ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

11 / 16
デムザンバラ安全運用基準策定、聴取

バランシェ邸

 

 

 バランシェ邸へ向かう車中で、ジィッドは三度、目的書を読み返した。

 

 ニナリスが右隣に座っている。

 整備班長は向かいの席で、技術質問項目を確認していた。

 

 車内は静かだった。

 

 静かすぎて、ジィッドは少しだけ耐えきれなくなった。

 

「……遠足ではないな」

 

「軍務です」

 

 ニナリスが即答した。

 

「そう言うと思った」

 

「ジィッド様が、そう言わせるような発言をされました」

 

「手厳しい」

 

 整備班長が端末から顔を上げずに言った。

 

「団長。バランシェ邸に着いたら、余計なことは言わないでください」

 

「余計なこと?」

 

「剣聖騎が泣いているとか、俺は剣聖ではないとか、アウクソー殿を前にして詩的に落ち込むとかです」

 

「俺はそんなに信用がないのか」

 

「戦場ではあります」

 

「戦場以外は?」

 

「今回の件では、要監視です」

 

 ニナリスが静かに頷いた。

 

「同意します」

 

「君たち、本当に容赦がないな」

 

「軍務ですので」

 

 その便利な言葉で、車内の会話は終わった。

 

 やがて、バランシェ邸が見えた。

 

 ただの邸宅ではない。

 

 美術品のような静けさと、研究施設のような緊張感が同居している。

 華やかで、冷たく、どこか生物めいている。

 

 ジィッドは窓の外を見ながら、息を吐いた。

 

「ここが、か」

 

 血筋も、名も、技術も、ファティマも。

 星団のあまりに多くのものが、ここを通っている。

 

 その場所に、血筋のない若い騎士が、鹵獲騎の運用相談で来る。

 

 場違いだ。

 

 だが、来た。

 

 デムザンバラを軍務にするために。

 ニナリスに背負わせすぎないために。

 そして、自分が褒美で与えられた力を、自分の責任へ変えるために。

 

 車が止まった。

 

 案内役に導かれ、ジィッドたちは邸内へ入った。

 

 廊下の先で、すでに人の気配が重なっていた。

 

 モラード・カーバイト博士。

 ナトリウム・シング・桜子博士。

 プリズム・コークス博士。

 サリタ・アス・ジンク博士。

 

 名を聞くだけで、整備班長が無意識に背筋を伸ばすような面々だった。

 

 そして、その場の中央にエストが立っていた。

 

 黒騎士のファティマ。

 

 まだ専用区画へ移されてはいない。

 この日は久しぶりに会う姉妹ファティマたちとの交流があるらしく、メンテナンス前の静かな時間として、彼女は廊下に立っていた。

 

 その背後に、アララギ・ハイトがいた。

 

 エストのマントを持って。

 

 護衛役として。

 

 ……持ってはいた。

 

 だが、明らかに様子がおかしい。

 

「いえ、ですから、私はバッハトマの者ですので、バランシェ博士の御屋敷に滞在するなどというのは、つまりその、御迷惑をおかけする可能性が極めて高く、いえ、これは護衛上の判断でもありまして、ええ、ですので、エスト殿のメンテナンスが終わるまで、私は外で待機を――」

 

 ハイトは、支離滅裂だった。

 

 原因はすぐ分かった。

 

 ミース・シルバー・バランシェが、少し離れた位置で穏やかに立っている。

 

 美しい。

 

 それだけでは足りない。

 

 そこにいるだけで、人間の語彙を数段奪っていくような人物だった。

 

 ハイトは完全に魅入られていた。

 

 護衛として気を張っている。

 バッハトマの者として、バランシェ邸に余計な負担をかけてはならないとも本気で考えている。

 エストのマントを持つ手も、任務としては正しい位置にある。

 

 だが、視線が泳ぐ。

 言葉が余る。

 理性が姿勢だけで何とか踏みとどまっている。

 

 その前で、バランシャ博士が困ったように眉を上げていた。

 

「外で、ですか」

 

「はい。私は外で待機いたします。庭先、門前、壁際、あるいは敷地外でも結構です。エスト様のメンテナンスが終わるまで、私はそこにおりますので」

 

「エストのメンテナンス自体は、ダッカスのフルオーバーホールより短いですよ」

 

 バランシェ博士は、穏やかに言った。

 

「ダッカスの方は重整備区画で進めているのでしょう?」

 

「はい。ダッカスは、黒騎士団および当方整備班が――」

 

「こちらではエストのメンテナンスが主です。とはいえ、検査、調整、姉妹たちとの交流、博士たちの確認もあります。すぐ終わるものではありません」

 

「はい。ですので、私は外で――」

 

「ご飯どうするんですか?」

 

 廊下に沈黙が落ちた。

 

 ジィッドは思わず目を閉じた。

 

 整備班長は顔を逸らした。

 肩が少し震えている。

 

 ニナリスは淡々と観察していた。

 

「心理負荷が高い状態です」

 

「記録しなくていい」

 

 ジィッドは小声で言った。

 

 ハイトは硬直したまま、かすれた声で言った。

 

「食事は、その、携行糧食を……」

 

「何日分を?」

 

「……現時点では持っておりませんが、調達を」

 

「お風呂は?」

 

「……川、などがあれば」

 

「ここは軍事演習地ではありませんよ」

 

「はい」

 

「寝る場所は?」

 

「立哨しながら仮眠を」

 

「倒れますよ」

 

「倒れません。護衛ですので」

 

「人間は倒れます」

 

 バランシェ博士の声は穏やかだった。

 

 だが、言っていることは完全に正論だった。

 

 ハイトは、もう何も言い返せなくなっていた。

 

 しかし屋敷内に入るとも言えない。

 ミースがいる。

 バランシェ邸である。

 エストの護衛である。

 バッハトマの者である。

 

 彼の中で、責任感と緊張と美への動揺が絡まり、完全に身動きが取れなくなっていた。

 

 ジィッドは、少しだけ同情した。

 

 かなり同情した。

 

 その上で、これは駄目だな、と思った。

 

「ハイト」

 

 声をかけると、ハイトがぎくりと振り向いた。

 

「は、はい、ジィッド団長」

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫です。私は護衛任務上、極めて冷静に状況を判断しており、バランシェ博士の御屋敷に御迷惑をおかけしないため、屋外待機という合理的な判断を――」

 

「支離滅裂になってるぞ」

 

「なっていません!」

 

 即答だった。

 

 だが、声が裏返っていた。

 

 整備班長が低く呟く。

 

「なっていますね」

 

 ニナリスも静かに言う。

 

「なっています」

 

 ハイトは絶望したような顔をした。

 

「ニナリス殿まで……」

 

 ジィッドはモラード博士の方へ向き直り、丁寧に頭を下げた。

 

「お手数ですが、庭にテントを張らせていただいてもよろしいでしょうか」

 

 ハイトが跳ねた。

 

「じじじ、ジィッド団長!」

 

 ジィッドは手で制した。

 

「このありさまでは、無理に屋敷内に入れるとご迷惑をお掛けしそうです」

 

「団長!」

 

「普段はもう少し落ち着いているんですが、緊張しすぎているようです」

 

「落ち着いています! 私は落ち着いています!」

 

「その声量で言うことではない」

 

 ジィッドは冷静に返した。

 

 バランシェ博士は、ハイトを見て、ジィッドを見て、それから少し困ったように笑った。

 

「庭にテントですか」

 

「可能であれば、敷地内の隅で。警備動線や御屋敷の運用に支障がない場所を御指定いただければ、こちらで設営と撤収を行います。食事や水、衛生面はこちらで責任を持ちます」

 

「そこまでしなくても、客室はありますよ」

 

「ありがとうございます。ただ、本人がこの状態ですので」

 

 ジィッドはハイトを見た。

 

 ハイトはバランシェ博士を見ないようにしている。

 見ないようにしているせいで、逆に不自然に視線が固定されていた。

 

 バランシェ博士は穏やかに微笑んでいる。

 

 ハイトの耳が赤くなった。

 

 ジィッドは深く頷いた。

 

「はい。無理です」

 

「団長!」

 

 ハイトが悲鳴のような声を上げた。

 

「俺も気持ちは分かる」

 

「分からないでください!」

 

「分かる。デムザンバラを初めて見た時、俺も少しおかしくなった」

 

「比較対象がGTMなのは、慰めになっているのでしょうか!」

 

「微妙だな」

 

 整備班長が、ついに小さく噴き出した。

 

 ニナリスは端末を下げたまま、平静に言った。

 

「ハイト様の心理状態を考慮すると、屋敷内滞在より屋外待機の方が安定する可能性はあります。ただし、食事、睡眠、衛生、警備連絡手段を確保する必要があります」

 

「ほら、ニナリス様もこう言っています!」

 

「屋外で倒れることには反対です」

 

「……はい」

 

 ハイトはしおれた。

 

 バランシェ博士は少し考えた後、頷いた。

 

「庭の東側に、管理棟へ近い芝地があります。そこなら警備動線にも大きく干渉しません。テントを張るなら、そこを使ってください」

 

「ありがとうございます」

 

 ジィッドは頭を下げた。

 

「ただし、食事は屋敷の者に任せなさい。外で携行糧食だけを食べる必要はありません」

 

「いえ、そこまで御迷惑を――」

 

「ご飯をどうするか聞いたら支離滅裂になった人に、食事管理を任せる方が迷惑です」

 

 バランシェ博士は穏やかに言った。

 

 ハイトは完全に沈黙した。

 

 ジィッドは小声で言う。

 

「博士の方が容赦ないな」

 

「正論ですので」

 

 ニナリスが返す。

 

 その時、ジィッドは廊下の奥で動く博士たちの姿を見た。

 

 モラード・カーバイト。

 ナトリウム・シング・桜子。

 プリズム・コークス。

 サリタ・アス・ジンク。

 

 ファティマとGTMに関わる者なら、名を聞くだけで胃が縮むような面々である。

 

 ジィッドは思わず呟いた。

 

「そうそうたるメンバーですね」

 

 整備班長が、無言で何度も頷いた。

 

 ジィッドは、隣のニナリスを見た。

 

「引退したクープ博士もいらっしゃったら、俺のニナリスも見てもらえたのに。残念だな」

 

 言ってから、少しだけ本音が混じったと自覚した。

 

 ニナリスが即座に答える。

 

「マスター。バッハトマの主力であるダッカスとデムザンバラが、両方動けない状況は困ります」

 

「それはそうだな」

 

 ジィッドは素直に頷いた。

 

「ダッカスはオーバーホール中。デムザンバラもノウラン市。俺たちはここにいる。確かに、この上ニナリスまで本格検査に入ったら、デコーズ隊長に蹴られる」

 

「蹴られるだけでは済まない可能性があります」

 

「怖いことを言うな」

 

「軍務ですので」

 

「便利だな、本当に」

 

 ニナリスは少しだけ目を伏せた。

 

「ただし、簡易的な確認であれば、後ほど相談の余地はあります」

 

 ジィッドは瞬きをした。

 

「いいのか」

 

「私はデムザンバラの運用を担います。私自身の負荷状態を把握することも軍務です」

 

「……そうか」

 

「はい」

 

 ジィッドは、少しだけ笑った。

 

「なら、後でお願いしてみよう。無理のない範囲で」

 

「はい」

 

 バランシェ博士が、そこで静かに口を開いた。

 

「ハイト様」

 

「は、はい!」

 

 ハイトの背筋が、勢いよく伸びた。

 

 手にしたエストのマントまで、ぴんと張る。

 

「エスト様の護衛、よろしくお願いいたします」

 

「はい! 命に代えても!」

 

「命には代えないでください」

 

「はい!」

 

「倒れないように」

 

「はい!」

 

「お食事も、きちんと」

 

「はい!」

 

 ジィッドはハイトを見た。

 

「……命令系統が変わったな」

 

「変わっていません!」

 

「今の返事は完全にバランシェ博士への返事だったぞ」

 

「違います!」

 

 ハイトは必死に否定した。

 

 だが、説得力はなかった。

 

 バランシェ博士は肩をすくめる。

 

「では、エストのメンテナンスは予定通り進めます。ハイトさんの待機場所は後で案内させます」

 

「ありがとうございます。お手数をおかけします」

 

 ジィッドが頭を下げると、バランシェ博士は穏やかに頷いた。

 

「あなた方は、アウクソーに会うのでしたね」

 

「はい」

 

 ジィッドの表情が引き締まる。

 

 ミースが静かに言った。

 

「目的書は拝見しました。アウクソーに会う前に、一つだけ確認します」

 

「はい」

 

「あなたは、アウクソーに何を求めますか」

 

 ジィッドは、用意していた答えを言いかけた。

 

 だが、やめた。

 

 目的書の文言をそのまま読むことはできる。

 しかし、それでは逃げになる。

 

 ニナリスが隣にいる。

 整備班長もいる。

 ハイトも、まだエストのマントを持ったまま聞いている。

 

 ジィッドは言った。

 

「剣聖の夢ではありません」

 

 バランシェ博士は黙っている。

 

「俺は、シュペルターを扱えません。だから、デムザンバラにしました。出力を落とし、ピークを封じ、低中域を太くして、俺でも扱える機体にした」

 

 彼は一度、ニナリスを見た。

 

「その判断を、ニナリスに背負わせています。俺は、それを理解したい。何を捨て、何を残すべきかを知りたい。アウクソー様に求めるのは、剣聖騎を本来の姿に戻す知識ではありません。剣聖ではない騎士が、剣聖騎の残骸で部下を生かすための知見です」

 

 バランシェ博士はしばらくジィッドを見ていた。

 

 やがて、静かに頷いた。

 

「よろしいと思います」

 

 ハイトが小さく息を吐いた。

 

 なぜお前が緊張している、という目で整備班長が見る。

 

 ハイトは小声で言った。

 

「いや、今のは私でも緊張します」

 

「支離滅裂よりはましだ」

 

「それは忘れてください」

 

「記録しません」

 

 ニナリスが言うと、ハイトは本気で安堵した。

 

 ミースは少しだけ微笑み、奥の扉へ視線を向けた。

 

「アウクソーは、こちらです」

 

 ジィッドは一度、深く息を吸った。

 

 ニナリスが隣に立つ。

 整備班長が端末を抱え直す。

 

 ハイトはエストのそばに残った。

 マントを持ったまま、今度こそ護衛らしい姿勢を取ろうとしている。

 ただし、ミースが歩くたびに一瞬視線が動くので、完全には成功していなかった。

 

 扉が開く。

 

 その向こうの部屋は、静かだった。

 

 白い光が満ちている。

 

 研究室でありながら、礼拝堂のようでもあった。

 

 その中央に、アウクソーがいた。

 

 ジィッドは足を止めた。

 

 言葉が出なかった。

 

 美しい、では足りない。

 

 エストとは違う。

 ニナリスとも違う。

 

 そこにいるのは、剣聖騎の記憶そのもののようだった。

 

 シュペルターを、ただの機体としてではなく、ひとつの響きとして知っている存在。

 

 ジィッドは、反射的に胸の奥が疼くのを感じた。

 

 憧れ。

 劣等感。

 羨望。

 危険な熱。

 

 アウクソーを見た瞬間、分かった。

 

 これは、危ない。

 

 デコーズが言った通りだった。

 

 剣聖の夢を見るな。

 

 ジィッドは拳を握った。

 

 その横で、ニナリスが静かに言った。

 

「ジィッド様」

 

 たった一言。

 

 それで戻れた。

 

 ジィッドは深く頭を下げた。

 

「銀月騎士団、ジョー・ジィッド・マトリアです。こちらはファティマ・ニナリス、そしてデムザンバラ整備班長です。本日は、旧シュペルター系統の運用知見について、お話を伺いに参りました」

 

 アウクソーは、ジィッドを見た。

 

 そして、ニナリスを見た。

 

 次に、整備班長の端末を見た。

 

 最後に、もう一度ジィッドを見る。

 

「デムザンバラ」

 

 その声は静かだった。

 

「シュペルターではなく、そう呼ぶのですね」

 

「はい」

 

 ジィッドは答えた。

 

「俺は、シュペルターを扱えません」

 

 アウクソーの表情は変わらない。

 

「だから、名を変えたのですか」

 

「はい」

 

「逃げるために?」

 

 鋭い問いだった。

 

 ジィッドの喉が一瞬詰まる。

 

 だが、逃げなかった。

 

「逃げるためでもあります」

 

 ニナリスの目が、わずかに動く。

 

 整備班長もジィッドを見た。

 

「シュペルターだと思えば、俺は剣聖の夢を見る。自分が選ばれたような錯覚をする。だから、名を変えました」

 

 ジィッドは続けた。

 

「ですが、逃げるだけではありません。デムザンバラとして戦場へ出し、部下を帰すためです」

 

 アウクソーは黙って聞いていた。

 

「ノウランで七騎落としました。ですが、それはデムザンバラの耐久性とニナリスの調整があってこそです。俺の技量だけではありません」

 

「それを、悔しいと思いますか」

 

「思います」

 

 即答だった。

 

「デコーズ隊長は実力で黒騎士になった。俺は褒美で剣聖騎を貰った。その差が悔しい。ですが、悔しいからこそ、勉強しに来ました」

 

 部屋が静まり返る。

 

 アウクソーは、少しだけ目を伏せた。

 

「ニナリス」

 

 呼ばれたニナリスが、静かに応じる。

 

「はい」

 

「あなたは、それでよいのですか」

 

 問いは、ジィッドではなくニナリスへ向けられた。

 

 ニナリスは一拍置いた。

 

「よくはありません」

 

 ジィッドは黙っていた。

 

「私は、ジィッド様のファティマです。デムザンバラを調整し、ジィッド様を生還させることは私の役目です。アウクソー様に知見を求めることは、私にとって不快です」

 

「では、なぜ来たのです」

 

「必要だからです」

 

 ニナリスは静かに言った。

 

「私はジィッド様を生還させなければなりません。銀月騎士団を帰さなければなりません。そのために必要な知見があるなら、私はそれを拒みません」

 

 アウクソーは、ニナリスを見つめていた。

 

「あなたは、シュペルターを殺しています」

 

 その言葉に、部屋の空気が凍った。

 

 ジィッドが一歩出かける。

 

 だが、ニナリスが目だけで止めた。

 

 彼女は答えた。

 

「はい」

 

 静かな肯定。

 

「私は、ジィッド様を生かすために、シュペルターを殺しています」

 

 アウクソーは何も言わない。

 

 ニナリスは続けた。

 

「ですが、殺しすぎたくありません。残すべき反応を残したい。封じるべき危険を封じたい。その判断のために、あなたの知見が必要です」

 

 整備班長が、端末を握り直した。

 

 ジィッドは、何も言えなかった。

 

 自分が言うべきことを、ニナリスが言った。

 

 しかも、逃げずに。

 

 アウクソーは、長い沈黙の後、わずかに頷いた。

 

「分かりました」

 

 ジィッドは息を吐きかけた。

 

 だが、アウクソーの次の言葉で止まった。

 

「ただし、最初に訂正します」

 

「訂正?」

 

「あなた方は、シュペルターを殺しているのではありません」

 

 アウクソーは静かに言った。

 

「シュペルターとしては、殺している。ですが、デムザンバラとしては、まだ生まれようとしている途中です」

 

 ジィッドは言葉を失った。

 

 ニナリスも、わずかに目を上げる。

 

 アウクソーは整備班長の端末へ視線を向けた。

 

「質問項目を見せてください」

 

 整備班長が、すぐに端末を差し出す。

 

「こちらです。ピーク領域封鎖時に残すべき反応、低中域トルク補正の限界、フレーム熱逃げ、駆動伝達系負荷、ファティマ側負荷判断基準、騎士側心理負荷管理――」

 

「よい項目です」

 

 整備班長が一瞬、目を丸くした。

 

「ありがとうございます」

 

「まず、ピーク領域を完全に封じるのは危険です」

 

 ジィッドが反射的に顔を上げる。

 

「使えということですか」

 

「違います」

 

 アウクソーは首を横に振った。

 

「使わないために、残すのです」

 

 部屋の空気が変わった。

 

 アウクソーは、出力曲線を表示させた。

 

 尖った山。

 封じられた高域。

 太らされた低中域。

 

「完全に封じると、騎体は逃げ場を失います。ピークへ向かう反応をすべて殺すと、低中域に負荷が滞留します。あなた方が右肩と左脚に負荷集中を見たのは、その兆候です」

 

 整備班長が食いついた。

 

「やはり、熱逃げだけではない?」

 

「はい。出力ではなく、反応の逃げ場です」

 

「ピークを使わないが、ピークへ向かう道は細く残す?」

 

「その通りです」

 

 アウクソーはジィッドを見た。

 

「あなたは、その道を踏んではいけません」

 

「はい」

 

「ですが、道を消してはいけません」

 

 ジィッドは、その言葉を胸の奥で反芻した。

 

 踏んではいけない。

 だが、消してはいけない。

 

 剣聖の領域を、自分のために殺しきってはいけない。

 

 それは技術の話であり、同時に、心の話でもあった。

 

 ニナリスが静かに尋ねる。

 

「では、封鎖ではなく、警告領域として残すべきですか」

 

「はい。騎士が踏み込む前に、ファティマ側が明確に感知できる形で残す。完全遮断ではなく、細い逃がしとして」

 

「ジィッド様の反応速度では、踏み込んだ瞬間に危険です」

 

「だから、踏み込ませない」

 

 アウクソーは言った。

 

「あなたが止めるのです」

 

 ニナリスの表情が、ほんの少しだけ引き締まる。

 

「はい」

 

 ジィッドは、静かに息を吐いた。

 

「俺は、その領域に入らない」

 

「入ってはいけません」

 

「だが、機体のために残す」

 

「はい」

 

 ジィッドは、少しだけ笑った。

 

「難しいな」

 

 アウクソーは答えた。

 

「剣聖騎を剣聖ではない騎士が使うのです。難しくなければ、危険です」

 

 その言葉に、整備班長が深く頷いた。

 

「実に正しい」

 

 ジィッドは苦笑した。

 

「君は厳しい話になると元気だな」

 

「整備できる話になってきましたので」

 

 ニナリスも端末に記録している。

 

「ピーク領域は完全封鎖ではなく、逃がしとして残す。騎士側使用は禁止。ファティマ側警告領域として再定義」

 

 ジィッドは、その記録を見た。

 

 シュペルターを殺してデムザンバラにする。

 そう思っていた。

 

 だが、違うのかもしれない。

 

 殺しているだけではない。

 生まれようとしている途中。

 

 その言葉は、彼の胸の奥に深く刺さっていた。

 

 アウクソーは次の項目へ進んだ。

 

「低中域トルク補正についてですが――」

 

 その瞬間、ジィッドは理解した。

 

 ここからが本題だ。

 

 剣聖の夢ではない。

 ファティマを奪う話でもない。

 技術と、責任と、軍務の話。

 

 ニナリスが隣にいる。

 

 整備班長が記録している。

 

 アウクソーが旧シュペルターの記憶を開く。

 

 そして自分は、剣聖ではない騎士として、それを聞く。

 

 ジィッドは姿勢を正した。

 

「お願いします。アウクソー様」

 

 アウクソーは静かに頷いた。

 

「では、デムザンバラの話をしましょう」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。