/*/ 星団暦3070年・総督府執務棟 黒豹諜報・防諜報告室 /*/
ヨシワラ・シズナの報告は、回を重ねるごとに変わっていった。
最初は、硬かった。
ジィッドの顔色を見る。
ニナリスの反応を見る。
カラスマ・ゲンロウの沈黙に怯える。
報告書の文言ひとつにも、どこか「これでよろしいでしょうか」という縋るような色があった。
だが、数週間。
さらに数か月。
黒豹ニンジャ部門の再編が進むにつれて、シズナの報告は鋭くなった。
第一系、対外諜報。
第二系、隊内防諜。
第三系、トモエ直属旧連絡網の保全・監査。
それぞれに補佐を置き、記録を二重化し、総督府防諜班との接続を整え、銀月の監査役にも余計な権限を持たせない。
黒豹の影を、黒豹のまま残す。
銀月の犬にも、アーリィの亡霊にも、トモエの模造品にもさせない。
その配置図を見たジィッドは、しばらく黙っていた。
「……普通に出来る女だな」
シズナが瞬きをした。
「はい?」
「なんでそんな卑屈なんだ」
部屋の空気が、一瞬だけ止まった。
ラドが「あ」と言いかけて黙る。
ノエルが記録端末から顔を上げる。
ニナリスが、ジィッドの斜め後ろで淡々と言った。
「マスターがそれを言いますか」
ジィッドが振り返る。
「どういう意味だ」
「ご自分の実績を記録で示されても、毎回かなり嫌そうな顔をされます」
「俺の話はいい」
「比較対象として適切です」
「適切に刺すな」
シズナは、少しだけ目を伏せた。
以前なら、ここで「私はアーリィ姉様より出来が悪いので」と言っていた。
だが、今は違った。
彼女は小さく息を吸い、静かに答えた。
「……任されましたので」
その言葉に、ジィッドは少しだけ黙った。
選ばれた、ではない。
任された。
シズナの中で、何かが少しずつ組み替わっている。
ニナリスも、それを記録しながら見ていた。
シズナは報告書を閉じた。
「黒豹ニンジャ部門は、まだ完全ではありません。ですが、当面の暴発は抑えられます。第三系の旧連絡網も、私一人ではなく三者監査で動かします。アーリィ姉様に関する独断追跡も、現時点では止めています」
「十分だ」
ジィッドは言った。
「いや、十分以上だ。黒豹の影は残った」
シズナの肩が、ほんの少しだけ下がる。
安堵。
だが、その次に彼女は顔を上げた。
「それで、ジィッド様」
「なんだ」
「お慕いしております」
ジィッドの動きが止まった。
ラドが咳き込んだ。
ノエルが記録端末を閉じた。
ニナリスだけが、表情を変えなかった。
シズナは続けた。
「以前のように、全てを差し出す、とは申しません」
「それは成長だな」
「はい。ニナリス様にも、支柱は複数必要だと教わりました」
「それも成長だ」
「ですので」
シズナは、妙に真剣な顔で言った。
「まずは男女の仲を目指して、交際を開始させてはいただけないでしょうか?」
ジィッドは、今度こそ完全に固まった。
ラドが小声で言う。
「段階を踏んでる……」
ノエルが答える。
「踏んでますね……」
ジィッドは片手で額を押さえた。
「それは……」
少し考える。
考えても分からない。
戦線図より難しい。
税収報告より危険。
会食より逃げ道がない。
「それは……お友達から、と、いう意味か?」
シズナは真剣に頷いた。
「はい。最初の段階としては」
「最初の段階」
「はい」
「最終目標が明記されている友達とは、かなり圧が強いな」
「隠すと不誠実ですので」
「正直ではある」
ニナリスが静かに言った。
「マスター。以前の“全てを差し出す”発言と比較すれば、依存度は低下しています」
「低下してこれか」
「はい」
「黒豹式は極端だな」
シズナが少しだけ不服そうに言う。
「極端な方が話が早い時もあります」
「前にも聞いたな、それ」
「今回は段階を設定しています」
「そうだな。段階がある分、前よりはだいぶましだ」
ジィッドは深く息を吐いた。
「ただし、問題がある」
「はい」
「俺は今、お前の上官だ」
「はい」
「黒豹ニンジャ部門は総督府の保護下にある。お前はその暫定統括だ。そこで俺が個人的な関係を受けると、黒豹の再編に影響が出る」
「理解しています」
「本当にか?」
「はい。ですので、交際開始の前段階として、私的接触ではなく、月一回の茶席からで構いません」
ラドが小声で言う。
「申請が具体的になってる……」
ノエルが低く返す。
「しかも運用案になってる……」
ジィッドは頭を抱えた。
「茶席」
「はい」
「護衛付きか?」
「必要なら」
「記録は?」
「残さなくても構いません」
ニナリスが即座に言った。
「記録は残します」
シズナが少しだけ振り返る。
「ニナリス様」
「マスターの負荷管理上、必要です」
「情緒がないですね」
「はい」
「そこは否定してほしかったです」
ジィッドは椅子に座り直した。
「シズナ」
「はい」
「お前が俺を慕うのは止められん」
「はい」
「だが、それを任務に混ぜるな」
「はい」
「黒豹ニンジャ部門の判断に混ぜるな」
「はい」
「俺の承認が欲しいから正しい報告をする、では駄目だ。正しい報告をした結果、俺が承認するならいい」
シズナは少しだけ黙った。
そして頷いた。
「承知しました」
「それと、俺はお前を所有しない」
「はい」
「お前も俺の所有物になろうとするな」
「……はい」
「忠誠は黒豹と職務に置け。俺には報告と相談を持ってこい」
シズナは、少しだけ寂しそうな顔をした。
だが、以前のように崩れなかった。
「では、茶席は」
ジィッドはニナリスを見た。
「どう思う」
ニナリスは淡々と答えた。
「月一回、時間制限付き。内容は私的雑談を含む。ただし黒豹再編に関する判断をその場で行わない。終了後、シズナ様の状態を観測。必要なら頻度を調整。これなら危険域ではありません」
「……会議みたいになったな」
「私的接触の安全管理です」
「言い方が硬い」
「必要です」
シズナが、ほんの少しだけ笑った。
「では、許可でしょうか」
ジィッドは深く息を吐いた。
「友人としての茶席なら、許可する」
シズナの表情が明るくなりかける。
ジィッドはすぐに続けた。
「ただし」
「はい」
「男女の仲を目指すかどうかは、今は保留だ」
「保留」
「そうだ。お前はまだ黒豹を立て直している途中だ。俺も総督府と黒豹と国家騎士団と銀月で手一杯だ。ここで話を早くすると、またお前が極端な方向へ走る」
シズナは少しだけ唇を尖らせた。
「慎重すぎませんか」
「お前が極端すぎるんだ」
「否定はしません」
「そこは否定しろ」
ラドが耐えきれずに笑った。
ノエルも肩を震わせる。
ニナリスは静かに記録した。
「ヨシワラ・シズナ様。依存傾向は残存。ただし自己認識あり。段階的関係構築を提案。月一回の茶席、条件付き許可」
ジィッドが顔をしかめる。
「記録に残すと本当に業務みたいだな」
シズナは少しだけ笑った。
「でも、任されましたので」
「何をだ」
「黒豹も、自分自身もです」
その答えに、ジィッドは少し黙った。
それから、軽く頷いた。
「なら、まずはそこからだ」
「はい」
「友人として茶を飲む」
「はい」
「仕事の話をしすぎない」
「努力します」
「努力か」
「軍務ではありませんので」
ジィッドは思わず笑った。
「少し成長したな」
シズナは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その礼は、以前のように縋るものではなかった。
まだ危うい。
まだ重い。
まだ極端だ。
だが、少なくとも今のヨシワラ・シズナは、自分の足で立とうとしていた。
ニナリスはそれを見て、静かに端末を閉じた。
記録はいつも残酷だった。
だが、この日の記録には、少しだけ前進と書けた。