ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

101 / 110
晩餐会

/*/ 星団暦3069年・ノウラン=オータ=ボルサ軍政圏 総督府執務棟 /*/

 

 

 

 

「……なぜだ」

 

 ジョー・ジィッド・マトリアは、鏡の前で固まっていた。

 

 軍服ではない。

 

 礼装だった。

 

 銀月騎士団の白銀を基調にした総督中将用の正装。

 

 肩章が重い。

 

 飾緒が重い。

 

 襟が硬い。

 

 剣帯が妙に格式張っている。

 

 しかも、今日から正式に肩書が増えたせいで、徽章の数まで増えている。

 

 王都ベイジ。

 

 ノウラン市。

 

 オータ市。

 

 ボルサ諸島列島。

 

 周辺軍政地域。

 

 総督。

 

 中将。

 

 銀月騎士団団長。

 

 その全部が、服に乗っている気がした。

 

「なぜ、夕食が軍務になる」

 

 ジィッドは低く呟いた。

 

 背後で、ニナリスが静かに答える。

 

「マスターが総督に任じられたためです」

 

「総督は飯も普通に食えないのか」

 

「はい」

 

「はい、じゃない」

 

「本日の夕食は、ベイジ、ノウラン市、オータ市、ボルサ諸島列島、周辺衛星都市の行政代表、商業組合、酒造組合、乳製品加工組合、工房組合、街道警備代表、医療栄養品工場代表、旧ミグノシア議会系の名士、ならびにバッハトマ軍政管理官庁との会合会食です」

 

 ジィッドは鏡の中の自分を見た。

 

「多い」

 

「総督就任後、最初の顔合わせです」

 

「俺は書類で済ませたい」

 

「無理です」

 

「なぜ」

 

「人間は書類だけでは服従しません」

 

「痛いことを言うな」

 

 ニナリスは、ジィッドの襟元を整えながら、淡々と言った。

 

「ただし、礼儀作法については問題ありません」

 

「問題あるだろ。俺はこういう場が苦手だ」

 

「私が教えます」

 

 ジィッドは少しだけ振り返った。

 

「今から?」

 

「はい」

 

「間に合うのか?」

 

「最低限は」

 

「最低限」

 

「本日の目標は、失礼にならず、相手に過剰な期待を抱かせず、かつ総督としての威厳を損なわず、余計な約束をせずに退席することです」

 

「戦術目標みたいに言うな」

 

「会食は戦場です」

 

「嫌な真理を出すな」

 

 ニナリスは小さな卓に置かれた食器を示した。

 

 皿。

 

 杯。

 

 ナイフ。

 

 フォーク。

 

 スプーン。

 

 布巾。

 

 小さな焼き菓子。

 

 なぜか空の酒杯まである。

 

「まず、席に着く前に椅子を引かれても、驚かないでください」

 

「驚くか」

 

「前回、酒造組合との小会合で、椅子を引いた給仕を警戒されました」

 

「背後に立たれると反応する」

 

「総督晩餐会では、背後に給仕が立ちます」

 

「最悪だ」

 

「反応してはいけません」

 

「軍務か?」

 

「はい」

 

 ジィッドは深く息を吐いた。

 

「次」

 

「乾杯時、杯は一口だけで構いません。飲み干す必要はありません」

 

「酒造組合がいるのに?」

 

「酒造組合がいるからです。飲み干すと、次々と注がれます」

 

「罠か」

 

「会食です」

 

「同じだ」

 

「また、蒸留組合の代表が“総督閣下にぜひ”と特別樽を出してくる可能性があります」

 

「飲まない」

 

「正解です。ただし、拒絶ではなく評価を保留してください」

 

「どう言えばいい」

 

「“この香りは、戦場帰りの舌で雑に扱うべきではない。後日、正式に検分する”」

 

 ジィッドは目を細めた。

 

「それ、飲む予定が増えないか?」

 

「増えます」

 

「駄目じゃないか」

 

「しかし、その場で酔わされるより安全です」

 

「なるほど。撤退戦だな」

 

「はい」

 

 ニナリスは続ける。

 

「乳製品加工組合からは、総督就任記念の新作氷菓が出ます」

 

「アイスか」

 

「はい」

 

「それは食べる」

 

「食べ過ぎてはいけません」

 

「なぜ」

 

「子供向け配給品との比較を求められます」

 

「求められたら答える」

 

「答えると、新たな総督監修商品が生まれます」

 

 ジィッドは固まった。

 

「……食べ過ぎない」

 

「賢明です」

 

 その時、控室の扉が開き、ラドとノエルが入ってきた。

 

 二人とも礼装だが、ジィッドほど重くはない。

 

 ラドはジィッドを見るなり、口元を押さえた。

 

「総督閣下」

 

「言うな」

 

 ノエルも真顔で敬礼する。

 

「マトリア中将閣下、晩餐会場の準備完了です」

 

「お前まで言うな」

 

「軍務ですので」

 

「便利に使うな」

 

 ラドが卓上の食器を見る。

 

「礼儀作法講習ですか」

 

「そうだ」

 

「大丈夫ですよ、団長。ニナリスさんがついてますし」

 

 ジィッドは、わずかに安心しかけた。

 

 だが、ラドは続けた。

 

「問題は礼儀作法じゃなくて、団長が会食中にうっかり実務回答することです」

 

「どういう意味だ」

 

 ノエルが真剣に言う。

 

「商業組合が“今後とも総督府のご支援を”と言った時に、“では税率と補助金の再計算を明朝までに”などと返すのが危険です」

 

「駄目なのか」

 

「会食で仕事を増やさないでください」

 

「向こうが仕事の話を振るんだろ」

 

「会食では仕事の形をした挨拶が飛びます」

 

「卑怯だな」

 

「社交です」

 

「同じだ」

 

 ニナリスが静かに補足した。

 

「本日は“検討する”“承った”“後ほど担当官に確認させる”の三つを使い分けてください」

 

「便利だな」

 

「便利ですが、使いすぎると何も決めない総督に見えます」

 

「ならどうしろと」

 

「重要なものだけ“明日、書面で持ってこい”です」

 

 ラドが小さく笑った。

 

「結局仕事になりますね」

 

 ジィッドは額を押さえた。

 

「会食とは何なんだ」

 

「戦場です」

 

 ニナリスが再度言った。

 

 ジィッドは反論しなかった。

 

 

 

/*/ 晩餐会場 /*/

 

 

 

 会場は、かつてスバース市議会系の迎賓館だった建物を改修したものだった。

 

 天井が高い。

 

 照明が多い。

 

 壁には旧時代の装飾が残り、その上にバッハトマ軍政旗と銀月騎士団旗が並んでいる。

 

 長い卓。

 

 白い布。

 

 銀器。

 

 酒杯。

 

 皿の列。

 

 そして、人。

 

 多すぎる人。

 

 ジィッドが会場へ入ると、一斉に視線が向いた。

 

「ジョー・ジィッド・マトリア総督中将閣下」

 

 司会役の管理官が、実に良い声で告げた。

 

 ジィッドは内心で思った。

 

 やめろ。

 

 だが顔には出さない。

 

 ニナリスが半歩後ろにいる。

 

 彼女の存在だけで、ジィッドの背筋はどうにか保たれていた。

 

 礼。

 

 歩幅。

 

 視線。

 

 椅子。

 

 杯。

 

 全部、ニナリスが事前に教えた通りに処理する。

 

 ジィッドは席に着いた。

 

 右にスバース商業組合長。

 

 左にノウラン乳製品加工組合の代表。

 

 正面に旧ミグノシア議会系の名士。

 

 少し離れて酒造組合。

 

 さらにその向こうに軍政管理官庁。

 

 完全に包囲されていた。

 

 ジィッドは小声で言った。

 

「これは布陣が悪い」

 

 ニナリスが背後で囁く。

 

「中央突破は不要です」

 

「撤退路は」

 

「ありません」

 

「最悪だ」

 

 司会が乾杯を告げる。

 

 全員が杯を上げた。

 

「総督閣下のご就任と、ベイジとノウラン=オータ=ボルサ圏のさらなる繁栄を祝して」

 

 ジィッドも杯を上げる。

 

 飲む。

 

 一口。

 

 飲み干さない。

 

 酒造組合長が目を光らせている。

 

 危ない。

 

 飲み干していたら、次が来ていた。

 

 ニナリスの教えは正しかった。

 

 会食が始まる。

 

 最初に来たのは、乳製品加工組合の代表だった。

 

「総督閣下、本日は就任記念として、新作の氷菓をご用意いたしました」

 

 来た。

 

 ジィッドは皿に載せられた白い氷菓を見る。

 

 香りは良い。

 

 牛乳の質も良い。

 

 多分うまい。

 

 だが、食べ過ぎると商品になる。

 

 ジィッドは一口だけ食べた。

 

 うまい。

 

 顔に出そうになる。

 

 危ない。

 

「よい出来だ」

 

 代表の顔が輝いた。

 

 ジィッドは続けた。

 

「ただし、これは戦場帰りの舌で雑に評価すべきものではない。後日、配給品と市場品の区分を含めて正式に検分する」

 

 代表は感激した。

 

「ありがとうございます!」

 

 ジィッドは内心で思った。

 

 仕事が増えた。

 

 次に来たのは酒造組合長だった。

 

「総督閣下、こちらは蒸留所の特別樽でして――」

 

「この香りは、戦場帰りの舌で雑に扱うべきではない。後日、正式に検分する」

 

 酒造組合長も感激した。

 

「光栄です!」

 

 ジィッドは内心で思った。

 

 同じ手で仕事が二つ増えた。

 

 ニナリスが背後で静かに言った。

 

「上手です」

 

「褒めるな。被害が増えている」

 

 ベイジの商業組合長が、滑らかな声で言う。

 

「総督閣下。商業区は、閣下のご裁量により大きく息を吹き返しました。今後とも、総督府のご支援を賜れればと」

 

 ジィッドは一瞬、税率表を思い浮かべた。

 

 危ない。

 

 口に出すところだった。

 

「承った」

 

 短く返す。

 

 商業組合長は微笑む。

 

「ありがたきお言葉」

 

 ジィッドは背後へ小声で言う。

 

「今のは?」

 

 ニナリスが答える。

 

「良い対応です」

 

「何も決めていないぞ」

 

「会食では、それが正解です」

 

「難しいな」

 

 旧ミグノシア議会系の名士が、静かに言った。

 

「総督閣下。三十八年前、ここがこのような形で復興するとは、誰も思っておりませんでした」

 

 会場の空気が、少しだけ変わった。

 

 軽い挨拶ではない。

 

 ジィッドも、それは分かった。

 

 名士は続ける。

 

「我々はバッハトマを歓迎したわけではありません。今も、心から受け入れているとは言えません」

 

 周囲がわずかに緊張する。

 

 ラドが壁際で息を呑む。

 

 ノエルの手が剣帯へ行きかけ、止まる。

 

 ジィッドは名士を見た。

 

「だろうな」

 

 短い返答だった。

 

 会場が静かになる。

 

 ジィッドは続けた。

 

「俺たちは占領軍だ。歓迎されると思っていたら、それは馬鹿だ」

 

 ニナリスは止めなかった。

 

 ジィッドは杯を置く。

 

「だが、畑は焼かせない。市場は動かす。働ける者には仕事を回す。働けない者は保護する。破壊活動は許さない。税は取る。だが、税を取るなら街道と水路と倉庫を守る」

 

 名士は黙って聞いていた。

 

「俺に言えるのは、それだけだ。忠誠を求める場ではない。飯が食える街を維持する。そのために、総督になった」

 

 言ってから、ジィッドは思った。

 

 違う。

 

 総督にされた。

 

 だが、ここで訂正すると格好がつかない。

 

 名士は、ゆっくり頭を下げた。

 

「十分でございます、総督閣下」

 

 ジィッドは困った顔をしそうになった。

 

 どう返せばいい。

 

 背後からニナリスの小さな声。

 

「礼を受けてください」

 

 ジィッドは頷いた。

 

「承った」

 

 会場の空気が、少し緩む。

 

 ラドが壁際で小さく息を吐いた。

 

 ノエルがぼそりと言う。

 

「今のは、総督っぽかったですね」

 

 ラドが返す。

 

「言うな。本人が傷つく」

 

 

 

/*/ 会食後 控室 /*/

 

 

 

 ジィッドは控室に戻った瞬間、椅子に沈んだ。

 

「戦場より疲れた」

 

 ラドが茶を差し出す。

 

「お疲れさまでした、総督閣下」

 

「やめろ」

 

 ノエルが記録板を見ながら言う。

 

「会食中に発生した追加案件は、氷菓検分、蒸留酒検分、商業区支援確認、旧議会系名士との定期会談、街道税率の再調整要望、産院寄付制度の整備、以上です」

 

「多い」

 

「少ない方です」

 

「嘘だろ」

 

 ニナリスが静かに言った。

 

「マスター、本日の礼儀作法は問題ありませんでした」

 

 ジィッドは顔を上げる。

 

「本当か」

 

「はい。椅子を引いた給仕を警戒しませんでした」

 

「そこからか」

 

「乾杯で飲み干しませんでした」

 

「助かった」

 

「氷菓を食べ過ぎませんでした」

 

「かなり耐えた」

 

「蒸留酒もその場で飲みませんでした」

 

「命拾いした」

 

「旧議会系名士への返答も、総督として適切でした」

 

 ジィッドは目を逸らした。

 

「俺は総督になったつもりはない」

 

「任命されています」

 

「記録はいつも残酷だな」

 

「今回は任命です」

 

「もっと残酷だ」

 

 ラドが笑った。

 

「でも、礼儀作法は大丈夫でしたね」

 

 ジィッドは、深く息を吐いた。

 

「ああ。ニナリスが教えてくれるからな」

 

 ニナリスは、少しだけ目を伏せた。

 

「はい。必要であれば、次回は舞踏会作法も」

 

 ジィッドの動きが止まった。

 

「舞踏会?」

 

 ノエルが記録板を見た。

 

「商業組合から、総督就任記念舞踏晩餐会の提案が来ています」

 

 ジィッドは、ゆっくり天井を見上げた。

 

「……撤退していいか」

 

 ニナリスが静かに答える。

 

「会食からの撤退は、手順が必要です」

 

「教えてくれるか」

 

「はい」

 

 ジィッドは目を閉じた。

 

「なら、大丈夫か」

 

 ラドが小さく笑う。

 

「大丈夫です。総督閣下」

 

「やめろと言った」

 

 控室に、短い笑いが広がった。

 

 戦場から戻った男は、今度は食卓で戦っていた。

 

 そして白銀の騎士の隣には、今日もニナリスがいた。

 

 礼儀作法も。

 

 撤退の手順も。

 

 必要なら、全部教えてくれる。

 

 だからジィッドは、嫌そうな顔をしながらも、次の書類へ手を伸ばした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。