/*/ 星団暦3069年 総督府執務棟 /*/
会食は終わった。
終わった、はずだった。
だがジィッドには、何かを食べたという実感がなかった。
皿は出た。
香りもあった。
肉も、魚も、野菜も、氷菓も、蒸留酒も、焼き菓子も、順番に運ばれてきた。
だが、そのたびに誰かが喋る。
商業組合が税率の話をする。
酒造組合が特別樽を差し出す。
乳製品組合が新作氷菓を総督監修商品にしようとする。
旧議会系名士が市民還元を探る。
管理官庁が予算配分を匂わせる。
食事ではない。
罠の合間に食器が置かれているだけだった。
控室に戻った瞬間、ジィッドは椅子に沈んだ。
「食った気がしない」
ラドが苦笑する。
「一応、全部召し上がってましたよ」
「食ったんじゃない。処理したんだ」
ノエルが記録板を閉じながら頷いた。
「会食処理ですね」
「その言い方をするな。余計に腹が減る」
ジィッドは天井を見た。
「Aレーションとは言わない」
ラドとノエルが顔を上げる。
ジィッドは疲れた声で続けた。
「Cレーションをくれ」
ラドが一瞬、真顔になった。
「総督中将が、就任晩餐会の後にCレーション」
「総督中将だから腹が減るんだ」
ノエルが小さく笑う。
「名言に聞こえなくもない」
「聞こえるな」
「記録します?」
「するな」
ニナリスが、静かにジィッドの横へ立った。
「マスター」
「なんだ」
「帰ったら、何か簡単なものをお作りします」
ジィッドは、そこでようやく少しだけ顔を上げた。
「頼む」
声に、本気の安堵があった。
「温かいものがいい」
「はい」
「量は多くなくていい。会食で腹は一応入っている。だが、飯を食った気がしない」
「では、軽い粥か、具を少なめにした汁物にします」
「それがいい」
ジィッドは、ラドとノエルを見る。
「お前らは平気なのか」
ラドは即答した。
「帰ったら軽く食べます」
ノエルも頷く。
「同じく。会食は食事ではなく任務なので」
「お前らもそう思ってたのか」
「思いますよ」
ラドが、少し遠い目をした。
「氷菓を食べた瞬間に、乳製品組合の代表が商品化の話を始めた時点で、味が消えました」
ノエルが続ける。
「蒸留酒も、香りを楽しむ前に税率と出荷量の話が来ました」
ジィッドは深く頷いた。
「飯に仕事を混ぜるな」
ニナリスが静かに言う。
「会食とは、仕事を食事の形にしたものです」
「本当に嫌な真理を出すな」
ラドが笑いながら椅子に腰を下ろす。
「でも、団長はよく耐えましたよ。怒らなかったし、飲まされなかったし、余計な約束も少なかった」
「少なかっただけで、増えたんだろ」
ノエルが記録板を見る。
「追加案件は五件です」
「五件」
「かなり少ないです」
「会食一回で五件増えるのを少ないと言うな」
ニナリスが補足する。
「通常であれば十件以上増える可能性がありました」
「会食はやはり戦場だな」
「はい」
ジィッドは、椅子の背にもたれた。
「戦場なら、せめて戦闘糧食を出してくれ」
ラドが吹き出す。
「晩餐会場でCレーションを開ける総督閣下」
「強いですね」
ノエルが笑いを堪えながら言う。
「旧議会系名士がどう反応するか見たいです」
「やるなよ」
ジィッドは真顔で釘を刺した。
「俺の机に“総督府公式携行食晩餐会”とかいう企画が来る」
ラドとノエルが同時に黙った。
あり得る。
この総督府では、妙な冗談はだいたい誰かが書類にする。
ニナリスが静かに言った。
「マスター。Cレーション晩餐会は、兵站教育行事として成立する可能性があります」
「成立させるな」
「承知しました」
「本当に承知してくれ」
ジィッドは立ち上がる。
礼装の肩が重い。
飾緒が邪魔だ。
剣帯も硬い。
軍服に戻りたい。
もっと言えば、今はただ、温かい汁物が欲しかった。
「帰るぞ」
ラドが敬礼する。
「はい、総督閣下」
「やめろ」
ノエルも続く。
「中将閣下、夜食の護衛をいたします」
「護衛はいらん。箸を持て」
「軍務ですので」
「便利に使うな」
控室を出ると、廊下の先では管理官が待っていた。
手には書類。
ジィッドは足を止めた。
「今はやめろ」
管理官は一礼する。
「明朝の予算確認会議の資料です」
「今はやめろと言った」
「お持ち帰り用です」
「食い物みたいに言うな」
ニナリスが一歩前に出た。
「管理官。マスターはこれより休息に入ります。資料は私が預かります」
管理官は即座に書類を差し出した。
「承知しました」
ジィッドはニナリスを見る。
「預かるのか」
「はい。帰ってからはお見せしません」
「助かる」
「ただし、明朝は確認していただきます」
「分かっている」
ジィッドは深く息を吐いた。
「まず飯だ」
ニナリスは、ほんの少しだけ柔らかい声で答えた。
「はい。帰ったら、すぐにお作りします」
その言葉だけで、ジィッドの足取りが少し軽くなった。
総督中将。
銀月騎士団団長。
ノウラン=オータ=ボルサ軍政圏の責任者。
七百騎強のGTMを抱える男。
それでも、会食の後に欲しいものは単純だった。
温かいもの。
静かな部屋。
仕事ではない飯。
ジィッドは廊下を歩きながら、ぽつりと言った。
「次の晩餐会には、懐にCレーションを忍ばせておく」
ラドが真顔で返す。
「団長、それは礼儀作法的にどうなんですか」
ニナリスが静かに答えた。
「非常時でなければ推奨しません」
「非常時だろ」
「空腹は非常時ではありません」
「俺にとっては非常時だ」
ノエルが笑った。
「では、次回までに“会食後夜食導線”を整備しましょう」
ジィッドは足を止めた。
「それだ」
ラドが頷く。
「総督府公式夜食導線」
「名前をつけるな」
ニナリスが記録する。
「会食後の軽食準備。マスター用、ラド様、ノエル様分も含む」
ジィッドは、少しだけ笑った。
「それなら許す」
その夜、総督府の公式記録には残らなかったが。
総督中将は、就任晩餐会の後、自室で温かい汁物を食べた。
それが、その日一番まともな食事だった。