスヤスフォートは二人のやり取りを、楽しそうに眺めていた。
「銀月騎士団の運用裁量は、従来通り君に残す。だが、総督としての責任も加える」
「加える」
「そうだ」
「減らす項目は」
「ない」
「でしょうね」
ジィッドは深く息を吸った。
ニナリスが静かに言う。
「マスター、呼吸が浅くなっています」
「深くしている途中だ」
「はい」
ボスヤスフォートが、ふと思い出したように言った。
「ああ、忘れていた」
ジィッドの背筋が再び冷える。
その言葉は危険だった。
主宰の「忘れていた」は、たいてい忘れていてほしいものだった。
「総督になるなら、階級も上げなければね」
ジィッドは動きを止めた。
「階級、ですか」
「そうだ。総督が少将のままでは、少し収まりが悪い」
「いえ、収まりは悪くても構いませんが」
「私が構う」
「主宰」
「取り合えず、中将に任命するよ」
また、時間が止まった。
ラドが今度こそ声を失った。
ノエルが目を見開いた。
ニナリスが、静かに追加記録を開始した。
デコーズは壁にもたれたまま、腹を抱える一歩手前の顔をしている。
ジィッドは、さっきよりさらに深い顔をした。
まじかぁ。
三回目だった。
ボスヤスフォートは、その顔を見て、さらに満足そうに笑う。
「いいね。今の表情もいい」
「主宰」
「何かな」
「総督だけでもかなり重いのですが」
「だから中将にする」
「理屈が殴ってきます」
「軍務には階級が必要だよ」
「少将でも軍務はできます」
「総督として周辺地域を統括し、二百騎規模のGTM戦力と都市税収を扱い、複数の軍政区域に裁量を持つなら、中将の方が通りがいい」
「通りが良すぎるのが問題です」
「では、なおさら良い」
ジィッドは、もう何も言えなかった。
ボスヤスフォートは正式な声音に変わる。
「ジョー・ジィッド・マトリア。星団暦3069年をもって、君を王都ベイジ、ノウラン市、オータ市、ボルサ諸島列島および周辺軍政地域の総督に任じる。同時に、中将へ昇任させる。銀月騎士団の指揮権は従来通り保持。現地税収、治安、補給、復興、街道、衛星都市、軍政管理。国家騎士団について、帝国より正式裁量を与える」
ジィッドは、もう逃げられないことを悟った。
姿勢を正す。
「……拝命いたします」
「よろしい」
ボスヤスフォートは、また柔らかく笑った。
「その顔もいい」
「主宰」
「何かな」
「せめて、顔で遊ばないでいただけると助かります」
「難しいね」
「難しいんですか」
「君は反応が良い」
デコーズが後ろでついに笑った。
ジィッドは絶対に振り返らなかった。
「なお、任命書と昇任辞令はすでに発行してある」
ボスヤスフォートが続けた。
「管理官庁へも通達済みだ」
ジィッドの顔から血の気が引いた。
「管理官庁へ?」
「うん」
「先に?」
「先に」
「……主宰」
「何かな」
「それはもう、受ける以外の選択肢がなかったのでは」
「今ごろ気づいたのかい?」
ジィッドは、心の中で天を仰いだ。
まじかぁ。
四回目だった。
通信が閉じた後、通信室にはしばらく沈黙が残った。
誰も最初に口を開きたがらない。
やがて、ラドが恐る恐る言った。
「……総督閣下?」
「やめろ」
ノエルも続ける。
「マトリア中将」
「やめろと言った」
デコーズがにやにや笑いながら言う。
「おめでとう、ジィッド総督中将殿」
「本当にやめてください」
「似合ってるぜ」
「似合いたくありません」
ニナリスが静かに言う。
「マスター。管理官庁より、総督就任および中将昇任に伴う初期決裁一覧が届いています」
ジィッドは動きを止めた。
「もう?」
「はい」
「何件だ」
「第一便で四百二十七件です」
ラドとノエルが同時に呻いた。
ニナリスが続ける。
「なお、昇任に伴う軍務関係の追加決裁が別便で届いています」
「別便」
「はい。二百十三件です」
ジィッドは、ゆっくりとデコーズを見た。
「デコーズ隊長」
「なんだ、総督中将殿」
「休めと言いましたよね」
「言ったな」
「先に休めと」
「言った」
「これは?」
デコーズは満面の笑みで答えた。
「仕事だな」
ジィッドは、深く、深く息を吐いた。
「記録はいつも残酷だな」
ニナリスが即座に訂正した。
「今回は記録、任命、昇任の三件です」
「三倍残酷だ」
デコーズの笑い声が、通信室に響いた。
こうして、命令違反の咎として。
あるいは、三十八年分の実績に追いついた肩書として。
ジョー・ジィッド・マトリアは、ノウラン市、スバース市、および周辺軍政地域の総督に任じられた。
さらに、中将へ昇任した。
本人の希望とは無関係に。
そして正式な責任は、いつも書類より少しだけ重い。