ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん   作:ぶーく・ぶくぶく

114 / 116
ファティマは、マスターがいて良いですよね

/*/ 星団暦3070年・総督府執務棟 夜間控室 /*/

 

 

 

 ヨシワラ・シズナは、泣いてはいなかった。

 

 ただ、目が赤かった。

 

 泣いた後ではない。

 

 泣く前の目だった。

 

 総督府の夜間控室には、誰もいない。

 

 正確には、誰もいないはずだった。

 

 だが、そこにはニナリスがいた。

 

 ジィッドの書類を整え、黒豹再編関係の記録を確認し、シズナの報告経路を再調整していた。

 

 シズナは、その横顔をしばらく見ていた。

 

 ファティマ。

 

 マスターを持つ存在。

 

 選ばれ、結ばれ、役割を与えられている者。

 

 シズナの胸の奥で、何かが小さく歪んだ。

 

「ファティマは」

 

 声が漏れた。

 

 ニナリスが顔を上げる。

 

「はい」

 

「ファティマは、マスターがいて良いですよね」

 

 ニナリスは、すぐには答えなかった。

 

 シズナは笑おうとした。

 

 笑えなかった。

 

「私は、また選ばれなかった」

 

 声が震える。

 

 悔しいのか。

 

 悲しいのか。

 

 自分でも分からなかった。

 

「トモエ様は、私を捨てませんでした。でも選んだのはアーリィ姉様でした。ジィッド様は私を使ってくださる。でも、私を選んだわけではない」

 

 ニナリスは静かに聞いていた。

 

 否定しない。

 

 慰めもしない。

 

 それが、余計にシズナを刺した。

 

「自由なんていりません」

 

 シズナは、低く言った。

 

「誰か私を選んでくれれば、それでよいのに」

 

 その言葉は、あまりに幼かった。

 

 黒豹ニンジャ部門暫定統括。

 

 トモエ団長の遺した影を預かる少女騎士。

 

 黒豹を割らせないために立てられた者。

 

 その肩書の奥にいるのは、ただ選ばれたかった子供だった。

 

 ニナリスは端末を閉じた。

 

「シズナ様」

 

「はい」

 

「ファティマは、マスターがいて良い、というのは正確ではありません」

 

 シズナが顔を上げる。

 

「違うのですか」

 

「はい」

 

 ニナリスは淡々と言った。

 

「ファティマは、マスターなしでは存在の意味を保ちにくいよう作られています」

 

 シズナは黙る。

 

「選ばれて幸せなのではありません。選ばれなければ、生きる形が定まりません」

 

「……それでも、選ばれている」

 

「はい」

 

 ニナリスは否定しなかった。

 

「私はマスターに選ばれました。それは事実です」

 

 シズナの唇が歪む。

 

「羨ましいです」

 

「そうでしょう」

 

 その返答があまりに平坦で、シズナは一瞬、怒ることも忘れた。

 

 ニナリスは続ける。

 

「ですが、シズナ様が求めているものは、選ばれることではありません」

 

「違います。私は――」

 

「所有されることです」

 

 空気が止まった。

 

 シズナの顔が強張る。

 

 ニナリスは静かに言った。

 

「自由がいらない。誰かに選ばれればよい。全てを渡せば迷わなくて済む。それは、選ばれたいのではなく、自分で立つ責任を誰かに預けたいということです」

 

「……ひどい」

 

「はい」

 

「本当に、ファティマはひどいことを言いますね」

 

「マスターにも言われます」

 

 シズナは笑いかけて、笑えなかった。

 

 目から涙が落ちた。

 

「私は弱いです」

 

「はい」

 

「また、はい、ですか」

 

「はい」

 

「少しは慰めてください」

 

「慰めが必要ですか」

 

 シズナは黙った。

 

 必要だった。

 

 でも、欲しい慰めをもらったら、また寄り掛かる。

 

 それも分かってしまった。

 

 ニナリスは言った。

 

「シズナ様は弱いです。しかし、弱いことを自覚している者は、支柱を正しく置けば折れません」

 

「支柱」

 

「はい。ジィッド様だけを支柱にしてはいけません」

 

「では、誰を」

 

「ゲンロウ様。黒豹の大隊長たち。総督府防諜班。記録。職務。黒豹そのもの」

 

 ニナリスは一つずつ置くように言った。

 

「支柱は人だけではありません。役割も支柱になります」

 

「役割……」

 

「あなたは、ジィッド様に選ばれるために黒豹を残すのではありません」

 

「では、何のために」

 

「黒豹を残すために、あなたが立つのです」

 

 シズナは、涙を拭った。

 

「それは、苦しいです」

 

「はい」

 

「誰かのものになった方が、ずっと楽です」

 

「はい」

 

「それでも駄目ですか」

 

「駄目です」

 

 ニナリスは即答した。

 

「あなたがマスターのものになれば、黒豹の影はマスターの私物に見えます。あなた自身も、マスターの承認なしに動けなくなります。それは黒豹再編にとって危険です」

 

「私は、ジィッド様にとっても危険ですか」

 

「はい」

 

 シズナは苦く笑った。

 

「容赦がない」

 

「必要です」

 

「軍務ですか」

 

「はい」

 

 シズナは俯いた。

 

 少しの間、部屋には夜間空調の低い音だけがあった。

 

 やがて、シズナが小さく言う。

 

「ニナリス様」

 

「はい」

 

「私は、ジィッド様に見捨てられたのでしょうか」

 

「いいえ」

 

「本当に?」

 

「はい。見捨てるなら、報告経路を整備しません。休職命令を出します」

 

「……それもひどいですね」

 

「はい」

 

 シズナは、今度こそ少しだけ笑った。

 

 涙の残った、危うい笑みだった。

 

「では、私は何をすればいいのですか」

 

「明朝、第三系統の再配置案を、あなたの名で出してください」

 

「ジィッド様の承認は」

 

「最終承認はあります。しかし判断者はあなたです」

 

「怖いです」

 

「はい」

 

「失敗したら」

 

「修正します」

 

「見捨てられませんか」

 

「失敗だけでは」

 

 シズナは顔を上げた。

 

「では、何をしたら見捨てられますか」

 

 ニナリスは、少しだけ間を置いた。

 

「黒豹を割るために、自分の痛みを使った時です」

 

 シズナは息を呑んだ。

 

「……分かりました」

 

「はい」

 

「ニナリス様」

 

「はい」

 

「私は、ジィッド様を好きになってはいけませんか」

 

 ニナリスは表情を変えなかった。

 

「感情は禁じても消えません」

 

「では」

 

「ただし、その感情を忠誠や任務に混ぜないでください」

 

「難しいです」

 

「はい」

 

「また、はい」

 

「難しいため、私が観測します」

 

 シズナは涙を拭い、深く息を吸った。

 

「ファティマは、怖いですね」

 

「よく言われます」

 

「マスターに?」

 

「はい」

 

 シズナは、小さく笑った。

 

 今度は少しだけ、本当に笑えた。

 

「……少し、分かります」

 

 ニナリスは端末を再び開いた。

 

「シズナ様」

 

「はい」

 

「あなたは選ばれなかったのではありません」

 

 シズナの目が揺れる。

 

 ニナリスは静かに言った。

 

「あなたは、任されました」

 

 その言葉は慰めではなかった。

 

 甘くもなかった。

 

 だが、シズナの胸に残った。

 

 選ばれることより、ずっと重い言葉だった。

 

「……任された」

 

「はい」

 

「トモエ様の後始末を」

 

「はい」

 

「黒豹の影を」

 

「はい」

 

「ジィッド様のものではなく」

 

「黒豹のものとして」

 

 シズナは、深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、ニナリス様」

 

「礼は不要です」

 

「それでも、言わせてください」

 

「はい」

 

 シズナは扉へ向かった。

 

 出る直前、振り返る。

 

「ニナリス様」

 

「はい」

 

「私は、また愚痴を言いに来てもよろしいですか」

 

 ニナリスは少しだけ考えた。

 

「頻度が高すぎなければ」

 

 シズナは目を丸くした後、ほんの少し笑った。

 

「厳しいですね」

 

「マスターの負荷管理もありますので」

 

「そこに入るのですね、私」

 

「はい」

 

「……分かりました」

 

 扉が閉まる。

 

 ニナリスは端末に短く記録した。

 

 

 

/*/

 

 

 ヨシワラ・シズナ。

 個人的依存傾向、継続。

 自己認識あり。

 支柱分散、継続可能。

 任務継続可。

 

 

/*/

 

 

 

 その最後に、ニナリスは一行だけ追記した。

 

 

 

/*/

 

 

 選ばれることへの渇望が強い。

「任された」という認識への移行を支援。

 

 

/*/

 

 

 

 記録はいつも残酷だった。

 

 だが、その夜の記録は、少しだけ優しかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。