/*/ 星団暦3069年 総督府執務棟 /*/
会食の後の夜食は、静かだった。
少なくとも、最初は。
ジィッドは礼装を脱ぎ、ようやく普通の軍服に戻っていた。
机の上には、ニナリスが作った温かい汁物と、軽く焼いたパン。
ラドとノエルにも同じものが出されている。
総督府公式晩餐会より、はるかに食事らしい食事だった。
ラドが汁物を一口飲み、ほっと息を吐いた。
「生き返る……」
ノエルも頷く。
「会食の料理より、こっちの方が食べた気がしますね」
ジィッドは深く同意した。
「飯は仕事の形をしていない方がいい」
ニナリスが静かに言う。
「名言ですね」
「記録するな」
「はい」
そこでラドが、ふと思い出したように顔を上げた。
「そう言えば、団長」
「なんだ」
「俺たちの給料、上げてくれたんですね」
ジィッドはパンを千切りながら、何でもないことのように答えた。
「ああ。お前たち大佐だからな」
部屋が止まった。
ノエルが匙を持ったまま固まる。
「え?」
ラドも固まる。
「は?」
そして二人同時に叫んだ。
「聞いてませんけど!?」
ジィッドは顔を上げた。
「そうだったか」
「そうだったか、じゃないですよ!」
ラドが立ち上がりかける。
「大佐!? 俺たちが!?」
ノエルも混乱している。
「待ってください。俺たち、少佐とか中佐の話も聞いてませんよね?」
ジィッドは少し考えた。
「総督府移行人事の別紙に入っていたはずだ」
「別紙!」
「また別紙!」
ラドとノエルの声が揃う。
ジィッドは汁物を飲んだ。
「総督府案件だ」
「便利に使う側にならないでください!」
ノエルが書類鞄を開ける。
「どこですか。その別紙」
ニナリスが静かに端末を操作する。
「総督府移行人事通達、別紙第七、銀月騎士団幕僚階級整理案です」
「七!?」
ラドが頭を抱えた。
「第七まであったんですか!?」
ニナリスは淡々と読み上げる。
「ラド・ベイカー、銀月騎士団総督府軍務補佐兼前線調整官。大佐待遇から大佐へ正式任官」
「待遇から正式任官……?」
「ノエル、銀月騎士団総督府行政軍務連絡官兼後方統制補佐。大佐待遇から大佐へ正式任官」
ノエルがゆっくり匙を置いた。
「……待遇って、何ですか」
ジィッドが言う。
「今まで仕事だけ大佐相当だった」
ラドが叫ぶ。
「それも聞いてませんけど!?」
「給料は上がっただろう」
「そこじゃない!」
ノエルが額を押さえる。
「つまり、俺たちは知らない間に大佐待遇で働かされて、知らない間に正式な大佐になって、知らない間に給料が上がっていた?」
ジィッドは頷いた。
「そうなるな」
「そうなるな、じゃないですよ!」
ラドが椅子に崩れ落ちる。
「任命式とか、辞令とか、そういうのは!?」
ジィッドは首を傾げた。
「やるか?」
「え」
「いまさらだが」
ラドとノエルが顔を見合わせた。
「いまさらでは……」
「ですよね……」
少し静かになった。
だが、ラドがすぐに復活した。
「いや、待ってください。大佐ってことは、部下からの扱いも変わるじゃないですか」
ジィッドは淡々と言う。
「もう変わっている」
「いつから!?」
「お前たちのところへ直接持ち込まれる書類が増えただろう」
ノエルが青ざめる。
「増えました」
「それだ」
「それだ、じゃない!」
ニナリスが静かに補足する。
「正式任官により、総督府内の決裁区分も一部変更されています」
ラドが恐る恐る聞く。
「一部って、どのくらいですか」
「ラド様は、街道警備、国家騎士団酒場利用規定、黒豹騎士団受入調整、撤退支援訓練計画の一次決裁権限」
「重い!」
「ノエル様は、スバース市通常部隊連絡、衛星都市守備隊調整、行政軍務間の議事録承認、旧議会系名士対応の軍務補助権限」
「重い!」
ジィッドは汁物を飲み干した。
「お前たちならできる」
ラドが恨めしそうに見る。
「団長、それ褒め言葉の形をした仕事の投擲ですよ」
「そうだ」
「認めた!」
ノエルが深く息を吐く。
「でも、給料が上がったのは事実なんですよね」
「上げた」
「なぜです?」
ジィッドは少しだけ視線を逸らした。
「仕事が増えたからだ」
ラドとノエルは黙った。
ジィッドは続ける。
「俺が総督中将になったせいで、お前たちの仕事も増えた。責任も増えた。なら給料を上げるのは当然だ」
ラドが、少しだけ表情を変えた。
「団長……」
ノエルも少し沈黙した。
ジィッドは言った。
「ただ、先に伝えるのを忘れていた」
「そこが問題なんですよ!」
空気がまた戻った。
ラドが匙を握り直す。
「任命式は、いまさらなのでいいです」
ノエルが頷く。
「ですが、せめて本人通知はしてください」
ジィッドは真面目に頷いた。
「分かった。次からは本人に伝える」
ニナリスが静かに言う。
「マスター。次の昇任予定者について、事前通知様式を作成します」
「次があるのか?」
「あります」
ラドとノエルが同時にジィッドを見る。
ジィッドは目を逸らした。
「総督府案件だ」
「便利に使いすぎです!」
その時、控室の扉が軽く叩かれた。
管理官が顔を出す。
「失礼します。ラド大佐、ノエル大佐。明朝の権限移行説明会の資料です」
二人が固まる。
「もう来た」
「早い」
管理官は涼しい顔で書類束を置く。
「大佐任官に伴い、部下への訓示案も必要になります」
ラドがジィッドを見る。
「団長、任命式いらないって言ったの撤回していいですか」
ノエルも頷く。
「辞令を受け取る前に訓示するのは、さすがに順番がおかしいです」
ジィッドは少し考えた。
「では、明朝やるか。簡単な任命式を」
ラドとノエルが顔を見合わせる。
「やるんですか」
「やる」
「いまさらでは?」
「いまさらだが、必要ならやる」
ニナリスが記録する。
「明朝、ラド様、ノエル様の大佐任命式。簡易式典。総督中将より辞令授与」
ジィッドはラドとノエルを見る。
「不満か」
二人は少しだけ困った顔をした。
それから、ラドが笑った。
「不満ではないです」
ノエルも言う。
「ただ、もう少し早く知りたかったです」
「悪かった」
ジィッドが素直に言うと、二人は逆に反応に困った。
ラドが小さく咳払いする。
「では、大佐として給料分は働きます」
ノエルも頷く。
「ただし、仕事を増やす時は先に言ってください」
ジィッドは頷いた。
「努力する」
「努力かぁ……」
管理官が静かに言う。
「なお、大佐任官に伴い、お二人の副官補選定も必要です」
ラドとノエルが同時に叫んだ。
「また仕事が増えた!」
ジィッドは少しだけ笑った。
「給料は上がっただろう」
「その言い方、最悪です!」
控室に笑いが広がる。
会食より、ずっと飯らしい夜食。
任命式より先に給料が上がっていた大佐二人。
総督中将になって、部下の階級まで勝手に整理していた団長。
そして、全部を記録しているニナリス。
ジィッドは空になった椀を見て、ようやく少しだけ満足そうに言った。
「やっぱり、飯はこういうのでいい」
ニナリスが答える。
「はい。明朝は任命式ですので、朝食は軽めにいたします」
ラドとノエルが同時に言う。
「聞いてませんけど!?」
ジィッドは、少しだけ肩をすくめた。
「今、言っただろう」
それは確かに、以前よりは少しだけましな通知だった。