/*/ 星団暦3069年 総督府執務棟 /*/
机の上に、報告書の表紙だけが並んでいた。
月次統治報告。
税収報告。
治安報告。
反乱兆候報告。
軍事稼働率報告。
GTM損耗報告。
周辺復興報告。
財団系商人監査報告。
ユーコン財団国債関連の影響分析。
主宰向け特別報告。
ジョー・ジィッド・マトリア総督中将は、しばらく表紙だけを眺めていた。
中身ではない。
まだ表紙だけだ。
それなのに、もう胃が重い。
「これは報告書ですか、育成課題ですか」
管理官は即答した。
「両方です」
「最悪だ」
「総督中将になられましたので、帝国中央への正式報告が必要です」
「今までも報告していただろう」
「現地報告です。これからは中央提出用の正規報告です」
「何が違う」
「形式、責任、閲覧者、保存年限、政治的意味です」
「全部重い」
ニナリスが静かに端末を開いた。
「マスター。主宰向け特別報告には、ナカカラ撤退支援行動後の判断基準も含める必要があります」
「またそれか」
「はい。現地通信網崩壊時の総督中将裁量権限の先例になります」
ジィッドは椅子に沈んだ。
「命令違反を先例にするな」
管理官が涼しい顔で言う。
「結果として部隊を残していますので」
「嫌な正論だ」
ラドが別の書類を差し出した。
「団長、ペール会長向けの報告案です」
「俺からペール会長にも出すのか」
「総督府財政と帝国国債関連の分析です」
「国債を買っているのはユーコン財団。予算を組むのはバッハトマ魔法帝国。銀月が受け取るのは帝国予算。そこまでは分かる」
「はい」
「そこから先が面倒なんだろう」
「はい」
ノエルが続けた。
「軍政圏の現地税収が増えたことで、中央軍事予算への依存が部分的に軽くなっています。ただし、帝国全体ではユーコン財団の国債購入が依然として重要です」
「つまり、俺たちは財団の金を直接触っていないが、帝国財政の一部としては関係している」
「その通りです」
「そして、税収が増えすぎると、ペール会長が面白がる」
管理官が頷いた。
「おそらく」
「主宰も面白がる」
「確実に」
ジィッドは目を閉じた。
「報告書を出すほど仕事が増える構造をどうにかしろ」
「報告しなければ、もっと増えます」
「なぜだ」
「中央が勝手に推測するためです」
「出すしかないじゃないか」
「はい」
ジィッドは低く呻いた。
「主宰向け特別報告の表題は?」
ニナリスが読み上げる。
「ナカカラ撤退支援行動後における軍政圏の戦力保持、税収維持、GTM配備、ならびに現地裁量権限の運用について」
「長い」
「短縮しますか」
「短縮してくれ」
管理官が言った。
「では、“総督中将裁量運用報告”で」
「それだと育成課題感が増す」
「では現状維持で」
「最悪だ」
/*/ 同日午後・総督府仮執務棟 他騎士団受入調整室 /*/
次の机には、別の地獄が置かれていた。
黒豹騎士団補給受入計画。
黒騎士団通過時補給路確保案。
バッハトマ騎士団休養地割当。
国家騎士団宿営・酒場利用規定。
GTM整備枠配分表。
病院・産院導線分離計画。
乱闘時賠償処理規定。
市民被害発生時責任分界表。
ジィッドは、最後の一枚を見て顔をしかめた。
「なんで他所の騎士団の酒場乱闘まで俺の仕事になる」
ラドが答える。
「総督府管内です」
「その言葉を禁止したい」
「禁止すると説明が長くなります」
「では禁止できないな」
ノエルが説明する。
「黒豹騎士団が入る場合、補給は第三衛星倉庫、整備は外環整備区画、宿場町になります」
「酒場は?」
「宿場町の指定酒場のみ」
「正しい」
ラドが書類をめくる。
「黒騎士団の場合は?」
ジィッドは一瞬だけ黙った。
「デコーズ隊長の部隊か」
「はい」
「酒場規定を二倍にしろ」
「二倍?」
「賠償基金も二倍」
「理由は」
「黒騎士団だからだ」
管理官が真顔で記録した。
「黒騎士団通過時、酒場・宿泊施設損害賠償基金を通常の二倍に設定」
「本当に書くな」
「必要です」
ニナリスが静かに言う。
「マスター。病院・産院との導線分離は重要です」
「分かっている。前線帰りの騎士団を産院の近くに通すな。負傷兵の搬送路と乳幼児配給路も分けろ」
「はい」
「あと、国家騎士団を名付き騎士団の下働きみたいに扱うな。街道警備と衛星都市守備は正式任務として明記しろ」
ラドが頷く。
「国家騎士団の士気維持ですね」
「そうだ。連中が腐ると、街道が腐る。街道が腐ると全部腐る」
管理官が目を輝かせた。
「名言ですね」
「使うな」
そこへ通信士が入ってきた。
「黒豹騎士団アーリィ大佐より、次回補給受入時の整備枠増加要請です」
ジィッドは即答した。
「却下」
通信士が固まる。
「即答ですか」
「整備枠は増やせない。黒豹の整備を増やすなら、国家騎士団の街道巡回が落ちる。街道を落として黒豹を軽くする意味はない」
ラドが問う。
「では代案は?」
「工場街から補助整備班を一時抽出。夜勤は三日まで。四日目は禁止。黒豹側には部品持ち込みを要求。こっちは場所と手を貸すが、在庫は使い切らせない」
「了解」
ノエルが苦笑した。
「総督中将になってから、他騎士団にも遠慮がなくなりましたね」
「遠慮すると、こっちの帳簿が死ぬ」
ジィッドは淡々と言った。
「俺は黒豹の味方ではあるが、黒豹の会計係ではない」
管理官が記録した。
「黒豹騎士団補給受入原則。友軍支援。ただし会計責任は別」
「それは書いていい」
/*/ 夕刻・総督府仮執務棟 非常時代理権限会議 /*/
最後の会議は、ジィッドが一番嫌がっていたものだった。
後継者。
代理権限。
非常時の職務分掌。
ジィッドが前線に出た場合、誰が総督府を動かすのか。
銀月騎士団の代理指揮官は誰か。
ノウラン市行政代理。
オータ市行政代理。
軍政管理官庁の非常時権限。
ニナリス不在時のデムザンバラ運用権限。
ラドとノエルの職務分掌。
管理官庁の独走をどう抑えるか。
ジィッドは、会議資料を閉じた。
「これは嫌だ」
管理官は頷いた。
「必要です」
「俺がいない間に管理官が勝手に仕事を増やす」
「必要な仕事が可視化されるだけです」
「その言い方を禁止すると前にも言った」
ニナリスが言う。
「マスター。非常時代理権限が定まっていない場合、前線出撃時に総督府機能が混乱します」
「分かっている」
「では決めましょう」
「逃げ道がないな」
「はい」
ラドが手を挙げた。
「総督代理は誰にします?」
ジィッドは少し考えた。
「単独代理は置かない」
管理官が顔を上げる。
「理由は」
「誰か一人にすると、そいつが潰れるか、管理官庁がそいつを担いで勝手に走る」
管理官は否定しなかった。
「では合議制ですか」
「三者代理だ」
ジィッドは指を折る。
「管理官庁代表。軍務代表。市政代表。三者の合議で動かす」
ノエルが言う。
「軍務代表は?」
「ラド」
ラドが固まる。
「俺ですか」
「お前だ」
「大佐になったばかりなんですけど」
「だからだ」
ノエルが警戒する。
「市政代表は?」
「お前」
「やっぱり」
「行政軍務連絡官だろう」
「名前が重いんですよ」
「仕事も重い」
管理官が確認する。
「管理官庁代表は、こちらから選定します」
「選定するな。俺が承認する」
「承知しました」
「それと、三者のうち二者同意で通常非常時対応」
ニナリスが記録する。
「単独代理なし。三者合議制。重要事項は全員一致」
「そうだ」
ラドが苦い顔をした。
「団長、管理官庁の独走を警戒してますね」
「している」
管理官は穏やかに言う。
「必要な仕事が増えるだけですが」
「だから信用しきらない」
「賢明です」
「認めるな」
ノエルが次の項目を見る。
「銀月騎士団の代理指揮官は?」
ジィッドは即答しなかった。
「前線に俺が出る場合、銀月本隊の代理はラド。後方銀月の管理はノエルと管理官庁で見る。ただしデムザンバラは俺とニナリス以外で動かさない」
ニナリスが静かに補足する。
「ニナリス不在時のデムザンバラ運用権限は凍結。整備・保全のみ許可。起動戦闘は禁止」
「そうだ」
ラドが頷く。
「デムザンバラを代理で出すのは無理ですね」
「無理だ。騎体も騎士も壊れる」
ノエルが次を見る。
「ノウラン市行政代理」
「ノウラン管理官長。だが産院配給路と保存食工場の優先順位は固定。勝手に変えるなと明記しろ」
管理官が頷いた。
「承知しました」
「俺が死んでいる場合は三者合議制で決定」
ラドが嫌そうな顔をした。
「死んでいる場合とか言わないでください」
「書類には必要だ」
ニナリスが記録する。
「総督死亡または通信途絶時の規定として記載」
「もっと嫌になった」
/*/ 会議後 廊下 /*/
会議が終わった頃には、外は暗くなっていた。
ジィッドは廊下を歩きながら、深く息を吐いた。
「報告書、他騎士団調整、代理権限。全部、戦闘より疲れる」
ラドが苦笑する。
「でも、決めておかないと前線に出られませんからね」
「前線に出るために後方の仕事が増える」
ノエルが言う。
「総督中将ですので」
「お前らまで言うな」
ニナリスが静かに言った。
「マスター。本日の決定により、マスター不在時の総督府機能停止リスクは低下しました」
「勝利判定か」
「はい」
「嬉しくない勝利だな」
管理官が後ろから言った。
「なお、三者代理制の運用試験会議を――」
「作るな」
「必要です」
「作るな」
「では図上演習として」
「言い換えるな」
ラドが小さく笑う。
「団長、会議じゃなくて演習なら少しはましでは?」
ジィッドは足を止めた。
「……演習なら、まだましか」
管理官が即座に記録する。
「三者代理制図上演習、来週実施」
「早い」
「必要です」
「管理官」
「はい」
「お前たちは本当に仕事を増やすのが上手いな」
管理官は穏やかに答えた。
「必要な仕事が可視化されるだけです」
ジィッドは目を閉じた。
「その言い方を禁止すると、前にも言った」
ニナリスが静かに言う。
「記録上、三回目です」
「記録はいつも残酷だな」
廊下の外には、夜の軍政圏が広がっていた。
街道の灯。
衛星都市の倉庫。
オータの工場。
ノウランの保存食工場。
産院の白い灯。
そして、それらを守る700騎強のGTMと、書類の山。
ジィッドは、その全てを見て、低く呟いた。
「総督少将になって一番増えたのは、俺がいなくても回る仕組みを作る仕事か」
誰も否定しなかった。
それは、嫌になるほど正しい答えだった。